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TMR編集室日誌22.06.19|While My Horagai Gently Weeps...

Podcast「Temple Morning Radio(略称TMR)」の編集・配信を担当する遠藤卓也がお届けする、仏教文化・お経のフィールド録音等に関するエッセイ

金峯山寺にて得度され修験本宗教師・法螺師である宮下覚詮さんに「法螺貝体験ボディワーク」をしていただいた。
2021年の8月にTemple Morning Radio 増刊号にご出演頂いたご縁で、稽古をお願いしていたのがコロナの緊急事態宣言で流れてしまい、10ヶ月後にようやく実現できた。

「音の巡礼」としては修験道も法螺貝も大きな興味のひとつだけど、こういう形で入り口をつくっていただけるのはとてもありがたい。宮下さんは普段は大手テレビ局で働いている方で、なんというかとても親しみやすい方。色んなお話しをしてくださった。

法螺貝を吹くことを「貝を立てる」と言うそう。「吹く」というとどうしても私が音を出すために働きかけている感じだが、貝は吹かなくたっていつも鳴っている。
子どもの頃に、浜に落ちている貝を拾って耳をあてれば、かすかに音が聴こえてくるというのは誰しも記憶があるだろう。法螺貝もそう。耳をあててみるとホワイトノイズのようなかわいい音がさらさらと鳴っている。まるでおしゃべりしているみたいに。
私たちは貝に息を吹きこんで「吹いてやるぞ!」と働きかけるではなく、貝を立てて空気が流れるように手助けをするだけ。なぜなら既に貝は鳴っているから。

だから宮下さんは「音は出なくたっていい」と教えてくださる。横の人の音の響きは自分が立てている貝にも響いて、鳴っているのだ。法螺貝は楽器ではなく、自分の身体の拡張器官のような。このイメージが大事なんだなと思った。すると急に貝がかわいく思えてきて、愛着が湧く。
稽古の始まりに、宮下さんは一人ひとりに「あなたはこの貝」と相手を見て選んで貝を渡してくださった。体格などを見て判断されているのかと思うが、貝も一つひとつが全然違う。人も貝もこの世に一つしかない個性同士の組み合わせなのだから、その組み合わせによって発せられる音も無限の可能性があるということ。

そういうお話をいくつも聞きながら貝へのイメージを膨らませて、教えていただくがままにストレッチして、呼吸を整えてから貝を立てたら、音が鳴った。
鳴った時のこの気持ちよさは何だろう。まるで自分が筒になったかのようなはじめての感覚。自分の呼吸が浅いせいか音は短いが、ぶいいいいいという感じの低い音が抜けていくのが快い。貝に通っていった息が貝を震わせ、貝の響きがまた自分の身体に響く。
他の人が出す音も耳に入ってくるが、それぞれ驚くくらい全然違う音が出ている。プリミティヴな音だからこそ、その個性の違いから「これが自分の音か」ということがよくわかって嬉しくなる

今回、自分が立てさせてもらった貝へ、そして良き機会を作ってくださった宮下さんに感謝!またみんなで一緒に法螺貝を立てたいと思う。

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第一回光明寺稽古チームの皆さんと宮下さん


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