pifty|大学生散文
感情の動いた時を書き記す【感情紀行記】をまとめています。
久々に感情が昂ることが立て続けに起きた。日々同じような生活をしているとなかなか面白いことというのは起きづらい。しかし、チャレンジングなことを時々行うと、良い結果なら高揚し、悪い結果なら落胆するという良くも悪くも感情の波を起こすことができる。 今回は、ゼミの選考がルーティーンと化した日常にスパイスを加えた。レポートが一次試験、面接が二次試験というものであった。一次試験は難なく通過したものの、久しぶりの一発勝負で、自分が心から行きたいと思うゼミの面接は限りなく緊張した。あが
春休み、大学に再び膨大な時間の暇な時間を与えられた。今回の春は、少し前から海外へ行くことに決まっていた。そうというのも、例の名古屋の友人たちとアジア旅行をすることになっていた。アジアに抵抗感があった自分は、友人との交渉の結果、シンガポールを主軸に、ベトナムを経由する形で旅行することになった。 名古屋に数週間の滞在をした後、そのままシンガポールへと飛んだ。気温0度前後の明朝の名古屋を出て、セントレア国際空港からベトナムへと飛んだ。前回の旅行が北欧だったこともあり、あっとい
なんでも写真をパシャパシャと撮っておく事はわりと重要であるように思える。日常に忙殺されていると、何か思い出したり当時の情景を思い出すのに苦労するだけではなく、誰かに伝えたり使ったりするときに特段便利である。 しかし、簡単にいくらでも写真が撮れる時代というのも中々問題がある。社会的な問題も持っているが、そういうことではなく手軽さの問題である。自分の好きな写真家はいつの日か、このように語っていた。ズームが堕落の始まりで、AFが自分をおかしくしたと。その写真家は写真家である以
既得権益と聞くと、なんだか長老たちがどこかの料亭で悪いことを決めているようなイメージがある。しかし、わかりやすいイメージとか、共通の意識というのには少し離れてみると他のことが見えてくるものである。確かに、長老たちの悪巧みというのもあるのだが、本当にそうなのだろうか。 就活などで、見た目を良くしましょう、清潔感を持って、などという言葉が跳梁跋扈している。しかし、人間はどこまで変えられるのだろうか。ニュースには、同じ内容を答えたとしても、顔が異なるだけで就職率が変わるという
東京駅から皇居へと真っ直ぐに伸びる行幸通りの石畳を馬が音を立てて、ゆっくりと進んでいく。モーニングコートや民族衣装などの正装に身を包んだ大使が豪華絢爛な馬車に乗り、皇居へと入っていく。信任状捧呈式と呼ばれるこの儀式は、その国の国家元首からの信任状と、前任者の解任状を携え、その国家の元首へと面会し、手渡すものである。ここまで仰々しいものでなくても、人間が生活していれば日々信任というのは行われている。 大学生という身分になり、社会的信用は多少増えた。これを活用し、定期的にイ
最近は時間がないわけではないが、色々な課題やタスクに日々追われている。毎日、やる気を出して課題に立ち向かうのは容易ではない。しかし、時間がないわけではないので、それなりに心の余裕はある。 以前、本当に忙しい時になにも手をつけられずに図書室に行ったことがある。毎日自習している友人に会い、久々に話した。近況を話していた時に、「最近忙しすぎる。」と言ったら、「確かに、髪の毛が整っていないもんね。」と言われた。自分は特に髪の毛を整えている意識はなかったが、よほどボサボサで、手入
再びパンに関する悩みが再燃してしまった。家族が買ってきて、朝ごはんになるはずだったシナモンロールがテーブルの上に置かれていた。時間は夜、食べるか食べないか相当迷ったが、コーヒーを入れれば、デンマークで美味しいシナモンロールを食べた時と状況は同じである。ささやかな贅沢として食べることとした。 しかし、一個丸々食べるというのは、流石の贅沢とは言え多すぎる。半分くらいがちょうどよかったのだ。しかし、シナモンロールというのはどのように半分にするのが正解なのであろうか。 まず
この数日間、多くの妖怪を発見した。この妖怪たちの共通点というのは自分のことしか見えておらず、周りに迷惑をかけているところである。こういうのは一度見つけてしまうとどんどんと気になってしまう性分なので、かなり迷惑する。 一つ目は、大学の講義中の100分間、永遠とペン回しをし続けていた妖怪である。ペン回しをしていないと落ち着かないのかも知れないが、とにかく下手で、1分に一回、いや、それよりももっとかも知れないが、その手で回しているペンを落とすのだ。ペンを落とすたびに、ガチャン
