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「子どもが子どもとして生きていける世界」は「大人が自分らしく生きていける世界」から生まれるのかもしれない #わたしがPIECESを好きなわけ

こんにちは!
認定NPO法人PIECESで、PR/コミュニケーターを担っている藤田奈津子です。

"子どもたちへのまなざしが大事です。自分自身の固定概念のメガネを外しましょう。" とPIECESに関わる中で啓蒙促進していても、毎日の子どもたちとのやり取りは葛藤ばかりです。子どもたちは小学5年生と3年生。人間関係も多様に複雑になり、保護者からは見えないところでの活動も増えてきています。

学校に行きたくないって言われた時も、心のどこかで学校に行った方がいいと思っていたり。
仕事で余裕がなくなると、ゆっくりと向き合ってあげられていない焦りを感じてしまったり。
イライラしてひどい言い方することもたくさんあります。

それでも、困難や葛藤を親子の中に留めずに、周りに相談したり子どもたちを委ねながら乗り越えてこられたのは、​​日常で担っている「親」と「子」の役割から解放されて、ひとりひとりの人として、信頼しあえる関係がすぐそばにあったからだと思っています。

できるだけ自分一人で子育てを背負いすぎないように心がけ、私が関わる人みんなに、子どもたちとも友人のようにつながってもらい、信頼して委ねる。

その関わりは「○○ちゃんのママ」や「△△の先生」というような役割の鎧を着てではなく、個性のある人として、大きな人(オトナ)も、小さな人(コドモ)も互いに認め合えているからこそ、育まれていっているのだと思います。

そんな関係が生まれる背景を考えると「信頼」と「期待」という言葉が頭に浮かびました。

「信頼」と「期待」

同じような場面で使われることも多く、人によって捉えているニュアンスが異なる言葉ですが、辞書で調べてみると以下のように書かれています。


●信頼[名](スル) 信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。
●期待[名](スル) あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。
「期待」というのは、主語は自分なのに、成し遂げるのは相手なんです。

自分が勝手に「期待」しているのに、思い通りにならないとイライラしてしまって相手を責めたくなる、なんだかちょっと気が重い言葉ですね。

私は日常の中で、子どもに対しても、周りの人に対しても、ついつい「期待」を大きくしてしまっていました。
「もっとこうしてくれたらいいのに」「もっとこうできたらいいのに」と...
ともすれば、自分に対しても「期待」し過ぎて「もっと・ちゃんと」の呪縛にがんじがらめになっちゃいます。

一方、「信頼」は相手を信じ、頼ることです。
互いの間に発生するもので、結果は関係ありません。
相手を信じる気持ちそのもですから、ワクワクしていられます。

PIECESが育み、広げようとしている世界は、まさに「信頼」がさまざまに紡がれる社会だと思います。

PIECESに関わる人たち、市民性醸成プログラムの受講生の方々、寄付者の皆さんとの”間”には、同じ想いを共有しているベースがあり、期待し過ぎず信頼し合える空気が溢れています。この社会をつくる大人たちがまず、信頼しあい、つながること。

「子どもが孤立してしまわない世界」は
「大人が自分らしく生きていける世界」から生まれるのかもしれません。

#わたしがPIECESを好きなわけ
それは、葛藤を続けながらすごく遠回りかもしれないけれど、大人も子どもも一人ひとりが違いを認め合い、信頼でつながる関係を育む。壮大なビジョンを掲げながら、地道な一歩一歩を進めようとする仲間に出会えることです。

わたしらしく、自分ができることを。
「子どものための支援」から、「私たちのWell-being」へ。

どうか、この機会にPIECESの仲間になって、一緒に「子どもが子どもでいられる社会」を育んでいただけるとうれしいです。

#わたしがPIECESを好きなわけ  
#こどもがこどもでいられる社会を  
#ひろがれPIECES  
#PIECES_Magazine


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