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調べることへの情熱と、私の”ASDらしさ”。

こんにちは、φです。そろそろ名前を変更したい気持ちがありますが、良い案が浮かばないのでこのままです(笑)

さて、今日は独白と言いますか、自分の”癖”と言うか。”性質”的なものを「なるほど…!」と発掘しまして、それを書こうと思います。

性質ではあるけれど、おそらくASD(アスペルガー症候群/自閉症スペクトラム障害)故だろうな、と考えてる。ASDの方が、この記事から何かしら自分発掘につながればいいなと思っています。


調べることへの執着

とにかく調べる。どこまでも調べる。自分でも分からないくらい執着して調べる。

対象はなんでもです。私が興味のあるもの、という前提ではありますが。全くないものは「あ、そうですか」で終了。差がひどすぎるとは自覚しています。

現在webライターとして、インターンさせてもらっている身分の私。調査する段階で、ものすごく調べます。そしてそれが苦ではない。むしろ楽しんでるし、時間を忘れてもいる。(仮)営業時間外でも調べてる。

プライベートでも、インターンでも、なんでも。朝から夜まで、気になることを調べます。

そして得た情報で、私がどうするかと言うと。

「なるほどー!!そういう理由があるからか!!」

の、自己満足で終わるわけであります。

多分、情報を得て「そうなんだ!」で満足する人にとっては異人のように思えることでしょう。異人どころかエイリアンかもしれない。むしろ生命体として認められないかもしれない。

しかしながら、私自身はその”調べることで得た情報”によってどこまでも満足する。次に何かがあるわけではないのですが、大満足です。これ以上ないくらい。

まぁ、その情報が誰かの役に立ちそうな気がするとき。私は惜しみなく提供します。そういえば前調べたことがあってね、という具合に。数十分、数時間、それ以上かけた情報であっても、ぽろっと口にしちゃう。

実際、その人にとって役に立つかどうかは私にはそこまで問題ではなかったりします。役に立てばいいな、とは思うけれど、絶対役に立つってわけでもないだろうし。ただ可能性が広がればいいな~ってくらい。

結論、”私の自己満足”なのです。調べることって。


ふと「どうして調べるんだろう?」と思いまして、あれこれと考えてみたのです。自己分析も兼ねた感じに。

そこで分かったのが”理由・エビデンスが知りたい。ほしい。”という欲求でした。


ほしいもの:”理由”

調べた時間と、私の時速を掛け合わせたら三千里いくかもしれない。なので三千里。

そう、単純に「理由、根拠、エビデンス、…知りたいことの根本となる部分が知りたい」のです。私は。

おそらく、”物事には絶対に理由がある”という私の考えが由来なのだと思います。私的に言うと、この考え自体がどことなくASD。過度なくらいにそう思っている辺りが。

実はこの考え方、物事だけ、物質や情報だけにとどまらないのです。

人の行動だってそう。私にとっては”理由なしに行動すること”はイレギュラー極まりない事態なのです。バグでも発生したのかと思うくらい。

私が、日頃の自分らしくない行動をとるときは、一定の規則があったりします。「興味がある、というシンプルな理由からやってみよう」とか「イレギュラーなことをやってみよう」とか。これらは”イレギュラーな事態を起こすことで、何かしら新たな結果が生まれる可能性がある”という理由がある。

つまりは、理由があるんですよね。

なので、私と対極の性格を持つ人が「理由?ないけど…必要?」と言うとき、私は非常に「何事?!」と驚いてしまうわけです。私にとって、理由のない行動は処理が追い付かないらしいので。

さて、人の場合の話はここまでにして。事や物の場合に移ろうと思います。

思い返せば学生時代。私は歴史を丸暗記するのが大嫌いでした。

年号と人物名、出来事の名前を覚えるだけ。それが非常に”気に食わない”ものでした。

出来事や人物がなぜ登場したのか、なぜその年号で起こったのか。何が関係して、なぜ…とにかく、原因やら理由やらが除かれてしまうからです。ただの暗記だと。

愛憎やら何やらが詰まりに詰まった歴史それ自体は大好きな教科でした。どの場面でも理由が発生するから好きなのだ、と今思えばそう思います。


現在では、情報にひたすら焦点が当てられています。この”理由を求める”行動。

ニュースで何かを見て、「そうなんだ、大変だなぁ」とか「知らなかった」とか。それだけじゃ何だか気持ちが悪い。「で、それの理由は?証拠は?」と、すぐ情報に情報を求めたがります。

情報は「教えてやろう、なぜなら…」と言うことはありません。なので自分で調べるのですが(笑)

ひとつの情報に対して調べると、新しい情報が手に入る。途中で情報の補足情報を見つける。気になる。さらに調べる。調べる。調べる…

これを繰り返して、最終地点はやたらとマニアックな、細かい、雑学より雑学、なものになるわけです。そして私はそこでようやく満足する。おかしなものです。


結局のところ

理由がないわけがない。これが根本にあって、理由がなければ何も起こらない、と思っている。

どことなく、偏った思考といいますか。イレギュラーが苦手、規則性を好む、固執する、という辺りが、私のASDらしさなのだろうと感じます。

「人間だもの、気持ちで動くことってあるよ~」とは分かってはいるし、そうであることも知っています。

けれども、どうも私にはそれが馴染まない。人が気持ちで動いても「人間だもの」で済ませる私ですが、どうも自分の場合はそうではないらしく。というか根本は「人間だもの」で済ませることはないらしく。

なんと言いますか、理性で「人間だもの」を理解している感じです。学習の結果、と言いましょうか。

「どうして調べるのが好きなのか?」ということへの理由を探しまくり、結局辿り着いたのは何かに興味があるから、とかではなく「理由がほしいから」だった。だから調べるものの幅が広いんだ。マリトッツォから世界情勢、解剖学、競馬まで調べてるんだ。理由があった、理由がほしかったからだ。

半ば私の自己分析ですが、ASDの人で「どうして調べてるんだろう?」と疑問を持っている人がいたら役に立つかなぁと思います。理由がほしいってことも、調べる理由です。理由理由書き過ぎてゲシュタルトが崩壊しそうですね。

あれこれ書いていたら、2600字程度になっていました。この辺で失礼しましょう。みなさま、GWはいかがでしたでしょうか。明日から日常が戻ってきますが、どうぞご自愛を。

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