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「話を聞け」と言いたいときに、独り思考する

最終的に人は感情で動くのだと、そう思う。いくら論理を並べ立てたところで、やりたくないことは依然としてやりたくないことのままで、やりたいこともまたやりたいことのままなのだ。感情というか、そういう目に見えない気持ちとか心とか、そんなものが人を行動へと駆り立てる。

正しいか正しくないかはどうだっていいことだ。結局はそう思っているのだ。自らの信念に基づく正義を、貫きたいと望むか、あるいは望まないのか。その奥にある感情が、行動する勇気とか、あるいは恐怖だとか臆病さだとか、そんな強さや弱さになる。

興味ないことを一方的に押し付けられたところで、それを好きになるわけでもない。訴えるのはやはり心に訴えるべきで、それによって人は動くのだ。もちろん言うまでもなく、何に感動するかというのは、人によってまるで違ったりするし、共通項がかなり多い人もまた、それなりにいたりする。

話を聞いてもらいたいのなら、まずその人の目線に合わせて立つべきだ。彼らの興味関心をよく知ろうとすることから始めるべきだ。相手のことを知りたくないと思っていれば、また相手もそう思うものだ。耳を傾けてほしいのであれば、まず自分が耳を傾けるべきなのだ。

昔から言われているように、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ」という原則は、まあ考えてみれば至極当たり前のことなのだ。ただ厄介なのは、どのようにしてそれを適用するべきかというところだろう。「人々にもその通りにする」というのは、単純な行為だけに適用するのだろうか。もっと深い感情まで考慮するべきではないだろうか。

だからこそ相手の目線に立って、自分が取るべき行動を考える必要がある。思いやりが重要となる。迷惑行為とは思いやりの欠如に他ならない。それは自己中心的で独善的な性格を持つものだ。

一生懸命しゃべっても誰一人聞いてくれない。きっとそれは努力の方向が間違っているからだ。人は聞きたいことは聞こうとするが、聞きたくないことは聞こうとしない。そうすると、自分が言いたいことと相手が聞きたいことの不一致が生じる。「話を聞け」と訴えても、大抵の人は耳を貸そうとしない。

だとしたら、相手の関心の幅を広げるか、自分の話したいことを相手に合わせるか、もしくは、複合的に、相手の興味を引きつつ、自分の伝えたいことまでうまく話を持っていくか。それぐらいしか方法はない。

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