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母性って?

先日Netflixで映画「母性」を観た。
戸田恵梨香さんはじめ俳優部の皆さんのお芝居はそれはもう圧巻で凄いものを観たと思った。
でも原作未読の私、あれ?湊かなえさんの作品ってこんな感じだっけ?と違和感があった。確かに彼女の作品からは暫く離れていたので私の知らない間に雰囲気が変わったのかも知れない。でもこれは原作もちゃんと読んでからでないと映画の感想も書けないと思い、原作も読んでみた。

結論から言うと湊かなえさんは湊かなえさんだった。行間に潜むヒリヒリした緊張感や何とも言えない読後の余韻。しばらく湊かなえワールドから抜け出せない中毒性。やばかった。めっちゃ傑作ですやん。

正直に言います。
映画も素晴らしかった。
それは間違いないけど、私は原作の世界観の方が好きでした。「わたし」「私」の一人称の言い換えのトリック(と言っていいか分からないけど)は小説ならではだと思うの。

そして考えずにはいられなかった、”母性”って?と。
「愛能う限り娘を愛してきました」と私は言えるだろうか。
そもそも母性とは愛能うものなのか。

私は実の母(生みの母)を知らない。
物心ついた時から父と祖母の3人で暮らしてきた。
だからそれが当たり前だと思っていたけれど運動会や授業参観で母親の出番が来た時に祖母をはじめとした周りの大人たちが母親がいない私に不憫な目を向け、私がかわいそうな思いをしないようにと、それこそ愛能う限り気を遣ってくれていたのを思い出す。

今思うと祖母からは無償の愛をもらっていたんだなあと思う。
でも祖母の愛が私への母性かと聞かれるとやっぱりちょっと違う気がする。

結婚し子供を授かった時、妊娠が分かった瞬間からお腹の子を無事この世に出さねばならないとその使命感だけで妊娠期間を過ごしてきた。そして元気な赤子を出産、やっとこの世に人を一人送り出せた、肩の荷を少し下ろせると思ったら今度は母親として全方位からのプレッシャーが待っていた。もちろん出産したら終わりなんてことは当然思っていなくて少なくとも子供が成人するまでは世話をし面倒を見なきゃいけないことは承知しているしその覚悟をもって産んだ。でもそれは母親だけにかかるものでなく父親にも平等に負担されるべきものだと思っていた。

母性って女性であれば全員もれなく生まれ持って備わっているものですか?
それが欠けていたり少なかったりしたら母親、しいては人間失格ですか?
もしくは母性を我が子への愛情のメジャーとするのであれば、その愛情の量と子育ての責任を同義で語らないで欲しい。
愛があれば自己犠牲を厭わず全力で尽くのが当然みたいな無言の圧力本当にやめてほしいとずっと思っていたし今も思っている。
・・・すみません、7年前の恨み嫉みがつい出てしまった。

母性という作品に出会って初めて気づいたのだけど、私には母がいないから母性を身近に感じることがなかったのかな?
そう考えると私の娘は私から母性を少なからず譲り受けるのか?
え?恐ろしい。
そんな呪いの言葉に娘には縛られてほしくない。

母性って言葉があまりにも世の中で神格化されていないでしょうか?
私がひねくれているだけかな?
もちろん大きな愛のある母性をお持ちの方も世の中にたくさんいらっしゃると思います。
でもそうじゃない人を異分子みたいに扱い、さもいない前提で進められる世の中の仕組みには全く納得はいっていない。

おちはありません。(笑)

ただひとつ言えるのは、この世界で唯一自分の命と引き換えに助けたいと思えるのは娘だけです。

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