【長編小説】配信、ヤめる。【デモ版】

#1  プロローグ
 銃声が鳴り響く。二発だ。近くの車の影に逃げ込む。
 ——カン、カカカ、カン。
 隠れたは良いが、敵の乱射に身動きが取れない。車体ごと俺を殺そうとしてる。緊張状態に陥った。で、思考は停止した。
 銃声がもはやBGMにしか聞こえない。左右をキョロキョロと見回していると、仲間が隣に駆けつけた。gus6とい名前だ。
「バブルさん、ここは攻めましょう。GOGO!」
 バブルとは俺のことだ。状況で攻めるなんて考えられない。
「ちょ、ちょっと待ってください、無理です、ムリムリ!」
「バブルさん、声裏返ってますよ。早く援護してください」
 俺の意見は虚しく無視され、gus6は既に車の影から飛び出している。
 あー、もう! ここで待つよりは二人で行った方がまだマシか。
 意を決し飛び出す。が、一瞬の判断の遅さでダメだった。
「バブルさん、俺、死んだ」
 gus6の声が聞こえた直後、俺の視界も真っ赤に染まった。

 プレイしてたのは今人気のFPSだ。試合の結果は負け。時間を確認すると、午前二時になっていた。もうど深夜だけど、対戦相手には全く困らない。
 gus6が通話してくる。
「もう一戦行きます?」
「いや、今日はもう辞めときます。お疲れっす」
「お疲れっす」
 俺はゲームを辞め、ヘッドホンを外した。
 残ってたエナジードリンクを飲み干す。お湯かと思った。七月ってこんなに暑かったっけ。

 翌日、寝不足のまま職場に向かう。
 軽い挨拶をして持ち場に着いた。責任もなく、賃金も低い。流れる時間を換金しているイメージ。
 目の前で流れる容器に指定の食材を指定の量乗せていく。見栄えの悪いものは省く。
「ほら、よそ見するなよ」
 隣で先輩が言いながら具材が抜けている商品を省いていた。
 先輩はこうして省いた商品を必ず昼に食べる。本来禁止されている行為だが、誰も指摘する人はいなかった。
「大島ってさ、何が楽しくて生活してるのさ」
 先輩はいつも同じようなことを聞いてくる。
「食べて寝るのが楽しいですかね」
 となれた嘘をつく。俺は俺の世界に人が入ってこないように壁を張る。

 では、先輩は何かが楽しくて生活してるんですね?
 正直、楽しそうには見えません。
 だってネットで見たニュースの話ばっかしてますよ。
 帰りの電車の中、脳内の先輩を責める。ほとんど自動的に行われる思考活動だった。
 その日が終わる時間になるにつれて、昼間の出来事を再構築する。それが癖になっていた。多分、自己防衛なんだと思う。その場で言い返せなかった分、空想の世界で勝つ。
 空想の世界は、俺が認識する現実の世界とほとんど同じくらいの広さを持っていた。俺が王の世界だ。
 色々なことが一般的な認識とズレている。だけど、自由だ。そして何より良いのが、誰も傷つけないことだった。

 中学生の時にとても仲の良い女の子がいた。当時は家も近くて、予定を立てなくても頻繁に会うことが多かった。
 彼女に、俺の世界のことを話したことがあった。
「それさ、何か表現した方がいいよ」
 彼女に言われてからその気になって、漫画を描いたことがあった。だけど、描けなかった。何故だか分からない。頭の中には表現したい世界があるのに、いざ描き出そうとすると、細かい部分の辻褄が合わなくなってしまう。現実のつまらない物理の法則のせいだと思った。。
 彼女は今、海外で絵を描いているらしい。彼女は、彼女の世界をうまく表現した。

 アパートの小さな部屋に帰ってくると、まず小さい赤いLEDを点ける。そうすると、異世界に来れたようで少し落ち着く。
 いつもと同じルーティンを済ましてから、すぐにパソコンを開いた。いつものように他のメンバーはログイン済み。
 早速、ボイスチャットでgus6に呼ばれる。
「お! バブルさんのお出ましだ」
「こんばんわー」
 俺も返事をする。
 チャットで他のメンバーも迎えてくれる。
ある晴れた日[こんちゃ]
 アカウント名が長いから、彼のことはアルハレと呼んでいる。


 今プレイしてるのはFPSのバトルロワイヤルゲームだ。俺は仕事を辞めてからは、辛い現実を見ないようにこのゲームにのめり込んでいる。
 一人称視点で銃を使いながら他のプレイヤーを倒し、最後の生き残りになるのが目的で気を抜ける瞬間がない。それが将来を考えないのに持ってこいだ。
 それに、今gus6としているみたいに、よく分からない人と気の使わない会話ができるのも良い。礼儀とか、お世辞とか、そういうことを考えなくて済むのは本当に楽だ。
「ところでバブさんって、動画とか上げてますよね?」
「……え!? あれ? 気づいちゃいました?」
 gus6が言ってるのは、承認欲求を満たすために上げたゲームプレイ動画のことだろう。
 自分でも驚くほど拡散された。アカウント名は動画の時そのままだから、気づく人は気がつくんだな。
「ですよね。あの動画、くそ面白かったっすよ」
「これからも見ててくださいよ。俺はあれくらいじゃ終わりませんからね。フッフッフ」
 まあ、これくらいのことは予想できていたことだが。俺が仕事を辞めることが出来たのも、己に動画の才能があると見込んでいたからだ。眠っていた才能に自分でもビビっちゃう。
「バブさん、まじでそう思いますよ。ちなみにどこ住みっすか?」
 急にプライバシーな質問だ。ネットリテラシーってやつを知らないのかこいつは。
 しかし、待てよ。これはチャンスなのかもしれない。
 今のゲームプレイで分かったが、gus6はゲームが上手い。ここで仲良くならないのは悪手にも程がある。俺はプレイヤーでありながら戦略家でもあるわけだ。
「まずは自分から名乗るのが筋じゃないですかね」
「いいんすか? そしたら個人チャットの方で送りますよ。ほい」
 随分と軽く教えてくれるもんだ。個人チャットを開く。gus6のやつ結構近場に住んでるじゃんか。世間は狭いな。俺も打ち込もうとするが、しかし躊躇する。
「もしあれだったら、別に教えなくても大丈夫っすよ。実は俺、もうそろ引っ越すんで住所のハードル低いんっすよ」
 ずるい! 危うく騙されるところだった。でも、俺もここに永遠に住むわけじゃないし、教えても問題ないのでは。でも、ここ安いから変に引っ越しになっても困るか。
「そうなんすかー。だったら、しょうがないっすね」
 適当に相槌。
「バブさんなにがしょうがないんすか〜。てか、どっか遊びに行きません? 俺どこでもいいっすよ?」
 最近はこんなふうに実際に会うのが普通なのか?
 高校を卒業してすぐに社会人になった俺は、すでにこんなにも時代に取り残されていたのか。衝撃だ。
 てか、俺ってもう二十三歳か。こんな年齢の男がネットで会った人と実際に会うって、常識的にどうなのよ?
「ところで、gus6さんはいくつなんですか?」
「二十四っす」
「年上じゃないっすか!」
「年下! まあ、同い年みたいなもんっしょ!」
 ふーん、随分優しいじゃん。会社の先輩とは全然違うな。
 エナジードリンクを飲み干した。
 うん。やめよう。いくらゲームがうまい人だからって会う意味なんてないさ。俺は俺のやり方で有名になる。それでいいんだ。
「まあ、gus6さん。機会があったら遊びにいきましょう」
「あれ? いかない流れ?」
「また今度にしましょう」
「そうか。分かった。んじゃ、またよろしくなー」
 ゲームを閉じた。ヘッドセットを外す。
 空になったエナジードリンクの缶を捨てに行く。部屋がいつも以上に殺風景に見えた。
 仕事をやめてから既に二週間経っている。すでに七月の半ば。ジリジリと減っていく貯金のせいでエアコンをつける余裕もない。今は、ギリいけてる。あと一週間もすれば耐えられなくなる。
 いや、違う違う。一週間もあればネットで有名になっているさ。
 でも、どうやって? 動画は仕事をやめた勢いで三本撮った。でもそれは二週間以上も前の話だ。
 結局、俺は何をできるんだろう。
 途端に、さっきのgus6の誘いを断ったのが惜しくなってくる。すっぱいぶどうだ。なにか、とんでもない誘いを断ってしまったんじゃないか。ネットで有名になりたいのなら、あれくらい誘いには乗れないとダメなんじゃないか。
 空き缶が山積みになったゴミ袋を閉め、またゲームを点けた。
[gus6さんへ。やっぱ遊びにいきましょう。最寄り駅まで行きますよ]
 五分の時間をかけた文面だ。がgus6からの返信は早い。
[おk]
 拍子抜けするほどあっけない。
 その後何度かやりとりをして、待ち合わせは明日になった。
 けど、俺はワクワクしていた。何かが動き出すようなそんな気分だ。
 
#2  配信準備中
 駅を出てすぐ近くのコーヒーチェーン店で甘ったるいコーヒーを飲む。窓の向こうではスーツ姿の社会人が大股で歩く。平日の九時半。gus6との待ち合わせまで一時間半もあるなんて、俺にしては来るのが早すぎた。
 暇だ。スマホを弄りながら店内を見渡す。なんだか緊張する。実はこういうお店には一人で入ったことがない。
 半分以上は女性だ。これは時間の問題かもしれないが。次に多いのはスーツを着た人たちだが、外を歩く人に比べると少し余裕があるように見える。
 のこりは、俺のようにどこから収入を得てるのか分からないニートのような男だ。浮いている。でも、一番浮いているのはこの俺だ。オレンジ色のヘッドフォンを付けてるんだ。当然目立つだろう。けど大丈夫。俺は自分が浮いていると気がついてるから、まだ大丈夫だ。
 一時間もすると客はほとんど入れ替わった。残っているのは活発そうなニートとパソコンを開いた社会人くらいになっている。
 活発そうなニートと目が合う。
「あっ」
 思わず声が出た。やばい。なんかじろじろ見てくる。
 すぐさまスマホに視線を移した。ヘッドホンの音量をデカくしてなんとか危機を脱するんだ。
 ピコん!
 音をデカくしたせいでやけにデカい通知音が鳴る。条件反射的に体がビクついた。
[バブさん、もしかしてオレンジ色のヘッドフォンつけてます?]
 返事はせずにあたりを見る。窓の外にそれらしき姿は見えない。
 次に店内。振り返るとまた活発なニートと目が合う。
 もしかして……、あいつなのか?
 ピコん!
 また爆音の通知に体が軋む。
[めっちゃこっち見てますよね?]
 絶対あいつだ。活発そうなニートが立ち上がった。
 随分と背の高い男だ。まだ距離はあるのに、既に威圧感がある。
 平然を装い手を振った。向こうはやっぱりと言った様子で手を叩く。物凄い笑顔だ。
 近づいてくる。スローモーションに感じる。やばい。とんでもなく緊張して来た。なんか、近づくにつれて、gus6が今までの人生で関わったことがないタイプの人間だと気がつき、口の中が乾いた。
 まて、第一印象だ。ここであまり下手に出ると絶対にナメられる。
 右手を上げ、ハイタッチを試みる。gus6は躊躇なく手をぶつけて来た。なんだそのノリの良さは。
 てか痛い。ハイタッチってこんな威力でやるもんなのか? 残念ながら今のが初めてのハイタッチだからよくわからない。
「バブさん〜! ずっと居ましたよね。ここ」
「へ、へい」
 すっかり気の抜けた俺にはこの返事が精一杯だった。
「ってかバブさん、こんな目立つのつけてるなら言ってくださいよ」
「あ、ヘッドフォンっすね。はは。ははは」
 結構バブさんって平気で言ってくるな。ここは現実だっていうのに。歯痒い。
「あ、バブさん、隣いいですか?」
「どぞ。ひ、ひい」
「なーに、変な声出してるんすか」
 gus6が隣に座る。スースーする部活的な爽やかな匂いがした。

 gus6の本名は佐藤蛍太という。俺よりもひとつ年上で、なんと俺と同じように働いてないようだった。辞めたのは今年の四月。飲食店を一年やったらしい。
「セクハラになりそうだったから注意したんだよ」
 蛍太さんはそういう。バイトにいた女の子にその先輩がちょっかいを掛けようとしていたらしい。実際、その女の子からも相談を受けていたそうだ。
 だから先輩に注意した。しかし結果は散々なもので、女の子側がそこまでしてもらいたいなんて言ってないと、寝返るような発言をされ、それがきっかけで辞めたのだ。
「全部ばからしくなったんだよ」
「バカっていうかなんていうか、ついてないっすね」
 そんな話を聞いているうちに、いつの間にか蛍太さんの言葉はタメ口になっていた。年上だし、そっちの方が喋りやすそうだったから全然気にもならないが。
「でな、実はバブっちに教えてもらいたいことがあるんだ」
「ふが、へ?」
 頬張ったハンバーガーを無理やりに飲み込む。さすがにコーヒー店に長居するのもあれだなと、ハンバーガーショップに移動をして、朝と昼の間くらいの食事を俺たちは取っていた。
「んっと、で俺になにが聞きたいんすか?」
「動画だよ動画。バブっちの動画がすごい良くてさ」
 その動画は、正直なんでそんなに人気なのか分からなかった。蛍太さんとしていたゲームのプレイ実況をしたのだが、たまたま敵三人を連続で倒せたすごいプレイの動画だ。
 けど、あの動画が人気なのはそれが大きな理由ではなかった。
「敵を倒してるのにさ、まるでやられてるみたいに叫ぶんだもん。めっちゃ笑ったよ」
「ははは、そうなんすね。良かったっす……」
 あまり嬉しくなかった。笑われてるってことに気がついていたけど、こうして直接言われると地味に傷つく。
 でも、あまりに嬉しそうに蛍太さんが語るので水を刺さないよう努める。
「でね、俺も動画撮りたいって思っててさ。ただ俺一人で撮ってもね。バブっちみたいに良いリアクションとかできないからさ。だからどうしようって考えてた矢先、まさか同じ試合をすることになるなんてね。運命だと思ったよ」
 なんだか気分がノッテくる。確かに、これは運命なのかもしれない。やばい。すごいことが起きそうだ。
「運命! 確かに、俺たちの出会いは偉大な一歩で間違い無いっすね」
「ははは。大袈裟な! でもやっぱバブさん面白いわ!」
「あざっす」
 蛍太さんに褒められ、俺は仕事をやめて正解だったと確信できた。
 仕事に関する嫌な出来事はすでに思い出せないくらい昔のことのように感じる。あれもこれも新人の俺ができるはずがないのに、なんでも押し付けてくる先輩や上司たち。
 今に見てろ。みんな俺に言ったいろんな言葉のことで後悔させてやるからな。
 と、気持ちが昂って普段思わないようなことが頭を駆け巡る。
「バブっちは次の動画どうするのか決めてるの?」
「いやあ、今は休憩中っすよ」
 ちと長すぎる休憩ではあるのだが。正直、次に何をするなんてアイデアも特にない。まあ、そのうち振ってくるだろう。
「休憩中ならさ、一緒に青姦、探しに行かない?」
 聞き間違いだよな。今、この人青姦って言った訳ないもんな。
「え、ごめんなさい。ちょっと聞き取れなかったっす。何を探しに行くんですか?」
「青姦。もしかして知らない? 外でさ……」
「いやいやいや、説明しなくて大丈夫っすよ」
 何が面白いのか蛍太さんが笑っている。なんてーか、こんな昼間っから青姦の説明を聞きたくない。
 けど、探しに行きたくないわけではない。そりゃ、好奇心がそそられる。それに、動画ってのは好奇心をそそられるものでなくっちゃいけないからな。
 頭の中でシミュレーションをする。いかんいかん。興奮してしまう。
「よし。そしてらまずは下見に行こう。探しに行こうとは言っても場所は大体分かってんだ」
「もも、もちろんっすね」
 と、見栄を切ったものの、実はかなりビビり散らかしている。

 一寸先は闇。本当に駅なのかと疑いたくなる。いや、昼に下見をしてなければ何か怪しいところに連れてこられたと勘違いしていただろう。
 蛍太さん家の最寄りの駅から一時間半ほど歩くとここの無人駅に着く。見るからに治安の悪そうな放置っぷりだ。まだ二十一時に回らないくらいですでに終電は終わっている。
 改札の前には自動販売機が何台も並んでいるが、小さな光しかない。節電してるのだろう。
「実はここ、幽霊が出るらしいんだ」
「ちょっと、怖いこと言わないでくださいよ。もしくは先に言っといてください」
「し。静かにしてないと、警戒されるぞ」
「ゆ、幽霊に?」
「バカ。カップルにだろ」
 俺と蛍太さん二人でくっついてしゃがんでいる。駅の周りは花壇があり、その影から駅を眺めているのだが、既に居場所がバレそうな感じだ。
 てか、こんなスポットで体を寄せた二人って、なんか怪しく見えるな。
 この時期は夜でも暖かい。ふと空を見上げると、星が綺麗だった。
 ゴン、と音がした。
「なんの音ですかね」
「おそらく、自販機で飲み物を買ったんだろう」
「でも誰か通りました?」
 確かにここから見える販売機は光っていない。
「確か、ホームの方にも自販機はあったはずだな。多分そっちで買ったんだろう」
「うーん」
 そうかもしれないが、でも誰も通ってない。だからホームに人がいるのはおかしいんじゃないか? つまり、もしかして……
「あのさ、蛍太さん。ホームにいるのって人だよね」
「ん? ははは」
「ちゃんと答えてくださいよ……」
 きっと、蛍太さんもひしひしと幽霊の気配を感じ取っているのだろう。だからイマイチな返事なんだ。そう思うと、本当にそんな気がしてきた。確かに、ずっと肌寒い感じがしてたんだよ。俺。この時期の夜は暖かい気もしていたが、昔のことを考えている余裕はない。
 蛍太さんが立ち上がる。そしてゆっくりを改札のほうに向かった。俺には静かにと無言で伝えている。
 行きたくねえ。だけど一人で待ってるのも厳しい。仕方なくついて行く。ああ、こんなに吐きそうなのに、膝は笑ってらぁ……。

 物陰からゆっくりと顔を出すと、そこには灯のついた自販機だけがある。少し前に誰かが居たのは確実だ。いや、人ではないのかもしれないが。
 あたりを見回す。基本的には暗くてよく見えないけど。その時、駅を取り囲む低い柵から、人の影が見えた。
 その姿は、あまりに異質だった。
 ゴシックロリータというのだろうか。とにかくリボンやらフリルがいっぱい付いていて、色は分からないが、白っぽい。あぁ、きっと、生前はメイドさんだったんだろうな。
 意識が遠のき、倒れそうになる。それを蛍太さんに抱きかかえてもらった。
「おい、居たぞ! 女だ。身を潜めるぞ!」
 あまり蛍太さんの言葉が理解できないまま、とりあえずついて行く。足は驚くほど重い。
 気がつけばさっきの花壇の影に舞い戻ってきていた。
 さっきと同じようにしゃがみ込む。
 じっとしていると、また、人の影が見えた。駅のホームから現れる。やはりゴシックロリータのメイド服で、肌は異様なほどに白い。
「あ……」
 表情が笑いっぱなしの蛍太さんに口を押さえられる。だ、だめだ。俺、もう意識が飛んじゃうよ……。
 それでもなんとかその幽霊らしき存在から目を逸らさない。いざとなれば蛍太さんを置いてでも逃げるんだ。
 ——と、思っていたが、それほど俺は強くはなかった。
 メイド服は全力でこちらに向かってきて、足はまともに動かず、ただただ叫び声をあげることしか出来なかった。

#3  興津魅桜の配信
 橋に設置された椅子に三人で座っている。俺と蛍太さんでゴスロリメイド金髪を挟みこんでいる。
 さっきの駅よりは随分明るい。もう結構遅い時間だけど交通量は結構あった。
「なんだ、てっきり二人はカップルなんだと思ったんですよ! すごくない? 男同士。しかも青姦なんて!」
 ゴスロリの女はスマホに向かって話す。画面には[神回][神展開][絶対やらせ]などとコメントが流れていた。
「俺はてっきり積木ちゃんが青姦しにきたんだとばっかり思ってたよ」
 そう。ゴスロリの女を幽霊だと思い込んでたのは俺だけだった。
 俺が叫び声をあげた後、ゴスロリの女は動物の不思議な生態を見たときの感心したような声を出していた。
 積木ちゃんは俺たち二人をゲイカップルが青姦をしにきたと思っていて、蛍太さんは逆に積木ちゃんが青姦をしにきたと思っていた。
 俺だけ幽霊騒ぎをしていたと言うわけだ。
 なんで積木ちゃんがこんなところにいたかは、ここに来るまでの間に、非常に端的な言葉で聞いた。
 配信が盛り上がりそうだから、青姦スポットに来た。ってわけらしい。
 「[その人たち大丈夫か]って、大丈夫でしょ。なんかあればこの配信が証拠になっちゃうもん。その時はみんな通報してね」
 積木ちゃんがコメントを読んで、やけに肝の据わったことを話している。
 ここに来るまでの間、蛍太さんはゴスロリの女がしている生配信に興味が出たようで、積極的に画面の向こうの視聴者たちとコミュニケーションを取っていた。
 俺は、蛍太さんとすらコミュニケーションが取れないほど、精神を疲労しているのに。
 かわいそうな俺は一人話題についていけない。
「なに? [素人がでしゃばるな]てさ、別に、積木ちゃんも別にプロじゃないでしょ?」
 積木ちゃんとはゴスロリ女のアカウント名だ。俺でいうところのバブル。アカウント名は、現実の自分とは違う存在になるための鎧だと俺は思っている。
「うーん。そうだねー。私、みんなとお話しするのが楽しいだけだから、プロとか素人とかないかも」
「ほら、ほらさ、おい、お前ら積木ちゃんもそう言ってるじゃんかよ」
 ちらりと積木ちゃんのスマホ画面を覗き込むと、蛍太さんへの言葉が溢れていた。そのコメントを読むのに気を取られて自分の顔がカメラにバッチリ映り込んだ。
[そういやこいつ全然喋らん]
 とか言うコメントが目に入り、すぐに顔をそらした。蛍太さんと積木ちゃんはそんなコメントに気がつくこともなく、話は止まない。
 なんか、こういうことってよく合った気がする。うん。みんなで喋ってるなか、何気ない言葉で自分一人が傷つくこの感じ。
 顔の筋肉が妙に痛くなってきた。変な力が入ってるのがわかる。けど、どうすることもできない。何が生配信だ。ただ雑談をしてるばっかでなんの生産性も芸術性もないじゃないか。なにも形に残らない。時間を消費するだけの行為。嫌気が差す。
 程なくして、静かになった。どうやら配信を終えたらしい。
「積木ちゃん、すげーな。これってなんだったの?」
「生配信ですよ。あと、ありがとうございました。なんか、おかげさまですごい盛り上がってて。お名前なんて言うんですか?」
「え、急にキャラ変わるじゃん?」
 丁寧に話だす積木ちゃんに蛍太さんがビビっている。
「あの、ごめんなさい。まずは私から名乗らないとですよね。興津魅桜(おきづみおう)っていいます。よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくな。俺は佐藤蛍太。んであいつが、」
「大島穣介。っす……」 
 なんとか二人について行くために声を絞り出した。多分、興津さんは年下だけど、いきなりタメ口で話すことはしなかった。それは俺のこだわりに反する。
「俺はバブさんって呼んでる。ってか、急に元気なくね?」
 ほう。蛍太さんよ。俺の心の機微に気がつくとは。さすが、なんか、急にネットであった人と遊びにこようとするだけあるな。
「そうなんですか? 私に言わせてもらうと、なんかずっとこんな感じだったと思うんですけど……」
「いや、俺が思うに、変なコメントでも気にしてるんじゃないか?」
 まさか、蛍太さんは気がついていたのだろうか。
 本当のことを一瞬迷ったが、隠してもどうせグイグイ来られそうで、素直に話すことにした。
「なんか、全然こいつ喋らないみたいなこと書かれてて、びっくりしたってわけっす。全く、別に喋ろうがどうしようが俺の勝手っすよね」
 自分が思うより多く喋ってしまった。それを聞いて蛍太さんが笑う。
「ははは、でも確かに全然喋ってなかったな。もったいないよ。バブさんってどんどん行けば絶対に面白いのにさ」
 目が爛々と輝いている。褒められて嬉しいが、なにか不穏な感じもする。なんか、俺が望まない方向に話が進みそうな、雰囲気。
「積木ちゃん、生配信のこと教えてくれよ。俺決めたんだ。バブっちと生配信する。絶対面白いことになるよ」
 となりで興津さんは「バブさんリアクション面白いですもんねー」と無責任な発言をしていた。

#4  処女配信
 その溢れんばかりのエネルギー。見習いたいね。そして、みんな暇すぎる。蛍太さんは無職だから分かる。どうやら興津さんは大学生なんだけど、時間は自分で作るもんだと豪語していた。言い訳にしか聞こえなかったけど。
 昨日、蛍太さんが俺と生配信をする宣言をして、興津さんと連絡先を交換した後、駅まで送って俺は家に帰らず蛍太さんの家に泊まることになった。
「よっし、酒飲むか?」
「いや、やめときます。あの、かなり眠いんすけど……」
 ダメ元で寝ようとしたら、意外にすんなりと受入れた。
「ちゃんと回復しとけよ。明日は配信祭りだ!」
 どう言うことか聞こうと思ったけど、ちょうど良いクーラーの風に吹かれていると、どうでも良くなった。つまり、俺は眠りについたらしい。
 朝になる前、一度目が覚めた。部屋の電気はついていて、蛍太さんはFPSをプレイしていた。寝るつもりがないんだろう。そのまま眠れるか心配だったが、すぐにまた深い眠りについた。

 強い日射しで目が覚めた。いつもと違う場所。即座に蛍太さんの家だと思い出し、主人の姿を探した。
 カチ、カタカタ。カチ。
 キーボードとマウスを叩く音が聞こえる。そこには当然のようにパソコンでゲームをプレイする蛍太さんがいた。
 ちらりと俺を見たが、集中する場面なのか、すぐに画面を見直していた。
 カタタタッ。
 画面を覗くと、激しい撃ち合いをしていた。俺が勝手にトイレに入った。昨日、ここに来るときに買っておいた歯ブラシで歯を磨く。そうしているうちに戦いが終わった。
「おう。飯買いに行くか」
「そうっすね。てか、蛍太さん寝ました?」
「今日は寝ない日だな」
「そんな日、普通はないっすよ」
 俺の言葉を聞いて蛍太さんがめちゃくちゃ笑顔になった。怖い。無言で笑顔。一体何を考えてるのか。多分、何も考えてないんだろうけど。
 簡単に飯を済ます。蛍太さんの食事はサラダとサラダチキン。なんか健康的だ。寝ないくせに。
 俺は揚げ物を炭酸で流し込み、カルビ重を食べ、スマホをいじることにした。時間はまだ八時。
 カチ、カチ、カタタタ。
 嘘だろ? 蛍太さんが次の試合を始めた。俺、今日の予定とか全然知らないのに。
 試合が終わるまで、仕方なしにスマホで動画を見ながら待つ。蛍太さんは早々と負け、家を出た。

 最寄りの駅で、興津さんと待っていると、遠くからピンクと黒のロリータファッションに身を包んだ女性が現れた。
 てか、確実に興津さんだ。めちゃくちゃ目立つな。周りの人が振り返ってる。
 しかも今日は日傘もさしていて、フリフリ感が限界まで高められている。
「おはよー。ねー私、今日は病みメイクなんですよー」
 見てみると目の周りが赤くなっていて、涙袋がぷっくりと膨らんでいた。唇は外に向かうにつれて淡い色合いになっていて、病み、と言われれば確かにそんな風に感じる気がする。
「なに、積木ちゃんは病んでるの?」
「別にそう言うのは関係ないですー。なんとなく病みメイクって気分なんですよ」
 爪は血がこびりついたようなデザインに塗られていて、隙がない。
「よし、じゃあみんな集まったところで今日のスケジュールを発表するぞ!」
「はい!」
「は、はい……」
 いかん、出遅れた。今の不意打ちに対応できるなんて興津魅桜、何者。
「本日は、三人で生配信をしようと思います」
「はい! 私、質問いいですか?」
「どうぞ積木ちゃん」
 なんか、学校の授業を思い出す。と言うよりわざとそんな風にやってるんだろう。
「配信とは言っても、何をするんです?」
「いい質問だ。これはな、俺が最近ハマってるスポットに行って、そこで宝探しをしようと思ってるんだ」
「た、宝探しっすか? そんな、現実的じゃないっすね」
 思わず口を挟んでしまった。なんだ。今時宝探しって。徳川埋蔵金を探すのだって、うちの親の世代で盛り上がり終わったじゃないか?
 そう思うのを見透かしたのか、蛍太さんがチッチッチッと指を振った。
「バブちゃーん、質問はちゃんと手を上げてから言ってね」
 そんなにちゃんを伸ばして欲しくないと思った。ただ、思っただけだが。
「もちろん、宝探しと言っても、一攫千金を狙いたいわけじゃない。もしそうだとしたら配信なんてしないほうがいいんだからな。誰かに盗まれちまう。そもそも、何を探すのかは大した問題じゃないんだ」
「えー、宝探しなのに? 私、お宝探したいです」
「ああ。宝探しはする。ただ、探す場所がポイントなんだ。いいか。場所は昨日の川をもっと上流に行った場所にある、不法投棄の有名なところだ!」
 うーん。つまりゴミを漁るってことか。
「蛍太さん、ゴミ漁りってのはなんだか……」
「いいですね!」
 隣でゴスロリが目を爛々に輝かせて俺の話を遮った。耳を疑うが、大賛成らしい。
 まて、もしかしたら不法投棄現場をどんなものなのか知らないのかもしれない。これを説明責任があるだろう。行くだけ言って、「うわ、こんなところ連れてきてどうするつもりなんですか」みたいなことになっても嫌だし。
「いや、積木ちゃんね、不法投棄の場所ってどんなんだか分かる?」
「はい! 捨てるのに金のかかるゴミが集まる場所ですよね」
「そう! そうなんだよ。それに、すごい汚い場所だと思うよ」
 これだけ期待をしている女の子に現実を教えるのは辛いが、これも大人の責任だ。でも、返事は予想外のものだった。
「それくらい想像つきますよ。私、世間知らずじゃないんで」
 なんか、鼻で笑われる勢いだ。
「じゃ、じゃあ、なんでそんなに目を輝かせてるんだよ。もしかして汚いものフェチ? 変人じゃないか」
「ちょっと、変人じゃないですよー。単純に、炊飯器が壊れてて、って感じです」
「炊飯器が壊れてるのと、不法投棄の場所で宝探しなんて、全く関係がないじゃないか!」
 言い切ってみるが、分かっていた。悲しいくらいに関係があることに。でも、信じたくなかった。だって、ゴミ捨て場から拾った炊飯器なんて、使いたいわけないじゃないか!
「私、全然使いますよ?」
 いかん、心の声が漏れるってことが本当にあるとは。いや、もしかしたか顔に書いてあったのかもしれない。
「そ、そっか……。君は強いんだね……」
「配信者なら当然です」
 なんの自信か分からないけど、逆に俺は配信をする自信がなくなってきた。
「よし。二人ともお話は終わったっぽいな。じゃ、行くぞ」
 興津さんと蛍太さんが歩き出す。当然、俺もついて行く。別に俺は大人としての責任を果たすために興津さんの説明しただけで、俺がビビってるわけじゃないんだから。たしか、そうだったよな。うん。

 不法投棄の現場は昼なのに暗い。あと、なんか涼しい。それが却ってきもち悪い。
 でも、そういう繊細な感性を持ち合わせているのは残念ながら三人中、ただ一人俺のみだった。
「うわー。凄いです! 私、向こう行っていいですか?」
「積木ちゃんね、配信のために来てるんだから落ち着いてね」
 はしゃぐ興津さんに釘を刺す。なんでこんなところではしゃげるのか、理解に苦しみながら。
 あたりには、本当に様々なゴミが置いてあった。画面の割れたテレビ、冷蔵庫、よく分からない鉄の棒の束。傘の束。
 泥がこびりつき、窪みに雨水が溜まっている。少し歩くと足元も滑る。川が近いせいか、雨の日のような匂いがする。湿った土の匂いだ。それと、何か嫌な匂い。こういうのって腐臭なのだろうか。
「よし、じゃあ配信つけよう。俺がカメラマンでいい?」
「私はいいんですけど、あの、バブルさん、顔出しオッケーなんですか?」
「あー。確かに、顔は出したくないかな」
「ふーん。じゃあこれどうぞ」
 興津さんが小さな鞄から取り出したのは、サングラスだ。かければ頬骨くらいまで隠れそうなハートのレンズに、当然フレームはピンク色。そこに宝石のようなデコレーションが施されていた。
「あの、他のってある?」
「すみません、これしかなくて。やっぱ嫌ですか?」
 渋っていると、蛍太さんが声をかけてきた。
「それいいじゃん。絶対目立つし、うん。絶対目立つ。それで十分だろ」
 あまり参考にならない意見を述べている。
「まあ、掛けます。積木ちゃん、ありがと」
 サングラスをかけると、ただでさえ不穏な雰囲気があったこの場所はさらに不穏になった。光が遮られてかなり暗い。
「よし、じゃあ本当に始めるぞ。三、二、一……」
 蛍太さんが静かになる。スマホのカメラは興津さんに向けられ、顔を近づけた。俺はとりあえず黙って見ている。
 配信が始まった。

