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中西敏貴写真展「地と記憶」展覧会評

中西敏貴写真展「地と記憶」展覧会表
文化のグラデーション

PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA
中澤 賢

 2024年1月6日から28日にかけて、名古屋のPHOTO GALLERY FLOW NAGOYAにて中西敏貴個展「地と記憶」が行われる。先だってIG photo galleryにて行われた展示を鑑賞してきたのでギャラリーレビューを以下に記す。

 今作の「地と記憶」は2022年に行われた、HOKKAIDO PHOTO FESTAのポートフォリオレビューにてグランプリを受賞した作品である。受賞記念として、東銀座のIG photo galleryにて先行的に展示を行い、その後名古屋に巡回。最終的にHOKKAIDO PHOTO FESTA2024の本祭にて展示が行われる。

 大阪出身の中西は、風景写真をメインに活動を行い、様々な受賞と展示を行っている現在も第一線で活躍している風景写真家である。2012年には、北海道美瑛町に移住し北海道の風景と対峙することで撮影に専念していく。

 今作の「地と記憶」を鑑賞して最初に気が付くことがある。それは、今まで制作してきた中西の作品とは違った作風であるからだ。それは、綺麗で、雄大で、光の効果を最大限に活かした写真とは一線を画す作品である。いわゆるうっとりして見入ってしまう様な風景写真から離れているのである。

 どの写真も曇り空で、空は白く飛んでいる写真が多い。そのイメージに何か特徴的なものが写っている訳でもなく、何もない草原と海。遺跡のような場所に積み上げられた骨。草によって浸食されたゴミ捨て場や、倒壊寸前に見える木造小屋などである。
 中西は、1975年にジョージイーストマンハウス国際写真美術館にてウィリアム・ジェンキンスのキュレーションで開催された「New Topographics展」に影響を受けて撮影を行っていると言う。
 「New Topographics展」の特徴は、写真特有の表現であるデッドパンな作風を用いる。そうすることで作家と鑑賞者における主体と客体の構造を逆転、または等価に扱うことで現代写真アートの起点ともいうべきグループ展である。
 デッドパンについての解説が、キュレーターであるシャーロット・コットンは以下のように言及している。

アート写真はデッドパンのスタイルを⽤いることで、⼤げさな感傷や主観から切り離される。情緒に訴える写真もあるかもしれないが、写真家たちの感情を理解することが、作品の意味内容を理解することにはつながらない。写真とは、個⼈に⾒える限界以上のものを⾒る⼿段であり、⼀個⼈の⼈間の⽴場からは⾒えない、⼈⼯と⾃然の世界を⽀配する壮⼤な⼒を画⾯に写し取る⼿段なのである。

シャーロット・コットン著「現代写真論 新版」⼤橋悦⼦・⼤⽊美智⼦訳 株式会社晶⽂社2016 年 p.81

 以下からは、中西がイメージの世界から脱却し、感傷や主観から切り離したかった部分は何であったのかを探求していく。

 「地と記憶」は、歴史に記されない文化が北海道にはあり、アムール川流域から流氷に乗って遣ってきたと言われるオホーツク人についての文化の足跡を辿った作品である。オホーツク文化の時期としては5世紀から9世紀にかけてであり、縄文文化や擦文文化と時期を同じくする。
 事前にリサーチを徹底して行い、上陸場所、遺跡、遺構を訪ね粛々と積み重ねるように撮影を行っている。

IG photo gallery「地と記憶」より

 中西は、撮影に先立って、オホーツク人の目線になって撮影を行おうと考え、まずは上陸を体験するために、自ら海に入り上陸を体験した
(IG photogallery YouTube参照:https://www.youtube.com/watch?v=wn9NN-B3EGY)。

 そうして撮影を行っていくうえで、遺跡があまりにも保護されていない現状を目の当たりにする。本来ならば保護されても良いと思われる過去の文化が、放置され姿を消していこうとする。オホーツク文化は、日本固有の歴史ではなく、いわゆる大和文化とは違う国からやってきた、異国の文化である。そのため、遺跡の保護は後回しにされているという印象をうけたのである。一般の写真家ならばその消え行く遺跡を撮影し記録するという考えにとどまるであろうと思うが、中西はその現状に留まらない。

 先に述べたように、中西はオホーツク人になりきり、海からの上陸を行い、その文化の足跡を追いながら撮影を行っている。
 中西自身は日本人だが、オホーツク人になりきっている撮影中は、オホーツク人と日本人のミックスであるといえる。注意したいのは、ハーフではなくミックスという事だ。分断されていないという事がポイントだと言える。

 人間は、人種、国籍、領土、宗教等によって様々な領域に線を引き、固有のアイデンティティを保ってきた。はたして、その思想は自己によって形成されているのか、自我によって成り立っているのかは分からない。しかし実際には、その引かれた線上には、様々な色が融合したグラデーションがかかっており、分断されたハーフではなく、ミックスされた状態である。ミックスされた個性も認めていくことで世界が広がるのではないかと思う。
 他の文化を軽んじる行為と、自己のアイデンティティを保持しようとする行為が、現在の文化や人種の差別、自己と他者における関係性、生きづらさにまで、今作品から地続きのように見えてくる。
 中西は、自身が体験することで、文化のグラデーションを顕わにし、写真で提示する。ここに中西が提示する世界の触れかたが見えてくるのである。

 デッドパンの形式で制作することで、中西の世界に対する触れ方が見えてくるように感じた。今回の展示で、中西の新たな側面が露出してきたように思える。
 今後は、縄文文化などにも視野を広げて、人類の文化的結び目を提示していってくれることだと思う。これからの写真作家活動にも注目していきたい。

名古屋巡回展
中西敏貴「地と記憶」
2024年1月6日から1月28日
PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA
愛知県名古屋市中村区名駅四丁目16-24 名駅前東海ビル207A

https://www.photo260nagoya.com/


PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA 「地と記憶」

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