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【長編小説】異精神の治し方「境界治療」.5

 赤髪のおばさんが歩いてくる。
「ついてきなさい」
 そのまま一度も立ち止まらずに、私たちの間を突っ切って行った。
 リコは不安そうな表情のままだが、ついて行くみたいだった。当然私も。
 噴水の前を通り過ぎてから、公園を出ていく。道路にでるはずなのに、私たちは海辺に居た。なぜか全員自転車に乗っている。
 潮風が気持ち良い。けど、塩を含むこの風は、悪い影響も多く存在する。
 そう、そのことを、私はカオルから聞いた。
「下り坂だよ。気をつけな」
 赤髪のおばさんの声で下り坂になっていることに気がつく。いや、坂どころじゃない。速度も出ている。
 そのうち、重力のかかり方が変わった。いつの間にか座っている。
 どうやら、ジェットコースターに乗っているらしい。
「う、うわぁぁ……」
 誰の悲鳴かと思えばリコだった。もう叫び声を出さずに目を閉じている。
「よく見なさい」
 赤髪のおばさんの声が響いた。この遊園地の園内放送で流れているようだ。
 速度が落ち着いた。このタイミングで周りを見てみる。
 周りには色とりどりの花、もちろん偽物だけどかなり綺麗に作られている。その中に一人の少年の人形が立っていた。
 あれは確か、眠りから醒めない少女を救うために、伝説の花を摘みにきた少年。このジェットコースターはこの少年の冒険をなぞるように進む。
 この話も、カオルから聞いた話だ。
 ジェットコースターが終わる。完全に停止してから私たちは降りた。リコもよろけながら降りてくる。
 赤髪のおばさんが待っていた。
「ニーコさん、調子はどうですか」
「まあ、なんとも」
「ではなくて、体調、どうですか?」
「体調? 体調は特に……」
 そしてハッとする。また場所が変わっている。ここはどこだろう。白い部屋だ。
 まずリコを探そうとあたりを見る。後ろのベットで横になっていた。意識はあるみたいだが、気分は悪そうだ。
「ここはどこなんですか」
「それは、貴方が知っていることでしょう」
「私が?」
 その通りだった。また、同じように記憶が刺激されている。そう、ここは病室で、大切な人が、そうカオルがベットに寝ているんだ。
 そう思って振り返ると、リコがいた所にカオルが寝ていた。

 嫌な予感がした。

 カオルの虚な瞳が見えた。その直後、カオルの壁が展開する。物質化が起きている。
 私はまた、壁の中に入ることが出来ない。
 身体が冷えているような感覚が蘇る。
 このままなんて、嫌だ。
 次第に、カオルの本質が現れた。そして目が合う。
 身体が、勝手に動いていた。
 壁に向かって走る。そして私の壁が展開してしまう。物質化だ。でも、カオルを助けないと。
 今度は上手くやれる。自信があった。カオルとの思い出を、私は持っている。だから、きっとカオルを完治させることが出来るはずだ。
 私の壁がカオルの壁に接触する。二つの壁は光だし崩れた。
 私の本質がカオルの本質に甘えている。
 私もカオルの元に行く。
 成功する。そう思う。未だ虚なカオルの瞳にもうすぐ光が宿るのを想像すると、暖かい気持ちになる。

 歌が聴こえた。誰が歌っているのか分からない。けど、とても懐かしい。
 カオルと私は二人で地面に座り込んでいた。
 もしかして、境界治療が成功したのかも。
 そんな予感がある。ひどく落ち着いた気持ちだ。
 歌は短いメロディーを繰り返している。