「ちゃんと映ってるかな? 声は?」
 手を振ったり、声を出して反応を確認している。俺は蛍太さん側に回り込んで画面を確認した。
[あれ? スマホ誰持ってんの?][なんだなんだ? いつもと違うな][凄、今日も配信するんだ。ハイペース]
 だれも画面とか音の話はしていない。この様子なら大丈夫そうだけど。
 そう思い勝手にオッケーサインを興津さんに伝える。
「オッケーそうだね。てか今日ね、私一人じゃないんだ。昨日の二人をまたゲストに迎えてますー」
 ところで、コメントをしているのは男性が多いのだろうか? 文字だけじゃ分からないけど、なんとなく男が多い気がする。そうなると、二日も続けて同じ男と配信を始めるってのは、興津さんのファンにとっては嫌な感じじゃないだろうか。
 普通、テレビに出ているようなアイドルは、やはり疑似恋愛的な要素もあるだろうし。興津さんもネットで同じような立場なのであれば、きっとそう言う反応になるだろう。
「あれ? なんか急に恥ずかしがっちゃって出てこないね。二人とも。みんなあれね、今いるのは昨日の二人ね」
 多分、俺一人がドキドキしている。コメントが荒れるだろうな。でも、標的が自分じゃないと途端に気が楽になる。むしろ助け舟を出す気持ちさえある。
 しかし、予想外にコメントは盛り上がっていた。
[昨日会ったやつと急に仲良くなるのは本当にヤバいやつ][さすが、積木ちゃん]
 どうやら、生配信での興津さんの立ち位置は俺の想像とは違うみたいだ。
 きっと視聴者たちは、興津さんが好きなことを好きなようにして、それを見て分かり会いたいのだろう。
 俺の目には、自由に見えた。
「やっほー!」
 やるしかないと思い、カメラに映り込む。その時、俺は蛍太さんや興津さんの言葉を信じていた。そう。俺は俺らしく。やりたいことをやりたいように。ここは社会じゃないんだ。
「お、バブっち随分元気だな。みんな、俺は今日カメラマンやるから。よろしく[お前誰?]あー。えっとね、別になんでもいいんだけど」
 蛍太さんが視聴者と話しているうちに、興津さんはすでに居なくなっている。目をつけていた電子レンジを早速開けていた。
「うぉー」
 低く唸っている。気になって見に行くけど、特に何もない。
「なに唸ってるの」
「なんかね、中に封じられてた空気を解きなったから、時代を感じたの」
 カメラマンの蛍太さんは後からついてきた。不法投棄場で宝探しをするんだと説明していた。
 画面を見に行く。コメントは盛り上がっていた。ただ、不法投棄のゴミを持ってかるなんてきもち悪いみたいな言葉が多いが。
[犯罪じゃないの?]そんなコメントがある。一つ見たと思ったら、一気に他の人たちも同じようなことを言い始めた。妙に癪に障る。
 蛍太さんはあんまり気にしてない様子でへらへらと答えた。
「なんか大丈夫らしいよ」
 そうなのか。多分、適当に答えてんるだろう。そこから先の言葉がない。
 コメントの流れが同じことの繰り返しになってきた。いかん、つまらない流れだ。どんどん進む興津さんについていく。俺はまたカメラに移る位置に戻った。
 汚いゴミには触りたくない。だけど、そっちの方が配信が盛り上がるんだよな。分かる。人がやってるのを見るのは楽しいもんな。
 傘はとりあえず開いてみる。でも特に何もない。たまった雨水が流れ落ちるだけだ。
「別になんもないなー」
 思わず愚痴が溢れる。本当にできることがあまりなかった。宝探しなら、一箇所ゴミが積み上がって山のようになってる場所を掘り起こすのがいいんだろうけど、正直、気が引ける。
「私、あの山掘ってきますね」
 興津さんはやはりと言うべきか、平然とゴミ山に向かう。乗り気はしないが、俺も一緒になってゴミにしか見えないお宝を漁っていく。
 結構骨が折れる作業だ。全部が汚くて妙な力を使ってしまうからだと思う。
 興津さんは細かく細かく漁ったゴミを見ている。なのに服が全然汚れていない。ものすごい集中力だ。
 コメントを見に行く。蛍太さんがコメントと他愛のない会話をしている。
「お、バブっち。質問来てるぞ。ある晴れた日って人から」
「俺っすか? 積木ちゃんじゃなくて」
 画面を見ると、確かにサングラスの人に向けて質問が来ていた。[サングラスの人、今日はすごい活発だな。昨日は無口だったじゃん。いいね]
 褒めてるんだか、なんだか、とんでもなく馴れ馴れしい。
「確かに、昨日は疲れてたから」
 質問に答える。[コメ読め][コメント読み上げろ][配信始めてか?コメントよめ]確かに、読まないと分からないか。
[えー、ある晴れた日さん、アルハレさんっすね。はい。今日は活発っすよ]
「バブっち、結構コメントもらってたぞ、びびりだなって」
 なに? ビビっているつもりなんて全くなかったが。でも、急な音とか、虫とか苦手だし、結構見てる人はそう思うのかもしれない。
「そうなんすね。別にビビってるつもりはないんすけど……。えっと、アルハレさんから、[バブさんアカウントあるのか?]って、まあ、動画のアカウントっすけどね」
 そしてアカウントのことを話す。俺の一つバズった動画のことを知っている人は一人もいなかった。FPSの動画だからだろうか。ここを見ている人たちと層が違うんだろう。
「うおー!」
 興津さんが盛り上がっている。近づいてみると、そこには炊炊飯器が置いてあった。
「まじ? 持って帰るつもりなの?」
 後から蛍太さんも近づいてくる。スマホを炊飯器にグッと近づけた。
[うわ][炊飯器じゃないよこれ、ちゃんとしたゴミだよ][俺もよく不法投棄の家電持って帰って使ってるよ]
 変なやつも結構いるな。
「もちろんですよ。まあ、使えなかったらあれだけどもね。あ、コメントコメント」
 今回の配信で興津さんは初めてコメントを見た。
「はいはい、みんなおはよー。なんか今日のコメントの流れ早いね。ってか視聴者多くない? いつもより八十人くらい多いよね」
 現在、視聴者は約二百五十人ほどだ。いつもは百人後半といった所なんだろう。
 今回の配信の人が多い理由はやっぱり不法投棄を漁る異常な行為が面白いからだろう。なんか、ずるしてるみたいであんま気分はよくないけど。
 興津さんは挨拶だけして炊飯器に戻っていく。
「じゃあ積木ちゃん、炊飯気開けてみようぜ」
 蛍太さんは炊飯器の中が気になっているらしい。俺も興津さんの隣で身構える。
「ほい」
 興津さんは容赦無く開ける。中にはカチカチになった米が入っていた。
「これ、いつ炊いたやつだよ……」
 俺は呟く。[いつでもいいだろ][食うつもりなのか?]と、コメントが流れる。いちいち細かいことを突っ込んでくる奴らだ。アルハレだけは、[さすがの着眼点]と褒めてくれている。いや、こいつが一番馬鹿にしてるのかもしれない。
「積木ちゃん、本当に持って帰るの?」
「当然ですよ。あ、こっちにはちょうどいい冷蔵庫もあるじゃないですか!」
 三人でギリ持って帰れそうなくらいの小さめの冷蔵庫も近くに埋まっている。興津さんは見つけ次第すぐに開けて中を確認した。蛍太さんはスマホカメラを向けている。
 嫌な感じがした。次に腐臭が漂った。
 さっきまでしていた臭いの原因らしきものがその中に入っていた。黒いビニール袋に包まれている。
「え!」
 興津さんはすぐに閉めた。けど、中身の物の形が変わったのだろう。うまく閉まらない。すぐにその場を離れる。
 なんとなくヤバい。そう思って蛍太さんからスマホを取り上げた。勝手に配信を切る。
「配信切ったか?」
「切ったっす」
 蛍太さんが俺たち二人を背にして、冷蔵庫を見ている。
「バブっちと積木ちゃん。警察呼ぶからな」
「わかったっす」
 興津さんは震えている。風は吹かず、腐臭は強くなる一方だった。

 二千三百グラム。それが黒いゴミ袋のなかに入っていた乳幼児の死体が、生まれた時の体重だったらしい。
 警察の取り調べはすぐに終わり、二日後の朝には母親が判明していた。
 母親のこととか、その人の家庭環境とか、様々な情報がネットで調べれば出てきた。でも、見る気にはならなかった。
 気分の悪くなる事件だ。何が胸糞悪いかと言えば、そのゴミ袋を撮した俺たちの配信がとんでもなく拡散されたというとこだ。
 いわゆる、切り抜き動画。生配信での見所を編集して動画サイトにあげる行為だ。
 動画作成者は[ある晴れた日]。生配信中にもコメントを残していた人だ。
 曰く、俺たちが人気になるためのチャンスになると思い動画をあげたらしい。そして案の定、俺たちは多くの人にの目に付くことになった。もちろん、いい意味でも悪い意味でも。
「インターネットって変な奴が多いよな」
 蛍太さんは切り抜きの反応に対してこう言っていた。俺もそう思う。
 だって、こんなに悲惨な事件なのに、冗談のように扱って、笑っている人が少なくないからだ。いや、はっきり言って多い。
 これが匿名性かと諦めつつ、罪悪感に苛まれていた。
「そもそも、こんな動画を上げようとするなんておかしいって、私は思いますけどね」
 翌日にはお払いに行っていた興津さんは[ある晴れた日]に対して、苦言を漏らしていた。
 俺もそう思う。でも、こんなこと思いたくもないんだけど、それがきっかけで、俺たち三人はネットである程度の地位を手に入れたのは間違いなかった。

#5  嘘配信
 ゲームセンターに来たのは何年ぶりだろうか。うるさくて嫌いだから結構前だ。
 じゃあなんで来ているのか。もちろん、遊びに来ているわけじゃない。無職で収入もない俺に、ゲーセンで散財する余裕なんてあるはずない。
 そう。もちろん配信だ。
 それは、アルハレからの連絡がきっかけだった。
 不法投棄の生配信後、興津さんの生配信用のアカウントに目をつけた人たちが増え、それから配信をしてないのに、通知を待つ登録者が増え続けた。
 そのことに俺と興津さんは否定的な気持ちだったが、蛍太さんはある程度チャンスと捉えていた。
「もちろん、ショックな内容だよ。けど、それとこれは多少は区別して考えた方がいい。チャンスはチャンスだ」
 アルハレも蛍太さんと同じような意見のようだった。
 アルハレはわざわざ俺のアカウントにやってきて、直接メッセージをくれた。
[勝手に切り抜き動画を上げてすみません。バブルさんたちの配信がとても面白く、さらに有名になって欲しいと思ってしてしまいました]
 まず、そんな謝罪がきていた。
 アルハレが言うには、死体を見つけたのは運が悪かっただけで、配信自体は面白いものだった。でも、さらに視聴者を増やしたい為に、過激なシーン、つまりゴミ袋が映ったシーンも一緒に切り抜いて動画を上げたと言うことだった。
 その動画は謝罪の文面とともに今は消されていて、新しい動画に変わっている。ゴミ袋を見つけるところがカットされた編集版だ。でも、動画は別の人が大量に上げていて、もう消すことはできないだろうけど。消すと増えるんだ。これはネットの常識らしい。
 蛍太さんがチャンスと捉えながも、次にどうすればいいのか分からずにいるのと同じ頃、アルハレは次の一手を考えていた。ってか、単純にそういうことをする配信者を見てみたかったのかもしれない。
 その作戦が、やらせで不良に絡む配信。
 蛍太さんは大喜びで、興津さんもそれならと反対せず、すぐにやることに決まった。
 もちろん俺も大賛成だった。そうだ。これなら俺のクリエイティブさを思う存分発揮できるだろう。

 久々に配信すると思っていたが、前回から三日しかたってなかった。その間俺は蛍太さんの家に泊まりっぱなしだ。
 決行時間の十九時まであと三十分。計画を再度思い出すことにした。
 とは言っても、大したことはない。蛍太さんがゲーセンのゲームをしている途中、興津さんと俺がそこに突撃して喧嘩になると言う流れだ。
「アルハレの言う[多少、ヤラセって分かるポイントがあった方がいいかもしれませんよ]ってのはどうかと思うけど、このアイデアは面白い」
 蛍太さんがこの日のために染めてきた青色の髪の毛を自慢げにかき上げながら、俺たちに聞こえるようにでかい声で言った。
「こんなの、誰でも思いつくと思いますけどね。私は」
 興津さんも負けじとでかい声で返す。この三日間で、興津さんはアルハレのことをあまり好きじゃないことがなんとなく分かってきた。やはり、人の死をコンテンツとして切り抜いたことが許せないらしい。
「でも、なんか緊張してきましたよ。蛍太さんの見た目もガチで怖いですし」
 興津さんも肯いている。蛍太さんは放送中につける予定の青く反射する細いグラサンをつけ、わざとらしく俺を睨んできた。
 これは確かに面白くなりそうだ。

 興津さんの隣で俺はスマホを持っている。基本は俺が撮ってコメントを拾う。使うのは興津さんのスマホだ。
「ゲーセンって俺苦手なんだよね」
 興津さんを撮しながら雑談。しかし、お前には興味ないの嵐。でも、他のコメントは前回の不法投棄配信のことばかりで返事をしづらい。
「興味を持てよ!」
 うん。なんと語彙力のない反応をしてしまったんだろう。けど、コメントの流れは早いし、いいか。てか、逆にこれくらい馬鹿なふりをした方が盛り上がるのかな。俺の作戦勝ちってところか。
[前回の配信に触れた?][うるさいね。ゲーセン?][黒ゴミ袋ってやっぱ赤ちゃんだったの?][命を犠牲にして成り上がったモノたち]いろいろ言いたい放題だな。
 前回の配信については既にコメントを出していた。すべて警察に任せています。他に私たちから言えることはありませんと。それでも関係ないんだな。
 ゲームをプレイするために並ぶ。リズムに合わせて画面を触るゲームだ。いわゆる音ゲー。もちろん、プレイしてるのは髪を青く染めた蛍太さんだ。
「なんか、前の人プレイ長くないですかー?」
 興津さんがわざと苛立ったように言う。
[変なのには関わらない方がいいぞ][いけいけ、最近の積木ちゃん、流れキてるからいける][ヤラセ乙]
 既にヤラセと気がつく勘の良いガキもいるらしい。いや、ただの逆張り野郎かもしれないけど。
「もー。さすがに長すぎますよねー?」
 全然そんなことないが? とは思う。まあ、ヤラセだからね。
「うん。確かに長いよな。これがトイレだったらとっくにブチ切れてる」
 適当に興津さんに便乗してみる。けどあんまり反響はない。ふーん。
「あーもう。ちょっとー。そこ、どいてくださいよー」
 やっぱ早すぎる気がするけど、興津さんが動き出したので始めるしかない。その時、自分のスマホに通知が入った。興津さんのスマホと自分のスマホを二刀流で持ち確認すると、アルハレからの連絡だった。
[ちょっと、喧嘩になるまでが早すぎるw まあ、これはこれでおもろいけど、積木ちゃんを少しコントロールした方がいいかもですね]
 つまり、俺はこの喧嘩芝居の演出的な立場に立たなくてはいけないってことだな。よし。やってやろうじゃないか。
 俺が二人を手助けしてやろう。

 興津さんが蛍太さんの肩を押した。力加減がよく分からないのか蛍太さんは大勢を崩すくらいに押されている。
「おい! どけって言ってるんですけど!」
「あん?」
 背筋がこそばゆくなる言い方だ。もしかしたら俺が蛍太さんを知っているからそう思うだけかもしれないけど。
「どけって俺に向かって言ってんの?」
「当然です! さっきから私たちが並んでるの気づかないんですか?」
 蛍太さんは何も言わずにサングラスをずらし、興津さんを睨みつけながら舌打ちをした。
[厄介なやつにどうして絡むんだよ][舌打ちウケる][どうせこいつは陰キャ。押せばいける
 無責任なコメントが多く目立つが、それ以上に前回の黒いゴミ袋に関するコメントが大半を占めていた。むしろ多すぎて気にならないくらいだ。騒音の中で特定の人物と会話できるのは、必要な音以外をシャットアウトする能力を人が持っていて、カクテルパーティー効果というらしいが、たくさんのコメントを見る時にも同じような効果が発揮されるのかもしれない。
 そんなことを思っている間にも、二人は意味のない言い合いをしていた。あまりに進展がないように思える。
[バブルさん、なんか起爆剤を作った方が良いかと。めっちゃつまらないですから]
 アルハレからの助言だ。この状況を打破するにはどうすればいいいか。このまま俺が興津さんに加勢してみるか。でもそれじゃあまりに普通すぎる気もする。
 悩んだ末、俺は蛍太さんに加勢することにした。
「おい積木ちゃん、もうやめとけよ」
「え? どうしたんですか? ん?」
 シンプルに動揺している。いや、困惑か。
 蛍太さんは俺の考えにすぐ気がついたらしく、ニヤニヤと見てくる。
 俺は興津さんを責め続ける。かわいそうだが手を抜けば視聴者は着いてこないはずだ。
「だ、か、ら、積木ちゃんがおかしいこと言ってるってさ。流石に」
「え、何? どう言うこと?」
「どう言うこと? じゃねえんだよ! あん? その兄ちゃんだってお前がおかしいって言ってるじゃんかよ」
 俺は何気なく蛍太さんの隣に達、興津さんを配信画面の中心に映した。凄い怖い顔をしてる。
「あーもう。ムカつく。二人とも意味分かんないです。スマホ返せ!」
 怒った表情をしているけど、目は潤んで泣き出しそうだ。必死に我慢している姿は何か俺の中に邪悪な欲望を満たしそうだ。
 もっと意地悪をして見たかったけど、アルハレから面白くない方に進んでると忠告があり、素直にスマホを返した。
 怒りに満ちた眼差しを俺に向けたまま、スマホのカメラで俺をしっかりと映そうとしている。それ自体に物理的な効果があるとでも言いたいようだ。痛くも痒くもないんだけど。
「お嬢ちゃん、ごめんごめん、悪かった。ゲームしたいんだろ? ほらどうぞ」
 蛍太さんも敏感に空気を感じ取り、興津さんの機嫌をとる。
「別に、もういいです。私、みんなと喋るんで」
 完全に不貞腐れている様子で、興津さんはスマホの画面を眺めた。
 そして、泣き出した。
 周りの視線が集まる。その場にしゃがみ込んだ興津さんを抱え外に連れ出した。蛍太さんはついて来ていない。
 外の空気は軽い。一度胸にいっぱい吸い込むと、ゲーセンは苦手だと改めて感じる。
[あれ? 配信切れた?]
 アルハレから連絡が入る。興津さんは配信を切ったらしい。
「ごめん興津さん。流石にヤラセとはいえ二人がかりで責めるのはやり過ぎた」
「意味、分かりません。それに、そんなことどうでもいいです」
 非常に困る反応だ。泣き出すくらいいなのにどうでもいいなんて言われても、そこからどうすればいいんだろう。
「——ごめん」
 俺は困り果て、興津さんと共にだんまりを決め込んでいると、蛍太さんが手に食べ物を持ってやってきた。救世主現る。
「さっきはごめんな。ほら。腹減ってるだろ?」
 コンビニで買える骨なしのチキンと、飲み物を興津さんは受け取り、黙って飲み始めた。
 途中、また泣き出す。何か様子がおかしい気がした。興津さんんから怒りを感じない。なにか、ひどく悲しんでいるうような感じがする。俺もなぜだか泣きたくなった。
「なにがあったんだよ。なんか、様子変だぞ」
 蛍太は興津さんの隣にしゃがみ込んで話を聞いている。けど、対して何も聞き出せていない。
 三人のうち、立っているのは俺だけだった。
 興津さんは食べたチキンを飲み込まずに吐く。中途半端に咀嚼されたチキンを見ると、こっちまで吐きたくなる。
「おい、マジでどうした?」
 焦る蛍太さんの声。しかし興津さんは返事をしない。
 アルハレから連絡が入って、俺は逃げるように確認した。
[積み木さん、大丈夫ですか? なんか泣きそうになってましたけど]
[いや、正直、大丈夫じゃないですね]
 すぐに返事をする。アルハレからもすぐに返事がきた。気になって仕方がないんだろう。
[あのですね、色んな配信者を見てきた経験からするとね、ズバリ、コメントでやられたんでしょう]
[コメントか……]
 しゃがみ込んだままの興津さんを蛍太さんに任せて、興津さんの配信の録画を見直す。
 そこでコメントを見直すと、配信中は盛り上がっていたと思ってたコメント欄は、荒れていると思い直した。
 なんとなく、赤ちゃんのことかもしれないと思った。実は、興津さんが泣き出した時から気がついていたのかもしれない。
 直接俺たちを傷つける言葉も多い。なんで俺は気にならなかったのだろうか。と思うくらい痛烈な言葉の羅列がそこにはあった。
 この言葉に興津さんは傷ついたのかもしれない。
「興津さん、もしかしてコメントできついのあった?」
 尋ねると、泣き声が止んだ。いや、泣き声だけじゃない。まるで心臓までもが止まってしまったように静かだ。
 その静かさは、反動だった。
「なんであなた達は平気でいられるんですか!」
 蛍太さんは急な興津さんの手に倒される。興津さんがあげた顔は、流れたメイクで黒く、幽霊のようだ。
 興津さんはどこかに歩いて行く。俺も蛍太さんも追いかけることができない。
 ここで上手に追いかける方法を知ってるなら、配信なんかしてないと思う。

#6  火葬
 スマホでニュースを見ていた。どうやら夏の暑さは人を殺すほどになっているらしい。
 本当、自分の家だったら俺も他人事でいられなかっただろう。けど、蛍太さんお家は快適だ。エアコンの効いた部屋でカップ麺を食べられるくらい快適に過ごせる。
 蛍太さんは結構金持ちだな。
「なあ、穣介。今暇だよな?」
「もちろんっすよ。やることがあったら居候無職なんてしてません」
「そしたら外出る準備だ。早くな」
 蛍太さんはいつの間にか俺を本名で呼ぶようになっていた。それと分かったことは、少し人使いが荒いということだ。
 スマホのを消してポケットにしまう。よし、準備完了だ。悲しくなるほど準備することなんてない。
「よし、あとこれ飲んでけな。眠気覚ましのエナドリだ」
 冷蔵庫からキンキンに冷えたエナジードリンクをくれる。一気に飲み干す。涼しすぎる部屋の中で飲む冷えたエナジードリンク。頭の後ろが痛くなった。
「ところでどこに行くんですか?」
「それ、最初に聞くんだぞ普通は。俺の実家だ」
「どうして?」
「興津魅桜が待ってる」
 前回の配信から三日が経っている。なんで興津さんが蛍太さんの家にいるのかは分からないが。

 あの後、まあ当然だが、興津さんを追いかけた。それが正しい方法だったのか分からないが、思い切り走った。
 分厚い靴の底でよく走れるなと感心するほどの速度で興津さんは走り続け、家でゲームばかりしている俺と蛍太さんはなかなか追いつけなかった。
 信号がちょうど赤信号で、そこでやっと興津さんを捕らえたのだ。三人とも息があがっていた。そのおかげもあってか、さっきよりもまとものに興津さんと会話ができた。
「はあ、はあ、なんで逃げるんだよ」
「ん、はあ、はあ、あの、別に……。でもすみません。私、一人になりたいです」
 信号が青に変わって、俺たち二人は止った。興津さん一人が歩いていって、流石にもう追いかけることは出来なかった。
 その後、俺は一度家に戻った。蛍太さんから服と生活なものを持ってくるように言われたからだった。それは、これから本腰を入れて配信をするという意味だった。
 俺が家に帰ってる間に興津さんを実家に連れて行ったんだろう。

「なんで?」
 意味がわからない。
「やっと聞くか。まあ、聞いてこないとは思ったし、それが穣介らしいとも思ってたんだけどな」
 よく分からないをごちゃごちゃと言っている。
「実は、穣介が家に帰った後、俺は積木ちゃんと会った。一応連絡を入れてみたんだ。んであの駅前のコーヒーショップ。穣介とあったあそこな。そこで話したんだよ。そしたら、なんか様子がおかしくってさ。んで実家に保護した」
 途中までは流れがわかるんだけど、実家に保護という部分が少し理解しづらい。
「様子がおかしくてなんで実家っすか?」
「一人にして置いたらやばそうだったってことだ。まあ、直接会ってみればわかるかもな」
 バスを乗り歩いて三十分くらいで蛍太さんの実家に着いた。こんな近いなら一人暮らしなんてしなくてもいいと思うけど、蛍太さん曰くこれは修行なんだという。ふーん。
 蛍太さんの実家はまあでかい。3LDK。平家だ。駐車場もついてて小さい庭もある。そこで女性が花に水をあげていた。伏せていて顔が見えない。
 黒いワンピースに身を包んでいる。とても細い体で金髪の髪の毛だけがやけに目立つ。
 花に水を上げ終わり、顔を上げた。目の下にはクマがくっきりとある。別にクマがあるのは全然構わない。疲れれば誰だって出るわけだし、元々そういう顔でも全くもっておかしくない。
 それから、やつれていた。
 蛍太さんの妹か姉か、と思いながら見ていると、それが見知った人であることにだんだん気がついた。
 興津魅桜だ。確かにあの姿を見たら一人にしておけない。

 蛍太さんの家にお邪魔する。玄関は蛍太さんと俺の二人が入っても余裕がある。広い。蛍太さんが靴をしまう。その収納には、革靴のようなシックなものばかりだが一つだけリボンのついた赤い靴があった。おそらく興津さんのものだろう。
 その先の玄関ホールはとても整然としている。
「ただいまー」
 そう言いながら廊下を進む蛍太さんに着いて行く。
 廊下には扉が六つほどあって、その全てに標識のようなものがかけてある。トイレだったり、収納だったり。ふと、蛍太さんのパソコンの画面を見たときのことを思い出した。フォルダの分け方がとても綺麗で、こういう家庭の影響を感じたからだ。
 一番奥の扉を開けると、リビングに出た。キッチンがついている。そして開放的だ。二部屋分あるだろう。窓の向こうにはボーッと立っている興津さんが見える。
「いらっしゃい。大島くんはピーマン食べられる?」
 後ろから声をかけられる。多分、蛍太さんの母だ。エプロンを着て料理を作っている。その下はかなり肩を出した服装で、気を抜いて見ていると裸にエプロンを着ているのかと勘違いする。いや、積極的に勘違いしようとしている部分もあるが。
「お邪魔します。大島穣介です。ピーマン食べられますよ」
「なら良かった。正直ほとんど料理出来上がっちゃってるから。今更変えられないからねー。じゃあもうちょい待ってて」
 そう言って窓を開けて外に行った。
「ったく、少しは落ち着かせて欲しいよな」
 蛍太さんが呟く。俺は料理が気になってキッチンに足を運んだ。
「青椒肉絲ですね。美味しそう」
「母ちゃんに言ってやってくれよ」
 窓の向こうで興津さんが手を引かれていた。もうすぐここにやってくる。なんて言葉をかければいいの考えていると、ものすごく緊張してきた。深呼吸をしてみる。青椒肉絲の匂いが胸いっぱいに広がった。
 興津さんがなぜあそこまで憔悴しているのか。コメントで言われたことを気にしてるんだろうけど、そこまで気にするのは変な気がする。だから俺はあんなコメント気にするなって、そう興津さんに伝えるしかない。
「こんにちは、二人とも」
 真っ黒なワンピースは喪服のようだと思った。靴下も真っ黒で、太腿が妙に白く生々しい。
「お、おはようね。興津さん……」
 何か言おうとするが、この距離で興津さんと面と向かって見て、その元気のなさを目の当たりにして、わざわざあのときのコメントのことを思い出すようなことを言うべきではないと気がついた。
「おっす。腹減ってるか?」
 俺が興津さんを目の前にしてやっと気がついたことなんてとっくに蛍太さんは気がついていたようで、当たり障りのない普段の言葉を投げかけていた。
「はい。いい匂いがしますね」
 いつもの興津さんなら、笑いながら言うのだろう。無表情がとても冷たく感じる。
 ちょうど四人が座れるテーブルにつき、食事が始まる。
 チャカチャカと箸が食器にぶつかる。結構みんな腹が減ってたのか、最初は口数が少なくひたすら食べる。もちろん俺もだ。
 なんせ青椒肉絲が美味い。それと副菜的に置かれてるポテトサラダがまた美味い。狙っているのか塩っぽい青椒肉絲を食べて、少し口の中が飽和したところに、冷たくてシャキシャキの胡瓜のスライスが入ったポテトサラダがさっぱりと入ってきて、箸を動かす手が止まらない。
「蛍太さん、これすごい美味しいっすね」
 ある程度満足に食べた後、やっと俺は口を開くことができた。蛍太さんの母に直接言うのはなんとなく恥ずかしかったから、まずはその息子である蛍太さんで様子見をする。
「ってよ。母ちゃん」
「ふふ。大島くんだっけ? いいセンスしてるんじゃない」
「センスって、関係ありますかね?」
「あれな。母ちゃんが言ってるセンスってのは少し違うからな。えっと、経験とか、生活習慣とか、そう言うのをまとめてセンスっていってんだよ。伝わるか?」
「なんとなく、わかったような気がします」
 蛍太さんの母は俺が理解してもしなくてもどっちでも良さそうな感じで、センスよセンスと言っている。

 食事は意外にも充実していた。喋り声は絶えず、変に緊張もしないですんだ。蛍太さんの母が率先して笑ってくれたおかげだろう。ただ、食事中に興津さんの声は聞くことがなかった。相槌さえもない。
 興津さんはほとんどの時間を庭で過ごしていた。
「結構戻ってきたんだよ。あれでもな」
 蛍太さん曰く、実家に来て初日の興津さんの精神はとても不安定で、夜に来てから翌日の夕方。蛍太さんが自分の家に戻るまでの間、泣くことと怒ることと、何かに祈ることに費やしていたらしい。
 そのあとは蛍太さんの母が看病を続けていたようだが、どうやら、真夜中まで同じことを繰り返していて、見かねて睡眠薬を飲み物に混ぜて無理やり寝かせたらしい。
 昨日の昼に目が覚めてからは今みたいな落ち着いた様子になってくれたのだと蛍太さんの母は笑って言っていた。
「うん、人間って案外壊れないものよ。周りの人間がしっかりしてればね。全人類が同時に落ち込むなんてあり得ないじゃない。それって、支え合うためだと私は思ってるからね。ほら、支え合いましょう」
 俺は掃除機を手渡される。蛍太さんは洗濯物を取り込んでいるらしい。蛍太さんの母はもう夜ご飯の仕込みをしていた。コツコツと野菜を切る音が聞こえる。
 やることが終わり、庭に出た。蜂が飛んでいることに気がつく。
 警戒していたが、ミツバチはこっちから攻撃しない限り刺してくることはないと蛍太さんの母が教えてくれる。ミツバチは毒針を刺すと死んでしまうらしい。命を犠牲にして繰り出す最終手段ってことだ。
 日が落ちてきて、強い西日が射す。それからあっという間に暗くなった。オレンジ色の光の中でくっきりと浮き出していた興津さんは、いつの間にか闇に溶けていた。真っ白な太腿と顔だけが浮いているようにも見える。
「おいおい、なにぼーっとしてるんだよ穣介。夜飯の準備だぜ」
「え、なんですかそれ」
「火、起こすぜ」
 炭と書かれた段ボールを両手で担いだ蛍太さんが庭に出る。俺も道具を出すのを手伝った。炭を焼くためのコンロ、着火剤、ライター、小枝、その他諸々。
 蛍太さんは慣れているのか、淡々と炭を乗っけていく。俺もそれを手伝った。
「穣介ありがとうな。けど、これ適当に置いてるわけじゃないんだよ。空気が通りやすいようにしてるん。頼むぜ」
「ひぇー。めっちゃ頭使ってるじゃないですか」
「穣介って、見た目んわりに適当な。面白いからいいんだけど」
 俺は自分の面白さに感謝しつつ、注意深く炭を置いた。うん、上出来だろう。
 それからチューブの中からゲル状の着火剤を出し、炭と小枝に満遍なくつけた。ライターで蛍太さんが火を付ける。ボッ、と音がして蛍太さんの険しい顔が照らされた。
 それから俺は言われるがままに団扇を扇いだり小枝をくべたりして、炭に火が定着するのを手伝った。
 パチパチと音が鳴り、小さな火の粉が舞う。コンロの周りには椅子が四つ。そして四人とも腰掛けていた。興津さんの顔が赤い光に照らされる。
 網の上で串に刺した肉と野菜を豪快に焼き、豪快に食べる。濃いタレにつけて食べる串は満足感がすごい。たまに炭を足し、いつの間にか食事は終わっていた。思えば、昼飯が少し遅かったせいもあってあまり食べていない。
「ふう。じゃあ私はお風呂入っちゃうから。あとは勝手にしといてね」
 蛍太さんの母が席を立って家に入っていった。
 俺は二人のことを観察した。蛍太さんは空を見ながら炭酸をたまに飲んでいる。興津さんはじっと炭を見つめていて、顔が真っ赤に照らされている。
 わずかに、ほんのわずかに、興津さんの表情に普段のゆったりとした柔らかい雰囲気が見えた気がした。
 火がそうさせるのだろうか。俺も見てみる。確かに、音も相まって気分が落ち着いてくる。もしくは、極度の集中状態になっているのかもしれない。
 闇の中に浮かぶ火の明かりだけが世界の全てのように思えた。不規則になる炭が爆ぜる音に規則性を探そうとするのも、集中するのに一役買っている。
 それ以外のことは、ゆっくりと頭の中を流れていた。普段なら気がつかない自分の感情や人に対しての想いや、空気の匂いが、断片的に現れては消える。
 いま、興津さんはどんなことを考えてるんだろうか。
 そんなことを考えてながら、眠気に襲われる。夜風が気持ちいい。隣を見てみると蛍太さんも目をつぶっている。俺もそのまま寝てしまうことにした。

 汗が冷え始めた。ベタつきと寒さで目が覚める。一体どれくらい眠ってたのだろう。あたりは薄明るくなっていた。きっとまだ火が上ってすぐくらいだろう。コンロにはまだ火が轟々と燃えていた。
 なぜ?
 むしろ眠る前よりも激しく燃えている。音もすごい。その火の向こうに興津さんが見えた。薄明かりに照らされて幽霊のように透き通っているようにも見える。
「……」
 目が合った。
「起きたんですね」
「えっと、おはよう。何してるの?」
「私、やっと気がつきました」
「何に?」
 と聞いたのだけど、多分聞こえていたはずだ。だけど興津さんは足早に家の中に入ってしまった。隣は空席。蛍太さんも家の中に入ったのか。俺のことも起こしてくれればいいのに。
 伸びをして立ち上がる。住宅街ではあるが、自然を感じさせる清々しい感じがした。道路を挟んだ向かいの家の庭で、早起きな老夫婦が庭の手入れをしていた。軽く会釈する。老夫婦は軽く微笑むと、淡々と自分の作業に戻った。
 周りの家、全て庭が広い。家と家の間隔は広く取られていて、窮屈な感じがしない。さっきの老夫婦の身なりと雰囲気といい、ゆったりとしていて、ここら辺は金持ちが住んでるっぽいと俺は判断を下す。まあ、下したところで罪も罰もないのだが。
「起きたのか。あれ? 積木ちゃんは?」
「なにかに気がついて家の中に入りましたよ。ってか、シャワー浴びたんですか?」
 首からタオルをかけ、濡れた髪の毛を拭いている。ラベンダーの匂いがした。
「さっぱりした。穣介も入れば」
「お言葉に甘えさせてもらいます」
 服や髪に炭と脂の匂いがこびりついているのが自分でも分かっていた。すぐにでもシャワーを浴びたい。ちなみに俺は人の家のシャワーを平気で浴びれる人間だ。
 着替え場に入ると興津さんと鉢合わせた。服は、当然着ている。収納の中から何かを探しているらしい。
「何か探してるの? 時間かかりそう?」
「いや、もう大丈夫です」
 そう言って、手にくたびれたジャケットやらシャツを持って出ていった。
 俺は興津さんが出ていくのを確認してから、部屋に鍵をかけて熱いシャワーを浴びる。変に目が冴えた。
 ような気がしたが、浴室から出てひんやりとするフローリングに寝そべってみると間も無く眠ってしまった。

 蒸し暑さで目が覚める。喉がものすごく乾いていた。喉の内側が全てくっついて閉じているような錯覚に陥りパニックを起こしながた水道水を飲んだ。
「お、水道水直飲みなんて日本以外じゃヤバイぜ」
 なぜかスーツを着ている蛍太さんが笑いながらいった。しかもワインレッド、であってるのだろうか、赤紫のスーツに黒いシャツとあしらっている。少し色の抜けた青髪がやけに似合っている。実に、近寄りたくない感じだ。
「その格好、どうしたんですか?」
「家にあった」
「あ、あー。そうなんですか」
 なんか、聞きたいことに答えてくれないな。まあ、寝起きで目覚めも悪かった俺はあまり追求せず、また水道水を口に含んだ。カルキの匂いがきつい。
「蛍太さんのお母さんはどこ行ったんです?」
「買い物」
「興津さんは?」
「部屋」
「何してるんですかね」
 どこから取り出したのか、蛍太さんはサングラスを掛けていた。鼻に書けるようにサングラスを落とすと、その隙間から目を覗かせて一言、
「服を作ってる」
 サングラスを元の位置までキザっぽく戻すと、その動きの流れを切らすことなく、置いてあったぶどうを一房口に含んだ。俺もつられて食べてみる。種があることに気がつかず歯を痛めた。
「痛てっ。なんですかこれ。種ありって逆に珍しくないっすか?」
「本来は種があるのが普通だろ。種がなくて美味いところだけなんて健全じゃねえよ」
 蛍太さんは口の中の種を直接ゴミ箱に飛ばした。吹き矢で将軍を暗殺する忍者が思い浮かぶ。
 俺もやってみたいと思ったが、種は口の中で粉々になっているからティッシュに丸めて捨てた。

