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【La Pianista】⑬

第13章 受難曲~passion~

 全日本ジュニアピアノフェスティバルは、子どもを対象にした国内のピアノコンクールでは、最高峰の難易度と権威を誇ると評価されている。その分、道は険しい。勝ち抜く為には、予選から本戦まで、最低でも三大会、地域によっては四大会以上に出場する必要がある長期戦のコンクールだ。
 まずは、毎年一月に、一次予選に当たる県大会が行われる。しかし、県によっては、プレ予選や選考会も行われる為、エントリーすれば出場出来るというものでもない。県大会への出場をかけて、幾つかの大会を勝ち抜かないといけない地域もあるのだ。
 そして、この県大会を突破すると、三月には二次予選に当たるエリア大会が開催される。全国を八つのブロックに分けて行われ、各ブロックから二〜三名が勝ち残れるのだ。そして、エリア大会を勝ち抜いた計二十名のリトルピアニスト達により、全国大会、即ち決勝が五月に行われる。
 つまり、年度を跨いで開催されるコンクールなのだ。参加資格は決勝の行われる五月の時点で、小一から中二までの子どもに限られている。つまり、予選が始める段階では、年長児から中一までが出場出来るのだ。
 このコンクールでは、決勝時の学年が小一と小二の学童がAクラス、小三~小五までがBクラス、そして、小六~中二までがCクラスという様に、二、三学年毎に分かれて競い合い、順位を争うことになる。他のコンクールのように、飛び級は認められていない。
 楓と彩音は、加納に師事して以来、毎年このコンクールに出場している。しかも、二人とも、毎年決勝の舞台に立っており、彩音に至っては、五年生で出場した去年の大会で、Bクラスの全国制覇を果たしていた。一方の楓は、毎年決勝の二十名には残るものの、過去の最高位は実質的な八位相当の奨励賞止まりだ。それでも、全国規模の大会で、同じ門下から二名も入賞することは画期的な成果と言える。この功績により、指導者の加納章浩は、昨年度の最優秀指導者賞を受賞した。

 しかし、今大会は二人とも苦戦が予想された。まず、年齢的にCクラスでのエントリーになるのだが、急激に身体の発育が促進されるこの年代は、体格や体力に差が付きやすく、実は過去に六年生がCクラスで入賞した例は僅かしかなかったのだ。優勝ともなると、何年も遡らないと記録が見つからない。
 流石の彩音と楓でも、全国レベルの中学生相手には、容易には太刀打ち出来ないだろう。なので、決勝に進むことが現実的な目標となる。それでも、全国で二十人しか立てない舞台だから、狭き門には違いない。
 もう一つの理由は、フィンガートレーニングに時間を割き過ぎた為、曲の仕上がりにやや不安があったことだ。しかし、加納は、周囲の心配をよそに、決勝進出は大丈夫だろうと踏んでいた。二人のセンスと技術、そして集中力と舞台度胸は、中学生相手にも通用すると確信していたのだ。
 ただ、フィジカルの差は埋めようがない為、曲の後半の体力やダイナミクスレンジでは差をつけられるだろう。表現力にも影響するかもしれない。もっとも、だからこそ、五年生の夏からフィンガーのトレーニングを本格的に始めたのだが。
 それでも予選レベルだと、彩音のテクニックや楓の瑞々しい感性があれば、十分に補えると考えていた。実際に、春休みに開催されたCクラスの最終予選となるエリア大会では、二人揃って見事に勝ち抜くことが出来た。つまり、東海地区の三枠のうちの二枠は、小学生の彩音と楓がもぎ取ったのだ。

 しかし、決勝進出が決まっても、まだまだ問題は山積していた。
 まず、彩音に関しては、フィンガーの訓練が、想定通りに消化出来ていないことを懸念していた。予選は切り抜けられたが、決勝でも良い成績を収める為には、やはり年上の奏者に負けないダイナミクスと体力は絶対に必要だ。
 後半に余力を残す為にも、無駄にエネルギーの消費をしない弾き方は重要になってくる。だからと言って、前半を抑えていては負けるだろう。ダイナミックな表現も大切な要素となる。その為には、どうしてもフィンガートレーニングは欠かせない。加納が求める弾き方をマスターすれば、全て解決出来るのだ。
 元々、彩音の技術はズバ抜けている。ミスタッチも少なく、乱れることもない。それだけなら、Cクラスでもトップクラスだろう。メンタルも強く、本番の緊張感に押し潰されることも考えにくい。
 だからこそ、加納は、そろそろ決断をしなければと思っていた。つまり、一時的に彩音のフィンガートレーニングを休ませ、その分曲の完成度を高めることに注力し、確実に八位以内の入賞を目指す戦略に切り替えるか、或いは、当日までに間に合わなければトップテン入りすら危ういことを覚悟の上、フィンガーの訓練を継続するか……どちらもリスキーである。
 当の彩音は、頑なに後者に拘った。おそらく、負けず嫌いの性格が、最初から半端な順位を目指す戦略を拒絶したのだろう。

