見出し画像

読書 | 人新世の資本論

  ベストセラーになった斎藤幸平(著)「人新世の資本論」。
 NHKの100分de名著で資本論が紹介されたとき、指南役は斎藤幸平先生だった。
 書店に「人新世の資本論」が何冊も並んでいたとき、パラパラとめくって、テレビで見た内容とあまり変わらないような気がして買わなかった。

 まゆさんが書いた読書感想文を読み、概略も分かっていたので、そのまま読むことなく時が過ぎた。

 しかし、先日久しぶりに図書館へ行ったとき、「人新世の資本論」が棚に並んでいるのを見かけて、借りて読んでみた。

 精読したわけではないが、ざっと読んで思ったのは、マルクスは資本論の中でこんなことを言っていたかなぁということだった。

 「資本論」が書かれたのは19世紀半ばで、ダーウィンの「種の起源」とほぼ同時期。日本の歴史でいうとペリー来航から間もない頃である。
 だから、今日の社会情勢とはかなり異なるから、資本論の内容をそのまま現在の状況に当てはめることはできない。敷衍しながら読み解く必要があるだろう。

 しかし、「人新世の資本論」を読んだ私の感触は、マルクスの資本論を敷衍した書物ではなく、アダム・スミスの「国富論」を敷衍した書物だった。

 資本論はそもそも国富論を敷衍した書とも言えるので、不思議なことではないけれども、斎藤先生のおっしゃっていることは、経済学の祖であるスミスに帰れ!、というメッセージに思えた。

 アダム・スミスはしばしば誤解されるが、決して自由放任主義を唱えたわけでない。国富論のベースにある思想は、スミスのもうひとつの主著である「道徳感情論」と共通するものである。

 すべて市場に任せれば良いと考えていたわけではなく、自由競争と言っても、それは「共感の原理」に支えられたフェアプレイの精神に基づく競争である。

 他者の共感を得られる範囲での自由競争、分業による生産性の向上といっても、それは急激な変化を伴う経済を目指すのではなく、グラジュアルな変革を求めるというのが、私が思うアダムスミスの思想の骨子である。

 市場原理主義的な経済学は、スミスの経済学ではなく、スミスが考えていた細かな配慮をそぎ落としたミルトン・フリードマンの経済学である。

 現在の資本主義は、経済成長至上主義である。限りある資源が枯れるまで成長を求めるのではなく、再生可能な循環型の経済があるべき姿なのだろう。


 

 

この記事が参加している募集

読書感想文

SDGsへの向き合い方

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします