自分のツイッターのタイムラインをかなり昔まで眺めてみると、如何に悲惨で深刻な出来事や事件であろうと、結局は娯楽や軽い非日常として、
あくまで対岸の事象として消費されていることが、とてもよく分かる。

僕は応援されるととても嬉しくなります。