 一方の楓は、不思議なことに、フィンガリングは鍛える必要がないぐらいに最初からマスター出来ていた。ただ、ミスタッチの多発や雑なペダリングで、コンクールではいつも彩音の後塵を拝しているが、持って生まれた音楽センスは彩音とは比べものにならない。おそらく、Cクラスでもナンバーワンだろう。
 また、楓にはアーティキュレーションも教える必要はなかった。本能的な感性と感覚で、全て掴み取るのだ。教えた通りに見事に再現出来る彩音の演奏を理知的だとすれば、楓は感情的な演奏と言えるだろう。音楽を感じ、受け止め、湧き上がったイメージや感情を音にトレースする。簡単に言えば、ありきたりの言葉になってしまうが、天才肌のピアニストなのだ。
 しかし、矛盾するようだが、それではコンクールでは勝てないことを加納は知っている。良い成績を収める為には、彩音の様な確実性や、正確無比に弾く技術の方が重視される。と言うのも、コンクールは、所詮は採点競技。特に、子どものコンクールほどその傾向が強くなる。
 楓の演奏は、ミスタッチもあればテンポもブレるし、時には作曲家の指示よりも、自分の感性を優先することさえある。幾ら良い演奏をしても、これらは全て減点対象となる「ミス」として扱われる。誤字脱字だらけの作文と同じだ。幾ら内容が良くても、学校教育の枠組みの中では減点される。子どものピアノコンクールは、「芸術」よりも「教育」の要素が色濃く残っているのだ。
 残り数ヶ月で、楓にはその辺りの矯正が一番のテーマとなる。つまり、ピアノコンクールは音楽ヽヽを競うのではなく、演奏ヽヽを競う場なのだ。
 だが、楓は頑固な面もあり、なかなか加納の指導に耳を傾けようとしない。それに、これは彼女の最大の欠点でもあるが、どれだけ説明しようが、結局は理性より感性を優先してしまうのだ。まるで右脳しか使っていないかのように、感情の赴くままにしか弾けなかった。



 そして、いよいよ決勝の舞台に立つ時がやってきた。当日は、抽選により彩音は十三番目、楓は十六番目に演奏することになった。これは、二人ともなかなか良いクジを引いたと言えるだろう。コンクールは、一般的に前半より後半の方が有利とされているからだ。
 決勝に残った二十名のうち、十八名が中学生だった。その内の一人は、去年のCクラスで優勝し、史上初のCクラス二連覇を目指している男の子だ。優勝候補筆頭と目されている。他にも、二年連続で決勝に進出した人が数名いた。一方で、ファイナルに残った小学生は、結局彩音と楓だけだった。二人の苦戦は必至だ。
 しかし、幸運は続いた。去年のウィナーの男の子がクジでトップバッターを引いたのだ。彼の演奏が始まると、重圧から緊張したのだろうか、冒頭でいきなり目立つミスタッチがあった。その後も、連鎖反応からか細かいミスを乱発してしまい、自滅したのだ。ノーミスが当たり前の決勝では、入賞すら危うい絶望的な演奏だったと言わざるを得ない。
 また、九番目に演奏予定だった女の子は、体調不良の為、出番直前になって棄権した。しかも、前の奏者の演奏中、舞台袖で待機している時の決断だった為、次の奏者にも影響した。つまり、急遽繰り上げで予定より早く演奏することになった十番目の奏者は、動揺が治らず、心の準備も儘ならない状態で演奏する羽目になったのだ。当然ながら、実力を存分に発揮出来ず、ミスの目立つ演奏に終始した。
 この二人は、二年連続して決勝まで来た実力者だったので、これで有力なライバルが三人も消えたことになる。