 嫌な予感がした。

 隣のカオルを見る。けど、やっぱり、何も思い出せない。私はどうしてここまでカオルに執着してるのだろう。
 大切な何かを忘れている。
「ねえ、どこかに行かない?」
 私はその何かを思い出すために、カオルとどこかに行こうと考えた。隣でカオルはおだやな表情を浮かべている。
 カオルがベットの上に座っていた。私も隣に座っている。近くの物置には一輪の花だ。
 窓の向こうにでは、景色が流れている。さっきリコ達と回ってきた場所だった。噴水のある公園、夕陽が沈んでいく浜辺、なんでもあるみたいな遊園地。
 私は無言のカオルに話しかける。
「ほら、外に出ればどこにでも行けるよ?」
 なぜか、カオルがそこで動き出さない。きっと何を言っても、そのベットの上から動かないことがなんとなく予想できた。
 カオルの足にかかる布団をどかそう。そう思ったけど、辞めた。それは、そんなことをする私をカオルが許してくれる自信がなかったから。正確には、思った時にはあったのに次の瞬間に無くなってしまった。
 窓の向こうの景色が延々と流れる。おんなじ所をぐるぐると。隣でカオルは無言。
 案外、これでも良いのかもしれない。カオルが横にいて、何をするわけでもないんだけど、これが続くならそれはそれで。
「僕も、そう思っているんだ」
 ふと、声が聞こえた。それがカオルの声と気がつくのに少し時間が掛かった。
 何か返事をしようと思ったけど、出来なかった。カオルが泣いていたから。
「だけど、やっぱりダメだ。ニーコ。ちゃんと僕の最期のことを思い出して欲しい」
「え、最期って……」
 その言葉を聞いた時には、既に大体のことを思い出せる状態になっていた。けど、この記憶の蓋を開かないことも出来そうだった。そうすれば、このままカオルと、この窓の向こう側に行ける。
「ねえ、カオル。窓の向こうに行こうよ」
 そう、決めた。カオルの最期のことなんて、思い出す気もなく。
 ぐらりと世界が揺れる。そして様々な美しい景色が生まれようとしていた。これは正しい選択だったのか分からない。けど、自分の心に嘘はつけない。
 そしてカオルの手を探した。掴んで走り出そうとした。けど、それよりも先に声が聞こえる。
「ニーコ、君のことはずっと嫌いだったんだ」
 カオルの声がそう告げる。その言葉はなんだろう。意味が理解できなかった。カオルの表情を見ようとしたけど、既にそこには誰もいない。
 その言葉は混乱そのものだった。私の中には、その混乱を源とした怒り、憎悪、後悔が生まれていた。
 これは、物質化と同じように、止めどなく心の中に溢れ出す。
 自分でも驚くほどに、カオルを殺したいと思っていた。
 裏切り者のカオルを殺したい。
 何を裏切ったのか。
 まさか、私?
 それって、自惚れだ。
 捨てられたのかも。
 そもそも、なんでカオルを好きなんだっけ?
 カオルが私を好きなんて、誰がってたの?
 ただ、記憶があった。
 なんであんな奴のために、境界治療をしようと考えたのか。
 セラピストでもないのに。
 治療なんかしないで、そのまま合法処刑されてしまえば良かったんだ。
 あんな奴。
 いや、私の境界治療は、そもそも成功したの?
 していない。リコがやったから。
 本当に?

 心臓がバクバクと動いていた。それで目が覚めた。崩壊した部屋の中にいる。
「ニーコ! 目覚めた! 何処まで理解してる!」
 リコの怒鳴るような声が聞こえた。私は全てを理解していた。リコは今迄ずっと私に境界治療をしていた。思い返せば現実では無かったことが分かる。夢を見た時みたいだった。
 物質化を起こしたカオルに、異精神者の私が境界治療を施した。それは失敗して、さらに私も物質化を起こしリコが私に対して境界治療を行っていた。
 リコと目が合う。
「全部壊してやるの」
 そう、私は言った。誰に言ったわけでもなかった。ただ近くにいたリコの目を見て言っただけだった。
 部屋の隅に、真っ黒な塊になろうとするカオルがいた。一瞬目が合う。
 私の中の殺意は、暴走した。
 本質が現れた。私の本質。猫の形をしたそれはカオルに向かって行く。
 まだ見えてる生身の部分に一撃喰らわせたい。それがいい。
 カオルをこの世界から消す。
 が、後一歩のところで動きが止まった。
 リコが居た。境界治療を施すための、機械の姿だ。私の本質を止めている。
「ニーコ。ちゃんと思い出して」
「思い出したって無駄でしょ! だって、カオルは私のこと、どうでもいいんだから!」
「そうじゃない。ちゃんと思い出すの」
「でも!」
 何処からかリズムが聞こえてきた。それはメロディーになっていく。
 頭に響く。誰かが歌っている。誰なのか分からない。
 ただ、温かい気持ちがあった。

