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どうやって「夫婦」になるか

夫婦は長年一緒にいると、似てくるという。

一緒に過ごす期間が長ければ長いほど、どんどんお互いに影響されて性格や顔つきが近づいていくというのは、心理学的にも認められているらしい。

私も夫とは10年以上の付き合いになるが、顔が似てきた気がする。

しかし性格や考え方はどうだろうか。

夫と私は、似ているようで真反対のところがあるような気がする。

ある面ではのんびりマイペース、ある面ではせっかち、そういった性格そのものは似ているが、考えのベースになっているところが圧倒的に違う。

夫のことをよく見ていくと、自分には足りない部分を持っているなと感じることが多々ある。

最近の婚活では、共通点を探って相手を見つける人が多いようだが、果たして本当にそれが一番大事なのだろうか。

趣味や嗜好は一緒でも、「価値観の相違」が原因で別れてしまう夫婦は多いという。

代表的なのは「お金の使い道(使い方)」

細かいところで言えば「酢豚にパイナップルを入れるか否か」

みたいなところまで幅広い。

でもそこで大事なのは、その価値観の相違というところで

いかにして「自分軸を殺さないか」というバランス

「まぁ、相手はこういうタイプだしなぁ」と割り切れるかのバランスをお互いがうまく取れるかだと思う。

前回の「カルテットから学ぶ夫婦関係」の記事にも書いていて重複するが、私は少し前まで、価値観の相違も然り、何でも言い合える関係でありたい。そして差を埋めていきたい。そう思っていた。

でもところがどうだろう。相手の価値観に歩み寄ろうとすると

お互いの「理想とする人」「好きな人に近づきたい」というゲージが増し

今度は「個」がなくなってしまう。

そうして大抵そこで疲弊するのが女性かもしれない。

好きすぎて無理して尽くして疲れた。

あなたの理想に近づけない。

私にもそういう時期があった。

私の場合は、彼の価値観に歩み寄ろうとしたわけじゃなく、

社会や友人の価値観が作り上げた「妻像」に、疲弊しまくっていた。

「3食しっかり作るの大変だよね」と言われれば、

"やっぱり3食しっかり作るのがスタンダードなんだな”と感じ、

自分はできていないな、と思って勝手に傷付いた。

相手の食の好みに合わせて味変して料理を出している家庭に、傷付いた。

SNSで見るピカピカの家に、傷付いた。

でも疲弊した私に、夫はこう言ってくれた。

「きみは自由だ。何にも縛られない。だから好きなことをしていい。」

すっと気持ちが楽になった。

勝手に世間の価値観と相手の価値観を同一視してしまっていたし、

自分軸を失いかけていたと。

それからは、

「ふーん、あなたはそう思うんだね~。まっ、いいか。お互い違う人間だし」

ぐらいに思うようにしている。

冷めていると感じるかもしれないけれど、

”育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない” ~♪(セロリ)

ぐらいの感覚である。

この精神を取り入れてからは、非常にうまくいっている。

ゴミを片付けられない夫に対して、少し前まではガミガミ言っていたけれど、相手にあれこれ言ったところで直らないということに気付いて、「まっ、できないんだから仕方ない。私もできていないところはあるんだし、相手と自分を同一視することはできない」という気持ちでいられる。

そして後から気付いたことだが、長く教育現場に携わっていて、勉強ができるお子さんほど親御さんがいい意味で自分の子のことを客観視できており、自分と同一視せず、自他の分離がはっきりとできている。

これに学んで、夫婦も凸凹している方が、実はうまくいくのかもしれない。

私は凹んだ時に、彼の一言で心が「▢」になり、救われた。

無理にいつも、「▢」を保つ必要はない。

とかいって、数年後に離婚をしていたら、笑ってください。

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