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ラフマニノフ4「ロシアの鐘のバイブレーションの中で生きてきた」

1913年ラフマニノフがローマ滞在中に着手したソナタ2番Op.36。同時期に構想を練った合唱交響曲「鐘」の影響を受け、ロシア正教の大小の鐘が鳴り響いている、とも言われているそうです。

このエドガー・アラン・ポーの詩がベースの合唱交響曲「鐘」について、ラフマニノフ自身が寄せた文章の中に(Bertensson, 1956)、教会の鐘に対する彼の思いが書かれています。一部抜粋をよく見かけますので、こちらで全訳をご紹介したいと思います↓:

「私が知るロシアの町、ノヴゴロド、キエフ、モスクワでは、すべてが教会の鐘の音に始まりそして終わります。生まれた時から死ぬまで、すべてのロシア人と共にあるので、鐘の音の影響を受けていない作曲家はいません。

友人の屋敷に招かれた時に(余談ですが、チェーホフは釣りが好きです。理由は魚が驚くので釣りの最中は喋れないからで、このようにして彼は言葉の無駄遣いを防いでいるわけです。)晩鐘が鳴り、その余韻が消えゆく中、チェーホフはその友人にこう言いました:「教会の鐘の音を聞くのが好きだ。宗教が唯一私に残したもの、それは鐘の音だ」と。信仰や希望が消えたとしても、鐘が奏でる歌の美しさは魂に響き続けるのです。

物心ついたときから、祝いの鐘の音、弔いの鐘の音、鐘の音が奏でる音楽が作り出すさまざまなムードをかみしめるのが好きでした。鐘に対する愛着は、ロシア人に共通するものです。

ノヴゴロドにある聖ソフィア大聖堂の大鐘が奏でる4つの音は、私の子供時代の懐かしい思い出すべてに寄り添っています。よく祖母が教会の祝祭の日に街に連れて行ったくれたものですが、その時に聞いた音です。

鐘を鳴らす人、鳴鐘人はアーティストです。大鐘の4つの音は主題を作っていました。4つの澄み透った切ない音が奏でる主題は、絶えず変化する伴奏の中に巧に隠れながら、何度も何度も繰り返し現れました。私はその音を聴くと必ず涙を連想したものです。(写真下:聖ソフィア大聖堂 wikimedia commons)

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それから何年も経って、2台ピアノ用に4楽章から成る組曲を書き、それぞれの楽章に詩で表題をつけました。第三楽章には、チェッチェフの「涙」という詩を引用したのですが、すぐに、理想的な主題が浮かびました。私の中で、ノヴゴロドの大聖堂のあの鐘が鳴ったのです。私のオペラ「The Miserly Knight けちな騎士」でも同じ主題を使い、哀れな未亡人が男爵に命乞いをする場面を表現しました。

私が、自分の作品を通じて、人々の心の中に、鐘の音を響かせることができているとすれば、それは、私が人生の大半をロシアの鐘のバイブレーションの中で生きてきた、という事実によるところが大きいでしょう。

眠たいローマの午後、ポーの詩を前にした私には、鐘の声が聴こえました。その愛おしい、人間のさまざまな経験を表現しているような鐘の音色を、曲(合唱交響曲「鐘」)にしました。

しかも、かつてチャイコフスキーが仕事部屋として使った部屋で、彼が曲を書いた机で自分も仕事ができるなんて、それはもう励みになりました。」

ラフマニノフはチャイコフスキーを心からリスペクトしていたそうです。同じ部屋で同じ机で仕事をする、それはテンション上がりますし、そんな環境でソナタ2番も作られたのですね。

この鐘の話を読んで、亀井くんが語ったラフマニノフの特徴「バスの安定性+長いメロディー+和声の複雑性=美しいエモーショナル」「こんな風に繰り返される主題=天才的」は、ラフマニノフの鐘の記憶に通じるものがあるなぁ、と思いました💡

次回ラフマニノフ祭3では、ラフマニノフの人となりが滲み出た手紙や回想録を、英書から引っぱってこようと思います。今回も最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。🔚

亀井聖矢さんが、日本音楽コンクールの思いでの地、東京オペラシティに、ソロリサイタルで凱旋します。7月25日です。ラフマニノフソナタ2番を演奏します!ご自身の告知ツイートにチケット詳細リンクがあります。また、先日sala aiettaで行われた公演からラフマニノフソナタ2番最後の部分の演奏の様子、ご紹介しておきます。