ぴのこ

ぴのこのnoteです。これまでの人生の整理。

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最近の記事

いつか、お嫁に行く日

幼い頃の思い出は、悲しく彩られたものばかりではない。 わたしは第一子として生まれた。 弟や妹よりもはるかに多くのアルバムが残されていて、生まれたばかりの頃の1冊目のアルバムには、それはそれはたくさん、両親からのメッセージが残されている。 「パパからのメッセージ」の欄に、父はこう綴っている。 「ぴのこ、生まれてきてくれてありがとう。今からおまえが、いつかお嫁さんに行くことになって『お父さん、今までありがとう…』という日のことを想像すると涙が出る…とにかく、ぴのこ、大きく

    • いじわるな子

      わたしにはひとつ年下の弟と、4歳下の妹がいる。 弟は生まれつき体が弱く、当時は「寝たきりの子どもになる」と医者から言われたらしい。ミルクを飲んでは吐き、泣いてはひきつけを起こした。ちなみに今は痛風を抱えた、お腹の出たおじさんである。 弟が生まれた時にまだオムツをしていたわたしは、弟の存在を受け入れられなかった。よく父親の膝の上を弟と取り合いしたことを覚えている。そういう時は必ず言われた。「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」。好きでお姉ちゃんになったわけではないのに、お姉ち

      • 原風景

        物心ついた時の鮮明な記憶がある。心の奥の引き出しにしまって鍵をかけた記憶。 黄緑色の絨毯の上で、つけっぱなしのテレビになんとなく目をやりながら、佇むわたし。横ではソファに座った母がわたしに向かって叫んでいる。母の膝の上にはふにゃふにゃの赤ちゃんの弟(ひとつ年下)。母の顔は恐ろしく歪んでいる。その内容はよくわからなくて、わたしはただ怒り狂う母の前でどうすれば、母を笑顔にできるかと考えていた。 気づいたら黄緑色の絨毯が目の前にあった。母に後頭部を殴られて頭から倒れ込んだのだっ

        • こわれた精神とわたし①

          もうかれこれ20年、精神を患っている。現在の診断名は不安障害と、複雑性PTSD、パニック障害。かなりベテランの域に入った精神疾患者である。ボーダー(境界性人格障害)と診断されたこともあるが、もう病名はどうでもよくなった。 初めて精神の苦しさから逃れたい、このまま死んでしまいたいと願ったのは、小学4年の時。校舎の3階に教室があり、吹き抜けの廊下から地面が見えた。人目を盗んで、手すりに足をかけて、何度下を覗き込んだだろう。当時いじめられていた私は、死ぬことで救われると信じていた

        いつか、お嫁に行く日

          なぜ教員になったのか

          幼い頃から、幼稚園に通えば幼稚園の先生に憧れ、小学校では、小学校の先生になりたいと真似事をする子どもだった。漠然と人の前に立つ仕事に憧れていただけだけど。 小5の頃だったと思う。担任の先生に突然、母が呼ばれた。「ぴのこさんは将来、教職につけばいいと思う。そのために、教育大附属の中学校を受験しないか?」というものだった。母は喜び、わたしは予想もしなかった中学受験の戦争に駆り立てられた。 今だからはっきり実感できるけど、多分あらゆる受験の中で、中学受験の難易度はいちばん高いと

          なぜ教員になったのか

          はじめまして、ぴのこです

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