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”一生居なければならない場所”なんてないから

私の住む市でも、ついにコロナさんの警戒レベルが4に引き上げられた。

少子高齢化県に住んでいることもあって、全国的には感染者数が3番目に少ない。ただ、周りの東北の県はどこも総感染者数が4桁だ。

繁華街、介護施設、ついに保育園でもクラスターが発生したということもきいて、、、、、、

絶対に油断できない状況だ。



私は、それとは全然関係なく、先日のサポステの帰りに”2ℓの飲み物を抱えて坂道を走る”という慣れないことをしたツケがまだ残っていて、背中や首筋の筋肉痛に毎日バンテリンを縫って過ごしている。情けないことに、毎日体が痛くて痛くて。そのせいで、毎日頭痛もして、もうぼろぼろだ。


その全身の痛みが、ただの筋肉痛ならいいが、もしかして、ということもある、、、、、、

と、今朝、なんとなく思って、本当に、何の気なしに、体温計で、熱を測ってみた。



もともと、私は思い立ったら熱を測りたくなる癖がある人間。

それが、なんか、母にとっては、許せない、気に障ることのようだ。


私が、心配してほしいからやっていると思っているのだろうか。

私は昔から体調を崩しやすい子(大人になっても)だったので、ざわつくのもあるのかもしれない。

無駄に、体温を測るときの私のことが、嫌みたいだ。




おでこで測るタイプの体温計。

これは、一瞬で測れるものの、予測での判断なので、正確さに欠ける。


今朝、測ってみたら、微熱だった。


あれ?と思って。



たまたまそこに母がやってきたので、その旨を伝えたら、



「、、、、、、熱があったら、どうするつもりなの?」



、、、、、、と、完全に怒っている。



「食欲あるでしょ?味もするでしょ?じゃあ、なんで測ったの?」




、、、、、、ここは地方で、コロナ差別が起こりうる。

都会のように感染者が膨大にいるわけでないので、余計に。




「何もないなら、熱なんて測るな」




、、、、、、我が家では、熱を測ってはいけないそうだ。







、、、、、、、、、え。




どんな掟だよ。



この時期だからこそ、毎日測るということも大事だし、これがもし、本当に今後の掟になるのなら、、、、、、


おかしくないか?





ちょっと、考えてみた。





私は、34年間、タイミングを逃し続け実家から出たことがない。

今は、鬱病無職でもう貯金も底が見えているので、この家で養ってもらわなければ、生きていけない状況だ。

だから、どうしても、この家にいないといけない。

家族間で、何が起こっても。


ただ、治療にもう9年もかかっている。

この歳で、親に養われる情けなさ。


この家から出ない限り、私の病気が治らないのでは、と思うことも多かった。

そして、母も、私が大ダメージを受けて鬱病になる前から心療内科に通っているので、私が治療を長引かせているのではないか、とも思うこともある。





生活の中で、自然と、

”家族に縛られている”

”親の言うことに縛られている”

という、考えになってしまうことがある。


そして、病気が治らないことも、そのせいにしてしまいたくなる。


でも、反抗していては、この家にいられなくなる。

だから、我慢。


苦しい。


鬱症状が増す。




いや、

これじゃ、治らない。




この、考え方じゃ、治らないのだ。






体温計の件のあと、ふと思った。




ここは、一生自分が居なければならない場所ではない。





私は、自立がしたい。

いずれ上京したいとも思っている。

「34で、いつか上京?」

なんて誰にも言わせない。

何も遅いことはない。もはや、今の私にとって。


私が自立できるくらい回復することは、家族も願っていることだと思っている。





どの家庭にだって、その家のルールや、文化がある。

よく考えたら、自分の家の世界がすべてではない。

はたから見たら、我が家のルールや価値観なんておかしいと思われるだろうし、もし私がほかの家庭の様子を覗き見ることができたとしても、驚きの連続だろうと思う。

”これやってもいいんだ!”

と思うことも、

”え、これは許せない”

と思うことも、両方あるだろう。




学校だって、部活だって、職場だって、どこもそう。

それぞれの場所の中で、ルールや文化がある。それに従いながら、集団の中で生きてゆく。いい慣習、悪い慣習、それぞれあるけれど、それがどうしても肌に合わなければ、今は特に

「辞めてもいい」「逃げてもいい」

と、心を守ることを最優先にする考え方が浸透しつつある。

”転職”のサービスも増えたように思う。


同じ場所に長くいることが大事、という時代ではなくなってきている。


(もちろん、その場所が肌に合っていれば同じ場所でも十分、継続できるひとは本当にすごいと思う、という前提で話したい。)






よく考えたら、家だってそうじゃないかな?


、、、、、、、と、今更気づいた。




いずれ、私はここを出ていく。


今、養ってもらっている間だけは、この家のルールで生きていく。

どの集団にも、決まりごとがないとうまくいかない。

家族のことを集団とは、言いたくないけれど。



ただ、

今だけ。


今だけは、ここの過ごし方に従って生きる。



今だけでいいんだ。

一生は続かない。



少しの辛抱だ。



体温計のことだけでなく、あらゆる、自分の中の不満。

今だけのこと、と思えば、心に溜めずに過ごせるかもしれない。





それに気づいたとき、すこし、光が見えた気がした。






先日、母の母親が亡くなったが、

最近、無事に財産その他のことも話が落ち着いて。


複雑な環境で過ごしてきて苦労した母は、最近、


「なんだか、すごく軽くなったの」


と話している。




母もまた、母親に縛られた気持ちで、ずっと生きてきたのだ。



「帰る実家がなくなった」、と、寂しい気持ちになっているときもあるが、ある意味、きつかった祖母や、実家に関する”縛り”はなくなったようだ。






一生続く苦しみはない、きっと。



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背中合わせの自由

「さびた鎖に最初からつながれてなんて

なかったんだよ」

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DIVE TO BLUE /L'Arc-en-Ciel

words by hyde

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だいすきな、あの曲が聞こえてくる感じがする。




考え方ひとつだったんだ。




自分は病気を治せる、自立できる、って、

もう少し、信じてあげられたら、

今だけの我慢だ、一生は続かないって思って、その日まで少し前向きに、乗り切れるかな。





一生いなければならない場所なんてない。

今の私は、たまたま動けないだけ。

きっと、ここから放たれる、自分を解放できるときがくる。

まずは、信じよう。






久々に、少し前向きな記事が書けた。





昼食も食べられたし、食欲が衰えない限り、私の体調は大丈夫。



でも、気をつけよう。





こんな記事だけど、同じような悩みをもっているひとが、少しでも未来に光を感じられるようになりますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。