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サンドイッチのお弁当

中高年なんて言われる年になると若さが恋しくなることもあるけれど、多くの人にとって、思春期は長く暗いトンネルだったのではないだろうか。

思春期の私は、数年に一度は激しい体調不良に襲われ、ぶっ倒れて家族を心配させた。体に力が入らなくなりゲーゲー吐いて、病院に向かうタクシーの中でも吐き気が止まらなくて運転手さんに嫌な顔をされ、病院の待合室でも座っていることができなくて、ベンチにぐったり横たわっていた。

当時の診断は「自家中毒」とか「自律神経失調症」というものだった。要するに原因不明だ。点滴だけ打ってもらって帰ってくるのが常だった。

当時、私の母はよく「1日が24時間じゃ足りない」と言っていた。毎日会社で働きながら娘の私と弟の面倒をみて、私が中学生になってからは、毎朝当然のようにお弁当を作ってくれた。母のお弁当は、いつも丸いタッパーにご飯とおかずが詰まっていた。

そんな私にも高校受験の時期がやって来た。第一志望は家の近くの公立高校だが、滑り止めに隣県の私立高校を受けることになった。行き方と所要時間を確認するために、受験日にまでに一度母と一緒に下見に行くことになっていたのだが、いざ行く日の朝になると、電車に乗って少し遠くの町まで行く緊張感からか、お腹が痛くなって行けなかった。この頃には体調はだいぶ落ち着いていたけれど、出かける前に腹痛に襲われるのはよくあることだった。

そして受験当日。試験会場までどうやってたどりついたのか今ではよく覚えていないのだけれど、母がお弁当を持たせてくれたことは覚えている。試験の合間の昼休み、ひとり机に座ってお弁当を取り出した。周りの受験生たちもみんなそれぞれにお弁当を取り出し、お箸を手に取り始めた。

しかし、私がお箸を手にすることはなかった。お弁当の中身はサンドイッチだったから。そういえば、今朝母が言っていた。

「軽めに食べておけば、お腹痛くならないからね」。

それはサンドイッチ用の薄い白い食パンに、黄色いつぶし卵が挟まったシンプルなたまごサンドだった。緑色のタータンチェックの保温ボトルには、母がいれてくれた紅茶が入っていた。

見知らぬ学校の寒い教室で、受験の緊張感とはちょっと場違いな、ピクニックみたいなサンドイッチのお弁当を、ひとりでボソボソ食べた。サンドイッチはご飯ほど冷たくなく、紅茶は温かかった。今日はお腹が痛くなる心配はなさそうだ。

私は無事滑り止めの学校の受験を終えて、やがて第一志望の公立高校にも合格した。第一志望の学校を受験した日のことはまったく覚えていないのに、あの日のサンドイッチと紅茶だけは鮮明に頭に残っている。

今は80歳を超えた母にとっては、むかし数えきれないほど作ったお弁当のうちのたったひとつだから、きっともう忘れてしまったことだろう。でも私にとっては今も忘れられないお弁当である。

#やさしさに救われて


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