世の中の変化が目覚ましい。言語生成AIが少し前に話題になったかと思えば、日を追うごとに驚くような変化を遂げている。できることがどんどんと追加され、使いやすくなり、より認識の幅が広がっている。人間の仕事が奪われるという将来に懐疑的であった人でも、少しは信じ始めざるを得ないのではないだろうか。将来の職業とか、夢が数十年後にあるのかすらもわからない時代へと突入した。ある企業では、AIによって毎日2時間の効率化に成功している部門もあるとかないとか。 そもそも、SFなどの漫画が各
2023年初頭、イギリス王室を離脱したヘンリー王子の回顧録「SPARE」が発売された。様々な衝撃的な内容が赤裸々に語られているが、皇室を戴く日本人としては衝撃的なものばかりである。自分にも弟が一人いるのだが、今まで関わりは薄かった。幼少期から仲は良かったものの、関わりはそこまで濃かったようには感じない。兄弟というのはどういうものなのか、古から続く家系では血統のスペア、万が一の予備とされているようだが、果たしてどのような関わり方が良いのか。自分は今まで模索し続けていた。
とある話題作となった映画の話から、その映画のメッセージ性を解釈しようという試みを数人で行った。結論としては、伝えたかったことはよくわからないということになってしまったのだが。しかし、映画などの作品というのは、監督であるとか、作者の考えた世界の一部分に過ぎないのではないだろうか。 そこで、映画の論評をしていた数人は、映画のその後を見て見たくなったのだ。国際的ヒット作の主人公であるとか、不思議なキャラクターのその後であるとかだ。もし、映画の主人公自身が主人公であったことを自
忙しさの極致に達した日常は、過ぎ去ることも忘れるように進んでいく。家族写真の撮影に、自分の人生の節目を記念する日、友人との再会、誰かへのサプライズ、人間関係での問題。現実世界で繰り広げられる課題や問題、感情的揺さぶりは日常を刻む針を止める。 ネットや、非現実世界への没入が簡単なこの世界で、現実を噛み締めてゆっくりと進んでいくのは難しい。すぐに現実逃避し、現実を悲観する。しかし、さまざまなイベントが現実に引き留めた数週間。他の世界を忘れるほど現実世界を楽しんだ。もちろん楽
昨日、友人と盛り上がりすぎて、深夜まで話してしまった。そんな日が定期的にある。深夜に何かしているときは、次の日のことをよく考えていないのか、楽観的に観測してしまう。 しかし、現実として待っているのは、100分近く、教授の単調な音声を聴き続ける世界だ。必死に聞き続けようと目を擦るも、徐々に視覚が上から狭まってくる。教授の声は少しずつ遠のき、自分の呼吸だけが聞こえてくる。寝てはいけない。そう思い、目を開けて水を飲む。既に教授が何を話しているかは分からず、単語しか聞き取れない
一週間のうちでルーティーンのように日々進んでいくのが月曜日から金曜日までの五日間だ。ビル風のようにあっという間に突き進んでいく。一度始まった平日は止まらない。平日のうちにやろうと思っていた予習や復習は疲れ切って帰宅した時には頭にない。とにかく自分は時間の使い方が下手なのだ。そうとはいえ、ここ数年になって上手くなった上に、余裕のある生活ができる様にはなった。 余裕のある生活の問題点は余分な時間をどうにかして有効に、楽しく潰さなければならないのだ。今まで余裕のなかった自分は
人間として生きる価値は何なのかというのは人類史上最大の命題だと思う。時々自分でもわからなくなるが、自分の中では人と人の関わりの中で感謝されるというのが生きる価値だと思うことが多い。人との関わりの中で、というのが重要だ。 友人達の遊びの連絡は幸せの訪れを告げる福音だ。もちろん面倒だと思う時もあるのだが、定例のように会って遊ぶ友人達とは心を通わせ、開いている関係なので、気兼ねなく語れ、持ちつ持たれつの関係を保っている。 今回は例の親友が西の方からやってきた。友人の中でも
昔から強制されることが嫌いだった。同じことをするにも、何か自分の意思で物事を決めて進めたかったのだ。強制されることには、責任と成果が求められるのが常である。 責任と成果が求められる強制は、部活動などのスポーツや勉学に代表されるものであった。大学に入ってから自由を手に入れたと思ったものの、外国語という苦手分野の履修を強制された。自分が学びたいと思っているわけではないのに、強制的に履修させられるのだ。強制は、期日とともに成果を迫ってくる。追われるものからの解放を望んでいたの