音との生活に思うこと

833回目です。φです。

この音に溢れた今の時代だからこそ、”無音を楽しむ”ことは大切なんじゃないかなぁと思いました。にぎやかな場所に行ったとき、疲れて別の場所に行ってもにぎやかなだった、というとき。

いつからでしょうか、No music No lifeと言われるようになったのは。

私は当時からものすごーく音楽が好きだった、というわけではありません。ピアノはやっていたし、好きか嫌いかと言われると好き、なのだろうけれども。

中学生になったとき、周りの音楽への熱中っぷりには驚かされたものです。イヤホンをして音楽を聴きながら登校して、帰りも音楽を聴きながら。そして家では音楽を流している、ということだから、とても驚きました。

中学生だからかなぁと思っていると、高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても。周りのその様子は変わらなくて、人は音楽が好きなのだろうと思いました。

音楽を愛する人が増えたからか、消費者行動を促進させるためのものなのか、外に出るとBGMはどこにだって流されています。お店は小さくても大きくても、音楽が流されている。大型商業施設のなかにあるお店はお店ごとに音楽が違ったり。それがイメージ戦略云々というものかもしれませんが。

どこもここも音だらけで、音に疲れてしまうとどうしようもない。今ではトイレすら音楽が流れている。静かな場所は必死に探さないと見当たらなくなってきました。

家で、私はヒーリングミュージックをかけることがあります。波の音とか、クラシックとか。けれど、本当に落ち着きたいときは無音。…まぁ私の家はにぎやかなものですから、無音になる時間はほとんどないんですけどね!

私が居合道をやっていたころ。兄弟子の方から集中するための方法を教えてもらいました。とてもシンプルなもの。

正座して、背筋を伸ばして、目を閉じて、静かに呼吸する。呼吸だけに集中する。

もしかしたら、私が瞑想というものに出会ったのはこの頃だったかもしれませんね。この方法が私を何度も助けてくれました。受験の頃、どうしても精神的に乱れていた頃、疲れた頃。教えてくださったときの声を思い出しながら、今でも続けています。

音は素晴らしい。人の心を揺さぶり、感動させ、人とのつながりを堅固なものにする。けれど、それをより理解するために、無音も愛してほしいな、と思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?