 捨てられたあの赤ちゃんは孤独なはずのゴミ捨て場から、インターネットを通じて世界に発信された。発信したのは俺たちで、そうして一躍有名になりかけている。
「健全じゃないよな」
「ですね」
 二人でパソコンの画面にかぶりつく。蛍太さんの母のノートパソコンだ。ごちゃごちゃとシールやデコレーションが施されていて、ずいぶんと邪魔だ。
 蛍太さんの母の仕事部屋にはデスクトップパソコンが置いてある。日常系のエッセイ漫画を描いて収入を得ているらしく、画面に専用のペンで絵を描くことができる専用の機材が整然として置いてあった。私用のパソコンがごちゃごちゃしてるのはその反動なのだろうか。色々とストレスが溜まる仕事なのかもしれない。
「これ[積木ちゃん、かわいそうだよな]だって。んでこの人のコメントを遡ってみてみると、ゴミ捨て場でのことで初めて積木ちゃんのこと知ったらしいんだよ。なにを知ったつもりになってるんだろうね。全く」
 ゴミ捨て場での一件以来、俺たちのことを知る人は圧倒的に増えた。その前の青姦配信の再生数も伸びていたから、やはり俺たちの配信を見に来ている人がいると言うことだろう。
「まあ、でも人気者になったはなったってことですよね。捉えようによってはいい部分もあるんじゃないでしょうか?」
「そうだな。俺もそう割り切れる。けど、積木ちゃんはそうもいかないみたいだけど」
「なにをそんな神経質になってるんですかね。まあいいんですけど」
「全然良くないぜ。穣介。他人事じゃないんだ」
「ま、まあ、確かに他人とはもう言えませんけどね……」
 蛍太さんはニヤニヤと俺を見ている。その真意がわからない。
「なに見てるんですか!」
「いや、お前、結構可愛い顔してるなって思ってな」
「え、ちょっ、ちょっとまっ」
 蛍太さんが俺に迫って来ている。嘘だろ? あまりの展開におれ、ついていけないよ!
 思わず目を瞑った。学生時代もボールが飛んできたりすると目を閉じてしまってたな。本当は見て避けなくちゃいけないのに。怖くてどうしても目を瞑ってしまう。
 ピッ
 ん? カメラの音?
「え?」
 目の前にはカメラを構えている蛍太さんがいた。
「うわ。音、出るのかよ。ここからが面白いところだったのに」
「撮ったんですか?」
「覚悟を決めた顔をしてるように見えたから記念にな」
「決めてないっすよ!」
 全く、何を言ってるんだか。いかん、蛍太さんが変なことを言うから、妙に唇を見てしまう。感想は、いや、そんなことは考えないようにしよう。
「とにかく、おきづっちには、早く立ち直ってもらわにゃならんな」
 それは俺だって思う。そういえば、アルハレからも心配だと連絡が来ていた。アルハレと俺の意見は同じだった。きっと、時間が解決してくれる。

 夕方になると興津さんが部屋からでてきて、その手には子供が着るサイズの服を持っていた。
「私、今日もバーベキュー がいいです」
 昨日の油臭さを身に纏ったままで、さらに肉を焼きたいと言う。そんなお興津さんを蛍太さんの母はニコニコして見ていた。なんとなく、普通な感じに戻ったのが嬉しいらしい。
 蛍太さんと俺はすぐにバーベキューの準備を始める。準備とは言っても道具は庭に出しっぱなしだし、食材を準備するくらいしかやることはない。
 足りない具材は蛍太さんの母がスーパーまで買いに行ってくれている。興津さんはちゃっかりとお風呂に入り、さっぱりとしている。また、黒いワンピースを着ているけど、油のニオイがないから、別の服なんだろう。少しだけサイズ感が変わっている気もする。
 そうして、蛍太さんの実家での二度目の夕食になった。昨日より少し野菜よりになっているのは気のせいではないだろう。二日連続で肉ばかり食うのは負担だ。
 最後には焼きそばを食べ、昨日よりも簡単に食事が終わった。
 食後、昨日と同じようにボーッと炭火を見ていると、やはり眠くなってくる。一度外で寝ても問題ないと身体が覚えた俺は迷うことなく眠る。おぼろげな意識の中で俺は気がついた。むしろ、外で眠ることの気持ちよさを俺は知ってしまったんだ。もう戻れない。

 肩を揺らされて目が覚める。汗は昨日と同じように冷えていた。ああ、この目覚めかたは最悪だ。眠る時は最高だったのに。思えば疲れも全然取れていない気がする。やっぱり外で寝るのはあまり良くないな。
 あたりは暗い。昨日は明け方に目が覚めたけど、今はまだ日は昇ってない。深夜らしい。
「早く起きてください。蛍太さんも!」
 蛍太さんも同じように椅子の上で寝ていた。やはり、あの気持ち良さを知ってしまったらもう戻れないんだろう。
 目の前の炭火は赤く燃え上がっている。今日も興津さんが消えないようにしていたのだろう。
「興津さん? なにしてるの?」
「これからするんですよ」
 だから何をするのか、それを答えてくれない。
 蛍太さんが目を覚ました。
「うわうわ、何? てーか頭いてー。やっぱ布団で寝るべきだったか」
 激しく共感できることを言いながら目を擦る蛍太さんは、興津さんに起こされたことを確認して一言いった。
「積木ちゃん、なにするつもり?」
 興津さんはコンロを挟んだ向こう側に立つ。椅子の上から家で作っていた子供用の服を手に取るとそれを掲げた。
「私、聞いたことがるんです。亡くなった人は煙を食べるって。詳しいことはわからないんですけどね。とにかく、私たちであの赤ちゃんに何かを送らなくちゃいけないと思うんです。だから、これから行うのは葬儀であって、儀式であって、けじめなんです」
 俺も蛍太さんも黙って聞いていた。興津さんは火に照らされていて妙に神々しい。それは表情のせいだろう。本当に、覚悟を決めている、真剣な眼差しだった。
 興津さんは意志の強い人なんだと、この時に気がついた。解決が困難な出来事になんとか落とし所を見つけることは、何かを諦めることが必要で、それは決して簡単ではない。
「私がこの服を燃やしたら、みんなで目を瞑って黙祷しましょう。そして、祈りましょう。何に祈ってもいいんです。私は、あの赤ちゃんと、捨てた親と、私自身に」
 子供の服が赤い木炭を包み、一瞬あたりが暗くなる。俺は目を瞑った。まぶた越しに火が燃え上がるのがわかった。ちりちりと音がする。
 いったい、何に祈ればいいのだろうか。別に、形式だけ祈るフリをすればそれでいい。けど、祈るべきことがある気がする。
 蛍太さんはなにを祈るのだろうか。案外、祈るフリだけをしてそうな気もする。なんかこう、手の抜き方を知ってるタイプだと思うし。
 ふと、アルハレが思い浮かんだ。アルハレはどう思っているんだろうか。この儀式に参加したかったんじゃないだろうか。けど、何処に住んでるのかも、顔すらも知らない。
 他にも、視聴者たちはどうだろうか。偶然、俺たちのあのゴミ捨て場での配信を見てしまった人達。
 彼らの中にも傷ついた人がいるだろう。その傷は癒すことができたのだろうか。
 自然とそんな人たちのことを思い浮かべていた。俺は、出会ったことのない視聴者たちに祈っていた。

「はい、これで終わりです」
 興津さんの掛け声で目を開ける。塵になった服が舞っていて目を細めた。
 興津さんはスッキリとした表情で、スタスタと家の中に入って行った。逆にこっちはさっきの儀式からそんな簡単に気持ちを切り替えられずにいる。
「あの、蛍太さんはなにか祈りましたか?」
「ああ、ちゃんと祈ったぜ。俺たちのこと」
「俺たち、ですか」
 蛍太さんは返事もせずに家に帰った。二人とも自由なのは良いけど、全然片付けてない。
 仕方なく片付けてから俺も家に入った。
 家の中の明るさで軽く頭痛がする。リビングの椅子に蛍太さんが座ってコーラを飲んでいた。
「積木ちゃんが風呂から出たら発表があるから座って待つべし」
「え、なんですかその言葉遣い」
「待つべし」
「……はい」
 黙って待つ以外の選択肢はなさそうだ。蛍太さんと出会ってまだ期間は短いが、そういう人なのは薄々感づいている。てか、発表ってなんだ? あの言葉遣いのせいで肝心な所を聞きそびれてしまった。もしかすると俺の気を逸らせる為の作戦だったのかもしれない。
 俺は冷蔵庫に入っていたエナジードリンクを頂戴する。蛍太さんは何も言わない。飲んでいいということだろう。
 本当は一気に飲み干したいところ。が、飲み物がないとなんとなく気まずくなる気がして、ちびちびと飲む。こうやって飲むエナジードリンクは本当に旨くない。
 そうやって缶の中身が三分の一くらいになった時、興津さんが風呂から出てきた。
「さっぱりしました」
 それから冷蔵尾からコーラを取り出して飲んでいる。
「積木ちゃん、集合だ。発表があるぞ」
 興津さんは不思議そうに頭を傾けてから、蛍太さんの隣に座った。
「さて、みんな集まったかな」
 この三人がみんなで合っているのかどうか、それは蛍太さんにしか分からないことだ。
「うん。集まってるな。じゃあ、発表だ」
 いったいなんだ? 蛍太さんがわざとらしくネクタイを締め直した。なぜか緊張する。
「いいか。これより、正式に俺たち三人。つまり、俺、佐藤蛍太と、大島穣介、興津魅桜のことだ。この三人で配信活動をすることにする。いや、したいと思う。嫌な奴は挙手」
 突然の宣言に困惑するしかなかった。三人でグループを組んで配信をする。ただ、今までとやることは変わらないと思ったし、俺は無職で時間がある。別に挙手をしるほど嫌じゃない。
 なんて思っていたが、興津さんは勢いよく手を挙げた。
「はい、積木ちゃん!」
「リーダーは誰ですか?」
 なるほど。興津さんはそもそも生配信をしていたわけで、やるのは当然くらいの気持ちらしい。
「蛍太さんが良いんじゃないですかね?」
 俺が言うと蛍太さんに即答で却下された。
「いや、リーダーは穣介、お前だ」
「おー、おめでとうございます〜!」
 実は、こうなる気がしていた。ちなみに蛍太さんの言葉だけならまだ巻き返せるチャンスはあったんだ。けど、問題は興津さん。打ち合わせ済みかと思わせるほどのノンタイムで簡潔な祝辞を述べた。その時点で俺の負けなのだ。
「あ、あ……」
 小さくお辞儀をしてしまう。でも、まあ、リーダーとは言ってもね。大したことをするわけじゃないだろう。
「じゃあリーダー。今後の配信での全責任をになってもらうからな! よし、今日は解散!」
「え? 責任ってなんですか?」
 呟いた言葉は誰にも届かなかった。もしくはみんな疲れていて返事をする気がなかったのか。あるいは、これから活動していく仲間に対してこんな感情を抱くのは良くないのかもしれないが、話し合うつもりがなかったのか。
 とりあえず、今日は眠ることにした。時計をやっと見てみる。午前三時半。この時期はすぐに明るくなる。暗いうちに眠ろう。
 けど、なかなか眠りにつくことができなかった。配信者の責任って、なんだろう。それがぐるぐると回った。

#7  巨大迷宮配信
 生配信とは一体、なんなんだろう。テロップや効果音をつけた、いわゆる編集された動画と比べると、確実に完成度は劣る。
 しかし、人気ジャンルになりつつあるのは確かだ。やはりリアルタイムで時間を共有できるのはそれだけで楽しいんだろう。だが、どうだろう。このままでいいのだろうか。
 配信者が増えてくる。そうすると自ずと評価は相対的になってくるだろう。時間を共有するだけで楽しかった配信は、だんだん、楽しませてくれるのが当然なエンターテイメントになる。
 多分、求められる能力はとても高いものになる。なんせ視聴者とは直接対峙してるし、凝ったことをしようとすればミスをする可能性も大いにある。だからこそ、配信者一人一人の能力が最大に生かせる〝場〟が必要だ。
 って蛍太さんが言ってた。
 昨日の夜、俺たちはこの部屋に戻ってきた。儀式が終わった後、睡眠をとってから昼過ぎに目覚め、興津さんを家に送った後のことだ。
 今は昼。日光を避けるために遮光カーテンをしている蛍太さんの部屋は薄暗い。
 俺は蛍太さんお家で暑さを耐え忍びながら横になっている。いつの間にか出来上がった俺スペースにはゴミが散乱していた。
 蛍太さんはいつものようにゲーミングチェアに腰掛けている。FPSをしているんだろう。マウスの動かし方的に。
 スマホが鳴った。正確には、スマホがバイブレーションしてフローリングと激しくぶつかって音が鳴った。
 もちろん、蛍太さんはヘッドフォンしているから気がつかない。別に隠れる必要もないが。
[ところで様子はどう?]
 アルハレからだった。最近は連絡がなかったが、気を遣っていただろうか。俺はなんとかみんな無事だと返信する。
[それは良かった。んでさ、ちょっと面白そうなイベントあるんだけど、気になって?]
[えー、気になる]
[ズバリ、謎解き大会! 絶対配信映えするぞこれ]
 そこにはURLがついていた。
 俺は体を起こす。寝そべってばかりいた俺動き出したから、蛍太さんがヘッドフォンを外してこちらを見ている。
「あのですね、配信のネタ来ました」
「お、流石リーダー。どんなの?」
「これです!」
 俺はスマホを蛍太さんに見せる。
「お、アルハレからの案か。あいつも暇だな」
 蛍太さんと共にリンクに飛ぶ。遊園地の公式サイトで夏休みにビックイベント、謎解き大会開催と画面いっぱいにポップアップした。
「どうっすかね。これ」
「最高だろ。よし、積木ちゃんに連絡だ」
 開催は八月一日が始まりだ。カレンダーを確認する。明後日だ。

 この謎解き大会は毎年行われているようで、特に答えが完全に分からない初日は芸能人が来る年もあるほど大きなイベントらしい。
 開催される遊園地は『テオティワランド』広さは東京ドーム十個分なんてのを聞いたことがある。
 中は五つのエリアに分かれていて、アステカ神話を遊園地ように解釈した設定を採用している。一つ目のは巨人が住まう閑散としたエリア。二つ目は猿たちが住む木々が生い茂った爽やかなエリア。三つ目は雨で様々な作物が育ち、独特な生き物のようになっていて陽気なエリア。四つ目は水中で穏やかな雰囲気のエリア。五つ目はとても現代的になった騒がしいエリア。そうウェブサイトにそう書いてあった。
 謎解きイベントは、九時になると特定の従業員が配り始める秘密の手紙を受け取ることから始まる。その手紙には答えの写真を撮るためのヒントが書かれていて、合計三つの答えの写真を撮ることでこのイベントをクリアすることができる。
「なんか緊張してきましたね」
 蛍太さんの運転する車の中で、ルールを再度確認しつつ、みんなの緊張をほぐすために呟いた。
「てか、積木ちゃん寝てる? 冒涜だよな。運転手に対する」
 おっと、どうやら緊張してるのは俺だけらしい。だってさ、そもそも遊園地という非現実的な空間が存在するってだけでなんとなく心臓の鼓動が強くなるんだ。もちろん、悪い意味で。
 混み合う駐車場でなんとか駐車を済ませ、ちょうど目を覚ました興津さんと共に車を出た。そこから五分ほど歩くと、『テオティワランド』の入場口に到着することができる。
「うおー。でかいな」
 よく寝て元気いっぱいの興津さんはここからでも見える巨人像をみていった。あれは一つ目のエリアを象徴するものだ。
「中に入れるみたいだよ。景色が見られるわけじゃないからあんま人気はないみたいだけど」
 補足の説明をしてみる。
「えー、動き出さないんですか?」
「あんなデカいの動いたらヤバいでしょ!」
「ふーん」
 もう、興津さんの興味は受付に移っていた。キャストの人がキッチリとしていながらも可愛らしさがあるスーツに身を包んでいる。
 一月の食事代を犠牲にして切符を手に入れる。中に入るとまるで空気が変わったような錯覚を覚える。この感じが俺はあまり好きじゃない。
「わー、みんなー。見えてる?」
 興津さんが急に話始める。スマホに向かって。いつの間にか配信を始めてたようだ。これが配信者のサガ。
 正直、興津さんがちゃんと配信をできるのか不安だった。ゴミ捨て場の配信についてのコメントが流れるのは確実だからだ。
 そんな心配する思いもありながら、俺は急いでサングラスを掛け顔を隠し、一緒にスマホの画面を覗いていみる。
 案の定、ゴミ捨て場についてで俺たちを煽るコメントが流れている。興津さんの横画を見てみる。もう、何も気にしていなかった。
 大半のコメントはこの場所についてのことと、久々の配信を祝う内容だ。
[わ、どこだ?][都会やんけ!][特定した]
 みんな、ここがテオティワランドだということが分かっているらしい。後ろに映り込んでる入り口のアーチをみんな見ているんだろう。
 時刻は八時半。謎解きが始まるまであと三十分——。

 テオティワランドが騒がしくなった。レストランやアトラクションの控え室から民族らしい服装をした従業員が出てくる。
 大きな鞄を肩から下げていた。人が群がっている。
 その景色を俺たち三人は座って眺めていた。
「ちょっと空いてから行くか」
 カメラマンとなった蛍太さんがスマホを俺たちに向けて言った。コメントが気になった俺は画面を見に行く。興津さんも同じように見にいって、カメラは従業員を映し続けている。
[今いけ!][おい、先を越されるぞ!]と、意味もなく俺らを急かすコメントの中、何度も繰り返し連続で投稿されているコメントが目を引く。
[【悲報】万を辞しての配信、他の人気配信者もやっていて視聴者を盗られている模様【当然】]
 急に増え始めたコメントだ。俺たちを煽っている。少し気になるのが癪に障る。
 てか、他の配信者もここに目をつけていたのか。お目が高い。
 と感心しつつ、まあ何よりも、他のコメントが見えずらくて邪魔だ。
 なんとも、このコメントに触れるべきかどうか迷う。興津さんも蛍太さんも絶対に目に入ってるはずなのに、口に出さない。妙な気まずさがあって、それは視聴者にも伝わっているようだ。容赦無くその空気にツッコミを入れてくる。前回に比べてみている人の数は倍になっているから、コメントの質が落ちているのかもしれない。
 話題性があれば、嫌いなものでも人は見るんだろう。
 大体見終わって満足。目の前の人だかりはあまり減っていなかった。
「よし、バブちゃん。ゴーだ」
「え、空いてから行くんじゃないんですか?」
「あれは空かない。周りを見てみろ。実はあの人だかりを一周空いている空間があって、その周囲には俺たちみたいな待ちの奴らが大勢いる。バブちゃん、ゴーだ」
 確かに蛍太さんのいう通りだ。
「でも、なんで俺だけ行くんですか」
「そりゃあさ、インターネットがそれを望んでるからだよ」
 コメントを覗きに行くと、確かにその意見が多い。いや、よく見れば積木ちゃん派も結構いる。
 ちらりと横顔を覗く。一瞬目があったがそれっきりだった。
 しゃーない。行くか。
「一分で取ってくるからな。待っとけ!」
 そう。たとえ初心者とはいえ俺は生配信者。視聴者を喜ばす努力はしないといけない。こういう時は、威勢よく目標を掲げる。こうすることで、達成できれば盛り上がるし、出来なくても、言い訳で盛り上がるだろう。
 目標がなければ、本当にただ謎を持ってくるだけになってしまう。それは本当に損だ。
 ふん。予想はついていた。全然入っていくことができない。知っている。俺はこういう時にナメられるタイプなのだ。ネットの自己診断でも内向的と出るし。
 振り返れば、それを面白そうに蛍太さんが眺めている。つけてない腕時計を見て俺を急かす。俺もつけていない腕時計を見て仕返した。
「何してるんですか?」
 その時、誰かが声をかけてきた。体が勝手に身構える。女性の声だ。
 振り向くとそこには学生服を着た小柄な女の子が立っていた。マスクをしてるから顔はよく分からなけど目は大きい。化粧はしてなくて、髪も校則通りのショートの黒。しっかり手入れしてるんだろう。さらっさらだ。
「えっと、なんつーか、順番待ちってのかな?」
「へー。でもちゃんと人混みかき分けていかないと。待ってるだけで順番が回ってくるわけじゃないんですよ?」
 うぐ、いきなり辛辣な言葉だ。やはり俺はナメられやすい。
「そ、そうだよね。分かるわ」
「とか言いながら行かなそうですよね。わかる」
「いや、今気持ちを整えてるところだから!」
 目の前の少女は哀れむように視線をくれてから、小さなカバンからお洒落な封筒を出してきた。
「これ、あげましょうか?」
 封筒の中身は、やはり謎解きの手紙だ。
「うーん……」
 情けない。学生の女の子に欲しい物をもらうなんて。すぐに断ればいいのに迷っているなんて!
「いや、取ってくるよ。ありがとね」
 なんとかプライドが勝った。振り返らずに人混みに入っていく。うん。やってみれば案外いけるじゃないか。
 そして無事封筒を手に入れ意気揚々とする。スキップでもして帰ろうと思ったが、イメージの時点でうまく出来ないことが予想できてやめる。
「取ってきましたよ。いやー、取ってきました!」
 ベンチには誰も居なくなっていた。一瞬焦って周りを見渡す。
 いた。砂糖がめいいっぱいかかっている油っぽいあのお菓子を手にしている。
 なぜか、さっきの女の子も一緒にだ。
「はい。チュロス」
 興津さんから受け取る。とりあえず頬張る。大量の砂糖が口から溢れる。このクソ暑い時期に食べるには甘すぎる。
 口の周りの砂糖をきれいにしてから俺は成果を報告する。
「あ、あのー。取ってきたんですけど……」
「あー。お疲れ様。えっと、五分だな」
 なんとなく反応が薄い。いや、確実に興味を失っている。それはなぜか。そう。誰だって分かる。この女の子が原因だろう。
「なんでぼーっとしてるんですか? バブさん。頑張りましたね」
 いつの間に名前が流出している。蛍太さんか。まあ誰でもいい。
「ねえ、慰めないで」
 慰められたら、惨めになっちまうよ。

 三つの謎が書かれた手紙。例年も同じらしいのだけど、一つだけ異様に難しくなっているらしい。
 日曜朝の情報バラエティー番組では毎回取り上げられている。出てくるのは旬のアイドルで、簡単な二つの謎はテレビで流れるが、一番難しい部分は毎回カットされる。
「うわー! コアちゃんだー!」
 興津さんと蛍太さんは大はしゃぎしている。俺は恥ずかしくて乗り切れないんだけど、この娘は本当に冷めた目で二人を見ていた。

 三つの謎はこうだ。隠れトラロックを映せ。真っ赤な月を映せ。そしてもう一つ、テオティワランドのアイドルを映せ。だ。そして、今目の前にいるのコアちゃん。これは間違いなくここのアイドルだ。
 顔は蛇をモチーフにしているらしいが、首の周りにオレンジ色のトサカみたいなものがついてて、太陽を擬人化したようなキャラと言われた方がピンとくる。
 それにしても、ああいう着ぐるみを見てると、どうしても中に入ってる人が心配になる。
 空を見上げた。直接見られないほど太陽は眩しい。
「あ、えっとバブさん。一枚三百円もするんですよそれ」
 隣で女の子が俺に注意をした。彼女は高校一年生らしい。名前は言いたくないようで、しょうがないから、安直ではあるが名無しさんと俺たちは呼ぶことにしている。
 チェキから撮った写真が出てくる。真っ白で何も見えない。
「あれ、失敗したかな?」
「違いますよ。ちょっと待つんです。てか、かわいいですね。コアちゃんのイラスト」
 少しずつ青い空が浮き上がってくるその写真は枠があって、そこにここのオリジナルイラストが描かれている。
 謎解きには写真が必須だ。撮った写真を係員に見せなくてはいけない。そうなるとすぐに現像しなくてはいけないわけで、チェキが必要になってくる。
 テオティワランドでは、ここにしかない特別なチェキのレンタルをしていて、ここにしかないフィルムで思い出を残せると評判だと名無しさんは教えてくれた。
 一枚三百円。とは言っても一枚ずつ買うことなんて当然できず、十枚セットで三千円だ。ちなみに本体レンタル料は別で千円。ここを出るまで使い放題。
 今回行われる謎解き大会でももちろん使用ができる。というかこの敷地内にフィルムを現像する場所はないわけで、なんていうか、商売上手だ。
 はしゃぐ蛍太さんと興津さんを見ていると、さっき撮った太陽の写真が浮かび上がってきた。太陽は残念ながら入ってない。青空だけが写っていた。
「なるほど。やり方は分かった」
「太陽、全然映ってないですけどね」
 いちいち皮肉っぽい子だ。ってか、俺が舐められてるだけ、なんだろうな。
 とにかく、コツが掴めた。コアちゃんとそこに群がる蛍太さん興津さん他、多数の人をチェキに収めた。
「あんなにはしゃいで、何が楽しいんですかね」
「いや、ここはテーマパークだし、はしゃぐのが普通なんじゃない?」
「でもバブさんもはしゃいでないじゃないですか」
「まあね、俺は苦手だから」
「ふーん。じゃあ私たちお似合いですね」
 名無しさんがつまらなそうに言う。
「そういう発言って、しない方がいいと思うけど……」
 大人の俺を弄ぶようなことを平気で言いやがる名無しちゃんに優しく言った。恋愛経験がまともにない男相手にそう言う発言はやめてほうがいいと言う意味を込めて。本気にされるぞ。
 しかし名無しちゃんは表情一つ変えない。
「今日、彼氏と初デートだったんです。この通り失敗しちゃったわけですけど。だから、あいつよりはバブさんとの方がお似合いかな……。みたいな」
 清楚系だと思っていたんだけど、結構口が悪い。いや、まてまて。これは俺のことを信用してるからこその発言なのかな? どうなのかな?
「ニヤついてるの、キモいですよ?」
「うぐ」
 素直に落ち込むことにしよう。

 なんて無駄話をして蛍太さんと興津さんを待っているのに、一向に戻ってこない。それどころか姿も見えない。
 ちょっと名無しちゃんと気まずいし、戻ってきて欲しいけど、いかんせん謎解きの為のカメラマン達がどんどんコアちゃんの周りに集まってきていて、到底近づける状況じゃない。てかコアちゃんも見えないし。
 仕方なく配信をみて状況を確認することにする。
「あれ? ここ何処だ?」
 思わず呟く。ぎゅうぎゅうに人がいるはずなのに、配信画面では興津さんが余裕そうにコアちゃんの前にいる。
[は? 何してるんだ?][とっとと別のとこ行けよ][圧倒的な人間力が成せる技]
 まったく、コメントの奴らに期待してたわけじゃないからいいけど、これじゃあ状況が分からない。
[どうなってんの?]
 俺のアカウントからコメントを書き込むと、視聴者のコメントが多くなり流れが早くなった。この感じ、クセになる。
[近づくやつ全員56してるよ][お前に知る権利なし][今すぐ来い手遅れになるぞ]
 よくもまあこれほど適当なことを言い続けられるものだ。感心する。それにしても、状況が一向にわからない。むしろ混乱しているくらいだ。
 しかも、蛍太さんも興津さんも全然俺のコメントに気付いてないし。
「名無しちゃん、二人がどうなってるのか分からないけど、凄いはしゃいでるのは分かる」
「なんだかバカらしいですね」
 初デートに失敗した名無しちゃんにしてみたら面白くないんだろうな。
 途方に暮れていると、痒いところに手が届くと俺の中で有名なアルハレから有力な情報が得られた。
[配信の方にもコメントしたんですけど、二人は今、コアちゃんの撮影を仕切っています。正直意味わからなくて最高です]
 なるほど。よく分からないがまだ時間が掛かるってことだろう。
 その場を仕切っていると分かった上で配信を見れば、確かに撮影自由ですと蛍太さんが言ってるし、興津さんは、誰かのカメラを預かって代わりに写真を撮ったりしている。
 代わり映えのない画面だけど、コメント欄は盛り上がっている。もはや二人のことの話はあまりしてない
 テオティワランドに来ているらしい俺ら以外の配信者に対する言及も多い。いやでもその配信者の名前が目に入る。キャラメル大陸という名前のようだ。
 そんで多分男二人組だ。マコってのとケイってやつっぽい。赤髪とか呼ばれてるから多分赤髪なんだろうな。赤髪って……。と笑いそうになるが、蛍太さんも青髪なんだよな。そっか、こういう風に感じるんだ。まあ、俺のことじゃないからいいか。
「ずっと変な顔してますね」
 名無しちゃんがまた退屈そうにいう。
「名無しちゃんはスマホ全然見ないね」
「だって、こうですよ。見る気なくなります」
 名無しちゃんのスマホ画面を見せられる。おそらく彼氏、いや元彼氏というべきか、とにかくその人から無数の通知が来ていた。
「返事すればいいじゃん」
「いやですよ」
 と話してる途中も通知が来る。
「名無しちゃん、彼氏くんに居場所バレてるっぽいよ」
「え!」
 名無しちゃんは彼氏くんからの通知をすぐに確認した。そして、じっとスマホに齧り付いている。
 多分、名無しちゃんはキャラメル大陸の配信を見ているはずだ。俺も配信を見にいく。
 赤髪の男と制服を着た男が映る。
 ほーう。制服の男が彼氏くんか。普通にかっこいいじゃないか。全然嫌な感じもないし。うん。スポーツも勉強もできそうなタイプっぽく見える。
 彼氏くんは、俺たちの配信に名無しちゃんが付いてきていることを知っていた。なぜだか知らないが、名無しちゃんにそう連絡してた。それで、俺と会うのが嫌なら、とりあえずキャラメル大陸の配信を見て欲しい。そこに俺がいるからと。
「おう、言ってやれよ」
 赤髪の男が彼氏くんの背中を叩く。彼氏くんは画面にグッと近づいてくる。
「見てるだろ。あのさ、俺はお前とやり直したい。お前のこと、好きだから」
 この言葉にキャラメル大陸の二人が熱くなって何か言っている。よく分からないが。当事者よりも熱くなってるんじゃなかろうか。
「だけど、言葉だけじゃ意味ない。だから俺と勝負して欲しい。この謎の手紙を先に俺が解くことができれば、またやり直して欲しんだ!」
 なんて情熱的な男なんだ。キャラメル大陸の視聴者数は俺たちの配信の倍近く見ている人がいる。千人に少し届かないくらいだ。それだけの人を前にしてよくぞ言った。クールそうな見た目の割に結構やるじゃないか。
 俺は目頭に熱いものを感じながら名無しちゃんの方を見る。
「ばっかみたい。勝手に決めてんじゃねえよ」
 え、あれ? 顔を真っ赤にして怒っている。冷静になってみれば、確かに自分勝手な言い分だよな。
 いけない。なぜか熱くなってしまった。こんなふうに思うのは、生配信の魔力のせいだろう。

 名無しちゃんの言葉で我に帰った俺とは対照的に、画面の向こうの方は盛り上がりを増している。
 そして、妙なところで矛先が俺たちに向いた。赤髪の男が画面に近づいてくる。
「よし、君の熱い思いに俺は心打たれたよ! おい! 彼女と一緒にいる奴ら! これは男と男を掛けた勝負だ! 負けたら坊主だ。これは真剣勝負!」
 おいおい、勝手に話を進めるなよ。名無しちゃんの気持ちが痛いほどわかる。しかし、コメントは盛り上がりを見せていた。
 怖いのでそっと画面を閉じる。
「名無しちゃん、君の気持ちが少しだけ分かったかもしれない。勝手なことばっかいってるよこいつらさ」
「ほんと、馬鹿みたい。あ、出てきた」
 名無しちゃんが視線を向ける方を見てみる。壁みたいな人だかりの中から蛍太さんと興津さんがんにゅるりと現れた。目はギンギンに開いてて、興奮してる。
「なにぼーっとしてるんだよ! キャラメル大陸ってやつだ。俺らの配信見てたか?」
 蛍太さんの声が裏返ってる。こりゃ相当興奮していやがる。興津さんも横で顔を赤くしてるし。
「いえ、見てたのは向こうの配信でしたけど……」
「キャラメルか? でかした!」
 名無しちゃんが明らかに嫌そうな顔をしている。そりゃあ、そうだよな。厄介ごとに巻き込まれる未来しかみえないもんな。
 そんなことはつゆ知らず、蛍太さんはグッと俺にカメラを向ける。
「おい、キャラメルの奴らはなんて言ってなんだよ」
 いやー、なんでなんだろう。さっきまでキャラメル大陸の言ったことに対して結構冷めた気持ちだったのに、カメラを向けられたら、急になにか言ってやりたくなるじゃないか。
「まあ、幼稚な宣戦布告でしたよ」
 なんでこんなことを言ってしまうんだと思いながらも、視聴者を喜ばせたい一心でこんなことを言ってしまう。でもまあ、反応は良さそうだ。スマホの画面を追う蛍太さんの目が、コメントの流れの速さを物語っている。
 仕事中にこれほどまでの興奮と充実を感じたことはなかったな。今の俺は、俺の力で赤の他人の心を動かせている実感がある。
 少ししてカメラは興津さんに向けられた。カメラに映っていないと分かると、急に気持ちが萎え始めてさっきまでの冷めた気持ちが湧き上がってきた。ふと、名無しちゃんを見ると、ゴミを見るような目で俺を見ている。
 はは、違う違う。やめてよ。って声に出して言えないです。
「あのですね! 私、あんな身勝手な奴らは懲らしめないと気が済みませんよ!」
 興津さんは思っていることは一緒だが、逃げがちな俺とは違って気持ちの発散方向が戦闘に向いていた。
 こうして、俺たちは名無しちゃんの恋の行方をかけてキャラメル大陸と勝負することになった。

 青い屋根が特徴の、テオティワランドで一番有名なレストラン、『レストラン・テナン』で俺たちはご飯を食べている。
 現時点では、こちらが一歩リードしているから、少し余裕を持っていた。
 ただ、飯を食べにきただけじゃない。二つ目の謎、隠れトラロックを映せ! に取り掛かっている。
「でも、正直ここまでは余裕なんだよなー」
 興津さんが運ばれてきたお皿の写真を撮った。頼んだハンバーグも美味しそうに撮れている。
[これは有名][撮るならもっと珍しいのを撮れよ][みんな勝負のこと忘れてるだろ。これで正解]
 とにかく、有名な隠れトラロックらしい。
 隠れトラロックは正方形に口と目がついた人目見て分かる模様だ。そして料理が載っている皿は基本が黒でそこに格子状に金色の線が引いてある。その中の一つが隠れトラロックになっているわけだ。
「そんなにこれ有名?」
 全然俺は知らないから聞いてみると、視聴者から皮肉な褒め言葉をいただく。
[さすが][分かってたけどちゃんとしたインキャじゃん。安心した]
 そこに興津さんが割り込んでくる。
「いやいや、君たちも似たようなもんでしょ。こんな晴れた日に私たちの配信見てるくらいなんだからさ」
[うぐ][うーん]「ぐうの音も出ない」
 素直な奴らだ。いや、無責任なだけか。
「んじゃ、飯食うぞ。腹が減っては戦はできぬって、こういう時に言うのであってるよな」
 蛍太さんの号令で一気に食事が始まる。配信のカメラは俺と興津さんに向いていて、コメントを読む為に俺は自分のスマホを開きながら飯を食った。
 記憶にも記録にも残らないような雑談を終えて、飯も食べ終わる。
 蛍太さんも興津さんも食べ終わっていたが、名無しちゃんだけはあまり進んでいなかった。
「名無しちゃん、ちゃんと食べないとこの後大変だよ?」
 コメント欄では変態紳士と何故か呼ばれている。やっぱこいつら無責任だ。
 名無しちゃんは手に持っていたスプーンを机に叩きつけるように置いた。
「貴方達はどうせ他人事ですもんね!」
 あまりに説明が足りないが、言いたいことは痛いほどわかる。
「いや、そんなことないよ……」
 それしか言えない。
[無責任すぎる]
 そんなコメントが目に入った。けど、触れないことにする。ほんとにムカつくコメントだった。
「食べないなら貰っちゃいますよ?」
 興津さんが呑気そうに名無しちゃんに言う。
「普通そんなこと言わなくないですか?」
「そうなんだー。私、普通とか分からないな」
 名無しちゃんは不満そうに食事を始める。配信は盛り上がっていた。俺達が普通から離れれば離れるほど、ここではヒーローだ。

 真っ赤な月を探すのは難航していた。名無しちゃんの険悪な雰囲気を察して、蛍太さんも興津さんも俺も、そして視聴者までもが、かなり協力的だったが、なかなか見つからない。
 さらに焦るのは、キャラメル大陸の方も俺たちと同じ謎を二つ解いたということだった。難しくない謎だし、こうなるのは分かっていたけど、それでも想像以上に焦りを感じている。
 まだまだ明るいけど、時刻は十六時になっていた。
[すみません、こっちも収穫ないっすわ]
 アルハレからも何も情報がない。もちろんネットの海から情報を得ようとしてくれてるんだろうけど、初日だし、情報があるはずもなかった。
 テオティワランド内の赤いアトラクションや、売店に並んだ商品を散々見て回ったが、全然ない。
「ごめんみんな。ちょっと電池切れそうだから一旦切る」
 蛍太さんがそういうとスマホをぐったりを膝の上に置いた。俺たちはベンチの上で同じくぐったりを座っている。
 俺は一つ、提案をしてみた。
「どうします? もうこのまま配信再開しないで帰っちゃいません?」
 我ながらいい案だ。思えば、こんなことにマジになる必要なんて、全くない。
「うーん」
 蛍太さんは頭を掻く。そして目を閉じて眉間にシワを寄せた。意地を張っているようには見えない。
「何を悩んでるんですか?」
「なんていうか、今日の配信って、チャンス、のような気がするんだよ」
 確かに、視聴者数は六百に迫る勢いで、配信の始まりから二百人くらい増えていた。キャラメル大陸効果だと思うけど。
「チャンスですか」
「ああ。別に、視聴者数だけのことを言ってるんじゃないんだ。いつもとコメントの感じが違う。一体感があるんだ。つまりだな、キャラメル大陸対俺たちという対立構造が生まれたおかげで、俺たちに視聴者たちが団結している。ように思える」
「それで配信を続けるべきだと思うわけっすね」
「なんとか、このまま手懐けたい」
 困ってしまうな。興津さんに助け舟を求める。
「がんばってくださいね。リーダー」
 興津さんの他人事な感じ、うん、落ち着く!

