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何を目指して文章を書くか。

 興味ない奴の興味ない話を聞くほど、世間は優しくない。それを自覚しているから、最近の自分の文章を人に見せられなくなっている。
 おそらく昔と比べ、どんどん文章が下手になっている。下手というか、魅力のないことばかり書いている。
 小学生の頃、担任が私の文章をよく学級新聞に載せてくれた。それを見た友達の保護者から褒められたりした。図に乗った。
 中学でも、高校でも、感想文が学年の新聞に載ったりして、同級生から驚きの声を聞いたりした。図に乗った。
大学のはじめに書いた文章が、全国紙の投書で採用された。図に乗った。
 だがそこまでだった。自分の文章の感想を、実際に耳にしなくなった。何がウケる話なのか。何が魅力的なのか。さっぱりわからなくなった。漫才師が観客の前に立たずして、漫才が上手くなるわけがないように、人に見せない文章が魅力的になるわけもなく、そのあたりから一体何を書いているのか分からない文章のばかりを量産している気がする。
 ちょうど昨日、外山滋比古の「文章を書くこころ」を読んだ。そこには文章の美学のようなものが書かれていると、私は思っている。今回読むのが3度目だが、やはり飽きさせない文章の流れみたいなものがある。やはり良い文章を書く人には憧れる。
 その本には、新聞に5回投書してみて、2回採用されれば、自信を持っても大丈夫みたいなことが書かれていた。それを目標にするのも良い。
 新聞はもう”オワコン”だとは感じているが、興味のない奴の興味のない話に付き合わせる文章が書きたいのだ。SNSは、読者が興味あるコンテンツか、興味ある人が書いたものしか見ないように思う。おそらくそこに私の美学はない。 
 興味のない人間に、興味のない話をする。そのために、魅惑的な言葉を並べ、1つの主張を創り上げる。それが差し当たっての美学としたい。
 
 
 
 

 
 

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