2PierreLapace2

#ジェンダー論 #人間関係 #社会問題 #言語 #映画

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最近の記事

要にして簡(2024/02/06)

 要にして簡。わが恩師はそう評した。なんのことはない。私のLINEについて言っているのだ。個人的にLINEは必要最低限の情報で送りたい。手紙、メール、LINE。文章による情報伝達は高速かつ簡素の方向に進んできた。というのに、一部の人間はそこに感情や礼儀を求める。ごく一部のような気がするが、最近の若者は句点をつけると怒っているという感情を読み取る。いわゆるマルハラというらしい。丸の有無で感情を読み取る。  そこまででなくても、絵文字や関西弁などをつけるのは多くの人がやっている

    • スポーツと公平性(2024/02/04)

       トランスジェンダーの水泳選手が女性に性別以降後に米水泳界を席巻したという記事を見た。こういう話を聞くと、トランスジェンダーが女子スポーツで良い結果を出すなんて許せないと思う人間もいる。しかし、トランスジェンダーでなくても、陸上競技では、テストステロン値が高いという理由で女子競技への出場を制限されたケースはいくつもある。  競技の公平性を保つためらしい。確かに肉体的な性差は存在し、特に陸上や水泳などの原始的なスポーツでは男女で分けるのは公平性のために合理的だと思う。しかしこの

      • 猫を飼いたい(2024/02/03)

         ふと猫を飼いたいという思いが頭を通り過ぎる。  しかし、猫は毛玉がすごいらしい。服やソファーが大変なことになると聞いた。だから毛が抜けない猫か自分で掃除できる猫が欲しい。  しかし、猫は爪を研ぐらしい。家具やら壁やらが傷だらけになったらたまったものじゃない。普段は家の外で暮らしてもらおうと思う。  しかし、長く連れ添った猫に、先に逝かれるというのも辛いから、自分より長生きの猫が良い。猫の寿命は、大体15歳くらいらしい。だから、あと15年のうちには死ぬなというときに、猫を飼い

        • AIと言語化(2024/01/31)

           ChatGPTやCopilotを使うようになって、文章を書く機会がめっきり減ってしまった。メールでも大学のレポートでも要点だけ書くと文章を書きあげてくれる。ひとつ断っておくと、レポート課題をそのまま打ち込んだりしない。アイデア出しと手順と文章化においてAIを活用している。それはさておき、そういう理由で文章を書くことがない。書くとしても、twitterやLINEなど短いメッセージが中心だが、twitterはほとんど感嘆符で、LINEは一問一答でしかない。正直8ビット以下で会話

        要にして簡(2024/02/06)

          挨拶運動という悪しき風習について

           日本の学校では、朝、生徒や教師が校門近くに立って、登校してくる生徒に対して挨拶をするという風習がある。今現在も無くなってはいないらしい。  中学生の頃、私は生徒会役員をしたが、そのときには、生徒から生徒会の活動として挨拶運動をしようという話が出たように記憶している。もちろん私は待ち構えて挨拶する側なので、学校に早めに行かなければならないが、やりたくなかったので毎回挨拶運動が終わる頃に登校していた。当時は言語化出来なかったが、挨拶運動はやるべきではないと思うには理由があった。

          挨拶運動という悪しき風習について

          ガチャと自由意志、そして出会い

           親ガチャ。担任ガチャ。恋人ガチャ。ガチャが接尾辞になりつつある。  選択の余地なく、運任せで、自分の行動ではどうにもならないという意味であろう。キャッチーな言葉だが、あまりにも当たり前のこと過ぎてわざわざ言葉にすることに違和感がある。  私たちは自らどこまで選択しているだろうか。産まれは選択できない。親の生まれたことろで育つ。そこで誰に出会うかも選べない。考え方が遺伝や環境で決定づけられるが、どちらにせよ選択などしていない。  自己の存在そのものが偶然の産物であり、ガチャな

          ガチャと自由意志、そして出会い

           言葉の影響によるコミュニケーションの難解さについて

           言葉を話すとき、それは事実を伝えるだけではなく、相手に対して何らかの影響を持つ。例えば、隣にいる人に向かって「うるさい」と言うとき、あなたがうるさいという事実を言っているだけではない。そこには静かにしろという命令が含まれる。言語学でいうところの発話内行為である。この場合、相手が受ける影響は明確である。  ではふと「お腹減った」と言った場合はどうか。これは事実を言っただけかもしれない。しかし、例えば隣にいる人がチョコレートをくれるかもしれない。ご飯に誘われるかもしれない。これ

           言葉の影響によるコミュニケーションの難解さについて

          ソロキャンプとマルチ商法

           何年か前からソロキャンプが流行りだした。正直、あれは都会人の道楽である。ど田舎に一人で暮らしていると、わざわざ一人で外に出てテントを立てたりしない。人工物と人にまみれた人間が、それらから開放を求めてやるものだと思っている。一人になりたい時もある。  そうかと思えば、群れることを求めたりもする。大学の知り合いの知り合い2人ほどが、マルチ商法に引っかかった。どんな手口かというと、街中でナンパのように声をかけ、後日集まってみんなでスポーツをしたり、自己啓発セミナー的なものでグルー

