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ちょろっと過去でも語りましょうか。

みなさまこんにちは。
今日朝起きたら10も♡ついててびびり倒しました。
ありがとうございます。

このnoteは、好きなことを好きなように書きたいというのもあるのですが。
目的として、好きな言葉を、僕が今まで響いた言葉を、届けたいということ。
あと、読んでくれた人が、こんな人もいるんだなって思えて、新たな価値観を得られるお手伝いをしたいということ。この2つがあります。

というわけで(どういうわけだろう)。
このnoteは、かなり深めだったり、重かったり。
軽くさらさら読めるものばかりではないと思います。
もちろんしょうもない投稿もします。
好きなように読んでくださればと思います。

前置きが長くなりましたね。
本題に入りましょうか。
先に今をざくっとまとめると、僕は随分おかしな人間だと思います。
歳の割に(考え方に年齢は関係ないかもしれませんが)、色々深く考えすぎて、気づけばいつしか達観した人間になっていました。
別にそれを僕自身は悪だとは思っていません。
だってそう考えざるを得ない状況が続いたから。


僕は中学生の時から、ずっと同じ夢を持っていました。
「学校の先生になる。」
おや?でもこの人は医学生なんじゃ?
そう思われた方、さすが鋭い。その鋭さで世の不条理を刺してやってください(?)
そうです。教師を目指していた人間が、なぜ医師を目指しているのか。
そこの矛盾が、今回のテーマです。

まぁ勿体ぶっても意味はないですね。さっさと書きましょう。
僕は、簡単にいうと、教師にはなるなと言われ、諦めました。


それだけ聞くと、なんと諦めの早い人間だ。
たかがなるなと言われただけで、諦めてしまうものならそれは夢ではない。
そう言われてもおかしくないですね。僕もそう思います。

ですが、どうしても、諦めざるを得なかったのです。

否定してきたのが、両親だったから。

教師という職業を否定した理由として何があがったか、
それはあえて書きません。
教師になりたい人が読まれた時、絶対に傷つきます。
誰かが少しでも傷つくかもしれないことは、極力書きたくないのです。

教師を否定され、その後も、心配してでしょうか、いろいろな職業に対する反対意見、色々なものが飛び交いーー

たった一つ、否定されず、薦められた職業。

それが、「医師」でした。

もう、仕方のない話でした。
ですから、僕はそれにしたがい、塾に通うことにしました。

結果として、塾に通う中で、学校の教師になるには、自分は経験も何もかもが足りないと気づき、さらに、その塾で、今のこの自分の価値観を作り上げてくれた、素晴らしい先生に出会うのですが、それはまた別の話です(次の記事あたりでまとめます)。

さてさて話を戻しましょう。
僕らは経済的に自立できるまで、両親の支えで生きていきます。
ですから、両親の否定は、そのまま、将来を決めてしまうのです。

それでも戦えばよかったんじゃないか。
反抗して、勝手にやればよかったんじゃないか。

その意見に対しては、僕はそうだね。としか答えられません。

でも。これだけは言っておきたいと思います。

親の反対を押し切って、夢を叶えることは、時として不可能に近いのです。

戦った時期もありました。
ですが、戦い続けるうちに、僕は壊れてしまいました。
病院に行く前にうまく改善できたので良かったのですが(改善できたきっかけは、長くなりすぎるので次記事に回しましょうか)、
躁鬱のようなものになったのです。

自分のメンタルは、当然コントロールできなくなりました。
変に明るい気分は続けど、不安定なもの。

モーニング・グローリーをご存知でしょうか。
条件が揃った時にだけ現れる、奇跡の雲。

モーニング・グローリーができた時、地上では気圧が大きく変動するそうです。

ちょうど僕のメンタルはそんな感じでした。
モーニング・グローリーの出ている状態で、地上にずっと立っている。
気圧の変動は予測できないように、気持ちの浮き沈みがどうなるのか、全くコントロールが効きませんでした。

うまく高気圧であればいいけれど、低気圧ならしんどくなる。

そんな期間が、結構続きました。

勘違いしてほしくないのですが、僕は今は親を恨んではいません。
過去に対する多少の憎しみは残っています。

けど、親に全部が全部、プラスの感情しか持ってはいけない。
親に対して、ネガティブな感情を一切持ってはいけない。
そんなことなんてありません。

だから、これでいいんです。
過去なんて、ケアしても(気にしても)仕方ないのですから。

もうちょっと否定された時期のことを書いたっていいのかもしれません。
でも人間って恐ろしいくらいよくできていて、本当に悲しかったことは、綺麗に忘れることがあるようです。もう、あまり覚えていないのです。
ただショックだった、と言うことと、それで色々ものの考え方が暗い方向に行く癖がついてしまったと言うことだけかきたしておきます。

もちろん、東日本大震災の後のように、大災害やショックな出来事の後、PTSDを発症される方も多くいらっしゃいます。
それを否定するわけでは当然ありません。
でも、僕には、色々言われた言葉の中身の記憶があまりありません。
感情しか残っていません。

もしかしたら、消えるくらい、なんてことのない話だったのかもしれません。
でも記憶を失った今、僕にはなんともいえません。

こんな状態になった僕を、助けてくれた人たちがいました。
その人たちのことを、次の記事で書こうと思います。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
こんな感じで結構がっつりと重めの内容(ビッグマックぐらいか?)をあげる時があります。次回は、救われた話ですから、ビーフパテを抜いて、目玉焼きを挟んだ感じになると思います(???)。

リアルで勉強が忙しすぎる上に、レポートの宿題がたまっているので(なのになぜこいつは更新しているんだ?ーーそんなのこいつが馬鹿だから)、また更新が遅れるかもですが、続きはあげますので、お楽しみに(?)

まぁこのnote自体が、ある人に、うまく話せないから、気が向いたときに読んでもらって、僕のことを知ってもらうために書いてるってのもあるからね

それでは、また次回の記事で。




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