 テオティカワランドの携帯充電器。コンビニなら二個買える値段だった。
「バブさんって、リーダーなんですか? 雑用係にしか……」
「名無しちゃん。君だけはそんなことは言わないでくれ」
 蛍太さんに充電器を渡す。ふと、あたりに人だかりができていることに気がついた。
「あれ、またコアちゃんが来たんですかね?」
 俺は蛍太さんに聞く。
「違う。あれはテレビ撮影だな」
「へー。野次馬って多いですね」
 蛍太さんが充電を始める。ていうか、配信に使ってるスマホは興津さんのものなのに当然のように蛍太さんが管理して笑えるわ。
 興津さんは名無しちゃんと話していた。配信がついてる間は話してなかったけど、興津さんは配信モードに入っていたんだろう。
「名無しちゃんがどう決断するか分からないけど、モヤモヤするなら自分で無理やり区切りを作ったほうがいいよ。そういうの、できる人とできない人がいるけど、無理やりね」
「そうなんですね。うん。分かりました」
 正直、二人の相性は悪いのかなって思ってたけど、そうでもないようだ。なんかあるんだろうな。同性同士の何かが。
 撮影班が移動する。演者は二人で、一人は見たことがある顔だった。中性的な顔つきが魅力の男性アイドルで、何かの賞をとって話題になっていた人だ。
 その芸能人の姿はすぐに見えなくなった。この目にその姿を焼き付けていたつもりなのに、すぐに見たいと思った。そう思わせる人が芸能人になるのかもしれない。
「本物は違いますね」
 俺は言った。蛍太さんが返事をする。
「ああ。一体何が違うんだろうな」
「オーラとかっすかね」
「オーラなんてあるわけないだろ」
 なんていうけど、俺からすれば蛍太さんもオーラがある方に見えるけど、まあいい。
 蛍太さんはスマホの電源を入れようとするが、すぐにはつかない。まだ充電が足りないようだ。
「穣介、キャラメルの配信みようぜ」
「了解っす」
 蛍太さんが貧乏ゆすりをしながら言う。焦っているんだろう。
 俺はスマホを取り出してキャラメル大陸の配信を開いた。
 配信画面には地平線が映っている。味気ない高層ビルや橋が彼方に続いていた。すぐに画面が揺れて赤髪が現れる。
「でもさ、お前の気持ち、よく分かるよ」
「あざっす」
 どうやら赤髪が彼氏くんと語り合っている途中らしい。背景から見るに観覧車に乗っている。キャラメル大陸のもう一人は全然喋らない。キャラ作りなのかなんなのか。
 俺たち四人(名無しちゃんは興味のないようなそぶりをしているが)で俺の小さな画面に頭を寄せている。一番初めに蛍太さんが興味をなくした。
「はー。なんだよこの配信。まあ、視聴者が好きそうってのも分かるけど、正直いい人アピールって感じで嫌だな」
 蛍太さんは他の配信者に厳しらしい。ライバル意識があるんだろう。俺には、そう言う感覚は少ない。
 観覧車はもうすぐ終わりのところに来ていた。赤髪がしっかりと自分の顔を撮している。
 今観覧車の終わりのあたりで時計に例えると十五分のところに来ていた。自分の顔越しに地上を撮して高さを見せている。
「なんかこの人、自分好きそーな感じしますね」
 興津さんが淡々と言う。そんな俺はなにか妙な感じを覚えていた。
 なんだろうか。なにか画面に違和感を感じる。コメント欄にヒントを探すが、誰も言及していない。
「穣介、こう言う配信者になろうって思わないでくれよ?」
 蛍太さんの言葉も無視して画面に集中していた。
「この観覧車って、どこにあるんすかね」
 俺の質問に名無しちゃんが答える。
「お昼を食べたレストランから歩いて十分くらいのとこですかね。巨人のエリアに大きな像がありますよね。それのちょうど反対側の辺りです」
 返事をせずに画面を見る。幸い、赤髪はカメラをあまり動かさなかった。後ろの景色がよく見える。
 そこに、『レストラン・テナン』が見えた。さっきからチラチラと映っていたのだが、違和感の正体はそれだった。
 青い屋根が目印のレストランのはずなのに、赤い。そう、それは赤い月だった。

 急いで観覧車の列に並ぶ。人気のアトラクションですでに多くの人が並んでいた。約一時間待ちで並んですぐにまた後ろに列ができ始めた。幸い、キャラメル大陸の視聴者たちは赤い月の存在に気が付いていない。
 十分くらいで後ろには観覧車一週分ほどの列ができた。蛍太さんは配信をつける。俺は自分のスマホでコメントを確認した。
[千年待ってた][寝てた][遅すぎる。配信者としての自覚を持て]
 そういえば、こう言う時には真っ先にアルハレが情報をくれたりするのに、今日はなかった。まあ、いつも暇なわけじゃないんだろう。
 カメラは興津さんに向いていた。興津さんは普通にピースとかをしている。
 蛍太さんが口を開く。
「さて、みんな随分と待たせた。充電は完了、してないけど大丈夫だ。さて、なんで俺たちの配信が遅れたのか。それはこれを見て欲しい」
 興津さんが両手で背後にある観覧車を目立たせている。蛍太さんもそれに合わせてダイナミックな感じのカメラワークで観覧車を撮した。
「俺たちは、赤い月の場所を知ってるってわけだ! 答えはこの観覧車にある! 一言言ってやれ! バブ!」
「え、あ、オラ! キャラメル大陸死す!」
「からの?」
「からの? えっと、俺たちが天下を取る! なんちゃって……」
 また大袈裟に言ってしまった。最後になんちゃってとは言ってみたものの、多分声が小さすぎて配信に乗ってないだろうな。
「おい、ウチのリーダーがこう言ってるわけだ」
 なんか、全責任をなすりつけられたような気がする。
 しかし、深いことを考えるのはやめにしよう。俺はそうやって生きてきたんだ。思えば、後悔をしないことが俺の一つの取柄なのかもしれない。
 そう。だから様子見に行ったキャラメル大陸の配信が、俺たちの視聴者で荒らされていたのも全然気にならない。
 でもなんでだろう。なんか、胃がキリキリ痛くなってきた。

 程なくしてキャラメル大陸がやって来た。なんか、不機嫌らしく、俺たちを睨みつけている。感じがする。
 とは言っても、キャラメル大陸が不機嫌だろうが何だろうが、別にどうでもいい。
 キャラメル大陸が現れたことによって、名無しちゃんがとんでもなく不機嫌になった方が問題だった。
 一緒にいる時間は少ないけど、それでもあからさまに不機嫌なのは見ていて辛いものがある。
 興津さんはキャラメル大陸に気がついていないのかと思うほど無関心だった。観覧車の方を見つめている。
「おい! お前らだな、俺たちの配信を荒らしてんのはよ」
 赤髪の男が威勢よく言う。でも、それは見当違いだ。
「ん? 俺は荒らしてないし、荒らして欲しいとも言ってないんだけど?」
 なぜ俺は初対面の人間にこんなにも強気になれるのか。それは、蛍太さんが俺にカメラを向けているからだ。
「お前の視聴者が来てんだろうが」
「知りません。そんなことより早く並ばないと。まあ、今更遅いんですけどね」
 周りに並んでる人たちが怪訝な顔で俺たちを見ていた。特に赤髪への視線は多い。
「まったくなんなんだよ」
 赤髪が不貞腐っている。可愛いやつめ。実際にあってみると随分幼い感じがする。高校を卒業してすぐくらいだろうか。イキってる感がすごい。
 キャラメル大陸たちは立ち尽くしていた。静かにスマホを見ている。
 今から並んでも俺たちに追いつくことは絶対に出来ない。キャラメル大陸の二人の後ろで、彼氏くんがずっと下を向いていた。
 名無しちゃんはその姿を見て、大きなため息をつく。多分、配信に二人のそんな姿は映っていない。
「こんなの止めにしますよ。配信を荒らされたんじゃ勝負どころじゃないんで」
 スマホを持っている黒髪の冴えない方が言った。ボソボソとした話し方は聞き取りづらい
 勝手なことを言いやがってと思う。その反面、少年を相手にマジになるのは大人気ないとも思う。
 キャラメル大陸の二人は憔悴しているように見える。配信が荒れるのはそれほど辛いのだろう。
 蛍太さんが言う。
「分かった。今回のことは無かったことにしよう。俺たちはおんなじ配信者だ。仲良くしよう」
 これはずるい。どう考えても勝った俺たちがこんなことを言ったら、キャラメル大陸は何も言えないだろう。
 俺たちの配信画面を見る。コメントは勝利宣言に溢れていた。けど、名無しちゃんの表情は晴れない。

 突然、彼氏くんが顔を上げた。そして駆け出す。
 その先には、巨大な像が建っていた。嫌な予感がする。
 俺は蛍太さんからスマホを取る。それから彼氏くんを追いかけるために走った。きっと彼氏くんは、あの巨人の塔に登って、そこから写真を赤い月の写真を撮るつもりなんだ。
 別に、勝ち負けなんてどうでも良い。気がかりなのは、あの巨人像には景色を見る場所がないことだ。
 景色を見る場所はない。けど、明らかに外に出られそうなスペースがある。像が組んでいる腕の上と頭の上だ。多分、掃除かなんかの時に清掃員が使う場所なんだと思う。
 もし、そこに入り込めるなら、俺たちよりも早く赤い月を撮ることができるのかも知れない。
 けど、そこまでして勝つことに意味があるとは思えないけど。
 名無しちゃんの様子を見ていれば、この戦いが無意味なことくらい気がつく筈なのに。
 本当に、恋は盲目だ。

 あれこれ考えてる余裕はすぐになくなった。
 彼氏くんの走りが早い。さすが現役高校生だ。おじさんもう走れないよ。
 と諦めかけそうな自分に鞭を打つ。俺は配信をしていると何故か無理をしてでもやれる。
 肺の内側が乾燥しきっているように感じる。痛かった。
 段々と気持ちが後ろ向きになる。別に良いじゃないか。戦いに負けたって、彼氏くんが危険なことをしたって。視聴者が消化不良になったって。
 走るのを止めようと速度を落とす。と、後ろから誰かが俺のことを追い抜いた。
 名無しちゃんだ。
 速い。背筋が伸びていて足の運びが美しい。落ちるように彼女は走っている。
 が、その速度を保つことは出来ない。こんな人混みだ。当然だろう。
 この辺りは人が多い。彼氏くんも苦戦していた。おかげで俺もなんとか追いかけられそうだ。
 それに、名無しちゃんが来ている。二人の行く末をこの配信に収めないわけにはいかない。

 人混みを避け、なんとか巨人の像までやってきた。しかし、二人を見失ってしまった。
 とりあえず上をスマホのカメラと一緒に上を見る。ただの壁がそこにあった。
 足元の部分、つまり一階に当たる部分には壁がない。壁のような大きい柱が何本かある。そのはしらのまわりには商店街のようにさまざまな店が並んでいた。
 お土産屋さんには家族連れが歩き、クレープ屋さんには制服を着た学生が並んでいる。二人の姿は見えない。
 ただ、向かう場所は分かっている。とにかく上だ。エレベーターを探して乗り込む。
 高い建物特有の長い待ち時間の間、配信画面を確認する。コメントは大量に流れている。荒れてるとも言えるが、おれは盛り上がってると捉えることにしよう。
[おい。スマホ返してくれ]
 蛍太さんのコメントだ。
「すみません、あの、まだ返せません」
[おいバブちゃん。任せた!]
 蛍太さんから応援の言葉だ。結構俺のこと好きだよな。
 そしてエレベーターがやって来た。
「任せてください!」
 ごちゃごちゃのエレベーターに入り込む。周りの視線は気にしないことにした。

 素晴らしい声でアナウンスが鳴り響くと、一番高い所に着いた。結構時間がかかった。ふう、流石に視線が痛かった。
 降りると、中は美術館のようになっている。ただ、静かにしている必要はないのだろうが、雰囲気的に静かにしている。
 カップルが多い。静かにいちゃついている。存在するんだ。静かにいちゃつくって。
 壁にはテオティワランドの歴史について描かれた絵画がある。思わず見てしまう。横に説明も書かれていて、読みたくなるが気持ちを抑えた。
 二人を探さなきゃ。
 中はそれなりに広い。教室四つ分くらいだろうか。
 真ん中に柱があるだけで全体は見渡しやすい。が、カップルに制服が多くてウォーリーを探せをしてるみたいだ。

 取り敢えず、部屋の角から全体を見渡せるようにしてみる。同じようにスマホのカメラを向けた。
[肖像権無視][絶対俺が見つけてやる]
 視聴者の力も借りながらやっていく。
[ここ来る意味ある?]
 そんなコメントが目についた。確かに、ここに来たところで目的は果たせないだろう。
 少し動いてみると、対角線状の柱で見えなかった位置に非常灯が緑色に光っている。
「あった。けどあれ開かないよね」
[ぶつかっていけ][もうバブが開けるしかない]
 くだらない。とにかくあれは開けようがない。そもそも景色は見られませんと言ってるんだ。わずかな望みもなかったわけだ。
 少しだけ彼氏くんに同情しながらもエレベーターの前に行く。
 スマホに呟いた。
「うん、まあ、俺たちの勝ちで終わりだ。ここには景色を見れる場所はないもん」
 その時、館内が騒がしくなった。
「大丈夫か!」
 男の声。聞き覚えのあるその声は彼氏くんのものだ。
「係員の方いますか!」
 続いて低い女性の声が聞こえた。誰かが倒れたらしい。
 迷わず駆け寄る。そこにいた健康そうな肌の色をしたお姉さんは「よろしくお願いね」と俺に言ってどこかに去った。
 案の定、倒れていたのは名無しちゃんだった。
「大丈夫ですか?」
 この階にいる従業員の女性がやって来る。近くにいる彼氏くんはすぐに対応していた。
「あの、人が少ない所に移動させてもらうことってできますか?」
「ええ、えっとお待ちください。この階には部屋がないんですけど、うーん」
 人が少ない場所には心当たりがあった。俺は横から話に入り込む。
「非常階段の所は入れないんですかね?」
 彼氏くんは俺の存在に気がついていなかったようで、目を丸くして驚いた。すぐに名無しちゃんに視線を戻した。
 従業員の女性はポケットから鍵を取り出す
「そうですね。ついて来てください」
 彼氏くんは名無しちゃんを抱きかかえている。俺もついて行った。たぶん、保護者的な立ち位置でだ。
 非常扉から階段に抜ける。
 階段は壁こそあるが、その隙間から外が見えるようになっていた。足元の階段も金属で出来たスカスカので高所恐怖症なら動けないだろう。
 非常扉を閉めると、別世界のように静かになる。ここの風は涼しい。
 彼氏くんは真剣に名無しちゃんを見ていた。壁の間から景色を眺めてみると、青い屋根のレストランが見える。もちろん、赤い月もあった。
 今、写真を撮れば、キャラメル大陸の勝ちになるだろう。けど、彼氏くんの頭の中は名無しちゃんのことでいっぱいになっている。
「ん、はあ」
 名無しちゃんが目を覚ました。彼氏くんに介抱されてることに気がついて眉間に皺を寄せている。
 しかし、状況を察知して変な行動には出なかったようだ。
「大丈夫ですか?」
 従業員の方が心配そうにしている。それに対して名無しちゃんは
「もう大丈夫です」
 と一言で済ませ歩き出そうとする。自分がどこにいるのかも分かってないのに、彼氏くんから離れたいという思いだけで動き出したんだろう。
 しかしフラついてしまい、それを彼氏くんが支える。
「やめてよ。写真でも撮ってれば」
「まだ立ててないじゃんかよ」
 名無しちゃんは彼氏くんの手を振り解いた。
「別に。ただの立ちくらみ」
 とりあえず扉のほうに歩いている。
「ちょっと待ってくれよ。なんでそんな、俺、そんなにダメか?」
「ダメ。それより写真でも撮ってれば。でも、私バブさんについて行くことにしたから」
 俺の腕に抱きついてくる。これはヤバい。すぐ隣には従業員の方がいるんだ。
 恐る恐る見てみる。引きつった笑顔。プライスレス。
 心臓が痛い。そこで俺は配信をまだ切っていないことを思い出した。ポケットからスマホを取り出す。配信中なら、俺はなんとかできるはずだ。いや、違うな。何もできないけどこの状況を配信で活かすしかないって所か。
 なるべく自分の顔だけ映るようにスマホを動かす。おかげでコメントば全然見えない。
「よし、とりあえず全ては俺が手に入れました」
 と言ってみる。従業員の方はポカンとしていた。ヤバい。追放されてもおかしくない。
 とりあえず会釈をした。
「じゃあ、ここ開けてもらっても大丈夫ですか。もう大丈夫そうなので」
 ぽかんとしたまま、従業員は扉を開けてくれる。
 中に入ると、従業員の方は笑顔になった。
「体調が優れなければすぐに声を掛けてくださいね」
 さすがプロ。最後にはいい印象を残してくれる。
 名無しちゃんは腕から離れない。後ろから彼氏くんはついてくる。
 フロア内の人は俺たちのことが気になるようで、チラチラと視線を受ける。逃げるようにエレベーターに乗り込んだ。
 名無しちゃんが彼氏くんを睨み、彼氏くんはすぐに視線を逸らした。そして目元を抑える。
 エレベーターが一階に着く頃には、彼氏くんは顔を伏せて袖を濡らしていた。
 この姿、配信に映せば、さらに盛り上がるだろうな。

「お前のことなんか嫌いだ!」
 彼氏くんはそう言って歩いて行った。
「おいキャラメル大陸よ。そして我が友よ。完全勝利だ!」
 スマホに向かって言う。
[女最高すぎる][バブ氏がモテてるってことは俺たちも希望が持てるな][女ヤバすぎる]
 ふん。いい気分だ。盛り上がってる。コメントも目に見えて多いし、視聴者数もキャラメル大陸に追うほどの数になっていた。
 悦に浸っていると、名無しちゃんは腕をきつく締めてきた。配信に夢中で忘れてたけど、俺を選んだって言ってたし、やっぱそう言う感じなのか?
 けど、表情を見て俺はまともになった。さっきまでの怒りに満ちた表情から一転して、涙を目にいっぱい溜めていた。
「私、有名な人好きだから」
 涙声でそんなことを言う。そんな嘘を。
 これは、大人の俺が協力するしかないじゃないか。
 もう一度彼氏くんと会わなくてはいけない。
「では視聴者の諸君! さらば!」
 そして俺は配信を切った。このまま配信を続けても配信が盛り上がったとしても、それは、何か違う。
「よし。名無しちゃん。彼氏くんのとこに行かない? なんか、あのまま別れっぱなしなのはなんて言うか。よくない気が」
「やだ。あいつ自分勝手で意気地なしだし」
「うーん」
 アイデア、なし。とにかく、名無しちゃんを説得するしかない。
 が、そう簡単にはいかない。
 遠くから、騒がしい奴らがやってきた。赤い髪と黒髪の男。キャラメル大陸の二人だ。
 スマホを持ってない。配信は切っているらしい。
「おいクソ隠キャ。てめえらのせいでまともに配信できねえよ!」
 赤髪がどなり、周囲の視線が集まる。
 心臓が痛い。怒鳴られるのは嫌だな。会での嫌な出来事を思い出してしまった。
 もし、配信がついていたなら。俺はまだヘラヘラとしていられたのかもしれない。けど、今の俺はただの無職だ。打たれ弱いぞ。
「ご、ごめん。なんとか言ってみるけど……」
「は? なんなんだお前。ぜんぜん、え?」
 なぜか赤髪は動揺している。それから、俺に興味を無くしていった。視線は名無しちゃんに向いている。こういうの、学生のころによくあったな。
 黒髪の方はニヤニヤとしながら一歩引いてい俺たちを見ていた。
「てか、名無しちゃんだっけ? そんな隠キャの何がいいの? てかこの後俺らと見て回らない?」
 赤髪が急に優しい声色になって名無しちゃんを口説き始めた。それは反吐が出る光景だ。モテる男が、自分がモテることをなんの疑いもなく信じている姿。
 名無しちゃんは、もう泣いていない。とても冷たい表情だ。
「ねえねえ。何黙ってるの? 彼氏くんもどっか行っちゃったんでしょ? 寂しくない?」
 近づいてこようとする赤髪を遮るように動くと、赤髪は乱暴に俺のことを押した。
「ッキモいんだよ!」
 俺は情けなく尻餅をつく。
 名無しちゃんの腕を赤髪が掴む。その時、赤髪が誰かに倒された。
 赤髪を倒した男は名無しちゃんに向き直る。
「お前、チャラチャラしたやつ、嫌いじゃんか」
 彼氏くんだ。俺の位置から見ると後光がさしているように輝いている。かっこいい。
 きっと、同じように名無しちゃんも感じたんだろう。表情の緊張感が消えた。
 そして、泣き出す。
「ごめんね。別に、普通の喧嘩だったはずなのに」
「いいよ。まだ今日は長いよ」
 二人は、肩を寄せ合っている。
 人の幸せは砂の味だと思ってるんだけど、今回は特別に蜜の味がする。
 俺は立ち上がって、自分のやらなくちゃいけないことをすることにした。
 彼氏くんに掴みかかろうとする赤髪を制する。
「おいキャラメル大陸。勝負はまだ終わってないぜ?」
「あ?」
 赤髪は不愉快そうだ。黒髪の男はよく分からない。ただ、ニヤニヤはやめていた。
「勝負は終わってないって言ってんの。だからさ、邪魔な二人はとっととどっかに行きな」
 彼氏くんと名無しちゃんに言う。二人は小さなお辞儀をして人混みに消えて行った。
 まだ追いかけようとする赤髪に俺は一言言ってやる。
「つけろよ配信。荒らしくらいで萎えてんじゃこの先やってけないぞ」
 キャラメル大陸と俺たちの戦いは始まったばかりだ。

 前言撤回。戦いは始まらなかった。
「つまんな。関わるだけ損だわ。くそ隠キャのノリキモい」
 赤髪は心底萎えている。
「わかる」
 含み笑いで黒髪がそう続けて、二人は名無しちゃん達と逆の方に歩いて行った。
 俺は、観覧車の方に歩いていく。
[赤い月撮れたぞ!]
 蛍太さんから連絡が入っていた。俺はすぐに返信をした。
[こっちも無事に終わりました。今から向かいます]
 なぜか清々しい気持ちで、観覧車に向かった。

 後日、テオティワ戦と題された一時間近くに及ぶまとめ動画が上がった。投稿者はアルハレ。
 わかりやすく、そしてドラマチックに編集されたこの動画は瞬く間に話題になった。もちろん、表舞台を圧巻するほどのものではなかったが、一部の業界人の間で話題になっていた。

#8  公式配信
 眠れない夜が誰にでもある。そんな時には遠くに行く空想をした。
 目をしっかり瞑って、空飛ぶ布団に乗ってどこか遠くに行く空想だ。
 たまに、体が揺れているように感じることがあった。プールに行った日とか、体が疲れてる日によくそうなった。そんな時には巨大なブランコに乗っている想像をした。
 今の俺は、巨大なブランコに乗っている。
 まわりの状況が分からないことを逆手にとって、俺はどこまでも行く。その終わりは分からない。すっかり寝てしまう。
 が、今日は途中で遮られた。蛍太さんのマウスクリック音を遮断するための耳栓が不意に取られた。鼓膜に配慮してゆっくりと抜き取られる。
「穣介、寝たか?」
 珍しい。蛍太さんがこんな時間に話しかけてくるとは。人の耳栓を外してまで。
 目を開けると見慣れた天井がそこにあった。月明かりとパソコンの光で怪しく光っている。
「どうしたんですか」
 自分でもわかるくらい声が出ていない。蛍太さんは返事の質には興味がないようだった。
「穣介はこれからどうして行きたいんだ?」
「うーん」
 勘の悪い俺でも、これが配信の話だと分かった。それほど、この前の『テオティワカンの戦い』の反響が大きかった。
「いや、あんま考えてないっす」
「そうだよなー」
 それだけいうと、蛍太さんはパソコンに戻っていった。カチカチとマウスをクリックする音が聞こえる。俺も耳栓をして目を閉じた。空想にふける間もなく眠った。

 翌日、目を覚ます。まだ寝ぼけている俺に、興津さんから連絡があったと蛍太さんが言った。
「穣介、俺たちタダ飯食い放題らしい。もちろん参加は確定してるから安心して欲しい」
 本人に関わることが本人の意思とは関係なく決定しているのに、安心なんてできるはずがない。
「蛍太さん、どんなやっかいごと何ですか?」
「やっかいごとってさ、感じ悪いぞ」
 蛍太さんがそういい、スマホの画面を見せてくる。そこには興津さんからの連絡画面が表示されていた。
[タダ飯食べ放題だよ! 二人も来るって言ってあるから安心して]
 うん。不安は大きくなるだけだった。
 昼になるとインターホンが鳴る。興津さんがやってきた。
「うわ。意外に片付いてるの、少し引きますね〜。さすがは綺麗好き」
 今日は薄いパープルのドレスを着ている。肩ががっつりと出ていて、食べ放題にいくための服装には見えない。
 ここに来るまでに相当な視線を浴びただろうに、そんな気疲れみたいなものは感じない。いつも通りの興津さん。
「綺麗好きって俺のこと?」
「バブルさんって可能性はありませんでしたねー」
 さらりと失礼だ。なんか、会うたびに舐められ度が高くなっている気がする。
 けど興津さんはニコニコしていて、こっちまでつられてニコニコしてしまう。
「で、準備できてますか? 私、準備万端ですよ! 二人も早く着替えてください」
 俺は蛍太さんと目を合わせる。着替えなら済んでるんだけど。
「なあ、積木ちゃん、俺たちどこに行くんだ?」
 蛍太さんが興津さんに訊いた。蛍太さんもこれから行く場所を知らなかったのか。
「あれ? 言ってませんでしたっけ? 配信者と業界人が集まるパーティーです。足立さんって人からのお誘いですよ」

 足立遼(あだちりょう)。芸能事務所「meme(ミーム)」のマネージャーで、最近はインターネットで活躍しているちょっとした有名人に声をかけているようで、俺たちにも白羽の矢が立ったようだ。
 きっかけは、[ある晴れた日]。
 アルハレが立ち上げたブログが足立の目についたらしい。
 このブログのおかげで俺たちのことを認知する人は増えた。
 見やすく編集した動画のリンクを貼るだけでなく、アルハレ独自の目線で語る文章もまた人気の一つになっていた。
 図鑑の説明文のような無機質な文章が評判らしい。俺たちのコミュニティは、馴れ合いを好まない。
 俺も、視聴者たちと同じくアルハレの距離感が好ましい。俺たちは、光と影に例えるなら影だ。近づき過ぎれば形を失う。自分を保つために距離が必要だと思う。アルハレが持つ距離感は、それを知っている距離感だった。
 ブログの記事は、最初の配信のものから順番に更新されている。初めて興津さんにあった『青姦配信』から順番に。
『テオティワカンの戦い』の記事はまだ出来ていない。アルハレのブログの更新は楽しみの一つになっていた。

 時計の針は十八時を指していた。入社式ぶりのスーツはどうも馴染まない。そもそも買ったばかりで生地も硬い。
 まだ外は明るいはずなのにここは薄暗い。都会の端に建っている大きな家だ。有名なミュージシャンの個人スタジオらしい。もっぱら今回みたいなパーティーに使うことが多いらしいが。
 全て隣にいる足立さんからの情報だ。足立さんは一言で言えば、清潔感に溢れている。
 顔の造形がいいわけじゃないのに、表情の作り方とさっぱりとした髪型でかっこいいと感じる人だ。頭のてっぺんから爪先まで手入れが行き届いていると分かる。
 俺よりも四つ上の二十九歳。石鹸屋で働いてたら出会うことのなかった、生きる世界が違う人だ。
「私も楽しみにしてるんですよ。アルハレさんのブログ。でも残念ですね。来ていただきたかったのに」
 もちろん、アルハレには声をかけたんだけど、用事があると参加しなかった。思えばアルハレがどこに住んでるのかも知らないな。
 少し遠くで蛍太さんと興津さんが他の配信者に声をかけていた。こういう時に俺とあの二人は人間としての種類が違うと感じた。

 中学生の時、不登校の生徒を二人知っていた。一人はほとんど引きこもりのような状態で、友人もいなくてどんな人なのかも分からない。
 もう一人は、学校には来ないが放課後になるとみんなと遊んでいた。たまに登校してくれば歓迎される、人気者だ。
 けど、その不登校の生徒はただ引きこもっていたわけではなかった。確かあれは夏休み明け、国語の宿題の読書感想文だった。その時の国語の先生は、文章は見せるために書かないと意味がないという考えを持っていた。
 なので、俺たちの感想文は全て綴じられ、全教室に置かれることになった。誰でも読めるように。
 その頃の俺は放課後、よく図書室に通っていた。気になってる人がよくいたからだったと思う。図書室には何冊か感想文の冊子が置いてあって俺はなんとなく読んでいた。もちろん、気になっていた人の感想文も読んだ。もちろん俺のことはどこにも載っていなかった。
 人気者の不登校生徒の作品はもちろんない。宿題なんて提出してなかったんだろう。けど、引きこもりの不登校の彼の感想文は載っていた。
 知らない言葉が多かった。カタカナのその言葉はとりあえず読み飛ばした。けど、それでもその感想文は面白かった。
 皮肉っぽくて、最初は共感できないのに、いつの間にか言いくるめられてしまったような感じがする。その感覚が面白くて、会ってみたいと思ったし、なんでこんな面白いことを考えてる人が学校に来ないのか不思議に思った。
 その感想文は少しずつ学校で話題になっていた。
 その二人のことは、学校を卒業した後もよく思い出した。不良の人気者と、引きこもりの人気者。
 俺は、二人に一つの共通点を見出した。それは客観性だ。自分が人にどう見られるのか。それをすごく気にしていたんだと思う。
 決して正しく客観視が出来てるわけじゃない。けど、二人はその視線に翻弄され、一人は逃げ、一人は集めようとしたんだと思う。
 そして、今俺は視線に翻弄されている。蛍太さんがいなければ、逃げ出していただろう。
 けど、俺は少しずつ変わっている。そんな気がする。
「足立さん、この建物の持ち主って、今いらっしゃるんですか?」
 俺も、ここで何かを手にする。つもりだ。

 いつの間にか終電はなくなっていた。パーティーはとっくに終わっていて、俺たち以外は残っていない。
 俺と蛍太さんと興津さんも残りたいわけじゃなかったけど、酔いが回りすぎていて動くことが出来なかった。
 足立さんがそんな俺たちについて面倒を見ていてくれた。
「いやー、酒は呑んでも呑まれるな。なんてありきたりなことを言わなくちゃいけなくなるとわね」
 何度か吐いたから意識が戻りつつある。
「足立さん、外の空気吸ってきて良いですか?」
「もちろん。車に気をつけてね」
 ベランダに出る。外が明るくなっていた。
 人通りは少ない。たまに車が走っていった。見える家は全部大きく、庭も広い。蛍太さんの実家のあたりの風景に似ている。
 後ろから肩を叩かれた。
「よお、穣介。他の奴ら、やっぱ物凄かったな」
 蛍太さんだ。珍しくやつれた顔をしている。
「ですね。なんか、記憶がないっすよ」
「俺もだ。そんで足立さんに迷惑かけちまったな。なんかお礼考えねーと」
 窓から部屋の中を見ると、足立さんと目があった。笑顔で手を振ってくる。
 中に戻ると興津さんがコーヒーを淹れていた。昨日はいつの間にかうウェイトレスのように動き回っていたので、場所を覚えていたらしい。
 香ばしい匂いが脳の覚醒を促してくれる。
「私、昨日コーヒーの淹れ方教えてもらったんですよ」
 腫れぼったくなった目で興津さんは言った。声もガラガラしているけど、気にしていないようだ。
 これだけ広い空間に誰もいないのはなぜか不安になる。部屋の机に四人で固まってコーヒーを飲んだ。
 蛍太さんが言う。
「足立さん、スミセンでした。こんな時間まで面倒かけてもらってしまって」
「本当に、さっきも言ったけど、酒は呑んでも呑まれるな。自分の器量はしっかりわきまえないとね。こういう、周りから力量以上の期待を懸けられることも増えてくるかもしれないし」
「どういうことですか?」
「早速なんだけどね。君たちに依頼が来ているんだ。俺は間に入ってとりあえずマネジメントをしようと思ってるんだけどね。契約とかじゃなくて、お試しでね」
 俺たちに仕事が来ている? 俺は思わず口を開く。
「それって、お金をもらえるってことですか?」
「ずいぶんストレートに聞くんだね。そこがバブちゃんの良いところだと思うよ。もちろん給料が発生する。ちゃんとしたお仕事だよ」
 俺は唖然とした。なんだが話が想像もつかない方向に向かっている気がする。だけど蛍太さんは気持ちの準備をしていたのだろう。二つ返事で足立さんに返事をした。
「はい。詳しく話を聞かせてください」
「わかりました。じゃ、後日連絡するんで、今日はまず身体を休めて置いてください」

 家を出る時、足立さんは電話に出ながら笑顔で俺たちを送ってくれた。忙しい人なんだろう。
 俺たちはここから一番近い蛍太さんの実家に行った。蛍太さんの親は仕事中で俺たちは勝手にゆっくりとさせてもらう。
 翌日、仕事の詳細が送られてきた。収録は明後日。
 早すぎる収録日の決定に多少の警戒心があったが、そのことについては足立さんが素直に教えてくれた。
「君たちの配信とほとんど一緒なんだよ。主催は動画サイト自体で、サイトの認知のために公式で放送をするんだ。むしろ明後日でも猶予があったと思えるくらいだよ。あそこの人たち、ネジがぶっ飛んでるからね」
 その話を聞くだけで嫌な汗をかいた。けど、俺は自分に期待もしていた。そう。配信なんだ。いつものようにカメラを俺を撮す。その時の俺は今の俺とは違くて、きっと何かを掴んでくれる。

