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名前の呪い

よく、言ったことは叶う。なんて耳にする。
引き寄せの法則でも、言葉にしろと言う。

呪文は、唱える。
呪文は呪いという字でもある。
叶う、呪文、唱える、呪い。
みんな「口」がつく。

唱えるは口にする、言葉にすること。
言葉にすることは、呪いなのだ。
万葉集にもこんな言葉がある。

「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」

日本は「言葉の力で幸福をもたらす国」と言われており、言霊というものを信じられている。

だからか、言葉と出来事が関連して考えられている。
悪口は自分に返ってくるのでダメ。受験生に落ちるは禁句。結婚式で切れるは禁句。などなど。


私はこのダメダメに半分はわかるが、半分は気にしなくていい。くらいのスタンスだ。
言霊を学んで、師匠も「汚い言葉は使わない」「悪口は言わない」なんて言っていたのに。

というのも、言葉も名前も結局「器」だと思っているからだ。


ラベルでイメージしてみる

もし「水道水」とラベルのある水と「天然水」とラベルのある水が売っていたら。

水道水を買ったつもりが中身が天然水なら、嬉しいかもしれないが、もったいないとか、真面目な人なら天然水の金額ではないと申し訳なくなるかもしれない。
天然水を買ったつもりが中身が水道水なら、騙されたと怒るかもしれない。損したとガッカリするかもしれない。

発する言葉と気持ちが一致していないのは、私にとってこれに近い。
思ってもいない「ありがとう」を言うのは、天然水を偽った水道水のようで、恐ろしい。ありがとうという器を被った中身のない水のよう。
ムカついたからと愚痴を言っている人の方が健全に見える。水道水なら水道水で堂々としたらいいじゃないか。洗濯に使うでしょ。

汚い言葉を使わないことで、心もキレイになれる人ならそれでいいと思う。
でもそもそも、そのキレイ汚いは誰が決めてるの?


物騒で申し訳ないが

私は子どもの頃「あんな奴死んでしまえ」とか思ったことがあるし、親に「死ね」と言ったこともある(本当ごめんw)。
でも大人になるにつれて「思ってはいけない」ことに分類していた。

そんな中、障害福祉の支援員をしていた時にある子が「みんな死ねばいい」「殺したい」「殴りたい」なんてしょっちゅう言っていた。破壊衝動が強いようで、よく家で物を壊していたらしい。
しかし、誰かに暴力を振ったことはない。情緒不安定な利用者の子にはそんなことを言わない。壊すのはあくまで家の物で、言う人を選んでいた。

たしかに「死ね」「殺す」なんて、聞いていて気分のいい言葉ではなかったが、先述した通り私だって思ったことはある。

「そんなの言っちゃダメ」と言われると「そんなの思っちゃダメ」と言われている気持ちになる気がした。少なくとも私は。

言葉を規制したら、この子はこの気持ちをどこで消化するのだろうか。押さえ込んでいる方が、いつか爆発しそう。

そう思った私は、なるべく感情を無にして聞くことにした。人にぶつけたい想いを物にぶつけたなら偉いではないか。その怒りを、相手を選んで話すならいいではないか。
たしかに、その言葉たちは汚いかもしれない。でもそれはきっと、私たちがそういうラベルを貼っているからなのだ。
そう思うくらい傷ついたり、苦しいのだと思うと、ラベルで善し悪しを決められない。

これが私がいつも「行動に善し悪しはあっても、感情に善し悪しはない」という理由でもある。

言葉はナイフのように心を刺す力もある。
でも、ナイフも扱い方次第のはずだ。私は器という外見で判断したくないし、中身が伴わないキレイなものだけを見るより、光も陰も見ていたい。でもやっぱりこの子の言葉は、嫌がられて結局自分を苦しめる言葉になる気もする。

そう思うと、使った方がいい言葉悪い言葉など、言葉(器)の影響は半々と思っている。
ただ外見(器)だけを大事にするのは、同じように外見(器)しか見てもらえないであろう。地位ステータス名誉とか。それでいい人は、媚びたありがとうをずっと言ってれば?という感じ。


言葉の呪い

多くの部屋番号には「4」がない。
それは4=シ=死を連想させるからと言われる。
じゃあ4は悪者なのか?4はみんな死でシ?
そしたら私が学んだ名前の音霊の中で「シ」がつく名前の人はみんな良くなさそうじゃないか。

4は四角形で安定という意味を持つし
シは静か、集中、指導など、気が引き締まるような音である。そういう意味では死がシなのもなんだか合っている。

しかし、4には4、シにはシのいい面がちゃんとある。4という器の光を見るか陰を見るかなのに、まるで水道水が劣っているかのように、部屋番号4に死というラベルを貼ったのは自分たちなのだ。
だから気にしない人には無効な呪文になるとも思えるし、多くの人に「不吉」という目で見られたら、それだけ呪文を浴びるので自分が気にしなくても影響を受けそうではある。


これが、言葉の呪いである。
言葉という呪文を唱えると、心地よい魔法にも気分が悪い呪いにもなる。
この言葉というのは発するものなので、当然名前も呪いになり得る。

たぶんこの呪いで多いのは「私の名前古臭くて嫌だ」「私の名前ありきたりで嫌だ(私も思っていた)」というもの。

古臭いじゃなくて、古風だと思えたら美しい雰囲気。
ありきたりじゃなくて、多くの人に馴染むと思えたら親しみやすい雰囲気。

周りの人にそう言われて嫌になったとかもあるから全て考え方のせいにする気はないが「古臭い」よりも「古風で素敵」の方が名前を好きになれる。そういう考え方の人といた方が心地よさそうだ。

これは呪文に、どんな期待という呪いを色づけるのかだ。
天然水のラベルだと「透き通った、すっきりした味であれ」などの期待の目を勝手に受ける。
古風な名前なら「丁寧で真面目な人」という期待の目を勝手に受ける。

もうそれは、生まれて最初につく名前の呪いなのだ。

呼ぶ人の期待に応えるのが名前なんじゃないかと最近は思う。
ペットボトルのラベルのように、売り出し文句のようで、その名前になっちゃったから、そうなるしかなかった。みたいな。
先天的でもあり、呼ばれるうちに形成される後天的なものでもある。

でも呼ばれなければ、違う名前で呼ばれたらまた違う期待を受ける。


名前はやっぱり呪文な気がする。
名前という呪文の器と、あなたという中身があってどんな魔法になるか決まるような。

ハリーポッターだったかな。呪文だけ唱えても魔法がちゃんと発動しないの。

大事なのは、呪文と共に何を乗せるのか。どの呪文に、誰の呪文に応えるか。


あなたは名前を、どんな呪いにしますか?



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