見出し画像

2023年予想問題 第2位 「人権を侵害された宗教二世」と憲法第20条「信教の自由」

0 はじめに

このテキストの前半部分「宗教二世」は、正直なところ出題されないと思います。安倍元首相暗殺というショッキングな事件と直接関わりますし、また犯人に対する考え方にも影響するでしょうから。それに、全ての宗教二世が問題を抱えているわけでもありません。ただ、基本的人権が侵害され、声を上げている宗教二世がいるのは間違いありませんし、5番以降の憲法20条を問う問題は出題されると思います。そこで、宗教二世の問題も含めて紹介したいと思います。

1 宗教二世とは

宗教二世とは、特定の宗教を持つ家庭に生まれ、その宗教を信仰することを求められた子どものことです。宗教社会学者の塚田穂高さんは、「特定の信仰・信念をもつ親・家族とその宗教的集団への帰属の下で、その教えの影響を受けて育った子ども世代のこと」と定義しています。
親が信仰を持っている場合、子どもにその信仰をするように求めるのは、当たり前のことといえるでしょう。お寺やキリスト教会の子どもがそうであるように。
ただ今回、宗教二世が問題になったのは、安倍晋三元首相殺害事件がきっかけです。殺害した容疑者(ここではあえて名前を挙げません)の母親は、旧統一教会(現・家庭平和統一連合)に多額の寄付をした結果、家庭が崩壊しました。容疑者自身も大学に進学することができず、非正規職で生きていかざるをえませんでした。安倍晋三元首相は旧統一教会の広告ビデオに出演しており、容疑者は安倍元首相を旧統一教会の広告塔になっていると考えます。そのため安倍元首相を自作の銃で撃ったのです。
(この後、旧統一教会が信者に多額の献金を強いたり、ありもしない先祖の罪で信者を脅し、高額な壺などを買わせるという「霊感商法」を行っていたことが分かりました。旧統一教会は「日本人から金を取るのは当たり前」という教義を持っていたことが明らかになりました。また1950年代から自民党保守派(特に安倍元首相の祖父である岸信介など)と強固な関係を築いてきており、安倍元首相のビデオ出演もその流れにあることが明らかになりました。これらのことは受験に出ないと思われるので、ここでは説明しません。)
2010年頃から、SNSを中心に家庭が崩壊したり、行動や進路を制限されたり、受けられるはずのサービスを受けられなかったりする宗教二世がいることが明らかになってきました。宗教二世のすべてがこうした状況にあるとはいえないため、ここではこうした宗教二世を、「人権を侵害された宗教二世」と呼びます。

2 「人権を侵害された宗教二世」とは

・信仰を強制され、言うことを聞かないと虐待される。教団によっては暴力を推奨しているところもあるため、精神的にも身体的にも虐待される可能性がある。
・マンガ、音楽、ゲームなどの娯楽を禁止される
・宗教以外の世界に触れさせてもらえないため、人生の選択肢が狭まる。教育、結婚も教義によって制限されたり、進路が決められたりする。
・親が財産を寄付してしまったり、信仰が優先され仕事が後回しになった結果、貧困に陥る可能性がある(宗教上の理由で子だくさんになることも含む)。

こうした行為はまさに虐待です。今までは宗教上の行動だからということで、消極的な対応にならざるを得なかった面があったといいます。ですが厚生労働省は2022年12月、「宗教上の理由であっても虐待は虐待である」というガイドラインを出しました。
https://www.mhlw.go.jp/content/001032124.pdf
子どもの意志ではなく、親や教団の意志が優先され、子どもの人権が侵害されているところが問題なのです。

具体的にどのような状況であったかについては、菊池真理子『「神様」のいる家で育ちました』で知ることができます。あとがきにもある通り、このマンガはウェブサイトで連載されていましたが、マンガの中で示された宗教団体からの抗議により、連載はストップ、全話公開停止になりました。文藝春秋によって続きが描かれ、出版に至ったという作品です。

