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 他人の話に求めること

  私の周りには知識を多く持った人たちが少なくない。そういう人たちと話していて、豊富な知識に感心することもあるが、物足りなさも感じてしまう。それは、知識が知識で終わってしまっているからだ。どこかで知り得た知識をそのまま私の耳に届ける。もちろん物珍しいことには驚くが、少し聞いたことのあることだったり、あまり興味がないことだったり、そういったときには、「で?」となる。私はそんなとき、知識に加え、相手の考えや感じたことを話して欲しいと思う。
 知識は教科書を読めばいいし、インターネットでも集められる。だから、人と話すとき、相手の考えがほしい。
 そして、知識+自分の考えを話せる人と会話していると、議論が生まれる。社会問題をどうしていくべきかとか。たいていは酒の肴である。
 議論は楽しい。少し自分の考えを発展させられたり、違う視点に気づいたり。けど、そこにも物足りなさを感じるようになる。どんな良い議論も時間がたてば発展性がなくなってくる。
 そんなとき欲しくなるのは、行動である。例えば、社会問題について話していて、これはすべきでないとか、これはこうすべきだとか、そういう話をしても、結局自分も相手も何も行動しない。酔っているときは良い。評論家になった気分でいられる。酔いが冷めれば、虚しさに襲われる。全ての議論は、行動に結び付けなければ虚しい。
 私は、あなたの考えを知りたい。そして、行動したい。
 

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