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別冊は忘れたころにやってくる

またもや、前回の投稿からだいぶ間が空いてしまった。

もはやどなたも憶えちゃおられないだろうが、ほぼ一年前『大正、阿佐ヶ谷、高円寺。』という本を出した告知記事の尻尾、「補足情報」☟

のところに

……途中で新たに追加企画されたものの同時発行は間に合いそうにない別冊附録は十一月半ばで一旦制作作業を中断、続きは来年に先送りすることになった。

と書いた。

暮れは五月雨式に寄せられるご注文に応じてお取り扱いのお店へ納品に伺ったりあれやこれやで忙しく、年が明けたらそういうのは終いにして「別冊」制作に立ち戻ろうと考え、実際一月中旬あたりまでは追加調査をしたり、一箇所だけだったが資料撮影に出向いたりした…

…のだが、年明け早々全く予定していなかった仕事が入り、そちらは身体も動かす作業が多いこともあって、程なく本を拵える方に集中できなくなってしまった。

仕方なく、合間合間の隙間時間で☟「日本語の図案文字はどこから来たのか」連載を始めたのだった。

このテーマは、後から突如本にすることになった『大正、阿佐ヶ谷、高円寺。』を先に出すために保留してあった出版企画なのだが、その後「別冊」も引き続いて作ることになったため、(書きたいことこまごまを忘れちゃわないよーに)取り敢えず note 記事として書き始めたのだった。

しかしその月のうちに年明けからの仕事はだいたい手が離れ、九月になると「別冊」のための追加資料調査+撮影のため、あちらこちらの施設へ頻々と出かけるようになり、そうなるとシングルタスク故に note は自然おヤスミになってしまった。

盛り込みたい内容の構成はだいたい見通せてきてはいたものの、それをどのようなスタイルでご覧に入れるか、というところがどうもなかなか決められず、したがって判型をどうするかもずーっと迷い続けていたのだが、十月も終いになってようやく版面設計が固まり、そして具体的なコンテンツを取捨選択しつつ編集+組版し始めたのはもう十一月になってしまってからのことだった。

DTP を始めてからもちょこちょこと手直しを繰り返しつつ作業を進めていたが、やっと十ページあまりサンプルをお目にかけられるところまではきたので、「生存報告」の意味も兼ねて「最近は何をごそごそやっているのか」をご覧に入れようとおもう。

こんな風に見開き毎読み切りにして、文章はなるべくごちゃごちゃ書かず、図版メインで見せる方針。

図版は私設図書館「図版研レトロ図版博物館」蒐集資料をはじめ、なるべく一次資料を撮影してヘンに綺麗に加工したりせずに載せる。

折々に、掲載図版が載っている資料の書影も添える。

このように天側に1868〜1967年百年間の「年代目盛り」を据えて、そのページ見開きに載せた図版の示すおおよその時代を表わすことにした。

もちろん高円寺・阿佐ヶ谷地域メインの本だから、絵図や地図などについてはその附近の拡大図も載せて、全体のどの辺に当たるのかわかるようにしていく。

おそらくほとんど世に知られずに埋もれている、各図書館・博物館などがお持ちの図版資料も(掲載ご許可が得られれば)相当数載る予定。

今まであまり一般に馴染みのなかった公文書なども、せっかく大量にフリードメイン公開されるようになったからには紹介していきたい。結構面白いものがある。

場合によっては地図上プロットなども試みにやってみる。

ローカルネタだけれど地元民には気になる例えば次のようなトピックスも、発掘された資料の紹介にちょこっと考察も加えて、特集として載せる考え。

  • 阿佐ヶ谷駅誘致と古谷久綱との関わり

  • 馬橋中央道路は駅誘致のためだったか

  • 細長い陸軍演習地はいつからあるのか

  • 青梅街道の軌道が西武鉄道になるまで

  • 桃園川はいつ公式に名付けられたのか

  • 陸軍通信学校と中央線駅からの通校路

  • 観光名所妙法寺と新式火葬場進出騒動

  • 山手急行は杉並町のどこを通る計画か

……という感じで、「東京西郊新市街史」のヴィジュアル資料集として一冊にまとめておこうとおもう。果たしていったいいつ出せるかまだまだ見当がつかないが、ともかくも鋭意制作進行中、ってことで。


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