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里見弴『俄あれ』を読んで

少し前に話題に出した『日本幻想文学集成』を読みはじめるまえに、以前から持っている短編集の感想文を書き終えたいと思う。

昔から私の記事を読んでくださっている方にはおなじみの(?)『文豪たちが書いた耽美小説短編集』から、今回は里見弴の『俄あれ』をピックアップ。


さて。実はこの話、昨年のうちに何回も読んでいる。そして何度も感想文を書こうとして、挫折した。

大変失礼ながらこの小説の面白さが当時の私にはあまりよく分からなかったのだ。読後感も「ふーん、そっか」という味気ない感じだった。

「これでは感想文は書けないな」と思い、『俄あれ』はスキップした。
そして同短編集の次の収録作品である田山花袋の『少女病』の感想文を嬉々として書き上げた。

でもそのスキップはなんとなく「しこり」になっていた。noteでの感想文。読んでくださる方はいるかもしれないけど別に「義務」ではない。書こうが書くまいが完全な自由。

ただ、件の短編集には11の短編が収録されていて、順番にその感想文を書いていくぞ!と意気込んでいたのに、「なんか気乗りしないから」といって、ひとつ作品を飛ばしたままにするのは初志貫徹できてなくて嫌だなと感じた。

これは完全性の希求の名残というよりはむしろ、「自分が」やりたいと思って始めたことを続けられない事実が後ろめたくもあり、同時になんだか悲しかった。

ただ、強制するのも「何か違う」気がして、また読みたい・書きたいと自然に思える日がくるまで温めておこうと思っていた。そしてその日が今日だった。全25ページをじっくり読んだ。
あれ?前とは読後感が全く違う。


以下、簡単なあらすじ。

主な登場人物は「客」「友人の細君」「書生」。

客が友人宅に到着するや否や暴風雨が発生する。偶然にも友人は不在。落雷まで生じるなか、家中の扉は閉じられる。
そんな非日常とも言える空間に友人の細君と閉じ込められた客はどう振舞うのか。また、そんな男女ふたりの動向に聞き耳を立てる書生はどう動くのか。


読み進めるうちに、以前は気にも留まらなかったことが「良いひっかかり」になることに気づく。いちばん反省したのは物語の中心にある(と思っていた)「心理描写」や「駆け引き」を好むあまりに、自然や空間のこまやかな描写をしっかりと読めていなかったこと。

たとえばこの冒頭の描写。

(前略)緩く起伏した地勢の遥か遥かあなたに、黒い森が纔かにその頂を出没させて、この広い練兵場の東のはてを思はせる。南と北との境界にも大きな木立が高く低く立ち並んで、遠く東べりの森へと、陽炎に揺めきながら連なり走つてゐる。それにまた区劃のなかには、兵士の鋲打の靴の下に纔かに生き残つた夏草が、所々を生気のない緑に縞どつてゐる他には、立木とては殆ど一本もなかつた。で、劇しい陽光に飽満して、熱のために震へてゐる蒼穹は、見渡す限りの赤土の表面と直べたに顔を向き合わせてゐるうちに、お互の強情に腹を立てて、不穏な渋面に膨れ返つて了つた。そよとの風もない……。
『文豪たちが書いた耽美小説短編集』より、里見弴『俄あれ』p.106-107

この時点で登場人物は誰も出てこない。やや焦れながら、もう少し読み進めると「客」が上記の風景を通り過ぎて友人宅に向かっていたことが明かされる。

以前は「はやく人間出てこないかな」と思いながら上記引用部分を読んでしまっていたので気づかなかったが、緻密で自然の息遣いを感じるような描写がされている。

・広大な練兵場のなかには目立った木はない
・炎天下
・無風

箇条書きにしてしまえばこれだけの情報になってしまう風景を、色の表現を散りばめながらこまやかに描き出していてやっぱり文豪ってすごいな、と思った。別の箇所になるが、「砥粉色をした煙」という表現があって、調べてみたらこんな色だった。

砥粉色。とのこいろ、って読むよ。


知らないことを知るのは楽しい。

あと、「蒼穹と赤土が顔を向き合わせてお互いの強情に腹を立てて」という表現がなんかメルヘンチックで可愛い。


さて。せっかくなので「駆け引き」部分に対する感想もほんの少しだけ。

落雷により、暗闇のなかで接近する客と細君。
自分になかなかなびこうとしない客を「意気地なしねえ」などと置き去りにして、今度は書生をからかおうとしておきながら、「出先で落雷に打たれたかも」と夫の身を案じる細君。

彼女には作中でも語られた「利口な愚かさ」を感じた。この利口には「抜け目のない」という意味を与えたい。
彼女は「敏感と狡猾と臆病と智慧とを備えて」いたのだろう。

客は、終始自分の心を眺めていた。
それはやけに挑発的な友人の細君の誘惑を前にしても変わらない。

彼がどのように自分の心の動きを追って、友人の細君と対峙したのかはここでは語らない。

暴風雨が止んで、傾きはじめた陽光のなかで客は味わったことのない満足な心を抱いていた。
さて、非日常な空間での攻防の結末はいかに。

(引用元)
『文豪たちが書いた耽美小説短編集』より、
里見弴『俄あれ』, 彩図社文芸部編纂.

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