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ショパンの手紙11「前奏曲」/ジョルジュ・サンド自伝より「雨音あふれる前奏曲」

💚亀井聖矢さんがロンティボー国際コンクールに出場します。セミファイナルの課題曲に、ショパン/28の前奏曲の16番を含む、というのがあります。昨年の亀井くんのショパンツアーのために作った拙訳です。

1)親友でマネージャーのジュリアン・フォンタナ宛にショパンがマヨルカ島パルマから送った183年前の12/3付の手紙と
2)ジョルジュ・サンドが自伝の中で『雨音あふれる前奏曲』について記した箇所をご紹介します。

早速、ショパン28歳の手紙からどうぞ(Reference: Opienski. trans. by Voynich. 1931. "Chopin's letters.")

ショパンの手紙(フォンタナ宛, パルマより, 1838年12月3日)
私のジュリアン!楽譜は未完成なので送れないんだ。この2週間、それはもう酷く病んでいて.... 気温18度で、バラ、オレンジ、ヤシの木、イチジク、そして島の名医3人に囲まれていたのに、風邪をひいた。私が吐いたものを、1人目の医師は臭いを確認し、2人目はその出所を叩き、3人目は吐き出す様子をつぶさに観察し耳を澄ましていた。そして、1人目の医師は、私が死んでいると言い、2人目は死にかけていると言い、3人目は確実に死ぬと言う。

しかし、今日も私は相変わらずだよ。一つ違うのはJasio(幼馴染で医師)を許せないと思うくらいで、だって彼は私の病では必ず予見される急性気管支炎の発作に、何のアドバイスもくれなかったんだから。出血が止まらず、薬もなく。しかし、神の恩寵、私は今も生きている。ただ、これが『前奏曲』に影響してしまい、君のところに完成品を送れる目途が立たなくなった。

あと少し、世界一美しいこの場所に滞在したい.... 海、山、すべてがある。巨大で古いカルトゥジア会修道院が今は廃墟になっているのだが、そこに滞在する予定。まるで私のために修道会が解散させられたみたいだ。パルマの近郊にあって、これ以上美しい所はない。ポーチも、詩情あふれる墓所も.... あそこなら私は幸せでいられるはず。ただ、まだピアノがない。プレイエルには手紙を書いた。Rochechouard通りに行って、チェックしてみて。そして、ショパンは具合が相当悪かったが、再び元気になったと伝えて。ただあまり私のことは話さないで欲しい、楽譜のことも。

手紙を書いてよ、まだ一通も届いていないよ。レオには、アルブレヒトにまだ前奏曲を送れていないって伝えて欲しい。両親に手紙を送って、君にはBourseに送ったから、返事を書いて。Jasioによろしく。

みんなには私が体調を崩していたと言わないで欲しい、きっと憶測を呼んで尾ひれがつく。

世界一美しい所、と楽しみにしていたショパンですが....

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続いて、ジョルジュ・サンドが自伝『我が生涯の歴史 Histore de ma Vie』で『ショパンが雨音あふれる前奏曲を書いた』と記している有名な一節をF. Niecksのショパン研究書(1888年)に引用された英訳に基づき、ご紹介します。(文中の『彼』はショパンです)

ジョルジュ・サンド記
哀れで偉大な芸術家は最悪の病人だった。私が最も恐れていたことが(残念ながらそれ以上のことが)起こった。燃え尽きてしまったのだ。勇気をもって苦しみに耐えていたが、自らの想像の産物による不安には勝てなかったのだ。体調が良い時でさえ、彼にとってこの修道院は恐怖と亡霊の巣窟.... 自分では語らないので、これは私の想像だが。

毎夜の修道院の廃墟散歩から子供と戻ると、顔面蒼白で目をむき髪を逆立てた彼がピアノに向かっていた。夜の10時、彼は私たちのことがしばらく判らなかったようだった。その後、無理やり笑顔を作り、書いたばかりの荘厳な作品を、いや正確に言うと、孤独と悲しみと恐怖の時間の中、無意識に彼に取りついた恐ろしく悲痛な妄想を、私たちに弾いてくれた。

