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なんだかんだお正月って特別感があっていい

年末年始の、ちょっと慌ただしくてふわっとした幸福感が好きだ。

毎年、もう12月?もうクリスマス?もう大晦日!!!!!?なんてやってしまう。
そして、進まない大掃除と束の間の冬休みがやってくる。
年越しそばを食べて、紅白を流し見して、23時30分くらいに外出の準備をする。
我が家の徒歩圏内に小さな神社があるので、年明けと共に初詣へ行くのが恒例だ。
今年は、いつもよりずいぶん暖かい気候だった。
手袋がいらないねぇ、なんて言いながら歩く。
周りの景色が少しずつ変わり、メンバーも少しずつ変わり、それでも変わらない事が確かにあって。
明けましておめでとうと、合わせた手の数だけ祈りがある。
真新しいお守りを手にして神社を後にし、帰り道、昔は無かったコンビニでアイスを買ってもらう。
こういう小さな幸福を重ねなさい、と言われているような気がした。

元旦は揃って御神酒を頂いてから、前日にお餅の数を決めてあるお雑煮や、定番のかまぼこ、伊達巻、栗きんとん、母の作る煮物やきんぴらを頂く。
それから、適当にテレビを流し見しながら炬燵でゴロゴロゴロ。
余談だが、私は伊達巻が好きなので常々お正月以外でも食べたいなぁと思っている。
しかし、もしかしたらお正月にだけ食べるから特別美味しいのでは?という疑念も拭い切れない。
もしもそうだった場合、お正月の伊達巻が急に色褪せてしまうような気がして好きなタイミングで食べる伊達巻にはまだ踏み切れないでいる。
ちなみに、うどんや折詰弁当などにたまに入っている不可抗力伊達巻はノーカンだと思う。
そして、やっぱり矢鱈と美味しい気がする。
なんだか存在や立ち位置が曖昧でミステリアスな、ああ、愛しの伊達巻。

話を戻そう。
とにかく、食べるか寝るか、たまに甥っ子たちの相手を挟む、寝正月。
届いた年賀状を祖父、父、母、叔母、私、と宛名ごとに振り分けて眺める。

私が知っているこれ以上の幸福は、数が少ない気がする。

どれだけ休んでも短いなぁと泣きべそをかいてしまう大人げない私と、仕事が始まればそれなりにやってしまう大人な私。
なんやかんや、1月いっぱいは仕事もふわふわしているし、何度も友人とお参りへ行ってはしゃいでしまう。
そうやって繰り返してきたから、やっぱりちょっと特別に感じてしまう真っ白な始まりの睦月。
お正月って、なんかいいよね。

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