 都内。そこに動画サイト[ポップアップ]の事務所がある。スタジオがあるわけじゃないから、事務所の一角を使って今日の配信が行われる。
 出番はあと一時間に迫っていた。
 緊張で吐きそうだった。二日前の今回の件が決まった時とは、俺を取り巻く状況が変わっていたからだ。今すぐにでも契約をやめて家に帰ってしまいたい。
 俺たちの出演が決まり、そのあとすぐに公式から番組の告知がSNSに上がった。俺もその流れで告知をした。
 評判が最悪だった。
[俺たちの世界を捨てた][変わっちまったんだな][こういうのいっぱい見てきたから慣れてる]
 俺たちが公式の放送に出ることに批判的な視聴者は多かった。コメントでよく見かけていた人は特にそういっている。
 こいつら何もわかってない。この放送に出ればどれだけ知名度が上がるか。それをちゃんと理解してないんだろう。
 それに、公式の放送に出ようが出まいが、俺は俺の思う配信をするだけだ。
 そのつもりだったのに、ここにきて全く気持ちが変わってしまった。
 今回の番組をセッティングした花澤さんの話を聞いてからだ。
「急な依頼で申し訳ありませんでした。でも、あなたたちの配信を見て、ビビッと来たんですよ。あなた方に我々ポップアップの未来を託したいとね」
 屈託のない笑顔でそう言われた。事務所には大勢の人が必死に準備を進めていて、椅子で寝ているような人もいた。
 そんな人たちを見ていたら、期待を裏切るようなことはできないと感じて、そうして俺の状況は一転してしまった。
 それに、今回の放送は公式ということで、スポンサーもついている。だから、その辺りの部分も少しは考慮しなくてはいけない。
「穣介、緊張しすぎじゃねえか?」
 蛍太さんがエナジードリンクを手渡してくれる。
「蛍太さんは結構平気な感じですね」
「あんま気負いすぎない方がいいぞ。俺たちが呼ばれたのは俺たちだからだ。だからいつも通りにやってれば誰も裏切らずに済む」
 蛍太さんはそれだけ言うと今度は興津さんの元に向かった。興津さんは鏡を見て自分の顔を髪型をチェックをしている。蛍太さんも一緒になって髪型をチェックしていた。

 スタッフの方の控えめな声が響く。
「本番始まります! え、あぁ。もう始まってます」
 公式放送が始また。俺たち三人は画面右側に仲良くならんで座り、画面の中央には若い女性が座っている。お天気お姉さんのような清楚な雰囲気があって、彼女が今回の司会進行だ。
 ポップちゃんと呼ばれている彼女は、まだ二十歳になったばかりで、大学に行きながら、ポップアップ専属でニュースキャスターのようなことをしている。
 彼女も元々は生配信者だったらしい。興津さんは知っているらしく、昔少しだけ関わったこともあるらしい。
 彼女を挟んで画面左には、メガネをかけた細い男と、浅黒い中肉中背の男がいる。
 浅黒いの男は俺たちと同じくらいの年齢に見える。
 坂上という名前で活動している彼はゲームをプレイしながら実況をする動画と配信をしている。
 縛りプレイやタイムアタックなど様々なジャンルをプレイしていて、その腕前はプロ級。らしい。何より、彼が有名な理由はその実況にあった。
 よく喋るし、面白い。単純にそういう実況をしている。
 メガネをかけた男の方は俺たちより幾分年上だろう。三十代後半くらいか。名前は笹崎。なのだが、みんなからは現代哲学の父、略して哲爺と呼ばれている。
 料理動画を主力にした配信者なのだが、とにかく汚い場所で料理をしているのが特徴だ。
 長年の油がコンロにこびりついている。置かれた醤油も油まみれ。使っている菜箸はいつ洗ってるのか気になる程汚い。
 しかし、本人曰くその菜箸は新品だそうだ。その時に言った、「口に入れてない箸は常に新品」という言葉は、哲爺の代表的な名言になっている。ちなみに、食事用の箸も毎日使ってれば洗わないらしい。曰く「十二時間ルール」が適応されるらしい。
 哲爺のファン、通称、哲孫たちは哲爺の名言は現代の哲学だと言っていて、笹崎さんは現代哲学の父と呼ばれている。
 参加メンバーを知ったポップアップのユーザー達、通称ポッパーは、影のスターが揃ったと口を揃えて言った。
 もちろん、俺たちもその影の一つだ
 ポッパーは他の配信にも精通していることが多いらしく、ポップアップを使ったことがない俺たちのことも知っていた。
「皆さんの生活をポップアップ!」
 ポップちゃんはハニカミながら、カンペに書かれたセリフを言った。
 番組が始まった。
「よー!」
 先陣を切って声を張り上げるのは坂上氏。
 俺たちの前には大きいディスプレイとカメラがパソコンと繋がっている。ディスプレイにはみんなのコメントと、カメラで撮っている自分達の姿が映っている。
[待ってたよ〜][今日のポップちゃん最高じゃん][ポップアップ最大の汚点が公式放送って、本当だったんだ……。控えめに言って最高]
 意外にも温かい言葉が多い。元々、ポップアップの視聴者は民度が高いと評価されている。これは動画サイト側の努力が大きいようで、悪質なコメントやアカウントには直ぐ処置をとっているようだ。
「うぉーわわー!!」
 取り敢えず俺も声を出してみた。タイミングを間違えたらしく一瞬静まり返る。
 そのことを察して興津さんと蛍太さんが同じように声を出した。取り敢えずでかい声を出す状態になり、ポップちゃんが困惑している。
「え、何なんですかねこれ。無視しますよー。では、仕切り直して。みなさーん、本日はポップアップの三周年記念番組を見に来てくれてありがとうございます!」
 初耳だった。いや、なんかそんなこと誰かが言ってた気もする。
 ポップちゃんは笑顔を保ったまま喋り続ける。器用だ。
「はーい。では、早速ですが、本日番組を盛り上げていただく豪華な出演者の方々です! では、自己紹介をお願いします!」
 哲爺から順番に簡単な自己紹介が始まる。
「どうも。笹崎です」
 敬語の哲爺に驚くコメントが流れる。次は坂上さんだ。
「主にゲームのやり込みプレイなどをしてます! 坂上です」
「司会を務めさせて頂きます! ポップちゃんです!」
[セルフちゃん付け][ポップちゃーん]
 そして俺たちの番。ほとんどまとめて自己紹介を済ませる。俺はバブル、蛍太さんはgus6、興津さんは積木ちゃん。
 コメントを見てみると、案外好意的に受け入れられていて安心する。まあ、運営の人が攻撃的なコメントは削除してるのかもしれないけど、それでも大いに俺の気持ちは落ち着いた。
 全員の自己紹介が終わるとポップちゃんが進行を始める。
「はい。ということで、自己紹介も終わりまして、改めて、本日はお集まりいただいてありがとうございまーす!」
 とりあえず拍手をしてみる。
「本日はですね、ポップアップの記念すべき第一回公式配信ということで、皆さんにはとあることをしてもらおうと思ってます。題して、第一回! 目指せ!ポップアップレギュラー!」
 コメント欄がざわつく。
[これ、レギュラーでやるの?][毎週見れるんだ][絶対にネタ切れするぞ]
「[毎週見れるんだ]ってコメントがありますけど、毎週は見れません。隔週の予定ですよー」
 と、言い切ってからポップちゃんは笑う。髪を耳にかけると、白いピアスが見えた。
「ポップアップのレギュラー出演権をかけて皆さんには勝負をしてもらいます。チーム対抗で勝負をしていただいて、買った方がレギュラー権を手に入れます。それだけじゃありません! エナジードリンク三ヶ月分をプレゼント!」
 スタッフがキャスターの付いた机を押してくる。賞品のエナジードリンクが堂々とした姿で載っている。
「これ、めっちゃ飲んでますよ」
 愛飲しているエナジードリンクだった。俺が言うと、笹崎さんが返事をした。
「ワッフルくん、よく分かってるじゃないか」
 かなりハスキーな声だ。名前を間違えているけど、特に訂正しない。が、俺が言わなくても視聴者がそのことを指摘していた。
「ん? ワッフルじゃない? ああ。ダブル。ダブルくん。いいセンスしてるよ」
 へっへっへと、笑っている。名前はダブルと間違えられたままだったが、俺は訂正しない。コメントももう訂正してなかった。

 一度目の戦いは、ゲームの対戦だ。
 [pure]というタイトルの古いゲームで、TPSと呼ばれるジャンルのものだ。三人称視点のシューティングゲーム。
 スタッフがゲーム機を持ってくる
「はー、スケルトンのタイプだ」
 坂上さんは嬉しそうに言う。
 コントローラーが四つ、本体と同じ色の水色のスケルトン、赤、黄、緑だ。
 ポップちゃんがプレイヤーを発表する。
 まずは坂上さん。
「はいはい。このゲームもやったことありますよ」
 ディスプレイに流れるコメントを見ると、坂上さんはこのゲームの動画は上げてないらしい。一応、フェアな戦いになるようにしてくれたんだろう。
 坂上さんはディプレイの近くに行き、スケルトンのコントローラーを手に取った。
 他は、蛍太さんと興津さん、そして最後に一人。
「それと、私を入れた四人で戦いますよ!」
 四人がそれぞれコントローラーを手に持った。戦いが始まる。

 ポップちゃんは坂上、哲爺チーム側に入るらしい。
 ゲーム用のディスプレイの画面がつく。配信用のカメラは一台のみでゲーム画面を映していた。
[ワイプは?][ワイプない?][これが低予算]
 視聴者は皆、その予算のなさを楽しんでいる。
[pure]と呼ばれるこのゲームは、主人公の少女の見る夢の世界を旅する設定のものだ。今回は対戦のみなのでそのストーリーに触れることはない。
 対戦のステージは、一番人気の高い「巨人手術室」だ。スタッフが調べて決めたらしい。
「えっと、ガスくんはこのゲーム遊んだことある?」
「名前を聞いたことがありますね」
「二人は?」
 ポップちゃんも興津さんも首を横にふる。
「よし、じゃあ一回練習してみようか」
 ルールは「ハックスラッシュ」。お互いに倒しまくって、そのポイントを競う。
 対戦画面は四分割されていて、それぞれの操作画面が映っている。自分だけじゃなく、相手の画面を見るのも戦いのポイントになるだろう。
 フィールドには「現のカケラ」と呼ばれるアイテムがランダムで落ちていて、三色存在する。そのうちの二つを組み合わせることで戦いの武器になる。
 蛍太さんがキャラクターを動かしながら頷く。
「なるほど。分かってきた」
 ローポリゴンの画面が派手に動いている。四つの画面を比較して見ていると、蛍太さん、坂上さんの画面は頻繁に動いていて、時点でポップちゃんがよく動いている。興津さんはダントツで停止していた。表情を見る限りはかなり必死のようで、口がアングリと空いている。
 坂上さんが言う。
「そろそろ操作は大丈夫そう?」
 一応全員が頷く。
 戦いが始まった。

 試合が始まる。全員がそれぞれの武器を取るためにステージを駆け回る。
 ゲームの音楽はアニソンのように軽快なポップだ。
 画面左上、坂上さんはお目当ての武器を手に入れたようだ。
「よし、あとは高みの見物としますか」
 画面では二秒毎に左右の道を監視している。ステージの一番端の場所で手術を受ける巨人の足のあたりだ。どうやらこの位置は、ステージの全体を見渡せる。
 坂上さんが攻撃をした。画面がガクンと揺れる。
「えー! どこから撃ったんですか?」
 興津さんが嘆く。
 坂上さんは遠距離攻撃に適した武器を選んだようだ。そこで身を潜めている。もちろん、ただ待ってるだけじゃ負けてしまうが、そこは坂上さんのテクニックによって上手くいっていた。
「芋ってんじゃねえよ」
 蛍太さんが声を荒げる。芋るとは動かずにじっとして敵が来るのを待つ人に言う罵倒だ。
「ガス君、これは戦いなんだよ」
 お互い、画面だけを見つめている。
 蛍太さんは中、近距離の武器で、ポップちゃんも同じような武器を選んでいる。二人はたまにであっては打ち合い、でも最終目的として坂上さんを狙いにいく状況だ。
 坂上さんはかなり上手で、倒されていながらもトップになっている。
 バンッ、バンッ、バン。
 皆、無言。
 やばい。これ、番組名だよね? こんなに集中してしまうってある?
 横目でスタッフの顔を見てみる。渋い表情をしていたように思えるのは気のせいだろうか。
[静かすぎじゃね]
 コメントが目に入る。やっぱりそうだよな。
 なんだか、空気が重く感じる。けど、その空気を感じてるのは、出演者の中では俺だけのようだった。
「ところで坂上さんの初恋の話を聞きたいですね」
 と、坂上さんに話を振る。
「大した話なんてないよ。はは」
 画面から視線を逸らさない。俺はさらに質問を投げかける。
「ところで坂上さん、初キスの話を聞きたいですね」
「ん? なんでだよ。バブル君のこと誰か黙らせといてー」
「なかなか答えてくれないですね」
 次に何を聞こうか考えていると哲爺が話し出す。
「ダブルくん、俺の話で良ければ……」
「笹崎さんはいいです」
 強めの口調で反対した。面白くするためにはしょうがないと思いつつ顔色を伺うと、満足そうに笑っている。俺も笑い返した。
 そうしているうちにも戦いは進んでいる。着実に坂上さんは戦いに勝っていた。
「ところで坂上さん、初エッチ……」
「うぉい! 言っちゃダメ! あ!」
 やっと坂上さんを逸らした。蛍太さんが坂上さんを打ち倒した。
「よっしゃ! よくやったバブっち!」
 蛍太さんが坂上さんの代わりにその場所をのっとる。武器は近距離用だが、それでも上手くやれば強い立ち位置だ。
 が、あまりポイントを稼ぐことができず、またも坂上さんに場所を取られてしまう。
[あー」[坂上さんのゲームセンスが良すぎる][ポップちゃんも意外に動きいいな]
 そして、話題に上がらないほど何をしているかよくわからない興津さん。攻撃力は高いが動きが鈍くなる武器を使っているようだ。やられっぱなしでもないが、着実に負けていた。
「ところで坂上さん……」
「無視するからね大島君。悪く思わないでくれ。私は勝ちに行くよ」
 どうやら妨害作戦もダメなようだ。
 残り時間もわずかになり、興津さんが武器を変えた。狙っていたわけではなく、偶然だ。
「わ! 私、すごい早くないですか?」
 その武器を使うと、キャラクターの動きが素早くなるようだ。そのおかげで、坂上さんに興津さんが狙い撃ちされることもなくなった。
「私、生き残ってますね。ってあれ? 撃たれちゃった」
 興津さんが武器を変えてから、順位が変わってきた。明らかに、興津さんが蛍太さんにやられ続けていた。
「審判! ガス君と積木ちゃんがズルしてます!」
 坂上さんが講義を始めた。
「坂上さん、これが勝負ですよ」
 蛍太さんはニヤリと笑った。

 興津さんは蛍太さんにやられるために素早く移動し、蛍太さんが一発で仕留める。そんな流れを繰り返し、蛍太さんの順位は上がってきてた。坂上さんは必死に遠距離で狙っていたが、流石に速度に追いつくことができていない。
「ガスさん、勝てますよこれ!」
 俺はとりあえず声を出し応援する。本当に勝てそうだ。
 しかし、徐々にポップちゃんが興津さんを倒すようになってきた。かなり集中した様子だ。
 視線を確認すると、興津さんの画面と自分の画面を高速で交互に見ていた。
 興津さんがやられた後に出てくる場所を確認して、その後どこに行くのかをある程度予想して先回りしている。
 全員が緊張していた。俺は空間が静かすぎると思い、コメントを確認する。が、さっきまでの様子とは違い、視聴者全員がこの戦いに引き込まれている。スタッフもそうだ。
 その空気を感じ、俺も静かに戦いを見守る。そして、ゲームが終了した。

「ありがとうございますー」
 勝者、ポップちゃん。二位は蛍太さん。もちろん最下位は興津さんだ。
「いや、ポップちゃん強すぎるでしょ」
 蛍太さんが純粋に驚いている。坂上さんはズルだとスタッフに言っていたが、あれは配信者として盛り上げたい思いでやっているパフォーマンスだ。言いながらもコメントばかり見ているから、分かる。
「でも、ポップちゃんは俺たちチームだから、いいけどな」
 そうだ。つまり、レギュラー権は相手チームが一歩リードということになる。
 一試合目はこれで終わりだ。
「ありがとうございました。今回は私の勝利で終わりましたこのゲームpureですが、なんと、リメイクが決定しております!」
 初耳だ。なるほど。つまりこれは、タイアップも兼ねていたということだ。
[清々しいほどの契約感][これは応援したい][ちゃんと案件で笑う]
「明後日から遊べるみたいですので、こちらも是非楽しんでみてくださいね」
 スタッフがゲームを片付けていく。カメラはまた俺たちを映し出した。

 ポップちゃんが二回戦目を声高々に言う。
「次は、お料理対決です! 戦うのは、笹崎さんとバブルさんの二人になります」
 ルールは至って簡単。コンビニで料理を買ってきて、ポップアップの社長に喜んでもらう料理を作るだけだ。
 笹崎さんは早速立ち上がってコンビニに行こうとする。酒は飲んでいないはずなのに、フラフラしている。いつものことらしい。
「ダブルくん、行くよ。十分だって」
「短いっすね。行きますよ」
 事務所の一階にあるコンビニに向かう。カメラはついてこない。買い物をしている間には、リメイクされるpureの先行映像が流れる。

 移動時間も含めると、材料を帰る時間は五分ほどしかない。必死に頭を回転させ、どうすれば配信を盛り上げる料理を作れるかを考えた。当然のように、料理の美味しさなんで考えていない。
 哲爺さんが何を買うかをみたかったが、五分と言う時間は何かを考えるにはあまりにも短く、自分が何を作るかを考えるので精一杯だ。
 目に入ったパスタを手にとる。それと、牛乳とチーズとバター。それに調味料を買った。なんの面白味もなく、カルボナーラもどきを作る。
 哲爺さんとエレベーターに乗って事務所に戻る。
「ダブルくんは結構買ったんだね」
「笹崎さんも結構買ってそうですよね」
 お互い、白いビニール袋で中身は見えていない。エレベーターが嫌な重力を感じさせながら止まる。
 事務所の端っこのスタジオに向かった。ポップちゃんがいち早く戻って来た俺たちに気がつき声をかけてくれる。
「今コンロとかを準備してるんで待っててくださいね」
 どうやら、pureの先行映像がまだ流れているようだ。スタッフが慌ただしく調理場の準備をしている。
「ダブル君、楽しみだな」
「はい……」
 哲爺さんが俺の名前をどんどん変えてくる。放送明けが怖い。
 調理道具の準備が整う。鍋やコンロの大体のものは置いてある。調味料もいくつか準備してあった。
「放送開始しまーす。3、2、え? もう放送はじまってる? 始まってます」
 そんなスタッフのゆるさにまたコメントは盛り上がっている。スタッフは狙ってやってるのだろうか。みてる感じは真面目に見えるのだが。
 相変わらずポップちゃんのスマートな司会進行が始まる。
「はーい! ワクワクする映像でしたね。そして、お二方の買い出しが終わったみたいですよ」
 机の位置も変わり、カメラにはポップちゃんと俺と哲爺さんの二人だけが映る。他のメンバーはカメラの向こう側で俺たちを見ていた。興津さんはエナジードリンクを貰って飲んでいる。それ、景品じゃないのか?
 なんて思っていると、急に事務所の空気が張り詰めた感じになる。そして事務所にスーツを着た年配の男が入って来た。
 スタッフや事務仕事をしている人たちが全員声を出さずに挨拶をしている。
 カンペが出る。その人はお偉いさんだった。ポプアップの社長だ。
 カメラの向こうのメンバーたちも異様な空気を察していた。偉い人が来ていることは気がついている。
 ポップちゃんと俺は目を見合わせる。ずいぶん肝が座っているように見えたポップちゃんの表情が一瞬だけ強張った。しかし、すぐに調子を戻す。
「おお! 視聴者の皆さん、今、このスタジオになんと、ポップアップの社長様がお見えになってます! しかも、ええ、なんと、今回の料理対決の審査員は社長のようです」
 社長が審査員。なんでもっと早くに教えてくれないんだろう。いや、それで驚く姿が見たいのか。
「えー! まじっすか。俺、今日初めて人に料理振舞うんすよ?」
 コメントが沸いた。手応えを感じる。社長出現に対する俺の反応のターンは終わる。さて、哲爺さんはどんな行動を起こすのか。
 静かに、ビニール袋に手を入れた。そして、中から缶ビールを取り出すと、一気にそれを飲み干した。
「ぐえ」
 それは、世にも汚いゲップだ。この部屋の中の誰もが緊張する。が、コメントの盛り上がりは最高潮に達していた。
[これこれ][哲爺は哲学を行動で示す][哲学は語る時代から鳴らす時代になった。哲爺の功績]
 哲爺さんはコメントを見ることすらしない。配信者としての風格を見せつけられた気がした。俺はなんとなく負けた気持ちになった。
 そんな敗北感になんてだれも気が付く事はなく、放送は進む。
「では、早速ですが調理開始をお願いします! 時間は十五分。スタートです」
 ついに始まってしまった。この料理対決。しかし、ただ料理を作るだけではいけない。これは公式配信なんだ。なにか爪痕を残さなくては。
 そんな不安を解決する答えは何も思い浮かばないまま、とりあえずパスタを茹で、その隣で牛乳を煮込む。
「おっと、バブルさん、早いですね」
 ポップちゃんが実況だ。本当になんでも器用にこなす人だ。顔もかわいい。
「ポップさん、パスタはなるたけ早く茹で始めないといけません。なぜなら、絶対に茹で切りたいからです。いいですか。アルデンテなんて邪道です」
「へぇー。興味ないですけども」
 さすが。しっかり突き放してくれる。こうしてくれた方が俺みたいな人種はやりやすい。人と違うことを強調してもらえると変なことを続けられる。
 俺はもうあとは牛乳が焦げないように混ぜながら味を整えるだけだ。なんと配信栄えのしない料理を選んでしまったんだ。
 哲爺さんの様子を伺ってみる。なんと、もう一本ビールを取り出して飲んでいる。
「会社の金で飲む酒は旨い」
 俺を見てニヤリと笑い呟いた。黄色い歯が覗く。一瞬見ただけて数が足りないのがわかる。
 哲爺さんの言葉一つ一つは俺に強烈な印象を与えてくる。きっと、強烈な事実だからだろう。俺の事実ではなく、哲爺さんの生き様から滲み出る哲爺さんの事実。それは、見る人によっては嫌悪してしまうかもしれない。俺みたいに何かを感じ取るかもしれない。とにかく、哲爺さんの全てが強烈な事実だけで出来上がっていた。
 負けてられない。配信者として。
 あるいは、勝ち負けにこだわる考え自体が、哲爺さんに勝てない理由なのかもしれないと思うが、他のやり方なんて知らない。衝動に身を任せる。それだけだ。

 俺は集中してカルボナーラもどきを作った。ほとんど無言だ。
「あんなに集中してるバブさんって、私見たことないです」
 興津さんが言う。
「あの人、酒ばっか飲ん出るけど、成立するのか?」
 蛍太さんは哲爺さんの行動に不安を覚えている。
 調理している二人が静かなせいで、他のメンバーたちがしきりに口を開いている。
 そんな風景の声を聞きながら、俺は牛乳を混ぜ続けた。
「いい香りがして来ましたねー」
 ポップちゃんが近くで覗き込んでくる。甘い香水の匂いがした。
 俺のカルボナーラは完成に近づいている。残り時間は五分。パスタもちょうど良く茹でられている。牛乳とバターとチーズをを混ぜたソースも出来上がりつつある。
 一方、哲爺さんは本当に何もしていない。二缶目のプルトップを開ける音が聞こえる。
 プシュ。
 みんなは最近買って良かったものの話をして、絶妙に盛り上がりに欠けていた。コメント数も減って来ている。
 なぜか俺はイラついていた。それは、誰もが配信者として何かを起こそうとしていないからだ。坂上さんも、自分の出番が終わってからは大した発言をしていない。蛍太さんも興津さんも普通の話題を普通に話している。
 俺のイラつきは、目の前のカメラのせいなのかもしれない。いや、カメラの向こうにいる何人もの人だ。
 面白いことをしたいのに何もない。それが俺をイラつかせる。

 無言ではないが、なにか空回りをしたような空気のなか、料理終了三分前のベルが鳴る。
 焦りはピークに達する。もう、ちゃんと美味しく料理を完成させる方向に持っていくしかない。面白味に欠けるが。脇の下に冷たい汗が流れていた。その時、哲爺さんが動く。
「あ、皆さん、笹崎さんが動きを見せました。あれは一体なんなんでしょうか」
 ポップちゃんが向かう。哲爺さんは様々なお菓子をボウルに出して棒で潰している。
「細え方が旨いんだよ」
 バリバリと音がする。途中、素早くレンジでチンするだけの米を温めた。昆虫のような忙しない動きだ。
[哲爺が動いている][何してるんだ?][もっと早く動き出すべきだろ]
 残り一分。俺はカルボナーラをフライパンの中で混ぜ合わせてるところだ。哲爺さんの方は、丹念に粉々にしたお菓子の粉を温めた米に振りかけているところだった。
「ポイントはな、食べる直前に完成させることなんだよ。サックサクさ」
 哲爺さんは自信を持って言った。
[サックサクさ][さが多いな][さが多くないか?]
 視聴者が沸いている。ポップちゃんが怪訝な表情を見せる。
「ちょっと、こんな貧乏な食べ物を社長に食べさせられませんよ」
 社長が即座に返事をした。
「意外とこういうのが美味しいんですよね」
 スタジオに笑いが起きる。俺はうまく笑うことができなかったが、それに気がついた人はいない。哲爺さんの作り上げたお菓子ふりかけご飯が全ての注目を浴びていたからだ。
 哲爺さんはルールを無視してそのお椀を社長の元に持って歩いていく。固定カメラは歩き出す哲爺さんを捉えることが出来ていない。配信には二人のやりとりだけが聞こえているはずだ。
「出来立てで食わないなら作らない方がマシなんだ。どうぞ」
 社長相手にも一切態度を変えない。ちゃんとした社会不適合者で、カリスマだ。
「ありがとうございます。いただきます」
 一方社長は真摯な態度だ。スタッフが急いで割り箸を持ってくる。
 一瞬の静寂。パックのご飯を社長が口に入れる。
 かなり几帳面に咀嚼した後、何も言わずに二口目に。なんて思わせぶりな食べ方だ。
「うん。旨い。嫁にも食べさせてみようかな」
 くだらないギャグ。しかし、場の雰囲気はとてもよくなった。張り詰めた糸が緩まる。
「社長ー私にもください」
 興津さんももらい美味しいと騒ぐ。
 このまま配信終了してくれ。この盛り上がりで俺の料理のことを忘れてくれ。そう願わずにはいられない。
 しかし、ポップちゃんは俺のほうにやって来て見事に司会進行をする。
「ではでは、バブルさんもお料理を持って来てください」
 足が震える。どうすればいいんだ。このまま何もしなければ悔しさだけが残るだろう。それでも、とりあえず料理を持っていくしかない。
「あ、バブルさん、その場で大丈夫ですよ。一応、社長が審査をする場所がありますので」
 スタッフが少しだけ豪華な椅子を運び入れる。
「バブルさんの料理はちゃんとしてて美味しそうですね」
 社長の笑顔でカメラの前に入ってくる。
[けっこうイケメン][想像より全然若い][髪フッサフサ]
 楽しそうな視聴者たち。
 社長が椅子にかける。俺は料理を置く直前に蛍太さんの方を見た。
 景品のエナジードリンクを飲んでいる。気がつくと駆け出していた。
 そして、景品のエナジードリンクを手に取って、開ける。プルトップが音を立て、中身が少しだけ溢れ出た。
 そして、社長とカルボナーラの前に立つ。
 俺はカルボナーラの上でエナジードリンクの缶を傾けた。

「景品は、買った人が飲むんですよ!」
 そう言ったのはポップちゃんだった。その瞬間、俺は我に帰ったことを認識した。
 俺はカルボナーラにエナジードリンクを掛けて、それを社長に食べさせようとしていた。もちろん、エナジードリンクの会社が提供していることを知っていながら。
「これと一緒に食べるとさらに旨いんです」
 俺は言う。もし、あのイメージを行動に移していたら、どうなっていたのか。考えるだけで身震いする。
 社長は俺の行動に不信感は持たずにカルボナーラを食べた。蛍太さんや興津さん、坂上さんも特に変わった様子はない。俺がしようとした行動に気がついていないようだ。
 ポップちゃんだけは気がついていたのかもしれない。が、見てみてもいつもと同じような笑顔のままだった。
「旨い」
 社長が笑いながらカルボナーラをエナジードリンクで流して言った。

 調理台はそのままに、社長がどこかに去って公式放送は終了間近となった。
「では、本日の勝者は……」
 ポップちゃんのタメが入る。
「同点です! なので、ジャンケンで決めてもらいます」
[結局?][何となく予想ついてた][このゆるさ]
 投げやりな決め方だが、視聴者は喜んでいる。やっぱり、この適当な感じが親近感を湧かすのだろう。
 ジャンケンは坂上さんと興津さんがして、俺たちは負けた。
 こうして公式放送は終わった。

 公式配信の緩さと同じくらいに、配信終了後も緩い。軽い挨拶を済ませて後は自由だ。
 とはいえ、記念すべき一回目の公式配信。その後打ち上げも行われた。
[居酒屋オオムラ]
 木造仕立ての入り口には提灯が下がっている。
 足立さんの行きつけのお店で、二十人ほどの規模の時によく使うそうだ。
「みんなお疲れ様。いい配信だったよ」 
 その店の奥の座敷に、足立さんがいた。打ち上げに参加しているのは、坂上さんを除いた出演メンバーと、予定が空いているスタッフたちだ。
 坂上さんは次の仕事の予定があり参加できなかった。本当に残念そうな表情をしていた。
 興津さんと蛍太さんはいつの間にかスタッフの人たちと盛り上がっていて、俺は鉄爺さん、足立さん、ポップちゃんが囲む机に座っていた。蛍太さんたちが祝福を祝う机に対して、こちらは、これからの配信をどうするかと言うどちらかといえば理論的な話をする机だった。

 鉄爺さんは、食べたいものだけさっさと食べるとそそくさと帰っていった。さすが。ぶれない。
 机はポップちゃんと足立さんと俺の三人になった。
 帰っていく笹崎さんを足立さんはうれしそうに見ている。
「笹崎氏、さすがですよね。配信者っていうのは欠点が強みになる」
 社会不適合者。鉄爺さんは圧倒的な不適合者だ。俺も仕事をやめている。蛍太さんもだ。
 ポップちゃんこと、伊崎紗奈は司会の時と同様の手際の良さで、お酒、おつまみ、空いた皿を管理していた。
「伊崎さん、めちゃくちゃしっかりしてますよね」
 俺のお酒を頼もうとしてくれる伊崎さんに言う。
「いえいえー。そんなことないですよ。生でよかったですか?」
「いや。もうお茶で。自分で頼むから大丈夫」
 伊崎さんが笑っている。その笑顔はとても綺麗だ。二十歳とは思えないほど落ち着きもある。
「大島くん、伊崎さんのこと見過ぎじゃない?」
 足立さんがおちょくってくる。
「はは。そんな。いやいや」
 うまく返せないと思いつつ、しょうがないと諦める。
「ところで大島くんは、今日の配信、どうだった?」
「どう、えっと、楽しかったですね」
「それは良かった」
 俺は足立さんと向かい合っている。隣には伊崎さんが座って静かに話を聞いていた。
「大島くんは、働いてるんだっけ?」
「いや、ニートです」
「これからどうして行きたいかとか、考えてる?」
 目が、じっと俺のことを捉えている。ただの質問ではなさそうだ。
「配信が楽しいです。だから、とりあえずは、行けるとこまで行きたいと思ってます」
 伊崎さんにいいところを見せたくて、大袈裟になってしまったけど、本当にそう思っていた。
「だったら、いい話があるんだ。次の公式配信を大島くん達にお願いしたい」
 俺は、二つ返事をしていた。
「やらせてください」
 足立さんが目を丸く開いて驚いた。俺だって、こんなすぐに返事をするとは思っていなかった。
 伊崎さんが小さく拍手をした。足立さんの表情も和らぐ。
「いやー、良かった。でも、ここで全てを決めるわけじゃないからね。佐藤くんと興津ちゃんの話も聞いて置いてよ。それでまた今度連絡しよう。ごめん、ちょっと席を外すね」
 トイレの方に歩いていった。
 伊崎さんの二人になった。何を聞こうか考えていると、向こうから話しかけてくる。
「大島さん凄いですね。うらやましいです」
「え、なにが?」
「番組に決まってるじゃないですか」
 とそこまで言い切って、極まり悪そうにあははと笑った。
「伊崎さんも番組出たいんだ」
「当然です」
 伊崎さんが野心家なのは意外だった。
「なんていうか、意外だな」
「まあ、あんまりガツガツするのってイメージ悪く見えますもん」
「確かにそうかも」
 多分、彼女は俺とまったく違う理由で配信をしている。彼女からは、配信者として面白くありたいという思いは見当たらなかった。なにか、ミスがでいないような雰囲気を感じる。
「ねえ大島さん。大島さんが番組を依頼されるのって、なんか分かる気がするんですよね」
 伊崎さんにじっと見つめられる。
「教えて欲しいな。俺は全然わからないから」
「目を離せないんです。多分、その危うさのせいで」
「危うさ?」
「実は、笹崎さんも同じですけど、破滅とか、崩壊の片鱗が見えるというか。えっと、言葉にしてみると意外と難しいですね。とにかくそんな感じなんです」
 言葉で表現しきれないその感じ。何となく分かる気もした。配信になると、自分の行動に対して制御が効かない。俺を突き動かす衝動には破滅的な意味が含まれているかもしれなかった。
「例えば今日、大島さん出来上がった料理にエナジードリンクをかけようとしてましたよね?」
 どきりとする。それと同時に、嬉しいと感じた。やはり伊崎さんは分かってくれていた。
「伊崎さん、止めてくれたよね」
「まあ。さすがに。エナジードリンクはかなり大きなスポンサーですから」
「うん」
「でも、やろうとした。確かに視聴者は盛り上がると思います。けど、普通しません。あの先にあるのは、きっと破滅なんです」
「確かにそうかも。けど、何ていうか、コントロールできないんだ」
 伊崎さんは俺の話を聞いて、顔を傾けていた。なにを言おうか考えている。そして口を開いた。
「だから、目を離せない」
 配信中にだけ、俺は破滅に向かうことが出来る。確かにそうだ。その先が死だとしても俺は配信中で、大勢に人間を沸かしたいと思った時には向かっていけるのかもしれない。
 急に黙った俺を見て伊崎さんが慌てて言う。
「もちろん、いい意味でですよ」
 破滅に向かうのに、良い意味なんてあるわけない。そう思うと笑ってしまった。

 足立さんが戻ってくる。
「二人とも楽しそうじゃない」
 照れる。伊崎さんはあしらい慣れているのか、軽く笑顔で流していた。
「どう? 大島くん。伊崎さんと仕事してみて」
「いやー。すごいしっかりしてるなって。びっくりしました」
「でしょ」
 足立さんは酔いが回り始め砕けた口調だ。
「足立さん飲みすぎてません? いつもそんな風に褒めてくれないのに」
 伊崎さんはこういうやり取りをしながらも、着実に歩みを進めようとしている。そう思うと胸が熱くなった。俺も酒を飲みすぎていたのかもしれない。
 だから、こんなことも口走れたんだと思う。
「さっき配信の話、伊崎さんも一緒に出来ないでしょうか?」 
 言ってしまった後で、あ、と思う。
 隣で伊崎さんは目を見開き、一瞬固まる。そして俺を揺すってきた。
「なに言ってるんですかー。そういうのはちゃんと考える人が考えてくれてるんですし……」
 と、ゴニョゴニョと喋る伊崎さんを遮るようにして足立さんが口を挟む。
「確かに、今の二人の漢字を見てると、それもアリな気がしてきたな」
「え、ほ、本当ですか? お酒、やっぱ飲みすぎてるんじゃないですか?」
「かもしれないね」
 足立さんが笑う。
 ひと段落して、伊崎さんは改めて話した。
「足立さん。私、チャンスがあるならやりたいです」
 その表情は真剣。足立さんも答えるように引き締まった表情になった。
「たとえ酔っていたって、嘘は言わないよ。ましてや番組のことなら尚更。本当に今の二人をみて、ありだと考えたんだ。いや、なんだか浮かんできたよ。二人のやりとりが」
 足立さんが一人でヒートアップしていく。今回の企画はほとんど足立さん一人の決定権で動くようで、しかもまだこれからという所らしく、出演はほぼ決定した。

