Pirlo

その時々思いついたことを書きます         みんな見てね

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最近の記事

未来社会論 Ⅰ

みんながあたまにチップをうめこんでいる そのチップは肉体と精神の健康状態を完全に均衡状態に調節できる 怒りも不安も恐怖もない 完全に調和に満たされていて、互いを完全に信頼しあい、愛を持って互いに関わり合う 愛と信頼に満たされた調和の共同体、ハーモニー 身体は痛みもなく不調もない、チップによる自動制御によって常時メンテナンスされている 大きな損傷が起きればその共同体を管轄す保健福祉的職務を担う専門職が治療=修繕を行う 治安は完全に保たれる、感情が人を苦しめたり強いダメージを負う

    • 有害な仕事を駆逐しよう

      デイヴィッド・グレーバーの ブルシット・ジョブ、くそどうでもいい仕事 もっと言うとこの世界にとって存在することが有害な仕事が沢山ある 広告業とかは特に害悪だと思う まるで害虫だ、ゴキブリだ、汚物だ 人々を不快にさせる、不愉快な気分を生成する つまりゴミだ ゴミは捨てないと汚くなる そういう社会的・倫理的に考えて悪とされる仕事を処分しよう 私たちに必要なものはそう多くない 需要を捏造するのをやめよう そしてベーシックインカム、最低生活費保障を早くして人間が無駄なことをするのを早

      • 幸福の定義

        それは不快が取り除かれている状態。

        • 〈超越的なもの〉について

          何かをする時、何かをした時、何かを選んだ時、何かを選ぶ時、つまり何らか行為する時。 たしかに、それは私がした、と普通は考えられる。私が選んだ、と。 でもそれは本当だろうか。 違うような気がする。 引力が働いていた、というか、何かに首根っこを引っ張られているような、つまり、導かれているような。 私がしている、のではなく、私が何者かに、させられている、ような。 突き詰めていくと、根源的には〈私〉はない。 そこには純粋に〈働き〉が有る。 その純粋な働きこそが〈超越的なもの

        未来社会論 Ⅰ

          パーソナリティー障害について

          最近、何かと発達障害が話題になる。主にインターネッツで。最近はインターネッツしか見てない、知能が衰えるので本を読もう(戒め)。 たしかに発達障害は重要だと思う、そして全てのそれ以外の精神障害の根源になる特性、先天的障害、生まれ持った呪いもしくは腫瘍だと思う。 そしてみんな当事者系で困ってる人はみんな思ってるだろうけど、個性とか特性とか強みではなく、それはシンプルに欠如であり欠陥であり、ちゃんと名前についてるように障害です。 というのは前置きで、パーソナリティー障害ってのも

          パーソナリティー障害について

          べつに諦めなくてもいいんじゃないかと考えてみる

          絶望してはいるけども、べつにそれは最も理想的な状態を目指して絶望してるんじゃないかと。 2番目とか3番目みたいに水準を落として、妥協しながらやれることを探ればいいんじゃないか。 全部諦めて全て投げ捨てなくてもいいんでないかと考えてみる。やれることが全く無いという訳ではない気がする。 まあ、たしかに腰が上がらない感じはあって、なんでこんなクソみたいな状況で微かにでも動かなきゃいけないんだっていう腹立だしさはある。ムカつくね全てに。 まあ、ただ僅かにでもやれそうなことをや

          べつに諦めなくてもいいんじゃないかと考えてみる

          遊んでいる思考、楽観の重要性(自分用メモ)

          ・楽観的に考えることの必要性 →状況がどんなものであれ、それを悲観的に考えることはデメリットしかない。思考が気分を作っている。なので、考えは楽しい開かれた自由な方に考える。そうすると気分もそっちに方向づけられる。 ・楽観的に考えることはある意味イカれている →ただそのイカれているている感覚が大事。 現実的に考える(常識的もしくはマジョリティ的に考える)と、基本的に絶望するしかなくなる。 おそらくどんな状況も抑鬱的な認知になる。それは、抑鬱リアリズムを説明する。つまり現実的に

          遊んでいる思考、楽観の重要性(自分用メモ)

          働かないことは悪みたいに批判されるけども(そうじゃなくね?)

          そもそも経済成長にまともに寄与してないなら国としてはある個人が働いていようが働いていまいがどうでもいいことだよね。 そして経済成長に寄与してる人って割合的に少ないんじゃない? 大企業とか新進気鋭のベンチャーとか良く分からないけどそういう、営利を出してる企業とそこで働いてる人。個人でめちゃくちゃ稼いでる人。 こういう人たちは経済成長に寄与してるんだろうけど、それ以外の平凡な人はたぶん、たいして寄与してないよね。 だから働いてるか働いてないかなんて国家っていう単位から見たらわりと

          働かないことは悪みたいに批判されるけども(そうじゃなくね?)

          被賭博的存在

          ハイデガーの被投企的存在という概念がある。 人はこの世界に否応なしに投げ出されてしまったという話。 これをさらに言うと人は否応なくギャンブルに参加させられた存在でもあると思う。 どうなるか分からない賭け事に意志なく参加させられた存在。 これを被賭博的存在と名付けようと思った。 リスクを恐れるけどもそもそも、この世界に生存させられること自体がリスクそれ自体。 そしてこの遊戯には一切皆苦という共通ルールが課されている。 つらい。麻酔がほしい。

          被賭博的存在

          人生の質と本人の資質

           人生の成功や失敗、幸せや不幸。  そういったものは本人の「才能」、そして「努力」、また「環境」つまりどのような条件の中で生育していたかという、この3つくらいのものの掛け合わせで決まるような話がよくある。  たしかに、その通りというか尤もらしいなと思う側面はある。そして、自分はしばらくこのことを色々考えていたのだが、ちょっと違う考え方が頭をよぎった。  それは全ては本人の「資質」にかかっているのではないかということだ。資質という言葉をどういう意味で使うのかというと色々あ

          人生の質と本人の資質