          ソロキャンプとマルチ商法

           利己的利他

           善と偽善の違いはなにか。  相関があるか分からないが、自己肯定感の低い人ほど「善=自己犠牲」という等式を導き出しやすい気がする。  誰かのために行動していても、それが自分の利益を含んでいると偽善だと判断してしまう。例えば、多額の募金をした芸能人が売名行為だと叩かれたりする。売名は利己的、募金は利他的である。一般人にとっては多額でも芸能人にとってはそれほど大きなお金ではない。それなのに募金して善人扱いされる。これが許せない。非常に不健康な考えである。さらに不健康なことに、そう

           利己的利他

           社会的動物

           知人のいない街に越してきた。大学院と家の往復。大学生のときに比べ、急に人間関係が減った。端的に心理状態を言い表すと、「寂しい」だ。友人やら恋人でも作ればいい。今の時代、スマホがあればすぐに出会える。けれど、求めているのはそういう個人的関係ではないという確信がある。  私は群れない人間だった。しかし、驚くべきことに、今私は群れることを欲している。  そもそも、集団ヘの所属は、個人的関係のネットワーク的拡がりによって形成されると思ってきた。だから、私は群れることを求めているので

           社会的動物

          結局人間関係無理しなくても良いのかもしれない

           一応大学生活が終わった。色々な種類の人間関係を築いてきた。たいてい上手くいった(と思う)が、未だに苦手なものがある。  新参者として、既に固まりきった人間関係に飛び込むときだ。入る前から自分は異物扱い。自分がいないメンバーで調和が取れているのだから、当たり前だといえば当たり前である。特に、何かをやり遂げて結束が固くなったかつ、そんなに外交的なメンバーが多くないコミュニティにその性質が表れやすい気がする。  大学生活、そのような人間関係に飛び込むことが何度かあった。私自身警戒

          結局人間関係無理しなくても良いのかもしれない

          自己満足で何が悪い。

           自己満足という言葉には、なにか鼻で笑うようなニュアンスがある。  この言葉が、大学祭のステージで演奏しているコピーバンドに向けらていたのを聞いたことがある。そう発言した人は、バンドをやっている人たちがもっと本気でやっていて、クオリティが高いと思っていたとも言っていた。  最近でいうと、仲間と、ある音声メディアを発信しようという話になって、コンセプトを決めるときの話し合いの中でも出てきた。「自己満になるのは嫌だから―」  自己満足という言葉に違和感がある。  確かに、高校の文

          自己満足で何が悪い。

          浮気の何が悪か

           この文章の結論は、浮気はそれほど悪いことではないということである。昨今の状況を見れば、この結論はまったく同意を得られないだろう。故に、少しでも不愉快ならば読まないでほしい。そして、それほど読む価値のない文章でもある。

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          浮気の何が悪か

           他人の話に求めること

            私の周りには知識を多く持った人たちが少なくない。そういう人たちと話していて、豊富な知識に感心することもあるが、物足りなさも感じてしまう。それは、知識が知識で終わってしまっているからだ。どこかで知り得た知識をそのまま私の耳に届ける。もちろん物珍しいことには驚くが、少し聞いたことのあることだったり、あまり興味がないことだったり、そういったときには、「で?」となる。私はそんなとき、知識に加え、相手の考えや感じたことを話して欲しいと思う。  知識は教科書を読めばいいし、インターネ

           他人の話に求めること

          人間は自由に生きれるほど賢いか

           インターネットの普及により、理論上色々な情報に自由にアクセスできるようになった。フリーランスという働き方によって、会社に縛られなくともお金を稼げるようになった。世話焼きおじさん世話焼きおばさんの消失とともに、自由恋愛からの恋愛結婚という方が一般的になっている。  世界は自由な方ヘ歩みを進めている。そう思っていた。しかし、果たしてそうだろうか。  インターネットやSNSは、自由に情報を集めたり、色々な考えを知れるという印象だった。だが、フィルターバブルとかエコーチャンバー現象

          人間は自由に生きれるほど賢いか

          「すずめの戸締まり」を見て

           面白かった点は2つ。まず、映画に対する感想が恐ろしく別れていること。もう1つは、前2作には感じられなかったメッセージ性が、はっきりと感じられたこと。  前者から話そう。個人的には、凄く面白かった。民俗学的なことはよく知らないので、作品の細かい設定に対する批評は、賢い映画オタクの人たちに任せるとして、単純にストーリーとして面白かったし、人物像もしっかり描かれていて共感を持てた。いつものテンポ感の良さと美しい映像。何より、今までの作品でなかった、多くの人に向けたメッセージみたい

          「すずめの戸締まり」を見て