 飲み会が一応お開きになる。足立さんはすぐに帰った。というより、職場に行ったらしい。
「企画を考えるのが楽しみだ」
 そう言って消えて行った。
 蛍太さんと興津さんはそのまま二次会に向かったらしい。俺も誘われたが、なんとなく飲みのグループが分かれてしまっていたので帰ることにした。
 帰るメンバーは駅に向かう。俺は伊崎さんと隣どうして歩いた。暖かい夜。
「大島さんって、やっぱ凄いですね」
「なにが?」
「やっぱり、破滅に向かってますよ。あの、もちろん感謝してるんですけど」
 どうやら、さっきの番組出演の話のことらしかった。
「違う違う。本当に伊崎さんとできたらいいって思ったんだって。変に気を使わないでよ」
「うーん。分かりました」
 二人で歩く。心地の良い酔いだった。これから伊崎さんと配信をできると考えると、胸が踊った。ワクワクする。
 伊崎さんはどう思っているのだろうか。表情はいつも通りで読み取れない。きっと、野心が燃えているはずだ。
 面白い。

#9  方向性
 公式配信と個人配信は、似て非なる。その理由の主なところは企業だ。
 大きな金が動く分、様々な制約が生まれる。
 今回のポプアップ公式配信では、まずコメントの統制があった。
 元々ポップアップは暴力的だったり性的だったり不快なコメントは非表示になるシステムだ。それはやはりスポンサーをつけるために行われている。
 それには大きな問題がある。配信者は視聴者のリアルな声を聞けなくなることだ。
 その場の空気感。配信とはその場に実際に集まっているわけではないが、それでも独特な空気感が生まれる。
 むしろ、実際に顔を合わせていないからこその新しい空気がある。
 それは普段は抑圧された憎悪、もしくは直接的な愛情の言葉。とにかくそのカオスに新しい人間の関わり方があるのだと感じていた。
「だからその放送には出ない」
 蛍太さんはパソコンの画面に向かいながら言った。配信終わりの打ち上げで結局始発で帰ってきた蛍太さんは帰ってきてそのままFPSを始めた。スタッフの一部とやっているらしい。
 バン、バン、ババババ……。
 ゲームの試合が終わってから、興津さんも配信には出ないと連絡が来た。
「そっか、了解っす」
 なるべく平然を装いながら返事をする。それでも、俺の緊張はバレてしまっている気もした。蛍太さんが何も言わないから俺も何も聞けない。
 俺自身も出演を手放しで喜べなくなっていた。それは、ネットでの感想を見てしまったからだ。
 エゴサーチ。
 自分自身のことを検索すること。
 今回の意見は辛辣なものが多かった。
[公式に魂を売った][結局いつもの良さがなくなってる][なんか普通って感じだったわ]
 しかも、それは配信前から危惧されていたことがそのままという感じだった。
 少しだけポップアップのスタッフを恨む。きっとかなりのコメントを削除していたんだろう。あの時には批判的なコメントはなかった。
 批判的なコメントがあの時に見れていればと考えてみる。しかし、結局何もできなかっただろう。公式配信という制約は大きい。

 夜になる。思い出すのは伊崎さんと歩いたあの暑さだ。
 寝る前にまたエゴサーチをすると、だいぶ意見が出揃ってきた。賛成意見も増えきたが、やはり批判的な意見が多い。
 けど、圧倒的に母数が多い。いままでの視聴者数の倍近くの反応がある。天秤にかけた時、どちらが良いのかはわからない。
 インターネットの海を彷徨っている。明け方四時。アルハレブログが更新された。
 やっときた。このタイミングで。
 テオティワカンの記事を期待してサイトを開く。最新の記事を見た。
[当ブログの今後の方針につきまして]
 一体なんだろうか。あまり良い予感はしない。いや、全く良い予感はない。
 俺は記事を開いた。

「堅苦しいタイトルになっていますが、文章は砕けた形にします。そっちの方が気持ちが伝わるのではないかと思うので。
 まず、簡潔に。当ブログはこの記事を最後に一度、停止させていただきます。理由は一つです。自分がこのブログを運営するのが楽しくないと思い始めたからです。
 なぜ、そう思ったのか。それは皆様もご覧になられたと思いますポップアップ公式配信が今のところ一番の理由になります。
 あの配信でバブル氏の良さは完全に消えていました。公式になるということはそういうことなのかもしれませんが、応援することはできないと感じました。
 最後のカルボナーラを作った時、あの時、エナジードリンクを持ってきていました。その場面に違和感を感じて何度も見直しました。
 本当は、エナジードリンクを料理にぶちまけるつもりだったんじゃないかと、そういう風に見えました。でも、していません。公式配信故の様々な制約がそうさせたんだと思います。
 ですから、もし、このような配信が増えるのだとしたら、それを記事にするのは辛い。だから、この、アルハレブログは一時的に閉鎖させていただきます。
 いつか、この記事をみたバブル氏、積木氏、gas6氏が心を入れ替えてくれた時、また皆様とお会いできればと思います」

 絶句。
 見ているサイト、間違えたのか? けど、見直してもやはりアルハレブログで、ある晴れた日がこの文章を書いている。
 一体、この感情をなんと言えば良いのだろうか。苛立ちがある。悲しみがある。恥ずかしさがある。
 簡単に言い表せない。思い出すのはアルハレが初めて配信外で連絡をしてきた時の気持ちだ。
 裏切ったのか裏切られたのか。
 とにかく混乱していた。もう一度読み直して、アルハレの意図をもっと汲み取らなくてはいけない。
 段々と、明確な怒りが吹き上がるのがわかる。アルハレはまるで俺たちの命運を自分が握っていると考えている。そうとしか思えなかった。
「いつか、この記事をみたバブル氏、積木氏、gas6氏が心を入れ替えてくれた時、また皆様とお会いできればと思います」
 なんで俺が心を入れ替えるんだよ。
 そんなことを考えていると、いつの間にか日は昇り切っていた。そこでようやく眠りについた。

 その日の夕方、蛍太さんは部屋からいなくなっていた。どこかに出かけたのだ。
 足立さんに蛍太さんと興津さんが次の公式配信に出ないことを伝えると、また機会があればといった内容の返信が届いた。
 その後すぐにスマホが鳴る。
「もしもし。大島さんの携帯でお間違えないですか?」
 足立さんからだった。
「はい。大島です。どうかしました?」
「突然なんだけど、明後日って空いてるかい?」
「明後日ですか?」
 予定なんてないのに、一応驚いた感じで返事をした。
「そう。明後日」
「空いてますけど、なにか予定があるんですか?」
「配信、できる? 公式配信なんだけど」
「ずいぶん急ですね」
「数を撃ちたいんだ」
「誰に当てるつもりですか?」
「ある晴れた日」
 まさか。でもそうか。足立さんはあるハレブログを見ている。
 俺は返事をしてるけど、自分がなにを言ってるのか分からない。
「やっぱ大島くんも見ていたんだね。あの声明は僕に対する挑戦と受け取ったよ。うん」
 声色に好戦的な雰囲気が帯びる。
「自分には挑戦なんて風には思えませんでした」
「そうかい? 僕にはアルハレ君が、大島くんをうまく扱いきれなかったってことを言いたいんだと思ったけど?」 
「それは……」
 俺に言われても。と思う。ただ、足立さんの意見には同意出来るところがあった。
 アルハレが番組制作者を意図的に批判したのかは分からないが、心の奥底でそういう風に思っていたんだろう。
 けど、足立さんの口からそのことを聞くと不安になる。これは俺とアルハレの話なのに、部外者が立ち入ってくる感じ。後から来た人がルールを塗り替えていく。
 
 俺は一人で事務所に来た。今日は配信の打ち合わせ。明日が本番だ。
「あんま派手なことしようとするなよ」
 俺が家を出る時、蛍太さんが言った。もちろん、アルハレのブログを読んだ上での発言だ。
 蛍太さんはアルハレのブログをなんとも思っていない。興津さんはもともとアルハレに大していい印象を持っていなかったみたいで、蛍太さんから話を聞くだけでその怒りが伝わってきた。
 直接、アルハレに話を訊こうと思ったが、辞めておいた。きっとインターネットでの別れとはこういうものなんだろう。

 休憩室で打ち合わせを行う。足立さんと伊崎さんと俺の三人。
「前回はお疲れ様でした。結構反響あったね」
 あだたいさんが笑顔で言う、アルハレブログについては何も言わない。ここで話す内容でもないだろう。
「うれしいです」
 伊崎さんが笑う。知っているのだろうか。伊崎さんはアルハレブログのことを。頭の中をかすめるその雑念を払って配信のことを聞く。
「どんなことをするんですか?」
「うん。今回のは、これからの企画を考えるって企画」
「それはまた、難しそうですね。なんと言いますか、盛り上げづらいと言うか」
 足立さんは俺の答えを聞くと、すこし悩んでから答える。
「エピソードゼロっていうのかな。これから始まる二人の配信。それをファンが一緒に作り上げているって一体感。それを作り出したいんだよね。いや、作り出したいというよりも、大島くん。君はそうやって人と関わるのが向いていると思うんだよ」
 俺に向いている。その言葉はアルハレを意識しから出た言葉だろうか。
「大島さんばっか気にかけられててズルイです」
 と伊崎さんがいってあははと笑った。
「いや、伊崎ちゃんも絶対に必要だよ。きっと大島くんは配信中にやりすぎてしまうんだ。だから、その時には君のバランス感覚を働かせてうまく処理してあげて欲しい。この前の公式配信の時のようにね」
「確かに、大島さんって危なっかしいところありますもんね」
 伊崎さんの目が輝いている。オレンジ色のアイシャドウ。一緒に配信の番組を持てて嬉しいと、しみじみと感じた。
「配信時間は無制限。とはいかないけど、五時間はとってある。場所は近くの音楽スタジオだよ。ちゃんと許可は取ってるから心配しないで」
 許可の心配よりも、音楽スタジオが一体どんな所なのか。そっちの方が心配だ。
 隣の伊崎さんは平気なご様子。
「あー、あと重要なことがあった。今回の放送は事前告知を絶対にしないでね。突発で放送を始めるから」
 つまり、俺たちの放送に辿り着けるのは、ポップアップのアカウントを登録している人だけが見に来るということなのだろう。
 でも、それは見てくれる人に対して少し失礼な気がする。
「告知しといた方が視聴者は稼げると思うんですけど、違うんですかね?」
 伊崎さんが質問を投げる。
「これは難しい所だと私も思っているんだけどね、まあ、アカウントに登録しておく価値をつけたいし、それに、最悪これで不満が出てもいいと思ってるんだ」
 悪い反響があってもいい。それが意味するのはきっと、炎上だ。
「大島くんはなんとなく勘づいてるみたいだね。そう。炎上商法。けどまあ、そんなに燃えないと思うけどね。ただ、仮に批判の声が大きくなったとしても、商法として受け止めることができるくらいの逃げ道はあるってこと」
 まあ、気楽にやればいいか。と、配信中じゃない俺が思った。

 それから、足立さんは次の打ち合わせがあると言って出て行った。
「大島さんはこのあと予定あります?」
 伊崎さんはカバンにスマホをしまっている最中だ。
「何もないかな。ニートだから」
「ニートでも予定が詰まってる人っていっぱい居ますよ」
 確かに伊崎さんのいう通りだ。
「暇ならご飯食べに行きましょうよ」
「え、俺?」
「そんなボケ、配信じゃ拾いませんよ。ほら行きましょ」
 急かされながら休憩室を出る。何かを忘れて行ってしまったような、不安な感じがする。けど、忘れている物はなかった。
 伊崎さんと食事を取ったあと、連絡先を交換してから別れた。このあとは友人がやっている居酒屋の一日店長をするのだそうだ。
 俺も誘われたが、伊崎さんの客として行くのがなんとなく嫌で断った。
「じゃあ、今度は普通に飲みに行きましょーね」
 そうだねと、俺は返事をしたと思うが、そんなことよりも。普通の意味の曖昧さに頭を悩ませていた。
 その悩ましさは家に着くまで消えることはなかった。

 蛍太さんは居なかった。出かけているようだ。久々に一人になった気がする。
 また、俺は公式放送に出る。言いたいけど、言えない。まあ、蛍太さんには言っても問題ないか。元々誘われてたし。
 ふと、なにかを忘れていることに気が付く。思えばこういう時、アルハレに連絡することも多かったな。
 今、この気持ちを話すことができる人がいない。もしくは、誰にも共感されないという思い自体がこの気持ちなのかもしれない。
 伊崎さんに連絡をすることにした。返信はすぐに来た。居酒屋は盛り上がっているらしい。
 自分はどこに向かうのだろうか。
 今年の夏が始まってから、蛍太さんや興津さん、視聴者、伊崎さん、いろんな初めて合うような人たちと一緒にいた。仕事を辞めてからまだ一ヶ月しか経っていない。蛍太さんと出会ってからはまだ一ヶ月も経っていない。だけど俺は動画サイトの公式放送に出演している。
 そして今は一人だ。思い出すのは、石鹸屋に勤めていた時のことだ。暗雲とした気持ちに包まれていた。人とのつながりが感じられず、ひたすら工場の中で決められた業務をこなす。
 今、あの工場の中で働いている部長は、一体どうして働いているのだろうか。
 俺は今、やりがいを感じてますと、小さく呟いてみた。気持ちが軽くなった気がした。
 次の日、いつの間にか帰ってきていた蛍太さんはまたパソコンに向かってfpsをしている。
「蛍太さん、行ってくる」
「ほーい」
 用件は聞かれなかった。

 都内某所、音楽スタジオにやってきた。
 金髪の男性店員がスタジオまで案内してくれる。中にはドラムセットと、いかにも音楽をやるときに使うっぽい機材が置いてある。それと、ピアノ。
「暑いですね」
 伊崎さんが手で顔を仰いでいる。
「エアコンつけます」
 そう言ったのは今日の放送でカメラを回してくれるスタッフの女性だ。太い黒縁メガネをかけている。伊崎さんとは交友があるらしいが、もともと無口なタイプなのか、会話はしていない。けど、確かにリラックスしている感じはする。
 スタッフがエアコンを入れると、その後には放送の準備を始めた。部屋を一度ぐるりを回ってから、カメラを位置取っている。
 伊崎さんはふらふらと歩きながら、ピアノの方に近づいて行った。グランドピアノじゃなくて、小学校の教室に置いてあるようなタイプだ。
「アップライトピアノですね。私の家にもあるんですよ」
 伊崎さんがそう話しながら、椅子に座った。そしてピアノを弾き始めた。
 ネットでは人気のゲーム音楽だ。聴いた記憶がある。
 演奏は中途半端なところで終わった。
「伊崎さんピアノ弾けるんだ」
「合唱祭とかで弾いてるタイプでしたよ」
 制服姿で演奏する姿がすぐに目に浮かんだ。女性スタッフが拍手して頷いている。なんか、わかってる人の雰囲気がしっかり出ていた。
 どうやら、放送の準備が整っていたようで、演奏が終わるのを待っていたらしい。
「こちらの椅子に座ってください。放送開始五分前です」
 そしてすぐに放送の時間がやってくる。

[これなに?][通知で来たけどなんかあったっけ?][平日のこの時間で急に始まる放送に来れる視聴者]
 コメントが流れる。今はまだカメラは映さないようにしているので画面は黒い。
「あー。あー。マイクテスト」
 俺が声を出す。
[誰だ?][知らん][バブル][この前公式にででた人だ]
 案外わかるんだと感心する。
「マイクテストです」
 今度は伊崎さんだ。
[ポップちゃん!][ポップ!!]「!!!!!」[親の声より聞いた声]
 明らかに俺の時よりコメントが多い。それにほとんどが正解のコメントだ。
 平日の昼間。この時間に集まってくる人間は、本物だ。
「聞こえてますね」
 そう言いながらも、カメラがつき、配信画面には俺と伊崎さんが映る。後ろには壁。すこしアンプが見切れている。
 困惑のコメントが多い。けど、これはみんなでそういう雰囲気を作ろうとしているのだろう。視聴者は二百人ほど。
「どうも、バブルです」
「はい。ポップちゃんでーす」
[これ何?][何が始まるんですか?]
「えー、今日が一体何なのかというとね、うーん。表現が難しいな」
 俺が上手い言葉を見つけられずにいると伊崎さんが代わりに話し出してくれた。
「今日はですね、皆さんと一緒に考えたいことがあって放送を始めたんです」
 ちらりと伊崎さんがこっちを向いて不意に目があった。思わず微笑む。
「これはですね、ここで初めての発表になるんですけど、私たち二人で公式の放送を始めることになりまして……」
 驚きのコメントが増える。幸い、悪いコメントは少ない。
 それから雑談を交えどんな番組にしたいのかの構想を語った。
 伊崎さんはピアノの演奏をしたり、美味しい食べ物を食べに行きたいとか、最近ハマっていることを話したり。
 女性スタッフも少し会話に加わっていた。
 そうしてグダグダと一時間が過ぎた。なんとも心地よい時間だった。視聴者が少ないことと、コメントの暖かさ。これから始まる番組への期待感も見てとれる。
「あはは。それいいかもね」
 新種の虫を探しに行けというコメントで笑っていると、スマホが鳴った。カメラに映らないように確認してみる。蛍太さんからだった。なぜか、いやな予感がした。
[放送中にすまん。もし確認できるならエゴサしてくれ。炎上してるぞ]
 アルハレのことが頭に浮かんだ。俺は配信画面を見て自分の顔が引き攣ってないかを確認する。大丈夫そうだ。
「ごめん、ちょっと席外すね」
 伊崎さんはちょうどスタッフを交えて話していた。一瞬目が合う。何かを察してくれたのか、快く俺を送ってくれた。
「はーい。でさ……」
 伊崎さんとスタッフの会話を聞きながら部屋を出た。

 蛍太さんから続けて連絡が来る。
[とりあえずここ確認してみてくれ]
 サイトが送られてきていた。掲示板だった。どうやら出てきたばかりの配信者全般の話をする場所らしい。
 エゴサは何度かしているが、このページはみたことがなかった。この掲示板は一年ほど前から出来ていたようだ。書き込みの頻度を見る限り頻繁に使われた形跡はなかった。
 この前のアルハレのブログでの表明以降で俺たちのことに言及するコメントが増えている。アルハレのブログのコメント欄は俺の信者とアンチが戦う場所だったのに対して、この場所はアンチの巣窟といえるだろう。
[バブルが逃げたな]
 まさに今書き込みがあった。今回の放送が始まってからのコメントを見てみると、俺の全ての動きと言葉に悪意を込めた書き込みがされている。こいつら、匿名だからって言いたい放題だな。怒りが湧いてくる。
 アルハレブログの方を見に行く。激しい戦いが繰り広げられていた。
 信者、アンチ、中立、野次馬。入り乱れてバトルをしている。一つのコメントにはいくつもの返事がついていて、全てを把握するのは不可能だ。
 このコメントたちは、全て俺が公式配信に出ていることについて話しているのに、とても他人事のように思えた。
 ざっと全てを見て、俺は蛍太さんに返事をした。
[これくらいなら大丈夫です。教えてくれてありがとう]
[そっか。ならよかった。頑張れよ]
 返事を確認して伊崎さんのところに戻ろうと扉に手をかけると、また通知が入った。蛍太さんからだ。
[おい、今これがでた。やばいかもしれない]
 リンクはあるハレブログの新しい記事だった。今上がったばかりだ。
[※警告※ 即刻、バブル氏は配信を中断せよ]
「なにこれ」
 思わず声が出た。それ以上なにも書かれていない。コメント欄も閉鎖されている。
 俺は扉から手を離した。
[見たか? まあ、何もないとは思うけどな]
 そうだ。別にこんな記事を書いてきたって何もできないはずだ。
 また扉に手をかけて配信に戻った。
 ふわふわとした気分のまま配信が終わった。そして、悪夢のような記事が上がった。
「これ、やばくないですか?」
 待合室で俺も伊崎さんもアルハレブログを見ていた。
[配信者の闇 期待の新星バ○ル氏も参加?
 八月某日 都内であるパーティーが開かれた。有名ミュージシャンの別荘を借りて行われたそのパーティーで、今をときめく若手配信者の公式放送出演の縁になったと言われている。しかし、そんな華やかな話と裏腹に、曰く付きのイキヌキをしていたのだった。この会に参加した〇〇氏の証言を我々は極秘に手に入れた。「ブチ上げのヤツをやりに行くって言ってた配信者がちらほらいましたね。俺は怖くて逃げましたけど」どうやら、そのパーティーの後、場所を変えて曰く付きの二次会が行われていたのだという。もちろん、その中には今をときめく若手配信者もいたという]
 いつもと違う文体。週刊誌のような内容。アルハレが書いていると信じられなかった。
「あのー、大丈夫ですか? これ足立さんに報告しといたほうがいいですよね」
「そう、だよね」
 足立さんもこの記事を見ている。それは確実だ。だけど、連絡するのは気が引けた。この記事はきっと、アルハレの警告を無視したから出したのだろうし、その責任を感じてたからだ。
 とは思いつつ、足立さんに連絡をする。すぐに出た。
「大島くん、お疲れ様」
「はい。あ、あの……」
「アルハレブログのことだよね」
「そうです。あの……」
 一体何を言えばいいのか。特に言うことなんてない。ただ、足立さんはそうじゃないみたいだった。
「あの記事、大島くんは関わってないよね?」
 その意味を理解するのに少し時間がかかった。
「えっと、俺がアルハレにそう言う情報を流したんじゃないかって、思ってるってことですか?」
「そうじゃないんだ。けど、すまない。気分を害するようなことを言って悪かった」
「いや、大丈夫です。もちろん関わってないです」
「そうか。わかった。ちょっと、またあとで連絡する」
 通話は切れた。
「大丈夫でしたか?」
 伊崎さんは俺のことを本当に心配していた。それはわかっていた。
「大丈夫なはず、ないでしょ」
 なんてことを言ってしまって、悔しくて、けどどうすることもできずにスタジオを出た。振り向くことは出来なかった。

 家に帰ると、カレーの匂いがした。料理をしているなんて珍しい。
「穣介、おかえり」
「料理なんて珍しいですね」
「俺は作らないよ。積木ちゃんが来てるんだ」
 玄関にはでっかい厚底の靴が置いてある。
 靴を脱ぎ中に入ると、興津さんが見えた。
「お疲れ様です。私、料理作るのあんま得意じゃないんですよね」
 しっかりとゴシックロリータの服装に身を包んでいる。今日はオレンジ色な感じだ。
「今日はどうしたの?」
「まあ、なんだかんだ私、心配性なんで。大島さんが心配で来ました」
「そっか。それなら大丈夫だよ」
「ふーん。あ、やばいやばい」
 興津さんは慌ただしく料理に戻った。
 とりあえずいつもの場所に座り、とりあえず置いてあるエナジードリンクを飲んだ。とりあえず横になってみて、とりあえず今日のできごとを思い出してみた。
 これ、普通にヤバくないか?
 とうてい普段の生活の感じに戻れるはずがない。冷静になればなるほど、起きた出来事のヤバさを感じる。
 暑いのに、冷や汗が伝う。
「穣介。アルハレのあの記事についてなにか知ってることはあるか?」
 足立さんと同じ質問なのだろう。二度目だ。慣れた。
「それって、俺を疑ってるってことっすか?」
「は? ていうか、アルハレと連絡を取ってたのって穣介だけだろ」
「そうだけど……」
「興津っち! ご飯できた? 穣介は見た目より凹んでるぞ」
 そのストレートな言葉は素直に俺の心に入り込んできた。
「俺、凹んでるんですかね」
「まあ、少なくとも尖ってはいないぜ」
 カレーがやってきた。野菜多め。豚肉入り。
 小さい机に三つ並べた。皿は全部バラバラだ。いただきますと声を揃えて、特に会話をすることもなく食べ終えた。
 食器を洗う音を聞きながら、今回のアルハレの件について蛍太さんが話している。
「アルハレのこと、穣介はあのパーティーに誘ってたんだよな?」
「うん」
「でもこなかった。そのあとは? 何か連絡した?」
「全くです」
「やっぱりあの記事はデタラメなんじゃないかな。アルハレはそのパーティーがあることだけを知っていて、だからあんな風な記事を書いたんだ。穣介が公式放送に出るのが嫌だから」
 アルハレは俺のなにを知ったつもりになっているんだろうか。
 食器を洗い終わった興津さんがやってくる。
「アルハレって人、私は変だってずっと思ってました。変な人、多いですよ。配信の世界は」
「穣介、ああ言う奴は気にしててもしょうがないぜ。もしこれ以上問題を起こされるならちゃんとした対応をしていかないと」
 二人はこれからの対応についていろいろ話していた。けど、なんとなく、その話に違和感を感じていた。
 何より俺は、アルハレと一緒に配信を考えたり、アルハレブログを読んだりして、それが楽しかったんじゃないか。
 アルハレが変な記事を書いたりしても、蛍太さんや興津さんがそれに対して言うことに少しだけ抵抗があった。
 モヤモヤとした気持ちを抱えたままする会話は重労働だ。しかも、ここにいる三人は思い思いのモヤモヤとした感情を抱えているように思う。一体それがなんなのかわからないが。
 お互いに対する不信感なのだろうか。
 今まで、同じ配信者としての繋がりを感じていたのに。俺たちの接点が薄くなり始めているのかもしれない。
 進むべき方向、これからの目的、避けたい問題。それがお互いにバラバラになっていく。
 もしくは、バラバラになっているのをまとめ上げようとしているのかもしれない。
 会話は途方もなく長く、何もなかった。

 蛍太さんがスマホを見ていた。目が見開く。
「これ、やばいな」
 俺と興津さんも近づき、スマホを覗き込む。それは、配信者の引退ニュースだった。
「知ってる人ですか?」
 蛍太さんに訊くが返事がない。代わりに、興津さんが声を出した。
「あれ? この人、私見たことあります。どこだっけ?」
 そして俺も気がつく。
「あ! あのパーティーに居たような」
 蛍太さんが顔を上げる。
「さっき急に引退を宣言したらしい。無期限休止という見方もあるらしいけど。けど、これはヤバイな」
「それって、アルハレの記事が関係してるかもしれないってこと?」 
 その配信者のことを調べてみる。名前は「堕天メガネ」。名前の通り黒縁メガネをかけている。一見地味に見えるが、意外に整った顔立ちをしていた。生配信というよりは動画が多い人だ。配信を始めてなければ接点を持つことなんてなかったタイプ。
 投稿の動画を見ていくと、見たことがある顔があった。キャラメル大陸の二人とのコラボ動画もしているみたいだった。他にも、同じくらいの年齢のグループと一緒に動画を撮っている。
 主に実験系を扱っているようだ。ポップで元気な感じがする。
 蛍太さんが口を開く。
「まず、アルハレの記事が事実だったとして、なんでそのことをアルハレが知っていたのか」
「それ、俺がアルハレをパーティーに誘っちゃったから」
「でも、それは足立さんも望んでたことだろ。うーん、実は、あの場所にアルハレは来てたのかな」
「いや、場所は知らないはずです。少なくとも俺からは伝えてないですね」
 もう、何を話してもそれはただの空想でしかなかった。アルハレに訊ければいいのだけど。いや、もはや直接訊いたところで真実にたどり着くことなんてできないだろう。
 興津さんはサイダーに果物のアイスを砕いた飲み物を持ってきた。一口飲んでみる。冷たくて、甘くて、刺激があった。
「結局、バブルさんはどうするんですか?」
「えっと、どうするって、一体何?」
 嫌な沈黙があった。
「私、アルハレさんは嫌いですけど、実は公式配信の声明には少しだけ共感できるんです。別に、バブルさんのことを否定したいわけではないんですけど」
 頭の中にはてなが浮かんだ。そして興津さんの言っていることを理解してから、頭に血が上った。
「それって、嫉妬に近い感情じゃないの」
 冷たく言う。自分でも驚いた。別に、興津さんのことが嫌いなわけじゃないのに。
 思えば、こんなに自分の世界に人が踏み込んでくるのは初めての経験だった。俺がやりたいように配信をしているのに、それを身近な人が批判的に思う。いや、でも、公式放送は本当に俺がやりたいように出来ているのだろうか。アルハレの表明は正しかったのだろうか。
「バブルさんがやりたいなら、そうすればいいと思います。本当にそう思いますよ」
 興津さんが桃色のサイダーを飲み切ると、立ち上がった。
「じゃあ、今日はもうお邪魔しますね。じゃあ」
 玄関に歩いて行った。
「カレー、美味しかった。ありがとう」
 そう声をかけると、興津さんは微笑んでくれる。返事はなかった。

 伊崎さんと俺の公式配信の日が決まった。二週間後だった。足立さんからは今回のアルハレの件はむしろ視聴者を増やすチャンスだと意気込んでいた。伊崎さんも負けずに頑張ろうと連絡をくれ、俺もその気になっていた。
 告知を俺のアカウントから流す。翌日、アルハレが声明を出した。
 ブログには、言葉はなく全てが写真だった。
 俺の動画から画像を引き抜いたものが配信順に並んでいる。次に、配信以外の俺の姿が写されている写真。そして、その印刷されたその写真たちが燃やされている写真。

 俺は配信をやめた。

#10  処女配信その二
 夏の真っ只中。真っ白な太陽の光線が降り注ぐ。家の周りには木々がようようとしている。
 俺はトイレの水が流れないことをトイレをした後に知った。
「爺ちゃん、トイレの水流れないよ」
 木造建築の平家だ。トイレの窓からは外が見える。多分、修爺ちゃんにも聞こえるだろう。
「穣介か、バケツで流せな」
 やはり返事が返ってきた。近くにバケツに水が溜めてあった。

 部屋を与えてもらった。そこで横になっている。汗が溜まる。エナジードリンクは三日も飲んでいない。
 夜がやってくるといくらか涼しくなる。コンクリートに囲まれていないからだろうか。そんなことを考えた。
「おい穣介、飯できたぞ。食べなよ」
 素麺と天ぷらがある。薄暗い電球の下で食事が始まった。
 大島修。俺の母方の祖父だ。祖母は生きているが、俺の親と暮らしている。本当は修爺ちゃんも一緒に暮らす予定だったが、どうしてもこの家から離れたくないと言って、別々に暮らすことになった。
 この家に来て今日で三日目だった。修爺ちゃんはこの三日間、俺以外の誰とも会っていない。俺が来ていなかったら、誰とも会ってないんだろう。
 田んぼと家を往復する生活だ。もう、ほとんど趣味のレベルで農業をしている。家で食べている米はほとんどここで育てたものだった。
 修爺ちゃんが力強い咀嚼をやめた。
「穣介は、これからどうしたいんだろう」
 感情が読みづらい。表情も声色もあまり変わらないからだ。もしかして、本当に感情がないのかもしれない。
「どうしたいんだろう」
 俺にも分からなかった。ただ、逃げてきただけだ。

 アルハレのブログが更新されてすぐに俺は逃げた。配信やめますとだけSNSに報告して。その後は修爺ちゃんに連絡を入れてここにやってきた。
 丸一日かけて電車とバスを使い近くまで来て、そこから修爺ちゃんの迎えでここにきた。
 移動中は全く休まることはなかった。配信外での姿が写真に撮られていたことは、俺を緊張させた。
 スマホは電源を切っている。そうすると不思議と落ち着いた。
「俺が聞いてるんだよな」
 修爺ちゃんがだいぶ間をもって返事をした。
「どうしたらいいのかな」
「もし、なにもないならな、あのな、その……」
 修爺さんに表情らしいものが初めて見えた。
「どうしたの? なんか改まって」
「いやさ、実はな、俺の仲間に江藤ってのが居んだがよ、その、えっとな。インターネットで自分の米、売ってんのよ。んでな、穣介、配信しとったんだよな」
「配信はしないよ」
「分かってるんだよ。違うよ。穣介が配信をしないのは分かってるんだよ。すんのは俺。俺だよ」
 修爺さんが歯を見せて笑った。もちろん、初めて見る笑顔だ。
「でも、俺、配信とかそういうのに関わりたくないんだけど」
「なーに言ってるんだよ。穣介は居候だな。手伝うくらいすんべ」
 またにっこりと笑った。農家とは商売人でもある。

 丸一日かけて環境を整えた。その翌日に配信の仕方を教えた。
 爺さんが配信を覚えられるはずないと思っていたが、意外にもすんなりと覚えていく。思えば、スマホも活用していたし、農家的な生活が好きなだけで、機械には強いのかもしれない。
「江藤にいろいろ教わってたんだなよな」
 俺がここに来なくても配信を始めるつもりだったのだろう。
 アカウントを登録してしまえば、配信はすぐにできる。俺は身を潜めた。

 ど田舎の木造建築の一部屋で、小さなノートパソコンとマイクの前で定年の過ぎた老人が配信を始める。
 一番大手のサイトで、理由は江藤さんが使っているからだそうだ。
「あ、あ、聞こえてますかね?」
 俺は借りている自分の部屋に戻って配信を見ている。自分のスマホの電源をつける気には慣れな方ので、修爺さんのスマホを借りた。画面には修爺さんがしっかり写っていた。
 顔出しは心配だったが、農業の延長と考えているので、むしろ生産者として正々堂々とやりたいのだと言っていた。
[よろ!][おじいちゃんどうしたの?][聞こえてるよ]
 視聴者は俺含めて十人ほどだ。初めての配信の場合、視聴者ゼロ人なんてのもザラにあるから、好調な滑り出しと言える。
 ここまでの年配が顔出して配信しているのは珍しいし、興味をもって貰えるのだろう。
「あー、今日はテストの配信なのでね、すぐに切りますがね、一応自己紹介だけしておきましょうかね」
 コメントは結構ある。書き込んでいるのは四人だ。
「えーっと、私はもう七十ですかね」
 コメントに返事をしている。このコメントの数なら、視聴者は配信者がどのコメントに返事をしてるのか分かるが、増えてくるとそれは難しくなる。だから、コメントは読み上げた方がいいのだが、それは今後の課題だ。
「私は、農業をしております、修というものです。それでね、なんで配信をはじめたかと言いますとね、ええ、まあ、お恥ずかしながらね、私が作った作物をねもっといろんな人に伝えたいなと、そういうふうに思いましてね、こうして私たちと繋がる輪を広げたいのですね。ええ、すみません話がまとまってなくて。では。今回はここまでで」
 配信は切れた。コメントはまだ追加されている。登録者も既に六人になっていた。
 視聴者だが、久々の配信の空気に打ちのめされていた。いつの間にか修爺さんの配信のやり方に口を出したくなっていたり、このまま配信に乗り込んでみたらものすごい炎上してくれそうだとか、そういうことが駆け回っていた。
 エゴサしたいと思った。けど、なんとか止まった。もしかしたら、配信の視聴中になにか俺に関することが流れてこないかとも期待したけど、そんなことはなかった。
 インターネットの世界は、その集まりから外れると一気に情報が見つけられなくなるものだ。

