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人生の質と本人の資質

 人生の成功や失敗、幸せや不幸。

 そういったものは本人の「才能」、そして「努力」、また「環境」つまりどのような条件の中で生育していたかという、この3つくらいのものの掛け合わせで決まるような話がよくある。

 たしかに、その通りというか尤もらしいなと思う側面はある。そして、自分はしばらくこのことを色々考えていたのだが、ちょっと違う考え方が頭をよぎった。

 それは全ては本人の「資質」にかかっているのではないかということだ。資質という言葉をどういう意味で使うのかというと色々あると思うが、ちょうどいい説明をみつけたので以下を引用してみたい。
 

生得的素質によって規定されている個人の潜在的可能性を性能または資質capacityという

平凡社 世界大百科辞典第2版

 生得的素質、潜在的可能性、資質capacity。
 capacityは容量や収容能力というような言葉にも訳されるがとても的を得ている表現のように思える。例えば一つの経験をした際にどれくらいの感覚や知識または情報を得ることができるのかということを説明できる。

 ただここで最も注目したいのは「生得的素質」という言葉についてだ。長々とここまで話してきたが結局自分が言いたいことは、人生の成功や失敗、幸福や不幸はここで言われる生得的素質としての「資質」がほとんどの部分を決めているのではないかという一つの推測だ。

 どんな条件の良い環境にいてもその環境の良さやそこに置かれている意味を認識できなければ環境を活かせない。そしてその判断ができるかどうかはまさに当人の資質にかかっている。

 努力に関しても、当人にその「努力をする」という資質がなければ何事に関しても成果は得られにくい。

 才能と資質はどう違うのかという疑問があると思う。おそらくここが肝なのだと思うが、あくまで個人的に定義付けしてみたい。才能とは当人の中にある未来に花開くことが約束された種子のようなもの、特定の特化された力。資質とは、そういった特定の方向性を持たない複合的で全般的な能力や性質の集合体のようなもの、と考えている。

 才能はつまり「何かの」才能であり、スポーツや絵画など範囲の限定された固定的で静的な性質を持つもの。そして資質は、上記のような固定的な性質を持たず、比較的範囲も限定されない動的で状況に応じて可変的な性質を持つものと定義できるのではないかと思う。

 そして長々と冗長に文字を費やしてきたが、結局言いたいことは、この「資質」が本質的に人生の質を決めているのではないかということだ。意志、忍耐、勇気、判断、決定、理解、表現、活動など数え切れない行為の集合がある。それらの明確には掴みづらい能力の数々が様々な仕方で出力された結果が人生を形作っている。その数々の能力の集合を「資質」と呼びたいのだ。

 

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