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エッセイ | 遺骨を見た記憶

(1)
 この歳になるまでに、人の死というものを何度か経験した。
 すべて覚えているわけではないが、ふとした瞬間に思い出すことがある。身近で起こった3つの死について書いてみる。

(2)
 よく覚えているのは、中学生の友人の死。成人式で久し振りに出会った半年後のこと。地元を離れて、大学に通っていたとき、成人式の後の同窓会で連絡先を交換した同級生から「◯◯君が亡くなった」と電話がかかってきた。
 半年前にあったばかりなのに、と驚いた。その当時は、病気で亡くなったと聞いて、それを信じていたのだが、どうやら自殺だったらしい。棺ごしに顔を見たが、眠っているようにしか見えなかった。

(3)
 今から14~15年前、母方の祖父が亡くなった。私にとっては一番最後まで生きていた祖父母だった。
 持病があったわけではなく、元気なときには、家事を一人でこなしていた。
 亡くなる2~3年前に自転車に乗っているときに転んで骨折した頃から、一人で身動きがとれなくなっていた。
 亡くなる1ヶ月くらい前に見舞いに行ったときにも、とてもしっかりとしていた。
 90歳を超えていたから、葬式のときにも私は意外と冷静だったのだが、火葬が終わった後、遺骨をみたら、頭蓋骨以外はほとんど形が残っていなかった。それを見たとき、無性に悲しい気持ちになった。

(4)
 数年前、おじが白血病でなくなった。生前あまり交流がなかったので、とくに悲しい気持ちにはならなかった。弟を亡くした母も、それほど悲しんでいるようには見えなかった。母の内心はよくわからないが。
 淡々と葬儀がすすんで、火葬場に行った。火葬の後、出てきた遺骨をみたら、すべての骨がすべてきれいな形を保ったままだった。
 おじの父である私の祖父の遺骨のことが思い出されて、死ぬにはまだ早すぎたな、と思った。

(5)
 まだ、この年になっても、自分がどのような死に方をするのかわからない。
 火葬の後に、遺骨が原型をとどめなくなるくらい長生きするのか、それとも、ハッキリとした形を残したまま死んでいくのか。ふとした瞬間に、自分の死後のことが脳裏をよぎることがある。考えても仕方ないか。


(888文字)

 

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします