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続・マーケティング性善説とマーケティング性悪説

昨日の記事の続きに、
少しばかりお付き合いください。

「eumo」を新井和宏さんと共同で
立ち上げた武井浩三さんが、

マーケティングは知らない相手から効率よく収奪することが目的

という見方をしているのに出会い、
衝撃を受けました。

この見方にラベルをつけるならば、
「マーケティング性悪説」
言えるでしょう。

マーケターとして20数年のキャリアを
過ごしてきましたが、
自分のキャリアの根幹を揺るがす
ような視点
であり、
「衝撃」と共に「動揺」を隠せない
といったところです。

もちろん、マーケターと言っても
様々なタイプの方が存在しており、
中には「収奪」というレッテルを
貼られても仕方のない、ある意味
あくどいやり方をされている輩が
いるのも事実。

とはいえ、そういった輩は、
中長期の視点では「自然淘汰」
されていく
はず。

あくまでもお客様視点に立って、
しっかりと価値を届けられる
マーケターのみが生き残れるし、
生き残っていくべきだと
今でも信じています。


「買い手よし、売り手よし、世間よし」

近江商人を象徴する「三方よし」は、
自分も、相手も、そして世間も
すべてがハッピーな状態になる
ことを目指した哲学と言えますよね。

と同時に、マーケティングの
理想的な姿を端的に表現
して
くれているとの評価もできると
思っています。

取引をする者同士が出会って、
お互いに提供できる価値を
交換することによって、
お互いが今以上にハッピーに
なります
よね。

そうすると、自ずと社会全体の
厚生も上がる
わけです。

そのような状態を、意図して
創り出そうとする働きかけこそが、
マーケティングの理想形だと
考えるのです。

このような考え方は、
「収奪」とは正反対であり、
「マーケティング性善説」
呼べるでしょう。

武井さんも、マーケティングという
言葉の語源、あるいは発想の起点が
「収奪」にあったという歴史的な
経緯を指摘
しているのであり、
現代のマーケティングがすべて
悪意に満ちているということを
述べているわけではないと
解釈できなくもありません。

今を生きるマーケターとしては、
たとえその起こりが「性悪説」に
因っていたのだとしても、
あくまでも「性善説」側に立って、
誇りを持って仕事に向き合いたい

と考えています。

その上で、新井さんや武井さんが
「eumo」で目指しているような、
資本主義の次に来るべき
「共感資本主義」というものの
可能性
に目を向けていきたいですね。

今の資本主義社会が突き当たっている
様々な課題を解決できる、
「脱・成長」
「脱・収奪」
「持続可能」

といったキーワードを叶えられる、
そんな仕組みづくりの取り組みには
純粋にリスペクトの念を覚えます。

これらのイニシアティブに、
マーケターとしてどんな貢献が
できるのか、とても大きな宿題に
なりそうです。

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