 一番近くの喫茶店に行くまで三時間かかった。
 山の上に立つこの店は、窓から真っ青な空が見えた。少し見下ろすと家がポツポツと目に入る。
 客は多い。近くに温泉があるから、その客がついでに寄っているみたいだ。
 年配が多い。昼から酒を飲んでいる。サンドイッチとアイスコーヒーを頼んだ。サンドイッチは大盛りだ。
 店員は三十代後半か、それくらいに見える男女で、おそらく夫婦だろう。
 俺みたいな若い人間が来ても、他の客のように物珍しく見てきたりしない。
 コーヒーにミルクと砂糖を多めに入れた。コーヒーに砂糖を入れる時はいつもエナジードリンクに入っているであろう量を想像して、同じくらい入れる。
 カウンターにはコンセントが付いていた。あるなら充電器を持ってきておけば良かった。そう思いながらスマホを取り出す。
 修爺さんのスマホを借りていた。地図アプリを見たかったからだ。やはり自分のスマホは電源をつける気はない。絶対に、いくつもの通知が入っている。
 スマホが揺れ、音がなる。
 頭がくらりとして、目眩がした。それがスマホの通知によるものだと、少しして気がついた。
 通知恐怖症だ。そんな恐怖症あるのか知らないけど。
 けど、知り合いから通知があるはずがない。だってこのスマホは俺のじゃない。
 通知を確認する。
[農家の修さんが配信を開始しました]
 別の意味で目眩が起きそうだった。もう一人で配信を出来るのか。
 直ぐに配信を開く。たった一日だけなのに、登録者は十人になっていた。視聴者は二十人を超えたり超えなかったりしている。
 配信の画面は昨日のように修爺さんが映っている。口が動いた。しかし音が聞こえない。
[聞こえない][電波? 設定? 開けますか?]
 親切なコメントも虚しく、音は出なかった。修爺さんもコメントでそのことに気がついている。
 画面から消えた。そして、何かを持ってくる。紙とペンだ。
 筆談で配信をするつもりだ。文字が達筆でそれだけでも視聴者が楽しんでいる。内容は作物をどう育てているのかの説明だった。主にその安全性に関すること。
 配信は一時間が経とうとしていた。音がないのに視聴者は減らない。
 修爺さんが紙にまた文字を書いている時、不審な動きがあった。びくっと体を動かしている。
 直後、ゆっくりと顔をあげ髪とペンを置いたようだ。
 画面には映りきってない左側の向こうに何かがいる。その姿をじっと見ていた。その後、倒れるようにして画面に映らなくなった。
[ホラーじゃん][釣りか][大丈夫?]
 そのほとんどが修爺さんを心配している。もちろん俺も心配だ。けど、もしかしたら少しコメントがある通り、演出でやってるのかもしれない。
 緊張しながら続きを視聴する。間もなくして画面に黒い影が現れた。
 一体なんだ?
[お化け?][熊!?][熊だー]
 熊だ。
 右手で乱暴にパソコンを叩いたんだろう。画面は暗くなってしまった。

 バスを降りて自転車に乗り込む。
 全速力でこいだ。何台かある自転車の中で一番綺麗なのを選んだが、壊れそうにぎしぎしと音を立てる。心臓が止まりそうになった。木々の間から夏の光が漏れ出していた。
 修爺ちゃんがやばい。
 その気持ちだけが足を動かす。喉が乾ききっていた。きっと、止まったら死ぬかも。こぐことで呼吸が出来ている。泳ぎ続けなかれば死ぬマグロと一緒だ。
 家につく。自転車から降りるとしばらく動けない。汗が吹き出していた。
 なんとか体勢を整えて家の周りを確認する。玄関から入るのは無用心すぎるだろう。ないだろうが、熊が居座っている可能性だってある。
 裏山に面した庭に回った。縁側に破壊の跡がある。ゆっくりと中を伺った。すると、何かが動く感じがした。さっと身を引く。
「よお。穣介。帰ってきてたんか」
 が出てきたのは修爺さんだった。
「あれ、爺ちゃん大丈夫だったの?」
「あ? あぁ、これか」
 壊れた部分を触っている。
「熊で出よった。配信してたんだけどな」
「見てたよ」
「そっかそっか。それでそんな急いできたんか。じゃあ、直ぐに来なくて良かったな」
「なんで?」
「死んだフリしてたから助かったんだな。もし穣介が来てたら熊を刺激してたかも分からんから」
 修爺さんは声を出して笑っている。
 家の中に入ると、見るも無残に荒らされていた。
「せっかく買ったのにな。ついてないな」
 パソコンも壊れてしまっている。
「残念だね」
「いや、まあ、月並みだけども、死ななくて良かった」
 それから、いつもと同じようにご飯の準備を始めた。ご飯は缶詰くらいしか残っていない。他は熊に荒らされていた。

 翌日、熊は射殺された。山をさらに降った所の家の近くだ。
「味を覚えるといかんな」
 修爺さんの感想はそれくらいで、後は壁の修理をしている。木の板をドリルでくっつける簡単なやり方だ。そのせいでいつになく騒がしい。
 作業は一日で終わり、静かに眠りについた。
 翌日、また騒がしい音がして目が覚める。時間は午前七時。
「すみませーん」
 人の声。どうやら一人ではない。
「こっちにおるよー」
 修爺さんは既に庭に出て仕事をしている。
 ざわざわと音を立てながら来た人たちが修爺さんのところに行く。
 声が聞こえなくなった。俺はまた眠った。それからどれくらい眠っていたのか。暑い日差しで目が覚めて、目の前には透き通る肌をした男がいた。
 目が大きくて、まつ毛が長くて、細い線。女性だったらショートヘアと言われるくらいの髪の長さ。
 俺と目が合って彼は場違いなほど喜んでいた。
「え、うそ、マジ?」
 声が完全に男の声で、見た目が女性っぽいだけに違和感を覚える。
「なに驚いてるの」
「いや、すげー、バブルさんですよね?」
 寝ぼけていた頭が一気に冴えた。そして次にクラクラとしてくる。
 誰なんだ彼は。
 
#11  碓氷冬吾の楽園

 翌日のテレビで修爺さんが映った。朝の情報番組で熊に襲われた配信を特集したのだ。
 インタビューをしているのは透き通る肌の男。碓水冬吾(ウスイトウゴ)今、波に乗り始めているアイドル。
 中学に入学してすぐにスカウトされ芸能界入り。事務所はすぐさま売り出そうとしたけど、碓氷の両親は高校卒業までは学業に専念して欲しいということで、土日にモデル業をするような生活だった。
 高校卒業後、活動を本格化させたのが去年でそこからは目まぐるしくテレビの露出が増えていった。今まさに増えてる最中で、朝の情報番組にも不定期レギュラーとして駆り出されている。
 そんな忙しいはずの碓氷は、インタビューが終わったあともこの家に残り、なぜか隣で一緒にテレビを見ていた。
 俺は碓氷に聞く。
「碓氷くんは、お家に帰らないの?」
「まだ帰りません」
 小振りなスーツケースを叩いて言う。
「なんで?」
「普通にバブルさんのファンなんで、このチャンスを逃すわけにはいかないかなって」
 一体、なんのチャンスなのか。修爺さんも一緒にテレビを見ている。
「碓氷くんは、今は忙しい時期なんじゃないの?」
「仕事、減らしてるんです」
「なんで?」
「普通にバブルさんのファンなんで、引退のショックがデカかったんですよね」
 そんなに衝撃があるわけじゃないだろう。笑ってしまう。
「嘘でしょ」
「まじですよ」
 碓氷が振り向いて俺を見た。全く笑っていない。
「でも、ここで会えた。凄い嬉しいんですよ。伝わってますか!」
 だんだんと笑顔になる碓氷をみて、つられて俺も笑顔になっていた。

 修爺さんが田んぼに車を走らせると、この家は俺の時間になる。けど今日は碓氷も一緒だ。
「いつも一人の時って何してるんですか?」
 碓氷は爪を弄りながら俺に聞いた。
「特に。なんか何もする気が起きないって感じがするんだよね。あ。一昨日は喫茶店に行ったけど」
「へー。僕もその喫茶店行きたいな」
 たしか、自転車は二台以上ある。
 きれいな方の自転車を碓氷に譲ってバス停まで行った。汗だくでバスを待った。
「誰にも会わないことってあるんですね」
 碓氷が水を飲みながらいう。トタンの屋根がついたバス停。ここのバス停を使う他の利用者は見ていない。
 バスに乗り込む。目的地に行くにつれてだんだんと人が増えていく。
 隣の碓氷は場違いなほどに綺麗で驚く。これがテレビに出る本物か。
 喫茶店に入ると、店員の夫婦が明らかに驚いている。視線は碓氷に。その後に、碓氷をつれている俺に。
 とりあえずのアイスコーヒー二つが届く。その時奥さんが小声で聞いてきた。
「隣の子、すっごい綺麗な子ね」
 碓氷にも聞こえていたようで、俺の代わりに返事をした。
「ありがとうございます」
 微笑んでいる。
「芸能のお仕事とかしてるんですか?」
「ええ、まあ。でも今は少し休んでるんです」
「まあ、それは、色々大変でしょうからね。ゆっくりして行ってくださいね」
 そして帰っていく。
「ゆっくりして行ってくださいね」
 ハートが飛んできそうな口調で碓氷が言う。
「分かったよ」
「本当に思ってるんですよ。僕、バブルさんのマジでファンですから」
「あの、バブルって呼ぶのやめて欲しいかな」
 現実でインターネットの名で呼ばれるのはやはり慣れない。
「わかりました」
 大きな窓から強い日差しが差し込む。店内はクーラーが効いていて心地よい。
「大島さん」
「なに?」
「お腹空きました」
 なにか食べ物を頼みたいんだろう。
「なにか頼む?」
「これがいいです」
 イチゴパフェだった。次に指差すのが抹茶小豆パフェ。
「二つ?」
「半分ずつ食べたいです」
 賛成だった。

 銀のスプーンが碓氷の口に運ばれる度に、キラキラとした何かが降るような感じだ。
 やはり現役のアイドル。指先まで目を離せない。
 じっと見てるのがバレて、こっちを見てきた。笑っている。人に見られる仕事をしてるんだ。慣れている。
 俺だったらどうするんだろうか。多分、目をそらして終わり。
 けど、もしそれが配信中だったら? きっと、なにかアクションを起こすだろう。でも、俺を見てくる人のことは考えない。きっと、画面の向こうの人が面白がれるような、そんな何かをすると思う。
 配信者とアイドル。同じように画面越しに自分を売り込んでいる。けど、こんなにも違う。なんとなく、碓氷の方が本物という感じがした。
「アイドルって、大変?」
 碓氷はキョトンとした。
「なんか、すごい普通なことを聞くんですね」
「そりゃ、普通だよ」
 小豆抹茶パフェを口に入れる。緑色の食べ物はなんとなく好ましい。
「千差万別だと思います。なんでもそうかもしれせん。ただ、僕は楽しんでます。業務と言う点では」
 回りくどい言い方だと思った。
「じゃあ、業務以外は大変なんだ?」
「うーん」
 碓氷は曖昧にそう言って、小豆抹茶パフェに手を伸ばした。
「大島さんもイチゴパフェの方も食べてくださいね」
 と話を逸らされた。

 頑なに温泉は拒否され、家に帰った。バスの本数が少なくて夕方にやっとだった。
「いつまでいるの?」
 熊に破壊された縁側に二人で座って居た。
「なんにも考えてないんですよ。それより、大島さんはいつまでここにいるんですか?」
「ずっと居るかもしれない」
「それは、寂しいですね」
 静かになる。すると家の中で音が鳴っているのに気がついた。
「電話だ」
 少し気まずい空気を紛らわすように俺は受話器をとりにいく。
 修爺さんからだった。今日は地元の仲間と飲みがあって明日帰ってくるらしい。そのことを碓氷に伝える。
「そうなんだ」
 と呟いて家の中に入っていく。
 一人になって空を見上げた。夕暮れは一瞬で過ぎ去り空は暗くなった。気温は昼間より涼しい。山の中だからか、心地が良い。
 空には月が浮かんでいる。テオティワランドのことを思い出した。俺は、いつまでここにいるんだろうか。
 体温と同じくらいの気温がぼーっとさせる。どれくらい時間が経っていたんだろうか、うとうととしていた。急にスイカを差し出されて目が覚める。
「あ、ありがとう」
 差し出された指にはネイルが施してある。誰だ?
「そんなに驚かないでくださいよ」
 碓氷の声がする。振り返ると、そこにいるの碓氷のような女性だった。
「どうですか?」
 やはり、碓氷だ。声は目の前の女性から出ている。
「あれ、変ですかね。自分では結構いけてると思ってたんですけど」
 なんと言えばいいのか悩む。繊細な問題だ。
「とにかく似合ってるのは確かだよ」
 結局、本音を言うことにした。碓氷は笑った。瞳はメイクによってよりくっきりとした輪郭になっている。
「よかったー。じゃ、食べましょうか。勝手に切っちゃいましたけど」
 隣にやってくる。ワンピースを着ている。黒いパーカーとハーフパンツ。足の毛は処理してるのか、もともとないのか、妙なところが気になった。
「そのさ、そういうの、隠してるの?」
 碓氷は微笑む。よく笑うのだが、いつもニュアンスが違っていた。今見せたのは少し恥ずかしそうな感じだ。
「まあ、そうですね。隠してるというか、大島さんだから見せたんですけど」
「俺だから?」
「はい。その、僕は大島さんの配信でこういう自分を肯定できたんです。バブルさんの配信って、やりたいようにやるじゃないですか。えっと、僕みたいにプロデューサーとかそういう誰かがお金のために考えたことじゃなくて、やりたいこと」
 碓氷が話してるのはバブルのことだ。俺のことのはずだけど、なんだか他人事のように思える。配信を始めた時の気持ちが冷め切っているのを理解してしまった。あの時の俺はもういないのだろう。
 虚しい気持ちになる。碓氷に対しては悲しさを感じた。もう、バブルは帰ってこない。俺は、ここから帰れない。
「でも、バブルはもう配信したいことなんてないよ」
 ボソリと呟いた。碓氷の顔は見れない。空気が冷めきった感じがした。
 何も言わずに、家の中に入っていく。俺はもう少しだけ夜風に当たっていた。

 眩しくて目が覚めた。汗だくだった。縁側でそのまま寝てしまっていたらしい。
 庭では修爺さんが土いじりをしている。俺のことを全然気にしていない。
 碓氷のことが気になって家の中に入る。玄関に行くと靴がまだあった。次に碓氷がいるであろう部屋に向かう。と、ちょうど部屋から出てくるところと鉢合わせした。
 姿をみて、声が出ない。
 碓氷は昨日の夜のように、メイクと可愛らしい服装をしていた。
「バブルさん、どうですか?」
「それは、似合ってるけど……」
「バブルさんが言うなら、オッケーです」
 その格好で台所に立った。修爺さんが戻ってくる。そして碓氷の後ろ姿を見てから俺を見た。今まで見たことがないほど目を見開いている。
「あれだな、穣介はな、誰を連れ込んだんだ?」
「いや、碓氷くんなんですよ」
「ほー。んまあ、綺麗な顔してるもんな」
 修爺さんは独自の納得をしたらしく、また自分の仕事に戻って行った。一人の時間が長い人特有の他人への無関心だ。
 俺が見ている限り、女性の格好をしている碓氷は今まで以上に魅力的に感じた。本当の自分を解放している感じ。その感じは、見ている人にここまでわかりやすく伝わるのかと驚くほどだ。
 この家は碓氷の精神を解放できる楽園になっている。けど、なんで急に隠さないようになったんだろうか。
 夕方、修爺さんからご飯を食べに行かないかと誘われた。どうやら今日は地元の祭りが行われるらしい。そこに行ってみないかと。
「行きます行きます!」
 そう言ったのは碓氷だった。もちろん、行くことになった。
 すぐに車に乗り込む。
「そのまま行って大丈夫?」
 俺は碓氷に聞く。服装はさっきのままだ。メイクもしたまま。
「似合ってるんですよね?」
「そうだけどさ」
 今の碓氷には、さっきまでの解放の感じが薄れ、今度は意地を張っているような緊張感があった。
「着替えるくらいの時間はあるよ?」
「違うます。このまま行きたいんです」
「それなら、いいんだけど」
 静かに発信した。修爺さんは発信前に言った。
「大っきい祭りじゃないから、あんま期待すんなな」
 走り出す。

 もし、配信するとしたら祭りなんて最高だな。
 ぼんやりと考えていた。祭りなんて変な人がいっぱい居るだろうし、俺も変なことをした所で甘くみてくれる。だから、やりやすい。
 ぼんやりとしながら、もしも配信をしていたらどんなことをするのか、勝手に脳内で趣味レーションしていた。その中では、碓氷は今のままの姿でいて、ネットの反応はいい感じだ。
 碓氷もおどけながら視聴者をあしらい、俺は碓氷に可愛いと言いまくる。視聴者はどんどん増えていく。そんな楽しい配信。
 妄想でニヤつきそうになり、我に返る。
「爺ちゃん、あとどれくらい?」
「おー、えっとな、二十分くらいか」
 なんとなく道も近代的な感じになっている。碓氷に声をかけようとして、異変に気がついた。
 震えている。目に見えるほどに。
「碓氷くん? 大丈夫?」
 頷いてるけど、全然大丈夫には見えない。ただでさえ白い顔が青っぽさを持っている。
 心配だけど、その碓氷の姿は美しかった。今にも壊れそうな姿。叩けば砕けて散ってしまいそうだ。そんな、破壊の衝動を揺さぶる美しさだ。
「爺ちゃん、碓氷くん体調悪いみたいで……」
 言い切る前に遮られる。
「大丈夫です。大丈夫」
 自分に言い聞かせているように見える。心配で見ていると、仕切りにスマホで自分の顔を確認しているのに気がついた。
 きっと、碓氷はこの格好で外に出るのが初めてなんだ。大きな拒絶をされる可能性もあって、それを心配している。
「別に、祭りに行く必要はないんだけど」
「いや、行きます」
 なにが碓氷をここまでさせるのだろうか。
 外が騒がしくなる。そこで祭りが行われていた。けど、本当に小さな祭りだ。
「なあに、みんな顔見知りだ」
 修爺さんが言う。駐車場は少し先でそこまで車を走らせる。
 みんな顔見知り。だとしても、碓氷の緊張は解けない。
 車を停め出る。外は暗いが向こう側に賑やかな光が見える。その光は人の暖かさを映し出しているみたいだ。
 碓氷はその方角を見ている。けど、なかなか動き出せない。俺は待った。修爺さんは一人で歩いて行ってしまう。一度振り返ったけど、そのまま。そうするべきだと確信しているみたいに。
 後ろ姿が見えなくなって、碓氷が話し出した。
「あの、バブルさん。誰が何を言っても、今の僕が本当の僕なんです」
 それはもちろん分かっていた。今日の昼まで見ていた碓氷の様子を思い出す。それと同時にテレビに映っていた姿も思い出した。それと目の前の姿。楽園での碓氷は幻想のようだ。いつもは氷の城に篭っている。
「バブルさんが配信をヤめる。けど、だからって僕はもらった勇気をなくすってのは違うんですよね。昨日、それが分かったんです。僕が秘密にしている事実をバブルさんに明かして、それでまた配信を始める勇気を持って欲しかったんです」
 けど、それは見当違いだ。そう思った。同じタイミングで碓氷が同じようなことを言う。
「けど、それは僕の自分勝手な願望です。それが分かって、だから、僕は自由な場所を自分で探さなくちゃ行けないって、そう思ったんです」
 言い切ると、碓氷は歩き始めた。俺は、ただ着いて行くことしかできない。
 明かりが近く。下手な太鼓の音がした。誰かが遊びで叩いているんだろう。この距離なら、まだ誰にも気づかれることなく引き返せる。
 碓氷は振り返った。逆光で表情はよく見えない。
「また、僕は勇気をもらっただけになっちゃいましたね。行きましょう。バブルさん」
 手を掴まれる。そして駆け出した。
 光と音に包まれる。内側に入り込んだ。そこには明確に違う感じがある。
 碓氷の顔が見えた。見えたはずなのに思い出すことは出来なかった。

 
 祭りは朝まで続いた。残っているのは修爺さんとその取り巻きくらいなもので、それでも騒がしかった。
 俺は最後までついていくことが出来ずに途中で眠った。目が覚めたときには随分と片付けがされていた。太陽は真上にいた。
「お、起きた起きた。手伝おうか」
 碓氷が平気そうにして目覚めたばかりの俺に言う。
 寝ぼけながら片付けを手伝う。碓氷は随分みんなと打ち解けていた。一方、俺はあまりその輪に入ることが出来ずにいた。
 俺には、語るべきことがなかった。一体、何を話すことがあるのだろうか。
 明らかに、配信から距離を置いたことが原因だ。積極的に話し出すことが出来なくなっていた。それは、働いていた時とおんなじだ。
 配信者でいた時に俺はそれを武器にできたんだろう。碓氷が羨ましかった。アイドルという武器、そして今はいわゆる女装という武器も手にしている。
 きっと、納まるべきところに納まったということなんだろう。碓氷のようなスカウトを受ける人、方や俺は仕事をやめたニート配信者。元が違うんだ。
 ここに来て良かったと思った。身の丈を知れたってわけだ。夏が終わったら、実家に帰ろう。バイトでも見つけて身の丈に合った生活をするんだ。
 短い幻想だったんだ。
「大島さーん。運ぶの手伝ってくださいー」
 碓氷のところに向かう。二人で片付ける。
「バブルさん、ありがとうございます」
 二人きりになると、碓氷は俺を配信者としての名前で呼んでくる。
「え、いや、片付けくらいでそんな」
「違いますよ。そうじゃなくて、とにかく、ありがとうございます。僕が僕らしくなれるのはやっぱり、大島さんがいるからなんですから」
 きっと、俺のおかげなんて勘違いだ。笑ってごまかした。
 片付けが終わり、家につく。一度寝ていたはずだけど、また眠った。ちゃんと布団に入ってから。
 雑音で目覚めたのは、夜。時計は十二時を指している。
 音の正体を探しにいくと、想像はついていたが碓氷だった。なにやら落ち着かない様子でお湯を沸かしている。
 ピー。
 沸騰した。蒸気が吹き出ている。
 目が合う。
「バブルさん、大変なことになったかも知れません」
 声が震えている。
「どうした?」
「これ、見てください」
 スマホを出される。画面にはよく見ていたSNSの画面だ。
 写真の載った投稿だ。結構拡散されている。今まさに、共有されているのが数値の上昇で分かる。
 写真をよく見て血の気が引いた。さっきの祭りの景色。そこには俺と碓氷が映り込んでいる。
 コメントには俺の名前が出ている。そして、碓氷の名前も。わかりやすく俺たち二人のことを解説する人もいる。
 碓氷がテレビに写っている映像を切り抜いた画像や、俺の配信の画像を使って勝手なことを言いまくっている。過激な発言ばかりだ。
 炎上していた。
「なんだよこれ」
 怒りが湧いてくる。祭りに行っただけなのに。
 碓氷がヤカンの火を止めに行く。音が止み静寂が訪れた。けど、頭の中で雑音が鳴っているような感じがする。さっき見たコメントの暴言が明確な発音の形を持たずに、鳴っている。
 ムカついていた。あのコメントを打ってる奴らは、俺の配信を一度でも見たことがあるのだろうか。リアルタイムで俺にコメントをしたことがあるのだろうか。俺に、興味があるのだろうか。
 そう、俺に興味がないんだろう。ただ、ゴシップが好きなんだ。碓氷のこともそうだ。どんな想いがあるのかなんて、興味がないんだ。
 お茶を飲みながら、険悪な沈黙。何かを考えてるようで何も考えられていない。そんな時間が流れている。
「バブルさんら、積木ちゃんとか、gusさんとか、連絡しなくて大丈夫ですか?」
 碓氷がキッパリと言った。
「連絡したって、しょうがないよ」
 碓氷に負けないように、キッパリと言う。
 返事はない。碓氷の持つお茶が波打っている。手が震えているみたいだ。
「じゃあ、どうするんですか?」
「こんな奴ら、相手にしててもしょうがないから」
「——」
「え?」
 聞き取れなかった。もしくは聞かせる気のない言葉だったのかもしれない。とにかく、その言葉がなんなのかは分からなかった。

#12  配信、病める。
 ネットリテラシーって言葉を初めて聞いたのはどこだったか。朝のニュース番組か学校の授業でだと思う。
 インターネットを通して人と会うのは危険だと、そう教わった。
 教わっても配信をしたり、ゲームで知り合った人と会ったりするんだから、人とはしょうがない。
 が、それでも小さな頃からネットリテラシーを学んだ俺たちは、最低限のルールは守っているんだと思う。インターネットの人と知り合いになるが個人情報は守ったり。
 それは毎日のように電車で居合わせるなも知らない人と同じようなレベルで。
 だから、修爺さんが二人を連れてきた時に常識を疑った。
 玄関に蛍太さんと興津さんが立っている。俺はとっさに奥に隠れた。
「お邪魔します」
 普段と変わらないように努めて、蛍太さんが挨拶をした。興津さんはムッとした様子で後で続けてお邪魔しますという。
「あ、お二人は! gus6さんと積木ちゃんだですよね」
 碓氷が出て二人と会話をしている。何とも緊張感のない様子に嫌気がさして俺は部屋に篭った。
 何が起きてももう俺とは関係がないと決め込むことができる。そのはずなのに。居場所はネットで拡散され、蛍太さんと興津さんはここにやってくる。ほっといてくれればいいだけなのに。
 ノックの音がした。
 無視する。
 もう一度ノックがあり、その後で碓氷の声がした。
「二人とも困ってるみたいですよ」
「困ってるって、何が?」
「アンチですって」
「二人のアンチでしょ?」
「いや、アルハレが中心となってるアンチグループみたいですよ」
 まさかアルハレの名前を聞くとは思わなかった。しかし、俺のアンチグループを作ってるとは。相当嫌われたな。
「二人に話を聞くから待ってて」
 アルハレが関わっているとなると、自分の責任のような感じがした。
 居間に向かうと二人はお茶を飲んで待っていた。碓氷が入れた熱いお茶だ。
 蛍太さんと目が合う。
「ひさぶり。来ちまった」
 さっきは気がつかなかったが二人とも、らしくない格好をしている。蛍太さんは青い髪の毛を隠すように深く帽子をかぶっているし、興津さんも深い青色のワンピースと普通な格好で、蛍太さんと同じように深く帽子を被っている。
 碓氷はいつの間に席を外している。
「アルハレがどうかしたって聞いたけど」
 注意深く、しかし単刀直入に俺は訊いた。
「そうだ。それで困ってここに来たってわけだ」
「困ってるって……、それで俺に何ができるんですか」
「そうだよな。けど、俺たちにはどうすることも出来ないってことだな」
 何も出来ない。だから俺のところにやってきた。それは、アルハレが原因だからだろうか。
「そもそも、何に困ってるんですか」
 質問には興津さんが答えた。
「最寄りの駅が特定されてます。アルハレブログにその情報が集められてたんだけど、今は別のサイトが立ち上って、そこで私たちの情報や活動に対する悪意ある書き込みが行われてるんです」
 そのサイトを見せられる。黒い画面に赤い文字。タイトルは『アルハレブログ2』
「アルハレブログがコメント禁止になって、有志が立ち上げたサイトみたいですよ」
「私は知らないですけど、そういうところ含めて穣介さんしか動けないというか、アルハレさんと連絡、私たちじゃ絶対つけられないんで」
「でも、別に俺だってもう連絡つかないよ。それに、もう配信やめたんだ。俺は」
 しばらく無言が続いた。二人が立ち上がる。
 蛍太さんが帰り際に言った。
「じゃあ、帰るわ。じゃまして悪かったな。なんか、こんなことになったのも俺が巻き込んじまったような気がしてて、申し訳ないとも思ってるんだ」
 二人は出て行った。車のエンジンが掛かる音がする。
 修爺さんが二人を送りに行き、家にはまた二人きり。
「どうするんですか?」
 碓氷の目はひどく冷たい。
「どうするって……」
「何もしないんですか?」
 碓氷の手には既に荷物がまとめられていた。
「帰るの?」
「ここにいても、何も始まらないんで」
 俺は自分の部屋に逃げ込んだ。

 それから、俺は一切を忘れようとした。スマホも見ていない。修爺さんも新しい機材を買う余裕は無かったよう、で今は配信を離れてくれている。
 まだまだ暑い日、修爺さんが慌てて俺のことを呼んだ。碓氷が帰ってからどれくらい経ったのか。
 夏は、まだその猛威を奮い続けていた。
「穣介さ、これ、このまえの友達か?」
 食事を取りながら、便宜的にテレビのニュースをつけている。
「穣介や。聞いてるか。髪の真っ青のさ」
 真上の太陽はじりじりとこの古い家屋を痛めつけている。俺は今日のやることを頭に思い描いていた。
 テレビの音がうまく聞き取れない。
「佐藤っていうんだっけな? 隣のはお人形さんみたいなお嬢さん」
 暑さで頭がぼーっとしていた。最近は修爺さんの農業を手伝っていたから、その疲れが出てきたんだ。
「配信中に襲われたってか。恐ろしい世の中だな」
 配信の言葉が聞こえ、ぼんやりしていた頭が俺の意思とは関係なしに覚醒していく。冷えるような感覚がする。
 テレビの画面に吸い込まれるようだ。目が離せない。そこにはモザイク越しにも分かる二人の姿があった。
「穣介や……」
 それ以上は何も言ってくれなかった。俺が何かを言わなくてはいけなかったのは分かっていた。
 ニュースキャスターは、そのセンセーショナルな原稿を繰り返し読んでいる。嫌でもその時の二人の様子が想像できた。
「通報が入ったのは、昨日の二十時頃だったそうです。警察が急いで駆けつけた時には、既に男性は亡くなっていました」
 深刻そうに語るニュースキャスター。けど、蛍太さんのことはこの原稿を読む時まで知らなかったはずだ。そう思うと、その深刻さは一体誰のためなのかと、苛立つ。
 その後に、亡くなった男性はその時に生配信をしていたと説明が入った。動画サイトの説明。そして、蛍太さんが殺された原因について、犯罪心理学の学者と呼ばれている比較的若い男が語った。
「ガチ恋って言ったりするんですけど、つまりネット上でしか会ったことのない人に本物の恋をしてしまうんですね。時には会話は愚か、コメントでのやり取りさえないのにそのような状態に陥るわけです。今回は、積木ちゃん呼ばれる配信者にガチ恋していたファンが、gus6さんに嫉妬して事件が起きてしまったんですね」
「実際に会ったことがないのに、何故そのような感情を抱いてしまうんでしょうか?」
「インターネットで配信を見ている層は、コミュニケーションに問題のある方が多かったりしますから、そう言った方々が生配信なんかをしてると、そういう感情が生まれるんでしょう」
 それからニュースの内容について二、三人のタレントが意見を述べた後、次の動物のニュースに移った。
 スマホを探した。ここに来てから一度も電源をつけていない。だから充電をするところからだ。
 ニュースでは興津さんにガチ恋した奴が起こした事件だと言っていた。けど、何か不安があった。
 スマホに電源をつける。蛍太さんからの通知が大量に残っていた。もう、返信をすることはできない。そんな考えが一瞬頭を通り抜ける。
 興津さんと足立さんと伊崎さん、配信で繋がった人達からの数多の連絡。どれも俺を心配する内容ばかりだ。
 その通知については一旦考えるのを辞めて、まずはアルハレブログを見に行く。新しい記事は一つで、それはやはり俺の活動に対する批判だった。
 全てのコメント欄はやはり閉鎖されている。次にアルハレブログ二を調べる。今回に事件についての記事があり、そこでアンチ達が盛んにコメントをしていた。
 見ていて分かったことがある。こんな事件があっても、全くアンチ達は懲りてないということだった。
 俺に、何かできたのだろうか? 出来ることは山ほどあった。分かってて逃げたんだ。だから、それ以上は何も考えたくない。

#13  地獄配信
 何も考えたくはないけど、もう、どこに向かおうとも、配信が立ちはだかっていた。この家も配信の思い出があまりにも満ちている。壊れた縁側。祭りでの写真の炎上。そして、蛍太さんの死。
  お別れがしたいと思った。最後に見た蛍太さんの顔はとても悲しそうだったのを思い出す。俺がしたくて配信をしてたのに、全部蛍太さんのせいにしてしまったんだ。せめて、そのことを蛍太さんの両親には伝えたかった。
 あまりに多くを亡くしてからやっと気がつく。こんなに簡単なことなのに。逃げたって無駄だということ。責任を逃れようとした先に待っているのは、後悔だけだ。
「爺ちゃん。俺もう帰る」
「そかそか。帰るか。分かった」
 すぐに車を準備してくれる。ここに来た時と同じように、駅まで。
 別れ際、修爺さんがエナジードリンクを買ってくれた。
「穣介。いつでも帰ってこれるからな」
 いつものように簡潔にそれだけを言って。車は去っていった。
 深呼吸をする。よし。ちゃんと一人なことを確認する。それは、自分が世界から逃げていない証拠だった。逃げる者には必ず追う者がいる。
 俺はエナジードリンクを一気に飲む。血糖値が上がって生きてる自覚が生み出されるような気がした。蛍太さんとの生活が身体中に浮かび上がってくる。蒸すあるさの小さな部屋。ゲーミングパソコンのクリック音。終わらない夜。
 俺は配信を始めた。
[マジか][伝説の始まり][俺は信じてた]
 コメントの嵐。こんな時にどうかと思うがワクワクする。インターネットの向こうの人たちの熱意をコメントから感じた。
「ご無沙汰!」
 スイッチが入った。俺の中のバブルが目を覚ます。
「ここが特定された伝説の地。俺は今、ここを離れる!」
[どこ行くんだ?][テンション高っか][そんな場所離れろ]
 インカメにしてるので自分の顔が見える。最近見た中で一番イキイキしている。
「まず電車に乗るけど、充電もたないし配信きる。待っとけ」
 そしてぶつ切った。配信は終わったが、依然として俺はバブルのままだった。

 電車に乗って来たのはテオティワランドだ。もう日が沈みかけていた。夕陽が紫色で妙に現実味がない。空の青と夕日の赤が混じってこの色を生み出すらしい。
 配信をつける。
[再放送][空の色怖っ][どこだ?]
 インカメに満面の笑みを浮かべてから、外カメラに変える。画面には夕日をバックにしたテオティワランドが映った。そびえ立つ巨人が圧巻だ。
 何も言わないでグングンと進む。店員の顔は映さないように上手くカメラを動かす。
 門をくぐり中に入る。テオティワランドは夜の新しい顔を見せてくれた。日が暮れていてライトアップが幻想的だ。それが手伝ってかカップルが多い。
 俺は走った。色々なことを思い出していた。実は泣きそうになっていた。そこで気がつく。俺は蛍太さんにお別れをする為にここに来たんだと。
 走りながら思い出が蘇る。みんな、今何をしているんだろう。
 疲れて近くのベンチに座る。涙は止まっていない。
[泣いてる?][パレードの時間だ][パレード見て元気だそう]
 パレードと聞き歩き出す。映していいのか分からないからインカメに直す。すぐ近いところから見ることが出来た。
 テオティワカンでかつて行われていた血の儀式の再現らしい。もちろん直接的な表現はない。お人はお菓子の人形、血は色とりどりの生クリーム、心臓は大きな苺。
 ライトアップで俺の顔がカラフルに光っている。
 祭壇を模した大きな乗り物の上でコアちゃんが軽快にダンスをしている。俺はその踊りを真似した。
[急にどうした?][同情するけど普通にキモい][バブル、魂のダンス]
 満足がいくまで踊って配信を切った。涙が止まらなかった。
 テオティワランドを出て気持ちが落ち着くまで駅のホームで座った。もう遅い時間だから、近くの漫画喫茶に泊り、眠りについた。

