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「ブラジルの二面性」 黒酢二郎の回想録  Valeu, Brasil!(第7回) 月刊ピンドラーマ2024年4月号

前回は、ブラジル各地で生活し、この国の魅力にはまり込んでいったこと、病気で寝込んだ際に「おふくろの味」の差し入れをもらい、その後は恩返しのつもりで魔法にかかったかのように仕事に打ち込み始めたことをお話しました。

実は昨年(2023年)初旬に暫く日本に滞在したのですが、その際にちょっとした違和感を覚えました。日本では、というか正確には私が訪れた場所では、行き交う自動車はピッカピカ、道行く人々は揃って小奇麗な出で立ち、咥えタバコで歩いたり交通ルールを破る不届き者は殆どおらず、路上にはゴミが落ちていないばかりかゴミ箱さえありません。ちょっとしたゴミは持ち帰っているとのことでした。この物質的豊かさや民度の高さ、そして何よりもブラジルとの相違に日本生まれ日本育ちの私も改めて驚かされました。しかし一方で、ご近所さんや、公共交通機関やエレベータの中でさえ人々は挨拶や会話を交わすことが少なく、人間同士の距離が遠いと感じられたのです。日本で孤独死が社会問題となっていることも、そのような希薄な人間関係と無関係ではないのでしょう。

サンパウロでは道を歩けばゴミが散らかり、地区によっては路上に人が寝ころがっていたり、何のためらいもなく火のついたままのタバコの吸い殻を道端に投げ捨て、歩道もガタガタで、治安も良いとは言えず、決して理想的な住環境とは言えません。しかし、スーパーマーケットや役所で列ができれば知らない人とも会話が生まれ、目が合えば微笑みかけたり、地下鉄に乗れば妊婦や障がい者には当たり前のように席を譲り、赤ん坊が泣いていれば周囲がよってたかってあやして皆が笑顔になる、そんな場面に何度となく遭遇しました。まさに昭和の時代に水前寺清子が歌った「ボロは着てても心は錦」の世界が広がっています。日本の状況が「錦は着てても心はボロボロ」とまでは言いませんが、物質的、経済的豊かさを追求してきた結果、別の方面で綻びが出ているのかも知れません。

ブラジルの人々の持前の人懐っこさ、包容力、寛容さこそが、この国の最大の魅力であり、そのような人々に囲まれて暮らしていると、せっかちな自分も様々な事象に対して寛容になれるような気がします。ブラジル人の心の温かさについては、国の成り立ちからして奴隷や移民との混血の歴史を持つからとか、年中比較的温暖な地域が多く食料が豊富だから、などの説明がなされますが、それらも含む様々な要因が複合的に影響しているのでしょう。

2000年代に入って著しい経済発展を遂げたブラジル、ロシア、インド、中国の4か国はBRICsと呼ばれ、世界から注目を浴びました。「衣食足りて礼節を知る」はずなのですが、ところがどっこい現実はどうでしょう?まだ十分に足りた状況には達していないようです。ブラジルは人々を優しく包み込む寛容の国でありながら、一方で殺人発生率も世界有数となっています。

サンパウロに赴任して数年が経過した夜のこと、入居していたアパートの前にあるバール(居酒屋)から銃声らしき音が2回響きました。窓から見下ろすと、薄暗く人通りの少ない通りを一人の男が小走りで立ち去るのが見え、しばらくするとパトカーが数台駆け付け辺りは騒然となり、私の心臓の鼓動も速まりました。「落ち着け、黒酢二郎!」と自分に言い聞かせてその場を凌ぎましたが、翌々日の新聞でバールの店員が銃撃の犠牲になったことを知りました(インターネットで簡単にニュース検索できる時代ではありませんでした)。生まれて初めて出くわした殺人の現場でした。その後も、知人がカーニバル期間中に流れ弾に当たって負傷したとか、別の知人が乗っていた車の前にピストルを持った賊が現れ銃口を向けて近づいてきたものの、運転手が機転を利かせたおかげで何とか回避できたとか、はたまた別の知人が変死体でチエテ川に浮かんでいるのを発見されたこともありました。その人物は息を吐くように嘘をついて暮らしていた詐欺師で、彼の生き様が死に方にも反映されたのでしょう。私も生き方を改めようと反省したことは言うまでもありません(笑)。

何等かの原因でストレスが高まると、人間は攻撃的になるというのが共通の現象ですが、その矛先がどこに向かうかは地域によって明確な特色があるようです。矛先が自己に向けられる場合(自殺)と、他者に向けられる場合(他殺)を比較すると、熱帯や亜熱帯に属する国では他殺の方が多く、一方温帯や寒帯に属する国では自殺の方が多くなる傾向が明らかだそうです。遺伝、ライフスタイル、文化的な影響に加え、気温や日照時間などを含めた気候が性格の形成に影響すると言われており、例えば、2021年の統計によると、人口当たりの殺人発生率の上位20か国には、中央アメリカとアフリカの諸国に加え、南米からはコロンビア、ブラジル、ベネズエラがランクインしており、これらの国々では他殺の方が圧倒的に多くなっています。しかし、同じ南米でもチリ、アルゼンチン、ウルグアイは自殺の方が多くなっているそうです。

なお、人口当たりの交通事故死亡率に関してもブラジルは世界の上位となっています。そして、びっくり仰天してしまうのは、人口当たりの殺人発生率が交通事故死亡率を上回るという現状です。つまり、統計上の数字だけを基に単純に考えると、交通事故で死ぬよりも殺人の犠牲になる確率の方が高いということです。強盗や窃盗の発生件数となると殺人や交通事故死の比ではなく、私もスマホのひったくりを今までに何回も目撃しましたし、オフィスや倉庫が空き巣にあった事例も複数あります。このような毎日がサバイバルとも言える環境に暮らしていると、事故や事件なく平穏に1日が終わっただけで感謝の気持ちが自然に湧いてくるようになりました。

(続く)


黒酢二郎(くろず・じろう)
前半11年間は駐在員として、後半13年間は現地社員として、通算24年間のブラジル暮らし。その中間の8年間はアフリカ、ヨーロッパで生活したため、ちょうど日本の「失われた30年」を国外で過ごし、近々日本に帰国予定。今までの人生は多くの幸運に恵まれたと思い込んでいる能天気なアラ還。

月刊ピンドラーマ2024年4月号表紙

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