ライティングについて書いておいたほうが良いと思うようになった

編集者の中には自分でゴリゴリ書くタイプとそうでないタイプがいて、僕はどちらかというと書くタイプで、そのスタイルでかれこれ20年近く仕事をしてきた。

業界の中での自分のポジションがどこにあるかはよくわからないけれど、この状況下でずっと食えているのは、悪くないことだと思っている。

そういう自分の立ち位置から見たとき、最近気になっているのは、巷で「ライター」と呼ばれる人たちの仕事が、どうも僕のとらえているライティングとは違う仕事のように見えるということだった。

僕がやっているライティングというのは、定義するなら「自分以外の誰かや何かを、自分以外の誰かに伝わるように表現する」ということなのだけど、巷のライターは自分の仕事を「自分だけのオリジナルな表現をする」ものとして捉えられているようだ。

別にどちらが正しいというわけではない。ただ、僕にとっては前者の仕事をする人が「ライター」で、後者は「作家」なのだ。で、僕は「作家」としてはほとんど素人に近いけれど、「ライター」としては、まあプロを名乗っても差し支えないだろうと思っている。

僕は、実はライティングスキルを人から学んだことがない。僕のライティングは、ほぼ100パーセント実戦のビジネスの中で学んだものだ。

だからこれまではあまり、ライティングスキルについて人に伝えようとしたり、言葉でまとめようとしたことがなかった。僕の学んだものが一般化できるとは思わないし、それを必要とする人がそれほどたくさんいるとも思えなかったからだ。

ただ、世の中で実は、(僕の考える意味での)ライターは不足していて、(僕の考える意味での)ライティング技術というものも、あまり言語化されていないということに気がつきはじめた。誰も「ライティング」とは何で、何が必要で、どうすればいいのか、ということを知らないのだ。

ライターの不足については、僕自身が編集者としてライティングを発注する立場にたっても、自分が受注して、ライティングする立場になっても感じている、現場としての実感だ。

一方、ライティング技術の言語化については、それが「不足している」ということには確信があるのだけど、果たしてそれをまとめることに本当に意味があるのかどうかは、実は甚だ疑問だったりする。

現場で仕事をしていて感じるのは、うまい人は最初からうまいし、下手な人が上手くなるということも少ないということだ。また、相性の要素も非常に大きい。忙しい著者には、だいたい下原稿を作るライターがついているものだけど、いくら「力のあるライター」でも、普通は「誰かの代わり」になることはできない。

中には、どんな著者であっても「いたこ」のように上手く原稿を作るライターもいないわけではないけれど、それこそ、そこにどんなノウハウがあるのかは謎だ。(もしかしたら、本当にいたこのように、相手の精神を自分の中に下ろしているのかもしれない)

ただ、言い換えレバ、ライティング技術については、まだ未開拓のブルーオーシャンが広がっているということなのかもしれない。人間が文章を書くようになってから、まだ1000年単位の時間しか経っていない。特に、「文字」で「長文」を、これほど多くの人が書くようになったのは、おそらくこの数十年の出来事だ。

私たちはまだ、ライティングという森の、入り口に立ったばかりなのだ。

というわけで、気が向いたときに、ライティング技術について少しずつ、まとめてみたいと思う。

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