フェミニズム
今日は、ネットフリックスオリジナル作品「moxie!」を観た。
主演の親友役のローレン・サイちゃん。
彼女がまだ高校生で日本で仕事をしようと頑張っていた頃、旦那さんが撮影をして、家に遊びに来たり、Hawaiiでお茶をしたことがあった。
ナチュラルだけれど、野心があり、頑張りたいという気持ちに溢れていて魅力的だった。
今では、マークジェイコブスとコラボしたり、世界の it girl になった彼女。
新しいティーンの学園ものだし、面白そう と興味が湧いた。
いつの時代も存在するティーン映画。
必ずヒーローとヒロイン、意地悪役、オタクなど様々なキャラクターがいて、その時代背景がしっかりと反映されている。
80's の頃は、白人の美男美女。
男の子は、ラグビー、女の子は、チアガールだったり。
それが、段々と「オタク」と言われ、今まで馬鹿にされていたようなキャラクターにスポットライトが当たり始め、少しずつ人種もバラエティに富むようになってきた。
今は、「ジェンダー 」というのも大きな問題の一つだ。
この作品も、フェミニズムがテーマの中心に描かれていた。
インターナショナルスクールに通う13歳の姪っ子も、インスタのストーリーによくフェミニズム的な意見をアップしている。
世界的な"me too"運動や、最近あった日本での差別的発言への批判などからも、その流れは感じとれる。
昭和のお父さん世代には、冗談で当たり前に行われてきた発言や行動が見直されている。
私も振り返ってみれば、小さい頃から、セクハラや暴力、レイプのような目に何度かあったことがある。 話したら、驚かれるような話も色々ある。
その時その時、色々な気持ちになりながらも、私は被害者意識やトラウマにはしていない。
隠す気も、泣き寝入りするつもりもないけれど、立ち上がり、怒りと共に社会に向かって戦い続ける というのは自分の性分には合わなかった。
政治に怒り、正義を貫く為に行動しようと頑張ったこともある。
子供が生まれ、この世を良くしなければと強く感じたからだ。
だけど、やればやるほど分かってくれない悲しみや怒りでいっぱいになって、なんだか辛くなってしまった。
頑張って戦っている人のことは、尊敬している。 だけどチームには、役割分担がある。
今の私は、怒り、戦い続ける役割ではなく、そのエネルギーを違うアプローチで表現していく人なのだと感じている。
それに、そもそも「正義」ってなんだろう。
政治を例にとってみれば、どちらも自分が 正義 と思い、戦っているわけだ。
人類は、今までずっと戦い続けてきた。
そのやり方一点では、いつまでも分離が続くだけな気がする。
痴漢や暴力、レイプをした人達。
自分より弱いものを傷つけようとする行為。
それは、許されることではない。
だから、こうしてメディアで取り上げられたり みんなが声を上げやすくすることで まかり通ってきた犯罪は減るかも知れない。
知ること。みんなが気付くことは大きなことだ。
その時の状況を知らない人達へ話すことは、とても勇気がいる。
特にセクシャルなことは、正直に言っても逆に誤解を受けたり、偏見の目で見られてしまうリスクもある。
自分を責めてしまったり、これくらいのことは我慢しよう、と話していない女性はきっとものすごく多いはず。
だからこそ、心から安心出来る環境で 本当に正直に語り合えるような場所を作ることが 大切だと思う。
「神様を信じている」という 私の首を絞めた人は、絞めながら、自分が如何に愛されてこなかったかを話し続けていた。
子どもの時、道で会った母親に無視されたこと。
"お前を殺せる"と、首を絞められている時、怖かったけれど 私は目を見ながら魂こめて、「あなたは、男で力が強くて、私は女で力が弱い。こんなことをしてもいいの?」と、問いかけた。
だけど、彼の目の中の狂気をみて、あー、世界には、私が思う以上に弱く、傷ついてる人がいるんだ。って、思った。これは、(伝わらない)ダメだ。って。
暴力を振るう人は、振るわれる人以上に弱くて、怯えていて、傷ついている。そして、そこに甘えている。 だけど、力の弱いものに当たることで解消しようとするなんて、全く同情の余地はない。
私は、そんなエネルギーをトラウマなんかにする気はない。
自分が大切にしない限り、どんなトラウマも持ち続けられないと 私は思う。
自分の人生をよく出来るのは、自分しかいない。
自分の考え方を変え、姿勢や行動を変えるしかない。
深いところから、強く優しくなる。
このムーブメントをきっかけに、本当のことを誰かに話せるようになったり、愛されなくて苦しい人が 1人じゃない と、気付けるきっかけになったらいいな。って、思う。
(ちょっと重い話だったけれど、これは暗い話じゃなくて、希望の話。)
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