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AIと言語化(2024/01/31)

 ChatGPTやCopilotを使うようになって、文章を書く機会がめっきり減ってしまった。メールでも大学のレポートでも要点だけ書くと文章を書きあげてくれる。ひとつ断っておくと、レポート課題をそのまま打ち込んだりしない。アイデア出しと手順と文章化においてAIを活用している。それはさておき、そういう理由で文章を書くことがない。書くとしても、twitterやLINEなど短いメッセージが中心だが、twitterはほとんど感嘆符で、LINEは一問一答でしかない。正直8ビット以下で会話が成立する気がする。要するに、日常で言語化することがほとんどないということだ。
 ところで、知識には検索型と物語型があると考えている。インターネットが普及して、本を読まなくても良い、みたいな話が聞かれるようになったが、思うに、インターネットと本では単にインプットの種類が異なり、本はある意味物語であり、それぞれの知識がひとつの流れの中にある、パッケージ化された知識であり、インターネットは欲しい情報を検索してとってきて、特にアウトプットの場面で、自らそれぞれの知識をパッケージ化するという手順を踏む。言語化とは、いわゆるパッケージ化の過程だったのだと思う。知識だけたくさん持っていて…、みたいなことを揶揄する頭でっかちという言葉は、パッケージ化されていない知識過多を表すのかもしれない。自分がそうなってしまわないかという恐ろしさを覚えつつ、こうして文章を書き始めた。
 言語化できなくなって、何が困るかと言えば、単純に会話が下手になる。言葉がスラスラ出てこなくなるのだ。これはAIの弊害ではない。使い方が下手なのだ。もちろん、言語化しなくても他にこのデメリットを埋めてくれる方法があるかもしれない。しかし、まだここはAIがカバーしきれていない部分ではあると思うので、地道に文章を書こうかと思う。あまりまとまっていないけど。
 


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