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「気付く人」に優しい生活があれば良いなと思います

こんにちは。久しぶりの投稿となりました。

実はここ10日ほど、プライベートでのトラブルが続いて疲弊してしまい。
ほとんど仕事を出来ずにおりました。

ストレスと睡眠不足による体調不良で、昨日は起きたら夕方17時・・・

そんな昼夜逆転生活。


さて今日は #最近の学び について。

「周りに配慮と感謝を持つ」

今回の一連のトラブルで強く感じました。配慮、というか気遣いや心遣いでしょうか。


配慮は日々、あらゆるところで小さく行なわれています。

ちょっとしたことが周りの誰かの負担を軽くします。
困りごとを減らしたりもします。


配慮って数値化されることではないから人によっては気づかないんです。

「気付く」人と「気付かない」人がいるから、いつも同じ人に役回りがくるというか。そしてそこには悪意がなかったりするわけで。

だからそれを指摘することも難しい。


だとしても、気付く人が損をする仕組みは嫌ですよね。

別に感謝されるためにしているわけじゃ決してないし、たかが数秒の気遣いだったりもするのである種当たり前に体に染み付いていたりするし。


だけれどそこには「人」対「人」なので、心があるわけです。

小さな気配りが相手にとって大きな助けになることもある。具体的なフォローにならなくても、精神的なフォローにはなりうることもある。


そういう積み重ねは、また他の誰かに対して私もそうありたいと思えたりします。


「この人は怒らないから何を言ってもいい」

「いつもやってくれるからやってもらおう」

それは度を過ぎれば、私だってブチギレます。(そう、今回私はブチギレました。笑)

…でもブチギレた結果、自己嫌悪に陥って苦しくなるのも自分だから辛い。


配慮は、何も困っている人の為にあるもの、ではないんです。

全ての人との間に必要なものだと思います。

他者のために考えを巡らせて、これをしたらどうなるか相手はどう思うのか。

そのアクションを一つ挟むこと。

そのためには、ある程度心の余裕も必要かも。


そのアクションが出来ないほどにギリギリなのか、ただ配慮に欠けているのかはわからないけれど・・・。

気遣いの形(内容)は一人一人違うもの。違うからこそうまく回るのかもしれません。


顕在化しにくいものって難しい。

自分を守るためにも気付きやすいタイプの人は、何かしらの対処法が必要なのかもしれませんね。


今日はアクセサリーの話題ではありませんでしたが、私の最近の学びについて書きました。

それでは〜。

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