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長所のみを取らば即ち可なり

「強み」を活かす。
「強み」に着目する。
「強み」に光を当てる。

「強み」は、私のnoteにおいて頻繁に
出てくるキーワードとなっている。
なぜかと言えば、敬愛するドラッカーが、
ひたすら「強み」を伸ばすことが大切だと
著書の中で強調しているからだ。

もっとあるのだが、これ位にしておこう。

この「強み」に着目する、
言い換えると「長所」に着目することは、
何もドラッカーの専売特許ではない。
ただ、「弱みには目もくれるな」という
具合に、徹底的に「強み」にフォーカス
することを説いているところが、
非常に心に響いてくる。

日本の戦後教育では、どれか一つの
「強み」を徹底的に伸ばす、磨くという
よりも、「穴」「弱み」を作らない、
平均的な、金太郎飴のようなやり方を
してきた感がある。
それゆえ、「弱み」はそのまま放って
おけ!というドラッカーの主張を、
エキセントリックに感じる向きも多い
のではなかろうか。

人生は短い。
自分が頑張っても頑張っても伸びない
分野、楽しさを感じられない分野で、
無理やり頑張り続けることは、
やはり歩留まりが低いし、精神衛生上
決して宜しくない。

やればやる程伸びていく、
やっていて楽しさ、充実感を味わい
続けることができる、
そんな状態であってこそ、非常に良い
成果を出せようというもの。

こうした考え方を、意識して自らに取り
入れたのが、ストレングスファインダーや
ドラッカーがきっかけだったため、
元々日本にはなじみが薄い考え方だった
のではないかと勝手に思い込んでいた。

先日、荻生徂徠の『徂徠訓』なるものを
目にして、それが全くの思い込みである
ことを思い知らされた。

『徂徠訓』とは、江戸時代中期の儒学者で
あり思想家である荻生徂徠が、人を育てる
要諦として挙げた8か条の訓戒である。

その二つ目には、こうある。

二、人はその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。

つまり、長所のみを活かせば良くて、
短所など放っておけ
、というのだ。

正にドラッカーの指摘している内容
そのもの。
しかもそれを端的に、簡にして要を得た
言い回しで表現している
ではないか。

今まで荻生徂徠の名前は、確かに聞いた
ことはあっても、あまり注目することも
なかった。
この『徂徠訓』というものの存在も、
恥ずかしながら聞いた記憶がなかった。

「温故知新」という言葉がある。
私自身、大好きな言葉だ。
正に、日本の歴史=故きを温めて、
今の時代に活かせる新しき知恵を
引き出すための素材として、
荻生徂徠と『徂徠訓』は絶好では
ないかと感じた次第である。


己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。