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明るい時代もどん底時代も、全部ひっくるめて自分―河本さんと石田さんに学ぶ—

とある日。

再生した動画に、気がついたら惹き込まれていた。




『河本じゅんちゃんねる』、次長課長河本準一さんのチャンネルだ。

それに、NON STYLE石田さんが出演していたのだ。


私は、『カジサックの部屋』というチャンネルがきっかけでおふたりの人柄を知り、どちらも本当にやさしいひとなのだなと感じていた。そして、河本さんの社交的な性格、石田さんの人見知りで繊細な性格も知っていた。


この2人の対談、そして、

”生きててくれて本当によかった”

、、、、、、というサムネイルの言葉。


石田さんが、過去に精神を病んだ経験があることは知っていたけれど、どのようにしてそうなっていったのかなど、詳細は聞いたことがなかった。

何より、このふたりなら絶対にやさしい話になることは間違いないと思ったので、再生してみた。




ともに、吉本の劇場でしのぎを削ってきた芸人さん。

NON STYLEは、吉本の養成所(NSC)には通わなかったが、路上で漫才をしていて人気になり、のちに吉本の劇場オーディションを受け続け勝ち上がり、事務所入りをした。この辺りは動画で詳しく話しているので観てほしい。



私はまだ芸人さんのLIVEに行ったことがないのだが、吉本の劇場での通常のLIVEでは、ネタ披露のコーナーのほかに、出演芸人みんなでトークやゲームをするコーナーがあるらしい。


今やよく知られているが、石田さんは、ネタや脚本を書いたり、つくったりすることがすきな職人タイプのひとだ。


劇場デビューしたころ、それまでネタのLIVEしかみたことがなかった石田さんは、初めて、”おもしろいひと”がたくさん集まり”トーク”が飛び交う、舞台の上にあがる。

その舞台には、フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアルという、のちにM-1で優勝することになる実力者や、麒麟、レイザーラモンなど、今も第一線で活躍するコンビばかり。そして、それは2軍メンバーだったというから、大変なことだ。

その中でのトークコーナーでは、ただただ、速い球が見えない状態で、周りの面白さを見ているだけだった、当時の石田さん。

前に出られない、でも、ボケという立場上、ツッコミである相方の井上さんが「石田も○○の話あるんですよ」とふってきたタイミングで何か話さなければいけない、、、、、、

実力者の話を聞いているだけでなく、NON STYLEとして前に出ていかなければいけないこと。井上さんがツッコミという立場上、自分が主導で話を進めるのではなく石田さんがエピソードを話さなければいけないために、石田さんに話をふっているということ。

今考えたら理解できるけれど、その時の石田さんはもう、そのトークコーナーの雰囲気に、どんどん心が疲弊していったという。


すきな漫才で認められれば認められるほど、苦手な仕事が増えていく状況。


漫才で笑わせられる芸人なら、日常のおもしろいエピソードをもっていて当たり前、という見方をされるが、石田さんのような根っこがポジティブでない、内気で孤独な学生時代を送ってきたような”真下を向いて歩いていた”ひとにとっては、これまでの人生の中での面白いエピソードが出てこないのだ。

漫才で売れてくると、トークコーナーはつきものだったらしい。漫才はたのしいのに、その後に必ずトークコーナー、ゲームコーナーが待っている。物ボケ、一発ギャグ。今まで、友達とキャッキャして遊ぶダイプではなかった石田さんには、何も分からない。


心身共に、どんどん、疲弊していく石田さん。

漫才やコンビ間、お客さんとの関係どうこうでなく、自分の人生の中に、人前で話せるようなおもしろいエピソードがないことに対するコンプレックス。これまでの人生は、変えることができない。どうしようもない。


そんな状況で舞台に立ち続けた石田さんは、ついに、

そのトークコーナー中に、意識を失ってしまったという。


眠っていたのとは違う。目は開いていて、MCの方と目が合ったまま、記憶だけがとんでいた。気付いたら、

「おい、石田?、、、、、、石田?」

と、MCの方に言われている状況で、気がついたそう。

もちろん、共演芸人さんや、お客さんも、それを見ている状況だった。ショーが続いている中での出来事。


さすがに危険を感じて、これがきっかけで通院したそうだ。


その前からも、精神的ストレスの兆候はあったそう。

家から電車で6駅ある劇場まで、一駅ずつ降りないとたどり着けなかったり、原付バイクに乗っているときに、ぶつかりやすそうなガードレールにぶつかりに行っていた、など、、、、、、

原付の件に関しては、当時”死にたい”と思っていた自覚はなく、無意識に行っていた行動で、「またコケてもうた、、、」という感じだったと石田さんは言う。

電車に乗っていられないという症状は、他にも多くの芸人さんが経験したことがあるようで、パニックになっている、過呼吸になっている状態ではないかと、河本さんは話していた。



