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書くべきか、語るべきか

 noteに投稿するとき、迷うことがある。それは、書くべきか、語るべきか。
 文章の場合、誰にでも通じるように、一般性を持たせ、ツッコミどころのないようにする。なにしろ、文章というのは基本的に一方通行であり、目指すべきは、予備校の一流講師のような、一方的にしゃべるが、圧倒的わかりやすさで納得理解させることだと私は思っている。なかなか難しいけれど。
 でもだからこそ、言葉を取捨選択しようとし、洗練される。そういう作業も嫌いじゃない。
 ただ、文章に書くことも会話の中で人に語るのも、私にとっては、他人に自分の考えを知ってもらうという快楽を求めているというのが根源にある。けれど、語るほうが断然楽なうえ、快楽も大きい。
 人に語るとき、聞き手は目の前にいる。適当に話し始めても、相手の反応によって補足できるし、その人に理解しやすいたとえを使える。その人を知れば知るほど、語ることは楽になる。語るとは個人最適なコミュニケーションだと思う。だから、伝わえることができたという感覚が、文章を書いた時より大きい。相手のリアクションも見られる。
 そういう圧倒的快楽の差があるにも関わらず、文章を書いてしまうのは、たいてい聞き手がいないからであって、そんなとき僅かな快楽を求め、自分の考えを情報の海にまとめて捨ててしまうのだ。私の文章は、月に20人も見ない。そして、スキというデジタルな反応しか返ってこない。本当にわずかな快楽だ。
 そして厄介なことに、書いてしまったものは語りにくい。このnoteは知り合いも読んでいるので、同じことを語って、「ああ、それnoteに書いてたよね」と言われたくないのだ。さも珍しい情報を披露したのに、「それ知ってる」と言われるのと似ている。
 だから、文章を書くとき葛藤が生じる。誰かに知ってほしい、けど先にあの人に話したい。


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