こうした「人権を侵害された宗教二世」は、戦前から存在してきました。後に述べる「カルト教団」が急速に成長した1950年代、70年代にも問題になってきました。現在この問題が注目されるようになったのは、SNSの普及が大きいです。SNSという「手軽に発信できるメディア」が広まったことによって、この問題が拡散され、多くの人が知るようになったのです。

既存の宗教に共通する超重要な特徴は、「寛容」です。キリスト教は「汝の隣人を愛せ」と説きますし、イスラム教は多様な価値観、多様な「民族」でも「ともに生きられる」ようにします。それではなぜこうした人権侵害が起こるのでしょう。それはこうした宗教が「既存の宗教とは違う」からです。こうした宗教の多くが、いわゆる「カルト教団」なのです。

3 カルト教団とは

カルト教団は、一般的に次のような特徴を持っています。
・正体を隠して近づく
・宗教を持たない人や、他の宗教は全て「間違っている」とし、自分たちだけが「正しい」とする
・財産の全て、行動の全てを教団に捧げるように仕向ける
・カリスマ的な指導者がおり、信者は多くの場合指導者や教団にマインドコントロールされている
・信者が他の情報に触れられないように、情報を遮断したり、行動を制限したりする
・多くの場合、信者の心の平穏とは別の、真の目的を持っている

オウム真理教がいい例です。彼らは1990年の選挙で全敗した後、武力で国家を転覆し、権力を握ることを目的にするようになりました。ヘリを買ったり、武器密造工場や化学兵器工場を建てたりしました。金が必要になったため、それまでより強く「出家」(全ての財産を教団に寄付する)を求めるようになりました。そして信者を盲目的に従わせるために、薬物(LSD)を使って神秘体験をさせ、マインドコントロールするようになりました。最終的にはそれが95年の地下鉄サリン事件につながりました。
カルト教団は、「SDGsを研究する」「発展途上国を救う」「世界の格差を是正する」「お金の豊かさではなく心の豊かさを求める」といった、誰にとっても「正しい」と思えるテーマを掲げて近づいてきます(こうしたことを主張する団体の全てがカルトというわけではありません)。そして自分たちの正体を隠してコミュニティに取り込み、抜けにくくなったところで正体を明かすのです。気づいたときにはもう抜けられなっている、というわけです。
また宗教以外にも、カルト性をもつ団体が二種類あります。
第一のものが、極端な主張を持つ政治団体です。保守系(いわゆる右翼)、社会主義系(いわゆる左翼)、両方あります。
第二のものが、違法であったり、違法すれすれの商売を行う団体です。いわゆる「マルチ商法」「ネズミ講」です。彼らの特徴は、「意識高い系」や、「仲間」「絆」といった言葉をよく使うことです。中には共同生活を強いて、収入を搾取する業者・団体もあります。
こうした教団・団体と関わってしまうと、自分自身の環境が悪くなるだけでなく、友人関係にも悪影響を与えがちです。こうした団体の存在と手口を知っておくことが大切です。

4 「人権を侵害された宗教二世」を救済するには

それでは解決策を考えてみたいと思います。これはヤングケアラー対策、虐待・ネグレクト対策と多くの共通点を持ちます。こうした子どももまた「人権を侵害された子ども」なのですから。

①社会的に、「人権を侵害された子ども」の存在を知る

まずこうした厳しい立場にある子どもたちが、社会に存在することを、社会全体が知る必要があります。そしてこの問題を解決しなければいけないという、社会的合意を作る必要があります。

②「逃げ場」と「相談する場所」を作る

子どもが親から自発的に離れることは、とても難しいことです。ですが親元にとどまり続けた場合、さらに悪い状態になることがあります。DVを受けた人たちが逃げこめるシェルターのように、子どもたちが逃げ込め、相談できるシェルターを作り、その情報を広める必要があります。

③学校が情報をつかみ、児童相談所などと連携して対策をとる

最も子どもとその親に接する機会が多いのが学校です。子どもが抱える問題をつかみやすいのも学校でしょう。現状では縦割り行政のため、学校がつかんだ情報を、ほかの子どもに関する機関と共有することは難しいです。4月から子どもの情報を一元的につかむ「こども家庭庁」が発足するため、そちらに期待です。