 君のことはずっと嫌いだったんだ。

 また、言葉が頭の中で繰り返される。私の本質は容赦なくリコを苦しめていた。
 けど、リコはリズムをとり、メロディーを繰り返す。
 そのメロディーは、本質の動きを鈍らせる。
「ニーコ、言葉に惑わされちゃダメ」
 だんだんと、憎しみが失われていく。カオルが私に言った冷たい言葉と、カオルとの温かい思い出。私は、どちらを信じるのか。
 答えは決まっていた。

 私の本質が消えていく。信じることにした。思い出すことが出来ないけど、確かに存在するカオルとの温かい記憶を。
 カオルはもう顔も見えなくなりそうになっていた。
 少しでも触れたかった。あの言葉はきっと意味があったはずだ。それを聞きたかった。
 駆け寄ろうとするが、リコに手を引かれた。
「リコ、やめて」
 でも、私の言葉は無視されて、部屋から出される。
 振り返りざまに、部屋を見ると、奥には真っ黒な塊があった。
 あれが、カオル。
 私が境界治療をした成れの果て。
「カオルは……、残念だけど蛹化してる。いつ羽化するか分からないし、危険だよ」
 走りながらリコが教えてくれる。もちろんそんなことは分かっていた。
 どれくらい走ったか分からない。途中でリコが足を挫いて倒れ、私もそれに続き倒れ、そのまま立ち上がれなかった。

 次に目が醒めたのはまたベットの上だった。隣に背の低い女とほっそりとした背の高い男が立っていた。
 女は長い髪をかき分けてから私に話し始める。
「ニーコさんで合ってる?」
「はい」
 私が返事をすると、背の高い男が手に持ったバインダーに何かを書き込む。それを見て返事をするのが少し嫌になった。
 また、女が話す。
「記憶は?」
「ところどころ、合ったり、無かったり」
「体調の悪いところは?」
「少しお腹が減ってます」
 そう言ってから、今まで全くお腹が減らなかったことに気がついた。
「でしょうね。ずっと貴方は壁の中で境界治療を受けてたんですもんね。合ってますか?」
「合ってると思います。リコに聞いた方が確実かもしれません」
「確かに」
 女が言い終わると、背の高い男が屈んだ。女が耳打ちする。どうやら、質問はだいたい終わったらしい。
「じゃあニーコさん、取り敢えずこのまま休んでください。食事はすぐに持ってきます。何か質問は?」
「これから私はどうなりますか?」
 私の質問に答えたのは背の高い男だった。やけに低い声だ。
「明日の昼には決まる」
 続きがあるのかと待ったが、何もなかった。不安だった。それに背の低い女が気がついたのか、補足を加えた。
「まあ、緊張する必要はないよ。貴方の危険性はいま殆どないからね」
 危険性がないとは、どういう事なのか。聞こうとしたが、部屋に別の男が入ってきて二人を連れて何処かに行ってしまった。

 静寂。

 カーテンを開けてみると、外は明るい。時間が気になって沼田システムを確認してみた。午後二時。
 自分のクラスを見てみる。そこには、クラスゼロと表示されていた。

 異精神の治し方 第一話 境界治療 おわり

鳥居ぴぴき 1994年5月17日生まれ 思いつきで、文章書いてます。