見出し画像

すべての装備を知恵に置き換える

中央カラハリ保護区に入り、轍を頼りに車を走らせる。道の両脇にはアカシアやアフリカのバラと呼ばれる植物が茂って見通しは悪い。しかし、茂みが途切れると、今度は乾いた平原だけが地平線まで広がる風景を延々と見る羽目になる。まるで地球全体を平原が覆っているかのようだ。その広大さを目にすると、これが世界だ、と思えてくる。

今でこそ、この広大な砂漠には車道が整備されているが、40年ほど前は、道も何もない原野だった。A氏はその大自然に、10代の頃から親しんできた。

A氏のルーツは、オランダとドイツにある。当時、南西アフリカ(現ナミビア)と呼ばれていた国に移民した三世として生まれた。
両親は牛の肥育農家で、牛を売ることで生計を立てていた。A氏は16歳になると、近隣の国々に牛を売るために、十数頭の牛を連れてカラハリ砂漠を横断するようになった。道もなければ道路標識もない広大な砂漠を迷うことなく進むすべも、牛と自分の身を猛獣から守るすべも、この時身に付けた。

「花子、ここは僕が16歳の時に歩いた道だよ!」

周りには、アカシアの茂みと平原が広がるだけで、目印になるものは何もない。地図も持ち合わせていなかったが、A氏にはわかるのだ。
その昔、ポリネシアの人々は星を読みながら大海原を航海し、ハワイへたどり着いたという。A氏もかつてのポリネシア人が持っていたような知恵を持っていた。

すべての装備を知恵に置き換える。

これは、冒険家の石川直樹氏の著書のタイトルにもなっているが、もとは、アウトドア用品メーカー、パタゴニアの創業者、イヴォン・シュイナード氏の言葉だそうだ。まさに、この言葉を地で行くA氏だが、その背景には、10代でブッシュを肌で感じてきたこと、その時培った知恵とタフさを買われて入隊した特殊部隊で、過酷な自然、猛獣、そして敵と戦い、生き残ったという経験がある。

「何メートル先に何の動物がいるのかは、ニオイでわかる」

車を走らせながらA氏は言い、口からフワッと煙を吐いた。
「特殊部隊で、アンゴラにパラシュートで降りた時、隣にいたヤツにもらったのがこのタバコだったんだ」
以来、同じ銘柄を40年余りも吸い続けているという。タバコを口にするたびに、タバコを教えてくれた彼を思い出すのだろう。
彼らがどんな過酷な任務を果たしたのかは、知らない。当時の経験を、彼の口からついに聞くことはなかった。

牛を連れてのカラハリ砂漠横断も特殊部隊も、遠い昔のおとぎ話か映画の世界のように思える。しかし、ほんの40年ほど前、アフリカはそういう世界だったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?