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マーケティング性善説とマーケティング性悪説

「eumo」(ユーモ)という
コミュニティ通貨の仕組みを立ち上げた、
新井和宏さんという方がいらっしゃいます。

私が2020年の夏にお世話になった
EMS(エッセンシャルマネジメントスクール)
という学びの場で、初めてそのご活躍を
知ったという経緯ですが、
「eumo」よりも「鎌倉投信」の方が
有名かもしれませんね。

この「eumo」を、新井さんと一緒に
立ち上げたメンバーの一人に、
「社会システムデザイナー」の肩書を
持つ武井浩三さんがいらっしゃいます。

かなりぶっ飛んだ方(失敬!)で、
あちこちのメディアで見かけるので、
ご存知の方も多いでしょう。

彼が、博報堂の堂上研氏『Wellulu』
いうWebメディアで対談した記事を読み、
頭を殴られたような衝撃を受けました。

一部、重要と思うところを引用します。

堂上:まさに僕たちのような広告会社は資本主義の権化で、物欲を煽るための広告を作ってきたわけです。経済活動を促していたけれど、それは豊かな人をより豊かにし、弱者から搾取していただけでした。猛省し、我々が変わるべきタイミングなのだと思います。
武井:そうですね。昔は同じ部族の中ではお金は存在せず、別の部族と取引をする時にお金を介在させたといわれています。知らない人とその場限りで取引をするための道具として生まれたのがお金です。金融のことをファイナンスといいますが、その語源は「フィニッシュ=終わらせる」という意味があるんです。そして、知らない人と取引をする場がマーケットです。マーケティングは知らない相手から効率よく収奪することが目的なので、相手が破産しようが借金しようが関係ない。だから、少々暴力的な力が働くわけです。
マーケットの反対は何だと思いますか? それは「コミュニティ」です。コミュニティは人間関係を意味します。eumoはマーケティング的な手法でお金でユーザーを獲得せず、共感で広がっていかないと意味がない。仲間を増やすには待つしかないと思っています。

太字は筆者)

マーケティングを生業とする者として、
自分がやっていることに不安を感じる
内容
だったというのが正直な思いです。

物々交換のような原始的な仕組みより、
貨幣を通じて「価値」付けを行い、
等価交換できるようにした現在の市場の
仕組み
自体、非常に便利で優れたもの
だと認識をしていました。

そして、その「価値」をお互いに交換
するプロセスをよりスムーズにする
ことが、マーケティングの役割であり、
意義である
と捉えており、あくまでも
「マーケティング性善説」的な立場を
私自身は取っています。

武井さんによる
マーケティングは知らない相手から
効率よく収奪することが目的」
との指摘は、私とは反対に
「マーケティング性悪説」的な立場で
あると言えるでしょう。

言葉通りに受け取れば、
マーケターは「収奪者」ということに
なってしまいます。

しかし、本当に収奪などしていたら、
お客様との間にWin-Winな関係性など
築けようがありません。

このテーマは、考えれば考える程
非常に難しい内容を含みますね。

少しまとまった時間を投入して、
じっくり取り組んでみなければ、
ということで、
今日は一旦筆をおきます。

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