 そんな中、間も無く彩音がステージに上がることになる。



 順番が近付いてきても、彩音はとても落ち着いていた。もちろん、適度に緊張はしていたのだが、それ以上に集中していたのだ。人を寄せ付けぬただならぬオーラを纏い、戦場に乗り込む兵士のような表情で神経を集中させていたのだ。
 彩音にとって、ステージはまさに闘いの場だ。優劣を付けるのではなく、勝敗を、いや、生死を分ける場だった。彩音は、深く目を閉じ、この数ヶ月を回顧した。習いごとを全て止め、毎日真夜中まで防音室でスタインウェイを弾いてきた。フィンガーの訓練にも必死で取り組み、何とか加納が求めるラインには到達出来た。イメージ通りに、完璧に弾き切る自信もある。
 大丈夫、楓には絶対に勝てる! いや、楓だけじゃない。私が日本一になる! ……そう自分を奮い立たせ、いよいよステージに立つ時が来た。もう、準備は完璧だ。何も不安はない。後は、実力を見せつけるだけ! ……自信漲る引き締まった表情で、彩音は巨大な黒い塊と対峙した。

 彩音が選択した曲は、ベートーヴェンのソナタ『熱情』の三楽章だ。細かい機動力と正確にテンポを刻む技術、情熱と憂いを帯びた歌、最後に激しくテンポアップする為の体力の分配など、たくさんの要素が盛り込まれた難曲だ。
 演奏が始まると、彩音は一つ目の音で空間を支配した。客席の視線を独占し、己の自信へと変換する。そのポジティブな切り替えこそ、彩音の最大の武器だ。そして、冷静に、慎重に課題をクリアしていく。
 ピアノは、家のスタインウェイよりややタッチが重く、その分レスポンスも鈍いが、導入部の数小節で順応する。これこそ、フィンガートレーニングの成果だろう。ピアノの個性に左右されず、音を上手くコントロール出来、疲労の蓄積もないスムーズな発音が可能なのだ。大丈夫、これなら上手く弾き切れる! 不安と緊張もまた、自信に転換された。
 その後も数小節に一度は出てくる難所を、一つ一つ丁寧に越えていく。その度に、自信はますます膨れ上がっていく。テンポは崩さず、ペダルも丁寧に踏み、各声部を弾き分け、音の粒を揃える。音もタッチもテンポも、一切ブレることのない幾何学的な均整の取れた演奏は、ベートーヴェンに最も適したピアニズムかもしれない。選曲も正解だ。
 そして、ついにコーダに入り、使わずに残しておいたエネルギーを、いよいよ発散させる時がきた。いつもより蓄えは多いようだ。そのまま一気にトップギアに入れ、音楽は急加速しながら躍動する。もっと速く! もっと強く! もっと激しく情熱的に!
 そして、最後まで完璧に弾き切った彩音は、「勝った……」と小さく呟いた。何一つミスのない、教えられた通りの演奏が出来た充実感で、自然と胸が込み上げてくる。やれることは全てやった。したいことも全て出来た。防音室とスタインウェイ、そして極秘のフィンガートレーニングのお陰だ。自分の能力の限界を絞り切れたと実感した。
 客席から、間違いなく今日一番であろう暖かい拍手が降り注ぎ、その心地良い温もりを全身全霊で受け止めた。このまま永遠に余韻に浸っていたい。彩音は、とても満たされた表情で、名残惜しげにステージを後にした。
「勝った」と最後にもう一度呟いた。



 数人の演奏を挟み、今度は楓の番が回ってきた。彩音は、客席で聴くことにした。楓の選んだショパンのバラード1番も、かなり難易度の高い名曲だが、楓がこの難曲をどう料理するのか、彩音はいろんな意味で楽しみにしていた。きっと今頃は、ステージ脇で極限まで緊張し、集中して待機しているのだろう。
 ところが、名前を呼ばれステージに出てきた楓は、彩音の予想に反し、全く緊張しているようには見えなかった。それどころか、普段の学校生活で見せる表情と全く同じに見えたのだ。そう、いつも通りの楓……おっとりとした性格なのに、少し頑固で、優しくて、笑顔を絶やさない人気者の楓。緊張も過度な集中もしておらず、友達と楽しくお喋りしてる時の楓そのままだ。
 そして、これまた普段通り、ニコニコと愛らしい笑みすら浮かべていることに気付き、彩音は先ほどの余韻と充実感が急激に冷め、畏怖と驚愕と諦念に似た感情が混じり合った。
(どうして、あの場で笑えるの? 私はきっと怖い顔をしていたに違いないのに! あのゆとりは、どこからくるの? やっぱり、楓には勝てないのかも……)

