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文化のグラデーション

 2024年1月6日から28日まで、名古屋市名駅の現代写真アートギャラリーPHOTO GALLERY FLOW NAGOYAにて、中西俊貴「地と記憶」が開催された。

 今展示は、2022年に行われた、HOKKAIDO PHOTO FESTAでのポートフォリオレビューにてグランプリを受賞した作品である。昨年には東銀座のIG Photo galleryにて同名の展示を行っており、今回は名古屋での巡回展示となっている。また、2024年にはHOKKAIDO PHOTO FESTA本祭での展示も決定している。

 「地と記憶」は、昨年のIG Photo galleryにて開催されたときにも考察を書かせていただいた。
https://note.com/photo260nagoya/n/nfc906fb57128
上記の考察を踏まえて、名古屋での展示についてもう少し深く掘り下げようと思う。

 中西が作品のテーマとして取り扱っているのは、オホーツク文化である。オホーツク文化は、5世紀ごろにアムール川流域の人たちが流氷にのって遣ってきたと言われており、北海道へ上陸することで沿岸部に定住した。先住していた擦文文化圏の人々と交流することで新たな文化を形成していったのだと考えられる。そうして、アイヌ文化を経て、近代、現代まで北海道の歴史は続いている。
 文化とは、外から入ってくる新しい文化と交流し、新しい認識を発見することで、既存の文化と融合しながら少しずつ形成されていくものだと考える。しかし、現在は当然のことながら、国境の存在がそれらの文化的交流を阻害する。自国の文化を守るために仕方のないことだと思うが、ヨーロッパ圏とはちがい、島国の日本は特に異文化との交流には慣れていないのではないかと思う。

 自国の文化として保護している大和王朝の文化は、しっかり保護しているが、中西の写真を見る限りオホーツク文化の保護までは手が回っていないのが現状である。
 中西は、この保護されていない状況をドキュメンタリー的に報告したいわけではない。なぜなら、写真を見ただけでは、そこが遺跡なのか、宗谷岬周辺の風景なのかはわからない。これがドキュメンタリー写真として読み解くだけだと少し理解が寂しいように思う。

筆者撮影《地と記憶》©中西敏貴

 中西は、撮影に先立って、上陸場所や、どちらの方向へ向かってオホーツク人が移住していったのかなどを徹底的にリサーチしている。そうして初めに、オホーツク人の視線を経験するために、自らが海に入り上陸を経験する。
 そうすることで、カメラの視線をオホーツク人の視線に変換したのである。撮影中のカメラは、まさにオホーツク人の目になり北海道の景色を捉え始める。そこには絶対的で雄大な風景などはなく、眼の前にあるのは生活として一般的な景色だけなのである。数千年前に起こった文化が、カメラの眼によって現代に引き寄せられ、融合し、写真という新たな文化を形成したのである。
 しかし、そうは言って見たものの、実際の文化との融合は本質的には果たせない。当然のことながら、そこには国境があり、外に出ていくには各国の法律によって厳しく規制されているからだ。しかしオホーツク人たちは、国境という概念がないままに、海をわたり文化を融合させる。その時世界はまだ一つだったのである。集落が村になり、都市となって国になる。そもそも地球は誰のものでもなかったはずであるのに、自分たちの場所を領地として切り刻み、それぞれのアイデンティティを確立していった。他所の村の人と、自分たちは別の生き物のように捉えてしまうことで、現代は様々な問題(人種差別をはじめ、マイノリティーやジェンダーへの偏見、差別など)を抱え込んでいる。
 上記のような問題は、決して我々の力の及ばないところに存在するだけではない。例えば、少し気難しそうな人とは、なるべく接しないようにしよう。だとか、自閉症の方が電車内にいたりすると、面倒を避けるために別車両に移動するなどの行為はよく見かけられる。それらは、自分と他者の間に国境という線を引いている行為と同じなのだ。よくわかないから理解しないという行為なのである。
 中西の提示したかった表現領域はここにあるのだと私は思うに至った。なぜならば、中西の過去の経歴は、プロの風景写真家として、素晴らしい景色を沢山撮影している。中西の写真に憧れて沢山のアマチュア写真家が中西の元を訪れてアドバイスを受けている。一方で、芸術写真の領域を開拓しようとしている人は多くはない。マイノリティーとマジョリティの構図が同じ写真領域内で存在しているのである。
 マイノリティー側がどれだけその断絶を埋めようとしても、なかなか埋まるものではない。しかし、マジョリティ側のある程度の影響力のある人が率先してその断絶に橋をかけるならば、影響力とともにその断絶は埋まりやすくなるのである。今作が中西にしかできなかった表現としての理由はここにあったのだ。

筆者撮影《地と記憶》©中西敏貴

 プロの写真家がHOKKAIDO PHOTO FESTAのポートフォリオレビューにアマチュアに混ざって参加したことは、実は相当の覚悟が必要だったはずだ。落とされたらプロの写真家としてのアイデンティティが保っていられなくなるからである。しかし中西はそのアイデンティティを超えて参加した。きっとオホーツク人のように芸術写真の土地へ上陸したのであろうと思う。そうすることでそれぞれの文化に橋を架けたのだ。もし私が同じ立場であったときに私は同じことが出来るのか?そして私自身が一般的な写真と芸術写真に対して断絶を起こしていたことも認識した。同じ写真の中で、なぜ断絶が起こっているのか。と大きく反省したし、我々の生き方も考えさせられる作品となっていることは間違いない事実である。作品「地と記憶」は、文化という大きなテーマを使って、我々の生活、個としてのあり方、無意識的にしてしまう行動など、小さな部分にまで投影する。その作品の原点には、自らが海に入るという行為が、日本人のアイデンティティを消失させ、世界の全ての断絶にグラデーションをかけるのである。

PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA
中澤賢

中西敏貴
https://www.toshikinakanishi.com/
Case Publishing
https://case-publishing.jp/.../new-land-pre-hokkaido...
PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA
https://www.photo260nagoya.com/
中西敏貴論考(note)
https://note.com/photo260nagoya/n/nfc906fb57128
北海道フォトフェスタ
https://www.hokkaidophotofesta.com/

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