④共助グループを作り対策を共有する

人権を侵害された子どもたちでグループを作り、情報と対策方法を共有するのも有効だと考えられます。別の宗教の宗教二世、宗教二世とヤングケアラーのように、種類の違う人権侵害についても、情報共有を進めることが重要だと考えられます。

5 憲法20条「信教の自由」について

このように書いていくと、宗教はやはり危険だ、と思う人も出てくると思います。それでは日本国憲法では、宗教についてどのように規定されているのでしょうか。

憲法第20条には、[信教の自由]と見出しがついています。そして次の3項からなります。
①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

(1)信教の自由について

この条文は、大まかに第1項前半の「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」という部分と、第1項後半、第2項、第3項の、「国の宗教的活動の禁止」という部分に分かれています。まず前半部分を説明しましょう。
信教の自由は、「思想・良心の自由」「学問の自由」などの、「精神の自由」に含まれます。一人一人の心の中は、その人の絶対的な自由です。また人の心の中まで、国は立ち入ることはできません。人がどのような信仰を持とうが、それは自由です。また国は信仰を禁止することはできません。江戸時代のキリシタンの弾圧、戦前の新興宗教の弾圧のように、国が特定の宗教を禁止することは、基本的人権の大きな危機になります。ですから憲法では、どのような信仰を持ってもよいと、明確に規定されているのです。
これによって、国のカルト教団に対する規制が慎重になってきたのは否めません。これまで宗教法人に解散命令が出たのは、その法人が明確な犯罪を犯したときだけでした(オウム真理教と明覚寺)。ただ国が宗教や信仰を自由に規制できるようになると、国は次に思想、学問、表現の規制も行なうようになるでしょう。そのため国は強く自制してきたといえるのです。国が自制しなくなったら、私たちの「精神の自由」は本当に危機に瀕します。カルト教団への規制を物足りなく思う人もいるでしょうが、宗教への規制は本当に慎重に扱うべき問題なのです。

(2)国の宗教活動の禁止について

憲法20条で一番重要なのは、実は後半のこの部分かもしれません。第1項後半には「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」とあります。第3項には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とあります。これは国と宗教を明確に分離するものであるため、「政教分離」と呼ばれます。
なぜこうしたことが明確に規定されているかというと、戦中まで国と神道が密接に結びついてきたからです。こうした形の神道を「国家神道」といいます。明治以降、政府は神道を国教として扱いました。国家が全ての神社を組織化して、神社の頂点は天照大神をまつる伊勢神宮とされました。天皇は国家神道の神官のトップであり、崇拝の対象となる「現人神」になりました。教育も神道に基づいて行なわれてきました。人々は神社に参拝することを求められ、天皇の写真(御真影)にも特別の敬意を払わなくてはなりませんでした。20条2項はこうした「信仰の強制」があったために作られたのです。
そして日中戦争が激化すると、国家神道は、「世界の王家の中で、最も長く血筋をたどることができる天皇をいただく日本は、他の国より優れた国である」という考えを生み出します。そして1940年(この年は「皇紀2600年」とされ、東京オリンピックが予定されていました)には、「世界で最も特別な君主である天皇が、世界全体をまとめて一つの家のようにする」という、「八紘一宇」という言葉が生まれます。日本の戦争は、こうして「善の戦争」として正当化されるようになったのです。
このように国家神道は、1930年代後半以降強化される軍国主義を支える強力な背景となりました。国と宗教が結びついた結果、「自分たちだけが素晴らしい存在である」という狭い考えに陥り(「だから自分たちは勝てるはずだ」という考えにつながり)、敗戦に向かっていったのです。
戦後、GHQは「神道指令」を出し、政治と宗教を分離することを示しました。この指令はサンフランシスコ平和条約で効力を失いましたが、この理念は日本国憲法20条に今でも生きています。
そしてここから、「権力をめざす宗教団体は要注意」ということが見えてきます。国家神道のもとでは、神道は他の宗教より一段上に置かれました。神主は国から給料をもらっていました。神道の教義によって、国全体が動いていきました。宗教にとって「国教化」によって得られる利益は、非常に大きいのです。オウム真理教は、最初は選挙によって、次は武力によって国教化を目指しました。旧統一教会は、自民党の政治家の選挙支援を行なうことによって自民党に勢力を伸ばし、自らの教義を政治に反映させようとしました。究極的な目標が国教化であったことは明白です。この他にも政治に関わることによって、自らの目的を達成しようという宗教団体があります。
ある宗教が国教化されたら、他の宗教は「邪教」となるでしょう。そして私たちの「精神の自由」は束縛されるでしょう。こうならないためにも、政治と結びつこうとする宗教には注意する必要があるのです。