 楓の演奏が始まると、彩音はますます動揺し、混乱に陥った。いや、その前から予兆はあった。楓の表情が、ピアノに向かうや否や一変したのを見て、彩音は恐怖すら感じたのだ。ついさっきまであどけない笑顔を浮かべていた少女が、ピアノ椅子に座った途端、突然何かが憑依したかのように険しく鋭く豹変し、観客はその変貌ぶりに圧倒され、完全に楓の放つ空気に飲み込まれたのだ。
 とは言え、その指が紡ぎ出す演奏には、全く気負いは感じられなかった。あまりにもいつも通りの演奏だ。楓自身は、全く緊張していないのだろう。相変わらずミスタッチもあれば、テンポも安定しない。曲が常に上下に揺れ動いてる感じだ。これだと、コンクールでは勝てないかもしれない。しかし、揺蕩う音に浸る浮遊感が、とても心地よい。柔らかなクッションのような安心感が、心を鎮め、和ませてくれる。
 反面、時折発する華やかで煌めくような響きに魅せられ、芯のある面取りされた音の伸びを、心ゆくまで聴き入ってしまう。曲調の変化に応じて、時に力強くもあり、時に暖かく遠鳴りする。この心揺さぶる表現力は、ペダリングの妙技と思いきや、彩音は楓が最低限しかペダルを使っていないことに気付き、唖然とする。繊細な指先のコントロールだけで、丁寧に色を塗り分けるように響きに変化を付けているのだ。
 激しく本能の奥底を刺激する荒々しい音波のうねり。そして、安心出来るタイミングの、観客と同期した深い呼吸。彼女の指が紡ぐ音の連動の、荘厳なまでの神々しさ……。
 その時、彩音は悟った。これこそが音楽なのだと。そして、ピアノって、こんなに素敵な楽器だったのだと——。頭を強く殴りつけられたような感覚と共に、己の才能の欠如を思い知らされた。
 そう、演奏技術の優劣なんて関係ない。
 楓こそが観客を魅了し、ピアノに選ばれたピアニストなのだ!

 それは、彩音が確実に全てを理解した瞬間でもあった。どんなに練習を重ねても、とても楓には敵わないことを——。
 彩音は、急に自分の演奏が稚拙に思えてきた。恥ずかしいぐらいに。ただ完璧に弾くことだけを考えて、全く音楽になっていないのだ。
 考えてみると、加納からピアノの弾き方は習ってきたが、音楽の創り方なんて学んでいない。楓のピアノは、人の声のように、感情に満ち溢れた音楽ヽヽなのに、彩音の弾く音は、まるで電子音のように、無機質な音の羅列ヽヽヽヽに過ぎないのだ。いくら完璧に、或いは理想的に音を並べても、それは単に空気振動の記録に過ぎず、美しい物理現象には成り得ても、決してそれは音楽ではない。

 彩音は、初めてフィンガートレーニングを始めた日、楓の才能に打ちのめされたことを思い出していた。それでも何としても楓に勝つことだけを考え、色んな手を尽くしてもらったのだ。でも、引き摺り降ろすだけでは到底勝てない。だから、こちらがのし上がるしかない。そう信じて、彩音は特別な環境を築いてもらい、ピアノだけに打ち込んできた。楓の何倍も練習してきたのだ。
 でも、おそらく楓は、一瞬たりとも彩音のことなんて眼中になかったのだろう。楓にとっての彩音は、単なる幼馴染み、親しい友人でしかなく、ピアノで張り合う相手ではなかったのだ。いや、そもそも、楓は誰とも競っていない。彩音との位置関係にも、自分の順位にも興味がない。常に自分のペースで、弾きたいように音楽を楽しんできただけなのだろう。
 彩音は、そんな楓相手に一人で張合い、何としてでも陥れようとし、必死になって優位に立とうとしていた。その時点で、とっくに負けていることに気付かなかったのだ。



 その年の全日本ジュニアピアノフェスティバルは、Cクラスで小学生が優勝するという、約二十年振りの快挙が達成された。しかし、この結果には批判もあった。
 優勝した小学生は、確かにミスのない教科書通りの、ある意味では優勝にも値する完璧な演奏だったことは確かだ。ただ、最後に演奏した男子中学生は、それにプラスして、より情緒的に、より豊かな表現力で演奏し、観客からスタンディングオベーションが巻き起こったのだ。おそらく、殆んどの観客は彼の優勝を確信していたのだろう。
 そのこともあってか、優勝した小学生は最後まで硬い表情を崩さず、結局、一度も笑顔を見せることはなかった。もう一人の小学生は、トップテン入りすら逃したが、コンクール後にはまだあどけない満面の笑みが溢れていた。

 終演後の関係者控室では、コンクールの公式スポンサーの実質的なオーナーである松永克哉が、コンクールの事務局長と審査委員長を前に、分厚い封筒を差し出していた。


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