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なんの足しになるのかわからないけど、「自分とやら」を書いてみる。

noteを始めようと思った。
考えるのが趣味で想いは日々溜まっていく。
だから匿名な感じでブログをやってみた。アフィリエイトとかやっちゃって。
でもあまり継続性がなかった。

なんかそういうことではないのだなあ、と思う。


もともと臆病な性格なので、今背負っている物事を考えると自分のことを知っている人にSNSで発信していくくらいがベストだろうと考えてみる。

でも、なんか息苦しい。
それでも書きたいことが書けないのだ。

しかし、自分の生きてきたこととか今やってることとか書いておけば
きっといつか誰かの何かの役に立つことがあるんじゃないかと思ったりする。
ただ単純に「こいつアホだな」とクスリと笑ってくれるだけでもいい。


そんな感じで自分のことをある程度出した状態で、自由に書いていこうと思います。

自己紹介文を書きましたか?ということなので。

書いていきます。

1979年生まれる。今年40になる。信じられない。
若いつもりだが、確実に心身の衰えを感じる。

2歳の時に脱腸(ヘルニア)の手術を受ける。
ご褒美はパーマンセットでパーマンが来ると思っていたが
パー子がやってきた。あの赤いヘルメット。
でも言えなかった。

3歳からヴァイオリンを始める。
恩師は昨年ご逝去されたが、プロのヴァイオリン弾きを何人も生み出した。
そこで音楽的感性や絶対音感を貰う。

幼稚園はいかず、母親たちの集まりの自主保育で幼少期を過ごす。
母親といた時間が長かったので、マザコンっぷりも培われた。

小学校に入りまたしても赤いランドセルが嫌。
ここで男女に分けれれる苦悩が始まる。
そして7歳の七五三。
姉も着ていた紫の着物が本当に嫌だった。でも嫌だとは言えない。言ったら親を困らせるんじゃないかという気持ちが優先する。
そんな想いがあっても、カメラ向けられて笑えるほど7歳は出来あがっていない。
笑うどころか仏頂面の写真がアルバムに収まってる。いまだにそのページは開くことはない。 

中学~大学まで陸上競技中長距離にドはまりする。
専門は800m~1500m。
この時代のことはいずれ細かく書いていくと思う。

大学時代までそんなだったから卒業時就職しておらず、やりたいことも見つからないから親から勧められていた市役所を受ける。
市役所に入るまでの数か月はスターバックスでバイトをする。
ここでブラックコーヒーが飲めるようになり、以降毎朝自分のためにコーヒーを淹れるようになる。

当時役所ではくそダサい制服があり、入るのを真剣に悩むが時代的な流れもあって制服は程なく廃止。ほっとする。
配属先はスポーツ関係や自然体験の関係部署だったのでほぼジャージ。
しかし前例踏襲当たり前、出る杭は打たれる、威圧的なくせに惰性に甘んじる雰囲気にどんどん苦しくなってくる。
「いつか辞めるだろう」と入った当初から思っていた。

24か5歳くらいから恋人と同棲。しかしお互い精神破綻。
27歳くらいに実家に戻り静養。そして自分の乗りたい車を買ったり、やりたかったことを片っ端から始める。ヴァイオリン復活し今も続けている。
仕事と生き方の自分探しもそのあたりから始まる。

色々苦悶しもがくが、縁あって一人の焙煎士(ロースター)に出会う。
研修をお願いし、修得。その後独立開業を目指し修行をさせてもらう。

32歳のとき師匠が焙煎できなくなり「継いでくれないか」と依頼される。
安定した職場を捨てるわけだから、当然親の大反対を受ける。
なんとか説得し、2012年9月、「株式会社 パイオニアコーヒー工房」設立。ひとり代表取締役。

飲食店や会社向けの卸専門。1年ひとりでやるが、電話で受注→出荷というほぼ人に会わない・話さない日々の孤独。
加えて「コーヒーを直接手渡ししたい」という想いが強く、移転を決意。

良きパートナーであるtomoを迎え入れ、神奈川県厚木市七沢に移転。
喫茶と小売りをスタート。苦悩にまみれ現在に至る。

かなり端折ったけどこんな感じ。
バーっと書いたこの中に、たくさんの想いが詰まっている。

これから日々思うことと共に書いていこうと思います。

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