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共感覚を求めて

スクリャービンが自身の作曲に共感覚を示していた事を書いたのですが、彼は色にだけ特化していた色共感覚だったのでしょうか。その色からイメージする気持ちや、情景は感じなかったのか?もし、感じていなかったのならば、時代を遡って、1700年後半に標題音楽を呈したべートーヴェンの感覚の方が、聴覚以外の、はるかに具体的な感覚を音に求めていたように思います。そして標題音楽として絶対音楽と分けていたのか...。

もう少し深く探っていこうと思います。続く...


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