それは『Prelude(前奏曲)』とだけタイトルが付けられた、大変美しい数ページの短い作品たち。まさに傑作。彼の想像の世界にうごめく亡き修道僧の姿や葬送の聖歌を表現する作品もあれば、哀愁と甘美に満ちた作品もある(これは彼が体調の良い時に陽の光の中で浮かんできたものだろう、窓の下から聞こえる子供たちの笑い声や遠くから聞こえるギターの音、鬱蒼と茂る木々の中を飛び交う鳥のさえずり、雪の上にひっそりと咲く薄色のバラが見える)

そして再び、死者を悼むような悲しみの曲、耳には美しい、でも心には痛い.... その中に、陰鬱な雨の夕べに書かれた作品もあった。その日は、私と息子モリースが、隠遁生活に必要なものを調達にパルマまで出かけたので、彼は一日中1人だった。ところが雨が降り出すとそれが土砂降りになり、私たちは洪水の中を6時間歩く羽目になった。帰宅できたのは真夜中、長靴もなく、馬車は途中下車させられ、未知の危険の中なんとか帰宅した。きっと病人は不安に駆られていると、先を急ぎながら。

不安があまりに募り、静かな絶望へと変わったのか、彼は泣きながら素晴らしい前奏曲を弾いていた。私たちが部屋に入ってくるのを見た彼は立ち上がり、叫び声をあげて「ほら、やっぱりそうだ、君たちは死んでいたんだ!」と言った。

やがて正気に戻った彼は、私たちの状態を見て、どれほどの危険をかいくぐってきたのかを察して、具合が悪くなった。後に、私たちの帰りを待つうちに夢を見て、もはや夢と現実の区別ができなくなっていた、と教えてくれた。自分は既に死んでいるんだと思い、段々と落ち着いて、自分のピアノで寝てしまいそうになった、と。

それは彼が湖でおぼれる夢。重く氷のように冷たい水の雫が、彼の胸に一定の間隔で落ちてきたと言う。それは実際に一定の間隔で屋根に落ちる雨音が聴こえたのではないかと私が訊くと、彼はそれは違うと否定した。擬音という言葉を私が使ったことにも腹が立ったようだった。彼は全力で断固として違うと言った。そう、彼が正しい。たとえ子供っぽい雨音の擬音に聞こえたとしても。

彼の天才的な精神は、自然界のミステリアスなハーモニーに満ちている。それを彼は、崇高なハーモニーで音楽に変える。外界の音を独創性もなく反復しているわけではないのだ。この夜の彼の作品は、本当に修道院のタイルに反響した雨音であふれていたが、彼の想像と音楽の中では、その雨音は天国から彼の心に降り注ぐ涙へと変わっていたのだ。(Reference: Excerpts from "Histoire de ma Vie." by G. Sand. 1854., in F. Niecks. 1888. "F. Chopin: as a man and musician.")

ショパンが命を削って書いた『24の前奏曲 Op.28』、サンドが傑作と称え、亀井くんが昨年末のオールショパンツアー新潟りゅーとぴあの20代最初の公演で初披露した作品です。コンクール(ロンティボー)でも亀井くんの演奏が聴けると信じています💚✨

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この拙訳は、学術を目的としておりません。大好きなピアニスト💚の公演に向けて、一人称の文章を読んで背景知識を養い、また、公演の成功を祈りながら、分かり易い日本語で私が作っているものです。それでも、皆様のお役に立てたら大変嬉しいです。私が読んでいる、Chopin's letters (1931)とF. Chopin: as a man and musician (1888)は、北米の大学図書館に所蔵されており、Internet Archive上で閲覧しています。

私が応援するピアニスト亀井聖矢さんの公演情報はこちらです👇