河本さんが、当時の石田さんをみて危険を感じたエピソード。


河本さんが、石田さんに「ジュース買ってきて」と頼んだら、

しばらくして、ポケットの中に、たくさんの石や砂、葉っぱなどを集めて帰ってきて、、、、、、

石田さんは、泣きながら、

「これ何ですか、、、?」

、、、、、、と、河本さんに見せてきたという。


石田さん自身は、そのことが記憶にないようだった。


石田さんが、どこで、何をしているのか分からない危険な状況になったので、河本さんをはじめ劇場のメンバー内では、

”石ちゃんをひとりにするなよ”作戦 を立てたそう。

石田さんがどこかへ出かけようとしたとき必ず誰かがついているようにしたり、ちょっとでも姿が見えなくなったら「石田どこいったー!」と探したり、、、、、、

河本さん曰く、当時の石田さんは、歩いているときも、目が全く焦点が合っていない状態。


当時、石田さんは病院で出された薬をたくさん飲んでいて、今が夢か現実か分からないような状況だったという。

朝起きたら、部屋に何故か大量のタイタニックがレンタルしてあったりと、もう、記憶がないうちに分からない行動をしていることが続いたという。




そんな石田さんが、その状況から、どうやって復活してここまでこれたのか。

2008年、M-1グランプリでNON STYLEは優勝している。

極限状態になってからも芸人の仕事を続け、こんなところまで這い上がってこれたのは、どうしてか。




きっかけは、ブラックマヨネーズの吉田さんと話したことだったという。

吉田さんとのつながりは、なんとなく聞いたことがあったが、詳しく聞いたのはこの動画が初めてだった。



baseよしもとという劇場で、NON STYLEや次長課長ともしのぎを削ったブラックマヨネーズは、2005年のM-1グランプリで優勝した。

優勝後、吉田さんは心の不調を感じ始め、石田さんに「話が聞きたい」と連絡をしてきたそう。



吉田「TVの仕事が一気に増えたけど、ひな壇で手がしびれてくるのよ」

石田「ああ、それは軽度の過呼吸です、知らない間に軽度の過呼吸になっていると思われます」


、、、、、、また、

吉田「ベランダに行くと吸い込まれそうやねん。絶対死にたくない、死にたくないんやけど、吸い込まれそう」

石田「あーわかります、うちも、鳩こないのに鳩よけ用のネット張ってます」


、、、、、、といった具合に、石田さんは、全てのことに答えられた。

吉田さんのそのときの症状は全て、石田さんが病んでいたときに経験のある症状だったのだ。


先輩である吉田さんからの相談が続いて、ふと、石田さんは思った。




吉田さんみたいな、面白くて、才能もあるスペシャリストが、こうなっている。

、、、、、、俺、なって当たり前やん。




こう、思えた瞬間に、石田さんの中で気持ちが大きく変わったそうだ。



その後、病院の先生との話で、そのように思えたという話をしたところ、


先生「そうですよ、石田さん。よく考えてみてください。石田さんは、小中高、どのように過ごしてきましたか?」

石田「目立たずにすごしてきました」

先生「あそこ(ステージ)に立っているだけで、すごいと思いませんか?石田さんは、石田さんにそんなに期待をしなくていいんです」


そのときに、石田さんの心がす―――――っとなったそうだ。



また、通院後、先生にこう言われた、と吉田さんに伝えたところ、


吉田「じゃあ、もう一個言わしてもらうけど、トークで、石田は面白いことを言おうとし過ぎている。石田は面白い人間なんだから、言った発言は面白い。これが、多分正解。俺、石田のいちばんすきなエピソード教えたろか?」

、、、、、、と言って、吉田さんが話したのが。

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ロト6を買っていて、翌日の新聞の朝刊で結果を見ていた。毎朝、朝刊がポストに入る音で目が覚めていたのが、最近は、ポストに入る直前の気配で起きられるようになった。

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という、あるときの石田さんのエピソード。何でもない日常の話を、石田さん自体は、一回も面白いと思ったことがないのにな、わからんなーと話している。

でも、それを言われてから、トークコーナーが楽になったそうだ。



「飾らない、普段の石田の血の通った話だから、絵が浮かぶ。そういう話は面白いんだ」

と、河本さんも話している。


気張らずに、日常の中で感じた普通のことを話すことが強みなんだ、ということを知るだけで、こんなにも肩の荷が下りる。



よかった。石田さんがそれに気づけて。

気付かせてくれる出会いがあって。

守ってくれる、先輩、仲間がいて。

分かり合える、相談し合えるひとがいて。




、、、、、、、、命なんて、儚いから。





私も、心を病んで、しかも治療継続して9年目の身。


心を病んでいることにも気付かず、眩暈で動けなくなるまで働き続けた。

鬱病と診断がおりたのが、2012年秋の終わり。

その年の春から、耳が塞がるような耳鳴りはあったが、ひどくなっていくことより自分は今の状況を乗り越えなければ、と、自分の心が出す指令を無視した。

夏に倒れた。

それでもまだ、辞めるなんてことは頭もなかった。

完全に狂っていた。

耳が、脈打つごとに塞がって開いて、万全に機能していない状態で、春からずっと車を運転していた。

職場に到着したら眩暈で動けなくなった日があり、即早退、運転してそのまま帰ったりした。でも、職場を離れてゆく帰りは、全く身体に支障なく運転ができたのだ。


、、、、、、何か間違えたら大変なことになっていた。




誰にでも、起こりうること。



河本さんも、売れない暗黒の時代を経験した。当時、5Bくらいの鉛筆で描かれたぐるぐるまきの絵、一人の男が真っ暗な果てしない道を歩いている絵などをノートに描いていて、FUJIWARAのふたりがそのノートを見つけたとき「そっと閉じた」、と話していたそう。



