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誰かの希望になりたかったのかもしれない

2023.11.4

30歳。
おめでたい。
でも何でもない休日。

今年は家族がいて犬もいる。
去年と一昨年は職場の人が祝ってくれた。
ありがたい。

それでも何でもない日なので
ぼーっと外を歩いた
明日も明後日も来週も
来年も10年後ももっと先も
多分私なんかいなくなっても
きっとこの景色は
ずーっと続いていくんだ

別に何にもなりたくないのに
何かにならないと
社会から取り残されてしまう気がする

名前を残さなきゃとか
意味を持たせなきゃとか
もうそんなこといいのになあと
「そんなことしなくていい」
ってそう思うことで
自分にブレーキを掛けているのかもしれない
それが手っ取り早く自分の存在に気付ける
超絶近道なんだよね

ということを分かりながら
今日も
何かを頑張らなくてはと
なぜか思ってしまう

何もがんばりたくないです
息だけは出来ます
文字も苦なく打てます
パソコンも好きです
それ以外はもう無理です
好きなことしか出来ないので

本当のことを言えば
私はずっと誰かの希望になりたくて
なんとかなんとか
今日の今日まで来たのかもしれない

そもそも希望とは何なのか
目にも見えず
色もなく
答えもなく
何を持って「希望」と言えるのか
どんな希望になれたら
私は私を許したのか

いつまで経ってもそうなれないなら
もうこの人生に意味も面白味も価値もない
人生あと5、60年
何をして生きていくべきなのかが分からない
一生
「私はここだ」と
吠え続ける体力も忍耐力もない

賞賛こそ
人は人に伝えない
だからきっと私には一生届かない。

こんなに長い意味のない人生
あと何をやり切っていないんだろう。

2024年、運勢超いいらしい。
半分楽しみ、半分は絶望と飽き。

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