6 宗教を知る必要

ここまでこう書いてくると、「やっぱり宗教は危険だ、近づくべきじゃない」「宗教を信じない方が正しい」と思われた方もいるのではないでしょうか。
ですが宗教をそのように簡単に考えるのは、いささか短絡的かと思います。世界全体では宗教が強い力を持っていますが、それは宗教が人の心にプラスの力を与えるためです。『「神様」のいる家で育ちました』でも、宗教の持つ良さを実感しており、場合によっては宗教に戻る可能性がある人が登場します。宗教のプラス面もよく知っておく必要があるのです。
宗教は、心のよりどころを作り、不安や恐怖をしずめます。人間はひとりでいると、どうしても不安になるものですが、人間を超える存在がいることを信じることで、その不安を鎮めることができます。
宗教は共同体を作り、互いに助け合う体制を作ります。人との交流が、傷ついた心に「癒やし」をもたらします。それに、人との付き合いが少ない人と、周りに話せる人が多い人では、どちらが困ったときの対策をとりやすいでしょうか。
そして宗教は、世の中の理不尽や不条理に説明を与えてくれ、人間に力を与えてくれます。人間ではどうにもならない状況に立ち向かう力をつけてくれます。私たちも震災の時、コロナ禍が始まったとき、「祈った」のではないでしょうか。あるいは近しい人が目的を達成するように、「祈る」のではないでしょうか。
既存の宗教の目的は、信者同士や周囲の人同士が交流することで、「癒やし」や「心の平安」をもたらすことです。
社会と共存してきた既存の宗教は、「ちゃんとした」宗教だといえるでしょう。「ちゃんとした宗教」を知ることは、自分の心のメンテナンスをする上で重要なのです。「ちゃんとした宗教」を知ることは、カルト宗教やそうした性質を持った団体から身を守るために、また、金や権力ばかりを求める「堕落した」宗教を見極めるために、とても重要なことなのです。
そして「ちゃんとした宗教」を知ることは、グローバル化した現在の社会では、必須の事柄といえます。日本では、信仰している宗教は何かと聞かれると、「宗教みたいな変なものは信じない」「オレ教」などと答える人がいます。2018年のNHKの調査では、「信仰宗教なし」と答えた人が、全体の62%を占めました。
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20190401_7.pdf
宗教を悪いものとみたり、バカにするような傾向は、非常に強くあるといえるでしょう。ですがそうした姿勢で、強い信仰を持つ人と、うまくつきあっていくことはできるでしょうか。彼らの生活習慣や食習慣を理解できるでしょうか。そして彼らとパートナーシップを組み、互いに利益を得ていくことはできるでしょうか。答えはいずれもNOです。宗教をはなからバカにするような姿勢は、人間関係の上でも、経済面でも、大きな機会損失を生むのです。
ですから、なるべく幅広く宗教を「知る」ことが大切です。本やネットでそれぞれの宗教の教義を知ることが大切です。そして、近場の宗教施設に行ってみたり、宗教団体が参加しているイベントに行ってみたりして、直接体験することが重要なのです。
日本では宗教を軽視したり悪と見なす傾向がありますが、そうした姿勢は今後の世界では厳に慎むべきでしょう。他者の宗教や信仰を尊重することから、他者の理解が始まります。他者を理解することから、相互理解が始まるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?