河本さんのような、人づきあいがすきな”陽”のひとでも、そういう闇を経験する。

内気だったり、ネガティブな”陰”の性格のひとだけが心を病むわけではないのだ。




劇場で闘っていた先輩たちがM-1で結果を次々残していき、もまれながら、ついにNON STYLEも2008年に優勝を果たす。

それも踏まえて、

河本さんはこう話している。




これが、石田明。

これ、全部ひっくるめて石田明という男なんです。

今があるのはこれ(病んでいた時期)があったから、というのも、俺の中では思っていて。

ギリギリの石ちゃんも見てる。

今のたのしい石ちゃんも見てる。

これ全部、石田明という男だから。



「よく結婚したな、と思ったよ」と、笑いも交えて話す河本さんだったが、



私的に、これが自分にも刺さって。




鬱病になってからの私は、

”どれが、何が、本来の自分の姿なんだろう?”

と、度々考えてしまう。


たとえば。


鬱病になる前は、何かを”言えなくて”後悔したことはあるけど、”言ってしまって”後悔したことがなかった。言葉を相手に発するときに、すごく考えないといけないタイプだったから。周りの反応を心配しすぎて、自分の意見を言えないことがほとんど。その分、考えて、絞り出して発した言葉には、後悔はなかった。

でも、今、感情のコントロールが難しくて、いろんなひと(ほぼ家族)に”言ってしまった”後悔をして、それに対しまた過剰に落ち込む、という自分と向き合っている。


本当は、自分の意見をバンバン言える自我を出せる人間だったのか?

それとも、コントロールできない今の自分がおかしいだけなのか?

もしかして、自分が思うより今までに傷つけてきたひとは多かったのか?


、、、、、、とか、いろんなことを考える。


定期的に仕事も探しているし、やりたいことを探す中で、自分は本当はどんな人間なのか考えるが、何せ今は、どうしたって病気の影響を受けているので、分からない。



でも、河本さんの言うように、


全部、ひっくるめて、自分なのかもしれない。



気にしいな性格、そのわりに我が強いところは、病気なんて関係なく、もともとの自分だということは強く感じる。

自我が強いのにそれを出せない、肝心なことを言えない。

自分がやらなければいけないという変なプライドをかたくなに守る。


こんなんだからメンタルも体も爆発したんだし、病気になったって根本的な性格なんか変わらない。




石田さんが先輩の状況を見て、

”自分がこうなったっておかしくないんだ”

と思えたように、少し見方が変わったり、考え方が変わるきっかけがあれば、たとえそのときの自分がどんな状態でも、

”このままの自分でいいんだ”

と思って生きてゆける。


”自分”って、案外、自分が思うより何も変わってないのかも。



どんな自分も、自分。



サポステでカウンセリングを受けたとき、「ユーモアがある」「明るい」「行動力がある」とか、自分の思っていなかった面をカウンセラーさんに見つけてもらったけれど、実際、近しい友人とか、家族には分かっていたのかもしれない。


、、、、、、だって、私は、ひとに相談してこなかったから。

ひとが自分をどうみているかなんて、聞くこともなかったかも。



どんな状況でも、自分のままで生きていくしかないんだから、このままの自分を、もっと出していってあげなきゃいけないよ。



自己肯定感が人一倍低いので本当に、自分を肯定する、すきになるといったたぐいのことが難しいけれど、

石田さんのように、気付けるきっかけなんて、自分にもきっといっぱいあって、見逃していた、スルーしてきた、気付いてもどこかで否定してきたかもしれない。



ゆっくり、自分を受け入れてあげよう。



9年かかってもまだ、ゆっくりとか言って、もう、こんな自分が、早くも嫌になっているけれど。



立ち直れる。


どん底から這い上がってきた。

そういうひとを、たくさん知っている。

そういう有名人の方を見ると、希望を感じるんだ。




今日は、バスに乗ってサポステに行って、PCの練習してこれた。

そして、なかなか仕上げられなかったこの記事が、今、ようやく書き終えられそうだ。



明日の自分は、何ができるだろうか。



きっと、石田さんにとっての河本さんのように、私を見捨てずに、見守ってくれているひとがいる。

そして、石田さんにとっての吉田さんのように、私も、力を与えられたり、力をもらったりできる、そんなひとにも出会える。

自分のこの経験は、きっと誰かの力にできる、無駄にしない。





笑って、ひとと話せる日がくる。


今はまだ、具合がよくない時期になると、昔の仕事に関する夢を見たりする。



それを上書きできる、未来がくるように、

まずは生きよう。





、、、、、、、、、、長くなっちゃった。




YouTubeを見ていて、人生勉強になる動画に出会えることって、結構ある。


河本さん、石田さん、ありがとう。





今、歯を食いしばっているひとの未来に、笑顔がありますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。