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ももまろさん、高見純代さんへ

 自分の落ち着かない今の気持ちを書いておきたいと思います。
 誰に読んでほしいとか、伝えたいというわけでもなく、自分自身のために。
 本当は日記にでも書けばよいことかもしれません。けれども、自分の胸のうちにしまっておくと苦しいので、やはりここに書いておきます。その意味で、この記事は私のエゴに過ぎません。

 直接的な発端が私の個人企画だったので、とても心が痛いです。
 高見純代さんも、ももまろさんも、私の中ではとても大きな存在で、二人が同時に不在となってしまった状況は、ただただ残念で悲しい気持ちでいっぱいです。

 お二人の方からの言葉は、それぞれ、私がnoteを書く上で、お返しできないほどのあたたかい言葉ばかりで、感謝の気持ちしかありません。今もその気持ちは変わらないどころか、日増しに強くなる一方です。

 お二人の個人的な関係は、ほとんど何も知りません。とくに知りたいとも思いません。
 ただ、何でこんなことになってしまったんだろうと考えています。おそらく、ホントに最初の些細なボタンのかけ違いが積み重なってしまったのだろうと思っています。


 noteをはじめて暫く経った時にも思ったことですが、noteという空間において、誰ひとりとして同じ光景を見ているわけではないということを確認しておきたい

 スマホだけでnoteをしている人、PCだけでnoteをしている人、両方でnoteをしている人。

 フォローしている人やフォロワーも全く同じだという人はいないでしょう。そのほか、名前だけは知っている人、フォローの関係がなくても何度かやり取りをした方もいれば、一度かぎりの人もいました。

 だから、当事者の方が名前を挙げても、分からないことが多いです。相互フォローの関係にあったとしても、コメント欄まで含めて、お互いにすべての言葉を読んでいるわけでもありません。また、書かれていない思い・気持ちのほうが、書かれた思い・気持ちよりも多いのではないでしょうか?

 ましてや、公開されていない個人的なやり取りは知りようもないことです。

 いくらスクショなり何なりを見せられても、当該記事の前後関係に何があったのかは把握できません。
 売り言葉に買い言葉的にその場で発した言葉が、その人の本当の気持ちではないこともあります。誰しも、いつも冷静でいられるわけもなく、熱くなってしまって、心にもないことを言い放ってしまうこともあります。


 noteの記事を読むときも、本を読むときも、(完全にできているわけではありませんが)1つの記事・1つの作品として弁護人的な視点で読むようにしています。とりあえず、書かれていることが正しいという前提で読みます。矛盾していると思うときも、著者によって書かれていない隠れた前提があるかもしれません。


 今回のももまろさんの記事に関しては、私には知らないことが多過ぎます。ただ、仮にすべて、ももまろさんのおっしゃったことが事実であったとしても、やり過ぎだったと思っています。

 数多くの人が言葉という鉄パイプを持っている四面楚歌の状況の中に、正しいとか正しくないと言う前に、1人で乗り込んで行ける人がどれだけいるでしょう?

 だから、私は「やり過ぎだ!」「集団リンチだ!」と、ももまろさんに伝えました。
 次の日に、ももまろさんは「みなさんの意見を聞きたい」という記事を書きました。ここでも「昨日のやり方は間違っている」という趣旨のことを伝えました。
 
 けれども、書かれたコメントとそれに対するももまろさんの返事を読んでいくうちに、今度はもももろさんがどんどん傷口を広げているだけに思えてきました。

 ここでコメント欄を閉じれば、高見さんとの良好な関係を保ってきた人からは「ももまろさん、あなたのほうが卑怯だ!」という言葉が飛んでくるかもしれない。もうこれ以上は見ていられない、という気持ちになりました。水掛け論になるだけだ、とも思いました。

 「もういいよ、コメント欄を閉じて。今は何を語っても、答えても何も生み出さないから」という気持ちを込めて、私は詩を投稿しました。

 ももまろさんが読んでくれたのかどうかは分かりませんが、その後コメント欄は閉じられました。
 決して逃げたのではなく、それまでに書かれたコメントを読み、猛省しているのだと信じています。


 どうすれば良かったんだろう?、という答えは見つかりません。
 たとえ正しいことであっても、傷つけ合うことになることもあります。

 リアルの空間でもそうですが、人の心の中には、矛盾する事が置かれています。自分の心の中さえ、自分でも把握できない領域もあります。


 今思うのは、もう何も話さなくてもいいから、高見純代さんにも、ももまろさんにも、いつかまたnoteにもどって来てほしいという気持ちだけです。

 他人がどうこう言えることでもなく、こちらから今回のことについて、尋ねるつもりはありません。
 いつかもどって来たときには、あたたかく迎えたいと思っています。

 いろいろな方にご迷惑をおかけしました。申し訳なく思っています。また、どれだけの人を傷つけたきただろう?、と自分自身のことを振り返ることにもなりました。

 

 
 
 

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