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「マンガ新人賞の落選作にありがちなストーリー」の何が問題でどうやったら改善できるんですか問題について

最近、ツイッターのタイムラインで、「新人が描きがちなストーリー」という話題がバズっていました。

たとえばこちら。

ツイートまとめにもなっていますね。

某誌編集者から聞いた「マンガ新人賞の落選作にありがちなストーリー」のことを思い出している。→似た傾向のストーリーが多いらしい。

ここからさらに「SFの新人賞でありがち」とか、さまざまなパターンの「あるある」が、タイムラインで盛り上がっていました。

ここで、編集者の立場として注意喚起したいのは、こうした「ありがち」「ベタ」なストーリーを避けるあまり、ニッチにはまり込まないように、ということです。

新人賞に応募される作品の中に、まるでテンプレで書いたような、同じような作品、言い換えれば「特別目を引くところがない、あまりおもしおろくない作品」が多数を占めるのは事実だと思います。しかし、それらの作品の問題点は、実は「ストーリーや設定がありふれていること」ではありません。

「神話類型」という学説があります。ジョゼフ・キャンベルという学者が世界中の神話や英雄叙事詩を研究した結果、それらはたった36通りに分類される、というのです。たった36通りです。

たとえば「召命の辞退」という類型があります。主人公が、冒険の旅を拒むが、周囲の説得や、さまざまな必然によって運命に巻き込まれていく、というものです。ガンダムのアムロ・レイ、エヴァンゲリオンの碇シンジは、まさにこの類型です。

「父親との一体化」というのも有名な類型ですね。ダースベイダーが主人公、ルーク・スカイウォーカーの父として立ちはだかる、スター・ウォーズエピソード5などは、そのまんまの設定です。

ジョゼフ・キャンベルの類型論が正しいかどうかはさておき、編集者としての経験から申し上げても「おもしろい物語」の類型は、それほど数は多くはありません。言い換えれば、どんなにオリジナリティあふれた物語に思えても、構造分析すればいくつかの類型に収束していく。

要するに、人間が理解できて、心を動かされるストーリーは、実はかなり少ないパターンに類型化できる、ということです。

どれほどベタで、ありきたりのストーリーであってもおもしろいものはおもしろい。否、さらに踏み込んでいえば、神話類型から完全に逸脱するようなストーリーというのは、人類の多くにとって「慣れ」がない物語であり、理解することが難しい、ということすら言えるのではないか。もしそうだとすれば、「ありきたりのストーリーテンプレ」に乗っておくことは、プラスこそあれ、マイナスではない、とすら言えるのです。

問題は、同じ「ありきたりのストーリー」なのに、おもしろい作品とつまらない作品が存在するのはなぜなのか? ということです。両者にはどんな違いがあるのか?

それは結局、「自分の思いついたこのアイデアは、そもそも何なのか?」という問い掛けを、どこまで深くえぐっていけるか、ということではないかと思います。

たとえば、こんなツイートも見かけました。

・先生が犯人
・神父が犯人
・孤児院の経営者が犯人

これらはたしかにありきたりに感じます。でも、これらが「ありきたり」なのは「解像度が低い」からです。

「敵のボスが実は自分の父親だった」はありきたりですが、「ダース・ベイダー」はありきたりではありません。「神父が犯人」はありきたりでも、プッチ神父はありきたりではないのです。

たとえば、「学校の先生が実は犯人だった」というプロットを思いついたとしましょう。その学校の先生はどんな人なのでしょう? 狂信的な教育理念を持っている人なのでしょうか? それとも、本当は教師になんかなりたくなかったけれど、仕方なく教師になった人なのでしょうか?

家族はいるのでしょうか? 家族から孤立しているのでしょうか? それとも、表面的には円満にくらしているけれど、実は心はまったく通じ合っていないのでしょうか?

その先生が犯罪を犯したのはなぜでしょうか? 先生はもともとそういう人だったのか、何かがきっかけで先生の大事な部分が毀損されたのでしょうか?

そもそも、先生の行動は、特殊な行動なのでしょうか? 人間みんながそういう衝動を持っているのでしょうか?

……こういったさまざまな問いを、自分のアイデアに投げかけて、それに答えていく。そうすることで、あなたのアイデアは、完全なオリジナル作品としての「熱」を帯びていきます。

「答え」のすべてを作品に盛り込む必要はありません。黒澤明は映画「赤ひげ」の背景に映る「薬箱」の一つ一つに、本物の漢方の薬草を入れていたそうです。映画の本編のなかでは一度も映ることのない薬箱にリアリティを求めることによって、映像に「熱」がこもっていく。

マンガや文学でも、それはまったく同じです。できあがった26ページの作品にはまったく盛り込めない、数百ページ、数千ページの背景を感じさせる物語には、強烈なオリジナリティと熱が宿るのです。


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