 目が覚めた。昨日の配信のエゴサはしない。これは俺の話だからだ。
 漫画喫茶を出て配信をつける。
 画面には寝癖がバッチリついた俺が映っていた。
「今日も行くぞ!」
 コメント欄は盛り上がりを見せている。どうやらバブル復活祭と呼ばれ、他の一部配信者が生配信をしながら祝っているらしい。
「祭りじゃ」
 呟き歩く。駅までについても配信を止めなかった。もう、居場所はバレるのは構わない。
 特に喋らない。ただ、満面の笑みを浮かべる。目的の場所は決まっていた。みんなでヤラセの配信をしたゲームセンター。
 中に入る。懐かしい。だが、もう泣かなかった。今は楽しい。視聴者のことなんて頭になかった。ただただ懐かしさに身を任せていた。
[うん][わかるわかる]「ここ、懐かしいな」
 たまにコメントを見て、この気持ちを共有してくれる人がいるのが嬉しかった。
 満足いくまでここにいた。店員に声を掛けられて逃げるように出る。
[逃げ方ダッサ][このショボさ][最高]
 これでいい。
 また電車に乗り込む。次はごみの不法投棄場だ。
[遡ってる][俺、なんか泣けて来た][色々あったな]
 視聴者は俺の行動が読めている。面白い配信をするなら、ここで想像もつかない場所に行くのだが、そんなことは気にしない。
 駅を降りて不法投棄場に行くと、当然だがごみは全くなく、立ち入り禁止の看板が立っていた。あの事件から一月ほどしか経ってないんだ。
[ここはほんと触れちゃダメだよな][バブルって、事件が多すぎる][リアルタイムで見てたけど、マジでびびった]
 なんとなく目を閉じて改めて黙祷をした。興津さんの家での火葬を思い出す。火のゆらめき。蛍太さんが死んでしまった今、あの時興津さんが火葬をした理由が感覚的に理解できる。
 次に向かうのは、蛍太さんとの青姦を見に行った閑散とした駅。興津さんと初めて会った、全てが始まった場所だ。
[まだ行くところあるのか?][他の場所ってあったっけ?][まだある。知らない奴は新参]
 駅に着く頃にはあの時と同じように暗くなっていた。
 じっと座り込む。あの時と同じように草の陰に。
 懐かしさに包まれる。ああ、夏の夜の暖かさだ。ウトウトしてくる。疲れたなあ。微睡む中、蛍太さんの声が聞こえた気がした。
「おい穣介、静かにしろよ。カップルだ」
 そんな。ここには幽霊しか来ないよ、蛍太さん。

#14  覚悟
 身体が揺れている。それと。強い風が顔の一部にだけ当たった。
 目を開けると流れる景色。車の中だ。
 運転席を覗き込む。全く知らない男が居た。黒いスーツに黒いサングラスの日本人離れした男だ。
「うわ!」
 と思わず叫んだら、車が大きく揺れた。が大事には至らない。
「急に大きい声はやめてください」
 怒った上にハンサムな男は、次ににっこりと笑った。
「もうすぐ家につくんで待って下さい」
 家に着く? これって誘拐じゃないのか。これ、配信したら盛り上がる。ポケットにスマホが入っている。取り出すが充電が切れていた。
「バブルさん、そんなに警戒しないでくださいよ。私、碓氷兄貴に頼まれてあなたを助けに来たんですから」
「碓氷くんが?」
 俺が聞くと男は車を停めた。そしてスマホを取り出し音声を再生する。
[バブルさん、その男は信用できる男です。とりあえず家に向かって下さいね]
 男はスマホをしまった。碓氷の声だった。
「あなたの配信を見ていて、寝ちゃったから心配だったみたいですよ。なんせあなたには過激なファンが多いですから」
 そう言って発進した。

 大きなマンションに到着した。入る前に認証を行なってサングラスの男の部屋に向かう。簡単に出られないと思うと無意味に心配になった。
「配信しても構いませんよ。碓氷兄貴もきっとそれを望んでるでしょうから」
「いや、充電が」
「どうぞ」
 差し出された充電器にスマホを繋ぐ。
 窓際にシャンパングラスの置かれた机がある。スマホが充電される間、そこで待つ。大きな窓からは街が一望できた。
「何か気になるところでもありましたか?」
 サングラスの男が手にシャンパンとつまみを持ってやったきた。俺の前に座る。
「街が一望できるなんて凄いなと思って」
 ポコポコとシャンパンが注がれる。つまみはチーズを生ハムで巻いたものでバジルソースがかかっている。
「でも、私のような仕事をしてると、こういうところにしか住めないですよ」
「仕事って?」
「音楽作ったりしてます」
 男は秋葉透(あきばとおる)という名で、曲の提供を主な収入源にしている。碓氷と同じように売れ始めていて、テレビの露出もしている。
「自分を追い込むって意味もありますけど」
 高い家賃の家に住んで、金銭的に自分を追い込む。自信があるからそうするんだろうが。
「エゴサ、なさいますか?」
「え?」
 大きなスクリーンが降りてくる。そこにパソコンの画面が映った。操作は秋葉がしている。
 検索サイトで[バブル 復活]と打ち込まれる。
 様々な意見が流れる。賛成意見も反対意見も半々くらいだ。
「すみません、一緒に見るのはあまりいい気分ではありませんよね」
「いえ、そんなこともないですよ。もう、そういう所に俺は居ないんです」
 画面がスクロールする。俺の配信のレポート文が載っていた。配信の最後に、カップルが現れて青姦が行われていたらしい。ちょうどそのあたりで充電がきれ配信が終わったようだ。
 蛍太さんの声が聞こえた気がしたのは、一緒にあの時の配信を出来たからなのかもしれない。
「あなたは幸運ですね。もし映していれば垢BANされていたでしょう」
 アカウント停止のことだ。本当にその瞬間が映らなかったのは幸いと言える。
 そして真打のサイト、アルハレブログ二を見に行く。
 もちろん、大荒れだ。
 俺のファンは当然のように今回の復活を祝い、アンチはアルハレの意見を反芻しながら誹謗中傷を書き込んでいる。
「これくらい私も騒がれてみたいですね。皮肉じゃなくて」
 秋葉は真剣な表情で言った。
 チャイムが鳴る。
「ちょっと出て来ますね。あれ、あ、碓氷兄貴ですよね? 待ってましたよ」
 秋葉がインターホン越しに話て、少ししたら碓氷がやってきた。
 俺を見ると飛びついてくる。
「バブルさん、やってくれると思ってましたよ!」
 碓氷はスカートにメイクをバッチリとしている。
「碓氷くん、その格好でいいの?」
「当然です」
 ここまでこの姿で来たのだろう。写真を撮られた時は結構傷ついてるように思えたのだが。
「バブルさんが復活したんです。僕ももう吹っ切れたんですよ」
 俺が配信しただけ。それだけでここまで心が動く人がいるのが不思議だ。これが代償であり、俺のやるべきことなのかもしれない。
「事務所の契約も辞めました。僕、配信者になりますよ。まだ計画の段階ですけど、結構すぐにやります」
 ものすごい決断だ。
 隣では秋葉がとても驚いている。
「碓氷兄貴、アイドルを辞めたんですか?」
 秋葉に訊かれ、碓氷は得意げな顔をする。
「アイドルは辞めてないよ」
 それを聞いて秋葉は安心した表情をする。
「良かったです。あと、その服、とても似合ってますね」
 碓氷は当然だと言わんばかりふんぞり返っている。俺は二人の関係がとても良いことが分かり安心した。

 三人で食事をとる。机を囲んで夜景を見ながら。
「これからどうするんですか?」
 碓氷がいう。スクリーンには始めて見る映画が流れていた。有名らしい古いSFだ。
 映画は終盤で、宇宙船内の緊迫した場面だ。人工知能の思考を止めるために、何かをきかいから引き抜いている。画面は赤い。
 ここにいる全員が魅入っていた。知能を持った機械は段々と狂っていく。
 そして静寂が訪れた。
「アルハレに会いにいく」
 それは当然のことに思えた。必ず行き着く先。もしくは、狂っていく人工知能にアルハレを重ねたのかもしれない。
「バブルさん、それ最高ですよ」
 碓氷は喜んでいる。笑顔でミディアムレアのステーキを口に運ぶ。
「でも、どこにいるんです?」
 いっぽう秋葉は現実的だ。たしかに居場所が分からない。
「だったら、こっちも総動員で探してやる」
 数ならいっぱい居るんだ。やってやる。例え誰に何を言われようと、アルハレを探し出してやる。

#15  ネットの海に沈んだアルハレを探せ!
 映画のラストはよく分からなかった。けど、圧倒される何かが有る。
 そう俺が感想を漏らす。
「あー、もしかしたらバブルさんの配信見てる時って、僕は同じような気持ちになってるかもしれません」
 碓氷の言葉は褒めているのだろうが、なんとも納得しがたかった。
 通知が鳴った。
[ポップアップ公式配信開始!]
 碓氷のスマホも通知が鳴っている。おそらく同じのを見ているはずだ。
 複雑な気持ちだ。俺が出るはずだった公式配信だろう。せめて伊崎さんは継続しててくれと願った。
「秋葉、ポップアップの公式配信見よう」
 碓氷が言うと同時に秋葉は動き出す。
 配信準備中と文字が出ている。そしていつものように低予算丸出しの画面が現れた。
 伊崎さんがそこに映っている。良かった。
「始まりましたー。貴方の暮らしをアップ!」
 コメントが流れる。が、アラシは少ない。やはりポップアップは厳重なコメント管理がされている。
 内容は、この前発売したゲーム[pure]の実況プレイだ。
「このゲームを私がプレイしていきたいと思います! ちなみに、今回バブルさんは諸事情でお休みです」  
「ええ!」
 どう言うことだ? 俺は休み?
「バブルさん、凄いですね。出禁になってもおかしくないのに」
 秋葉も驚いている。つまり俺はまだ公式配信のレギュラーメンバーということだ。
 伊崎さんか、足立さんが何か動いてくれたのか。胸が熱くなる。
 俺は申し訳ない気持ちと、燃えるような気持ちを抱きながら放送を見た。三回、伊崎さんは俺の話をしていた。
 放送が終わった。なぜか碓氷が泣いている。
「バブルさん、愛されてますね」
 業界に詳しい碓氷は俺よりも感じることがあったのだろう。
 俺にはポップアップがある。ちゃんと帰ってこられる場所がある。それはとても心強い。

 興津魅桜が居たのは蛍太さんの実家だった。事件があってから住み込んでいるのだと言う。俺から連絡を入れるとそう言った内容の返信が来た。
 秋葉に車を出してもらい向かう。碓氷も車に乗って来ていたが、着いては来ない。二人は残った。
 俺一人で家に向かう。インターフォンを押すと、興津さんは迎えに出て来た。
「久しぶりです。私、バブルさんがまた配信するなんて思ってませんでした」
 会って早々に配信のことを口にする。
「まあ、そう思うよね」
 興津さんの様子はずいぶん落ち着いて見える。かつて赤ちゃんの死体を見つけてしまった時とは全く違う。が、目は全く合わせようとしない。
 次に蛍太さんの母が来た。
「この度はご愁傷様です」
「ありがとうね。さ、入って」
 俺は玄関を跨いだ。
 前に来た時と何も変わらない。驚くほどに何もかもが。
 テーブルにつく。三人で向かい合った。
「大島くん、ごめんね。責任なんて感じなくていいから」
 蛍太さんの母が言う。まだ、自分のことで手一杯のはずなのに、こういう言葉をかけさせてしまっているのが情けなかった。
「いや、感じさせてください。責任。俺、それでいいんです」
「そうなの。なんだか、蛍太が始めたことに貴方たちを巻き込んでしまったから……」
「それこそ、責任なんてありません。これは、俺自身が始めたことなんです」
 蛍太さんの母は、大きく息を吐いた。そして微笑んだ。
「じゃあ、私に出来ることは見守ることだけだ」
 言った後にどこかに電話をかけに行ってしまう。身内と葬儀についてのことを話しているんだろう。
 興津さんは話し出さない。
「積木ちゃん」
 呼んでもこちらを見ようともしない。それでも、俺には興津さんに伝えておかなくてはならない。アルハレに会いにいくと。
「俺、アルハレに会いに行こうと思うんだ」
 目を合わせないが、そのまま返事がくる。
「私、分かってますから。別にバブルさんが嫌じゃないんです。バブルさんのせいにしてしまう自分が嫌なんです」
 一枚の紙切れを渡される。
「私、もっと普通に渡そうと思ってたのに、実際に会ったらやっぱダメです。それ、あげます」
 興津さんはそうしてから席を立って二階に行った。一瞬目が合った。

 車に戻ると碓氷が真っ先に聞いてくる。
「積木ちゃん、大丈夫でしたか?」
「きっと大丈夫。ほら、お土産も貰ってきた」
 紙切れにはSNSとアカウント名が書かれていた。下には、[アルハレが使ってる古いアカウントです]と興津さんらしい字で書いてある。
 俺がアルハレに会おうとしてることになぜ気づいていたのか。疑問を呟くと秋葉が返事をした。
「知り合いの作曲家の曲を聴いたりすると、何を考えてるのか少しだけ分かったりするんです。興津さんもバブルさんの配信を見て何かを感じ取ったのかもしれません」

 貰ったアカウントについて調べようとすると興津さんから連絡が来た。
[そのアカウント教えてくれた人、私の昔からの知り合いだから、配信に載せたりしないでね。一応、その人のアカウントも教えとく]
 最後に笑顔の画像がついてきた。
 アルハレの前のアカウントは学生時代らしい内容の投稿が多い。アカウント名は変わっていた。[この垢使いません]だ。
[疲れました。辞めます。仲良くしてくれた人ありがとう。一部の異常者のために垢を閉鎖するのは嫌だけど、サヨナラ]
 それが最新の投稿だ。遡っていく。一個前に投稿に様子がおかしい所はなかったが、日付が空いているから当時に削除したのかもしれない。
[学校めんどい][だるい]「グッズゲット! 久々にアガった!」
 あとはとても学生っぽい内容だ。崇めているアニメがあったらしい。他のアカウントからのコメントも多く人気もあるように見える。
 ただ、学生の割に、朝も夜も関係なく投稿があった。
 実際の知り合いらしき人もいた。アルハレの前のアカウントをフォローしている人を探ってみる。中には自身の通う学校名をプロフィールに載せている人も少なくないが、どれも地域も違う。これではアルハレの通っていた学校を特定することはできない。
「ネットで知り合った人とコミュニティーを築いていたんだな」
「僕、結構分かりますよ。こういうのって」
 碓氷もアルハレの前のアカウントを見ている。
「ネットで知り合う友達のこと?」
「いや、そうじゃなくて、マイノリティのことです」
 碓氷が言ったマイノリティとういう言葉がよく分からなかった。聞いたことはあるのだけど。
 秋葉はそれを察したのか運転席から助言が飛んでくる。
「マイノリティとは少数派ですね。反対の多数派はマジョリティなんて言います」
「僕はほら、少数派だから、ネットで色々相談しますよ。まあ、アカウントを持って聞くのは怖かったんで匿名の掲示板でしたけど」
「アルハレは少数派なのかな?」
 俺は聞く。
「このアカウントを見る限りはそうだと思いますよ。多分、不登校だし。現実では友達ができなくて、インターネットで自分を理解できる人を探したんだと思います」
 一人部屋の中でパソコンに向かうアルハレを想像しようとした。だけど、暗い部屋にパソコンが光る部屋しか思い浮かんでこない。だって、俺はアルハレの性別も年齢も分からない。
 マンションに到着する。秋葉は作曲があると防音室こもった。俺はアルハレの情報を集めていた。
 しかし、さっきのアカウント以上に話が進まない。それは、当然だけど。少しアカウントを探ったくらいで済んでいる場所が分かるなんてあり得ない。
 興津さんから聞いたアカウント、つまりアルハレの前のアカウントにことを知っていた人に連絡をしてみる。が、反応はなかった。
 それまでの間、配信をしようと思ったが、何か違うような気がした。ふざけたくはなかった。
 SNSを使ってコメントで交流することにした。もちろん、アルハレの居場所を探るためだ。
 けど、直接[アルハレの住んでる場所探そう]とは言えない。脅迫じみた使い方はしたくないから。きっと俺がそういえば、みんな過激になってしまう。
 ニュースでは蛍太さんの事件はそれほど長くは取り上げられなかった。犯人がすぐに捕まったからだ。
 ファンとの交流をしていると、だんだんとアンチも集まってくる。あの事件をお祭り程度にしか考えていない奴らだ。
 [バブルはヤラセばかりの配信者][大 島 穣 介][gus6をしに追いやったのにヘラヘラとリプ返なんて常識がない]
 何も知らないくせにと思うが、相手にはしない。俺はアルハレに合うというもっと大切な使命がある。
 アンチが送ってきた中で気になる記事があった。そこに飛ぶと、内容はテオティワランドでの配信のヤラセ疑惑だった。
[動画内に何度も映り込む女性の姿がある。スマホで撮影してるようにも見えるその姿は、バブルが仕込んだ[裏方]である可能性が高い]
 その後に、生配信のスクリーンショットが何枚も続く。確かに、同じ女性が映っていた。
 スクリーンショットは生配信の時系列通りに進んでいく。名無しちゃんのことを思い出した。顔が出てるけど、大丈夫なのか。そこで何か引っ掛かりを覚えた。確か、あの時、名無しちゃんが巨人像の中で倒れた時があった。あの時、確か……。
 あの時、名無しちゃんを介抱していた人がいた。確かに、あの女性はスクリーンショットに写っているこの人だ。そして、あそこで俺たちが配信するのを知っていたのはアルハレだけだったはず。
 もしかすると、この人がアルハレなのかもしれない。

「その可能性は大いにあります。もしくは、アルハレの関係者」
 俺の考えを聞き、秋葉はそういった。
「でも、それでどうすればいいのかな?」
 碓氷の疑問はその通りだ。けど、この糸口をなんとかこじ開けなければ。
 黙って考え込んでいると、碓氷が言う。
「SNSで配信日当日の投稿を片っ端から見ていくのはどうですか?」
「碓氷兄さん、それは膨大な量の投稿を見るだけになるんじゃ……」
 秋葉はあまり賛成ではないらしい。視線が俺にやってくる。
「やってみる」
 すぐにその作業に取り掛かると、二人も無言で手伝ってくれていた。
 日が沈み始める。四時間ほど投稿を観ていたが、全てを見ることは出来なかった。
「バブルさん、悪いことは言いません。これ以上は時間の浪費ですよ。まだ家を直接回った方がましです」
 秋葉が呟く。大袈裟な物言いだが、確かにこれ以上探しても意味はなさそうだ。仮に重要な情報があったところでそれを判断することもできない可能性が高い。
「大体、アンチが言い出したヤラセなんて考察、それ自体が妄想なんじゃないですかね。こんなの無意味だ」
 秋葉は相当ストレスが溜まっているのか、そんなことを言って防音室にこもってしまった。
「多分秋葉は作曲が行き詰まってるんだと思います」
 碓氷は、いつものことですと付け加えた。
「でも、本当にこれがアンチの妄想だとしたら、手がかりがまた無くなっちゃいますね」
 後は、興津さんが教えてくれたアカウントからの返事を待つだけだった。そしてアカウントを観にいくと、見れなくなっていた。関わり合いたくなかったのだろう。

#16  アルハレの配信
 悪い流れになっている。そう感じた。アンチもファンもこの熱狂に飲まれている。
 テオティワランドの配信に映り込み続けていた女性のアカウントが特定された。俺たちだけでは出来なかったが、熱狂的なバブル信者が見つけたのだ。
 そのアカウントはすぐに削除されていたが、スクリーンショットが多数残っていた。チェーン店のコーヒーショップで働いてるくらいの情報しかなかった。俺たちが配信していた日は投稿がなく、怪しいと言えば怪しいがほとんど妄想に近い。
 これで、俺たちの配信がヤラセではないと信者たちは語っていた。
 こいつらは、この女性のことを全く考えていない。だから、何か手を打たなくてはいけなかった。
 すぐに配信をつける。画面は撮さなかった。音声のみの配信。
「皆様、今回は急遽配信をさせて頂いてます。まず、話題になっていますテオティワランドはヤラセだったという内容の記事がありますが、事実無根です。ヤラセなんてしていません。けど、それは別に皆様がどう思っていただいても構わないんです。ただ、関係のない方を巻き込むのは辞めてください」
 話していくうちに、自分でも驚くほどに正気が失われていくのを感じた。いつの間にか声に熱がこもっている。
 そのまま配信を切ってしまった。啜り泣く声が入ってしまったかもしれなかった。
 碓氷が心配そうに俺を見ている。配信さえ終わってしまえば、気持ちが切り替わる。
「これで収まってくれればいいけど、そう言うわけにもいかないよな」
「そうですね」
 悪い予感。これは必ずやってくる。今回もそうだった。
 アルハレの居場所の手がかりが分からず、アルハレの前のアカウントを見ていると、生配信のリンクが投稿された。
「ちょ、ちょっと秋葉くん! スクリーンにこの配信映して!」
 リンクを送ると、秋葉はすぐに画面をつけた。
 タイトルは[自殺配信!]
 画面には青い空が映っている。画面が下に向かっていった。街を見下ろした。随分と閑散としていて近くに駅がある。街の音がしている。二階くらいの高さか。
 バイバイと書かれた紙が映し出され、画面が乱れた。ガサガサと音がして画面が暗くなった。
 大きなスクリーンに映る。視聴者はあまりいなかった。きっと、この配信がアルハレと繋がってると知っている人はほとんどいないんだろう。
「バブルさん」
 碓氷が言うが、続く言葉はない。絶句している。秋葉もなにか黙り込んでいる。
 自分の太ももを思い切り殴った。生まれて初めてこんなことをしたのかもしれない。やりきれなかった。本当に、どこにも行き場のない気持ちがあった。

 日が昇った。この高い建物からは綺麗に日が見える。眠らずに迎える日の光は、俺が透き通った存在になったことを証明するために存在してると思った。
 そうだ。俺はもう意味のない存在になったのだ。
 普通の生活に戻ろう。バイトを探してこっそりと暮らそう。俺は、色々なことをうまく終わらせることが出来なかった。中途半端になった全てを抱えたまま、生きていこう。
 部屋を出ようとすると、秋葉が作曲部屋から出てくる。
「バブルさん!」
 やけに興奮した様子だ。
「いい曲でもできた?」
「何寝ぼけたこと言ってるんですか! アルハレの居場所にグッと近づきましたよ!」
 一体どう言うことなのか、分からなかった。ソファーで寝ていた碓氷も起きだす。
「あきはー? いい曲できた?」
「碓氷兄さん! 曲も出来そうですよ!」
 あれ? 反応が随分違うけど、いつの間にか俺は嫌われているのだろうか。まあ、深くは考えないことにしよう。
 秋葉がパソコンを開く。三人で覗き込んだ。
「この前の配信です。これ、駅が近いですよね。俺が持ってる音声ソフトを使って音をいじったら、ほら!」
 音が流れる。微かに駅名が流れた。しのど。
「それで、しのど駅、調べてみたんですけど、ありました。篠兎駅です。ここからだと車で四時間くらいでしょうか」
 やっと、道がひらけた。
 すぐに車に乗り込んだ。アルハレがこの世にもういないと相手も、住んでいた場所、生きていた事実を見届けたかった。

 配信で見た時よりは賑やかだった。
「この辺りですよね」
 碓氷がキョロキョロとあたりを見回す。そこにはビルがあり、網を登れば入れそうな剥き出しの階段があった。
「ここっぽいな」
 けど、昨晩に人が落ちたとは思えない。普通の場所だ。
「バブルさん、もしかすると、狂言自殺だったのかもしれませんよ」
 秋葉が注意深くあたりを見回してから言った。思い返せば、あの配信も本当に落ちているのか分かりづらかった。
 アルハレが無事でいるかもしれない。だとしたら、会いにいかなくては行けない。
「じゃあ、この近くにいるかもしれない。片っ端からチャイム押して行くぞ」
 近くのアパートのベルを鳴らした。インターホン越しに年配の女性の声がする。
「どちら様ですか」
「アルハレですか?」
「はあ? 知りません」
 どうやらここには住んでいないようだ。俺は突き動かされるように次の家のベルを鳴らそうとする。
 碓氷がそれを止めた。
「うわ! 辞めましょうよ。いや、僕自身は嬉しいんですけど。なんか、バブルさんって感じがして。でも、ほら、配信すらしてませんし。もっと良い方法を考えましょう」
 話を聞きながら冷静になる。確かに、配信をしてないのに、今の俺は配信中の俺になっていた。
「ごめん、何かいい方法……」
 なんとなく秋葉を見る。何か思いついてくれるんじゃないかと。そして案の定、思いついていた。
「近くのコーヒーショップに行ってみましょう」
 俺はそれを聞いてなんとなく察しがついた。碓氷はピンときてないようだ。
「そうですよね。一休みしていいアイデアを練りましょう」
「はは。碓氷兄さん、そうですね。でも、目的は違くて、まあ、待ち合わせのようなことをします」
 待ち合わせとは、随分体の良い表現だ。
「いや、待ち伏せでしょ」
 テオティワランドで俺たちを尾行していたとされる女性を待ち伏せるのだ。彼女はコーヒーショップで働いている。彼女がアルハレであるのならば、この近くのコーヒーショップに現れるだろう。
 全く関係がないかもしれない。しかし、彼女のアカウントは特定されてからも、無視を決め込んでいた。無関係なら無関係と表明するんじゃないか。
 碓氷に説明すると、難しい表情をした。
「でも、コーヒーショップって言っても、ゆうめいなチェーン店ですし、数も多いんじゃ……」
「碓氷兄さん、さっき調べてみたんですけど、この辺りじゃ一軒しかないです、しかも二つ先の駅にだけです」
 なんて田舎なんだ、けどそれに助けられた。

#17  配信者と視聴者
 夏の新商品をみんなで頼み、じっと座り込む。秋葉は持ってきていたパソコンで編曲の作業をしていた。碓氷と俺は一応サングラスとマスクで身元がバレなようにしている。
 退屈な時間だった。けど、ドキドキとして他のことは手につかない。もっとも、することなんてないけど。
 店内は意外に混んでいる。とは言っても、並ぶ必要はないくらいの混雑さ。
 時間は十時半。シフト制だろうから、キリのいい時間にやってくるだろう。

「バブルさん、来ました!」
 碓氷が小声でいう。俺にも分かった。時間は十一時。緊張感が伝わってくる。
 今まさに、レジに立っている。あの女性は確かにそうだ。
 俺は向かう。目の前に立って、飲めないブラックコーを頼んだ。多分、カッコつけだった。
「ブラックコーヒーのSサイズですね」
 そこで俺からお金を受け取るときに目が合った。彼女は驚き目を見開いている。でも
何もいうことはなかった。
 コーヒーが出来上がるまで近くで待っている。明らかに俺をチラチラと見ていた。
「ブラックでお待ちのお客様」
 受け取る。渡してくれたのは彼女だった。
 席に戻る。
「一応様子を見てきたけど、凄い驚いてた。ブラック飲める人いる。」
 秋葉が手を挙げた。カップを手に取ると飲まずにじっと見つめている。
「なんか書いてありますね」
 文字を見せてくる。黒いペンで分かりやすく書いてあった。
[六時間後にまた来て]

 隣で青い髪をした男が俺を揺さぶる。
「おい、バブちゃん、俺の葬式はちゃんと配信するんだろうな」
 蛍太さんが言った。聞き間違いかと思ったがどうでも良い。
「いや、葬式の配信なんて、不謹慎ですよ」
 そうは言いながらも、その配信の様子を想像していた。きっと盛り上がる。悪い意味で。でも、それでも良い。配信とはそう言うものだ。
「えー私は遠慮したいですねー。流石に」
 興津さんはあまり乗り気じゃない。
「また、この前みたいにテーマパーク行きたいです。私、あれ凄い楽しかったですもん」
 見渡すと、あたりは見たこともないテーマパークになっていた。巨大観覧車、巨人の像、などテオティワランドで見た建物もあるが、他にも大きな船、天空には噴水が噴き、二足歩行の熊がこちらに手を振っている。
「蛍太さん、ここヤバいですよ!」
 叫ぶように助けを求める。蛍太さんは笑ってスマホをを構えていた。
 配信中だ。
 隣では碓氷がワンピースを身にまとい、興津さんと服のコーディネートの話やメイクのコツを教え合っている。
「蛍太さん、俺、あの象と戦ってきます」
 身体が勝手動く。蛍太さんの隣で足立さんが喜んだ。期待の眼差しだ。
「ではバブルさん、勝負をしてもらいましょう!」
 伊崎さんの司会で俺と熊のゴングは切って落とされた。
 掴み掛かろうとすると、熊はそれを制した。
「まって、あんな奴がいたら気分が乗らない」
 なぜか熊の声が耳に響く。指さす方には、真っ黒な影の中に誰かがしゃがみ込んでいる。じっとこっちを見ていた。
 アルハレだ。
 座り込む影が中心になって、みんなが円になっている。
 全員に睨まれたアルハレはブルブルと震えた。それは輪郭がギザギザに歪むほどに。
 俺以外の全員がどこかに帰ろうとする。
「待って……」
 俺は泣いていた。

「バブルさん バブルさん?」
 碓氷の声がした。どうやら眠ってしまったようだ。秋葉の車で待つことにしたのだった。
「もう、時間ですよ」
 車のドアが閉まる音。俺たちはお店の前で待った。
 三十分、約束の時間を過ぎてから彼女は現れた。
「遅れちゃってすみません」
 頭を下げられる。ロングの髪はグレーのメッシュに染められていた。
「変装のつもりじゃないんですけど」
 と、髪の毛を遊ばれている。
「確かに雰囲気は全然違いますね」
 なんとなく話を合わせる。実際なんと切り出していいかわからない。彼女がアルハレと関係があるのは知っているが、実際に誰なのか、それは分からないんだ。
 日が落ち始める。夏が終わりかけている。今、そのことに気がついていた。
「あの、俺はバブルって名前で活動してます」
 俺は名乗る。これで伝わるのだろうか。
「知ってます。逆に私のことはどれくらい知ってます?」
「貴方のことは……、多分、ほとんど知らないです」
 彼女は特に反応を見せなかった。
「そうなんですね。ここまで来たってことはてっきり、色々知ってるのかと思いました」
「偶然辿り着けたんです。でも、何も分かってないんです。僕は、あなたが[ある晴れた日]なのかもしれないって、思ってます」
「そうですか。あの、一つ質問させてください。バブルさん、貴方は[ある晴れた日]の敵? それとも味方?」
 答えがすぐに出てこない。本当に迷っていた。一体、俺はアルハレのなんなのだろうか。
 でも、とにかくなにかを口走っていた
「バブルとアルハレは、同じなんです」
 いいながらも、うまく説明はできないと分かっていた。けど、感情はそれが正しいと俺に伝えている。
 彼女はやっと笑った。
「それなら、少しだけ安心かもしれませんね。アルハレは私の弟です」

 車はアルハレのお姉ちゃんを乗せて走った。
「両親は流羽空を産んですぐに離婚しました」
 ルーク。それがアルハレの本当の名前だった。神谷流羽空。年は五歳離れている。離婚の理由は今でも分からないみたいだ。
「けど、流羽空は自分に原因があるのだと、いつも感じていたみたいです」
 それは、年を重ねるごとに強まっていたらしい。
「両親の離婚後は、どちらも親権を欲しがらない状態でしたけど、世間の目を気にした母は親権をとり、その後は祖父母に全てを任せました。無責任ですよね」
 彼女は笑うが、もちろん他は誰も笑わない。
「弟は中学に上がってすぐに不登校になりました。小学生の頃から休みがちでしたけど」
 その頃にネットに入り浸るようになったのだと言う。
「今はアパートに一人で暮らしてます。とは言っても、私が頻繁に顔を出してるんで、想像するような一人暮らじゃないですよ。そこの道を左に曲がってください」
 急なカーブだ。身体が重力で揺れる。
「もうすぐ着きます」
 アパートが見えてきた。あの家のどこかにアルハレがいる。
「あの、なんで俺たちをここまで連れてきてくれたんですか?」
 俺は疑問を口にする。
「それはだって、今年の夏は今までで一番楽しそうにしてたんですから。まあ結果は散々でしたけど」
 車が停まった。
「俺たちは待ってるんで」
 秋葉が言った。碓氷も頷いている。
「まあ、僕らが行っても邪魔なだけだし。ちゃんと待ってるからね」
 手を振っている。
「じゃあ、行きましょう」
 外は暗く、肌寒い風が吹いていた。
 アパートの二階にアルハレの家があった。彼女は慣れた様子でベルを鳴らす。
「入るよ」
 合鍵を使いドアを開けた。部屋は暗い。容赦なく電気をつける。物音一つしない。
 狭い部屋だ。廊下の先にドアがある。蛍太さんと一緒に暮らした記憶が蘇った。けど、あの暖かかった雰囲気とは似ても似つかない。
 部屋に入る。パソコンが一つだけあって、薄暗い中で光っていた。
 その奥に、座っている。あの男がアルハレだ。
 身体が大きい。そして細い。悪魔のような見た目をしていた。髪の毛は長く、髭も伸びている。けど、若い。と言うより幼い。俺より若いのは確実だが、未熟な感じだした。
 目が合う。彼はワナワナと震え出した。そして罵声。
「な、な、な、何しにきたんだよ!」
 姉は驚く様子もない。じっと俺と流羽空がどうするのかを見ている。
「お、お前、俺のこと殴りに来たんだな。やってやるよ!」
 痛々しいほど、目が狼狽えている。
「なんだよ! なんだよその目! バカにしやがって!」
 俺は泣いていた。ほんの何週間前には、俺との配信を喜んでいたのに、このざまなんて。
「なんとか言えよ!」
 喋れないくらい涙が出ていた。
「だって、だって、俺が、俺だってこんなことに……、こんなことにさ……」
 うまく怒鳴れていないその声が、どんどんと弱くなって、嗚咽が聞こえてきた。アルハレも泣いていた。

 夢の中に居たモヤのようなアルハレ。今はその姿をしっかりと見ることが出来た。大きい身体で小さく体育座りをしたアルハレだ。
 周りには誰も居ない。どうするかは全て俺に委ねられている。
 けど、とっくに決まっていた。そう。アルハレとバブルは表裏一体だ。配信者と視聴者。ここでアルハレを見捨てると言うことは、バブルを見捨てることと一緒だ。
「あるばえぇ、ずいでぐるんだよ!!」
 アルハレ、着いてくるんだよ。そういったつもりだ。泣いていて全然言えなかった。
「ばぁぁぁあか!」
 アルハレは泣きながら、そう叫んだ。ありがとう、そう言ったつもりなんだろう。

#18  エピローグ
 半袖だと少し寒い。けどまあ、我慢できなくはない。
 配信を見るためにスマホを取り出す。ポップアップ公式配信。今回もバブルは休み。
「でも、しょうがないよな。まだ復帰出来ないよ」
 俺は呟くように言う。隣ではアルハレが縮こまっていた。
「はは」
 背は百八十はあるだろう。けど、それを感じさせない。
 画面の向こうではいつものようにポップちゃんが元気に配信をしている。
 通知がなった。
 碓氷がメイク配信を始めたらしい。
「このタイミングって、わざとかな?」
 絶対にわざとだ。公式配信にぶつけてきてる。
「はは」
 アルハレは基本的に愛想笑いだけだ。

 アルハレの家に行ってから、まだ一週間も経っていなかった。しかし、バブルを中心とした炎上は急速に収まった。それは、アルハレブログでの新しい声明によってだ。
 つまり、これ以上アルハレを筆頭としたアンチバブルの活動を行った場合は法的処置も辞さないという、簡単な内容だった。
 そもちろん、一部はアルハレアンチとなり、また別の活動を始めたが、法的処置という言葉が恐怖を与えているようで、目立った動きはない。
 ネットではアルハレを悲劇の主人公とする記事も見られた。本人にその記事の話をすると、とても不愉快になっていた。
「元々は僕が悪いんですから、こういうのは辞めて欲しいです」
 その後、しきりに法的処置と言い出したので、そこまでする必要はないと宥めた。

 蛍太さんのお墓参りに来ていた。今はもう駅のホームにいる。碓氷と秋葉も別の日に墓参りに来ていた。一緒に行こうとも思ったのだが、アルハレも連れてくる予定で、変に気を使わせるのも良くないと思った。
「あの、バブルさん、本気なんですよね」
 アルハレが不安そうにいう。
「もちろん」
「分かりました。じゃあ、着いたら連絡します」
 電車は逆方向だ。
 アルハレには、修爺さんのところで仕事を手伝って貰うことにした。アルハレは色々なことを忘れる時間が必要だ。
 別れた後、俺は駅から出る。自分の中で一つ終わりが訪れた。
「さて」
 わざと声に出して言った。やることは一つ。
 配信をつける。
[バブル!][あれ? 公式配信は?][これ、おかしくない?]
 やばい、公式配信を休んでるんだった。
 興津さんや碓氷からも通知がくる。もちろん、アルハレからも。
 でも、すでに俺はバブルになっていた。
 しっかり炎上してくれるだろうか。ワクワクする。
「せっかくの配信なのに、そんなコメントばっかじゃ、病んじまうよ」
 まだ、夏が終わっただけだった。

鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。