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ドラマ「腐女子、うっかりゲイに告る」

Amazon primesでジプシーしていて、
たまたま見たドラマ。
金子くんやし、タイトルからして、コメディ路線かとおもいきや、なかなか重いテーマを扱ってて、
気づけば何度も手の甲を濡らしていた。

BLが大好きな女子高生三浦さんがその秘密を偶然同級生の男子安藤純に知られてしまったことから始まるストーリー。
Queenの名曲たちが、ストーリーとリンクしている。

「腐女子」「ゲイ」。このキーワードを聞いて、どんな印象を持つ?
もし自分の大切な友達や家族がそうだったら。

『普通』って何?

ドラマの中では、『普通は』『普通になりたい』『普通にできない』と、何度も何度も『普通』を問う。
『普通』って何?
私の思う普通と、貴方の思う普通は違う。
性別、年齢、地域、立場、文化…、ちょっとした違いで、基準にしている『普通』は大きく違うのに。
それでも、やっぱり『普通』を求めて、『普通』でありたいと無意識に思っている自分がいる。私の思う『普通』って誰が決めたことなんだろ?


多分誰でも一度くらい「普通」を意識して、必死に努力したり、悩んだり、取り繕ったりしたことあるはず。

小さい頃何気なく言われた「赤が好きなんて、女の子みたい」とか「普通に高校行って」とか、みんなが可愛いというものを見て可愛いと思えない自分に悩んだり。
心を痛めたり、親や周りの期待に振り回されたり、そんな風に感じる自分は変なのか?と悩む。

自分の「好き」を、「やりたい」を真っ直ぐに言えないのはやっぱり苦しい。

「真に恐れるべきは、人間を簡単にする肩書きさ」

以前より随分と耳にする機会が増えたように思う腐女子、ゲイ、ニューハーフ、発達障害などでも、まだまだカミングアウトすることに勇気のいるものも多い。
カミングアウトすることで、
A子さんではなく、「腐女子のA子さん」と付箋が貼られ、別のケースに収められる。

私の周りには、ニューハーフの人やゲイ、身体は女性だけど男性として生活している人などがいる。
今までのこと、特に聞くこともない。その人の側面の1つではあるけれど、
結局は自分の目に映る「この人」と一緒にいたいかどうか次第。
周りには色んな人がいる。気の合わない人や、考えが違いすぎる人もいるけれど、

(共感できるかは別として)
「あなたはそうなんだね。」
「あなたは、そう思うのね」
と、あなたの生き方を精一杯尊重したいと思ってる。

ドラマの中では、三浦さんが
純は私たちの間に透明の壁を作ってると表現した

「安藤くんは自分が嫌いで、みんなが大好き」
「自分を守るためでなく、そっちへ出たらみんなが困ってしまう。だからこっちでじっとしている」と。

「人間は、自分が理解できるように世界を簡単にしてわかったことにするものなのさ」

人のことは簡単な肩書をつけて、その人の全てわかったふりする。

きっと、たくさん傷ついて、悩んできた純。
自分のことを話せない純に対して、三浦さんは自分の思い、その時感じたことを素直にぶつけていく。三浦さんなら…と思う純。
彼女の真っ直ぐなキラキラした目が本当に魅力的。

「好き」や「嫌い」という感情は
そう思おうとして思えるものではない。
心の奥底から瞬間的に湧き上がってるくるもの。特に嫌悪感とかは、どうすることもできないのかもしれない。

たとえ、自分でその気持ちを認めてなくても、その感情に、身体は正直に反応する。

昔、大好きな人がいて、その人に会う日は
異様に肌の艶がよくなって。寸前までガサガサだった肌が、会えるとわかると急に薔薇色に輝きだすんだよね。
「あ、細胞が喜んでるんだ」と妙に納得した自分がいた。

そんな頭ではどうすることもできない感情に「なんで?」は愚問だね。

大好きな人が「ゲイ」だった。
どんなに好きでも、恋愛対象外であると知ったときの絶望感は言葉にできない。

あなたの幸せを願ってる

追い詰められ、自殺未遂までした純だけど、三浦さんのある行動から、
周りが少しずつ変わってくる。
純の生き方を認め、支えてくれる人たちが増えてくる。

「ゲイの純」ではなく、「安藤純」として
未来に希望や幸せを見いだし、透明の壁を作らなくても、偏見なく仲良く共存していくことが「普通」になるように。

私自身への戒めも込めて。


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