ADHD、発達障害と決めつける危険性

チュートリアルの徳井義実さんが運営する個人会社の法人所得税の申告漏れが連日芸能界を騒がせている。

本人は最初の1年に関しては支払いを行ったが、その後は支払いを先延ばしにしていったというらしい。

そんな先延ばし癖に関して先日Twitter上である話題が上がった。

それは、「チュートリアル徳井はADHDなのではないか?」ということだ。

ADHDとは注意欠陥多動性障害という障害で、今回のような不注意や落ち着きが無いなどといった多動、癇癪などと言った衝動的な感情を抑えられないなどと言った症状が日常生活に支障をきたしかねないほど起こる先天性の脳の障害である。

今回何故ADHDが疑われたかというと徳井さんの過去の事例を見るからにこういった先延ばしや、不注意による公共料金等の未払いなど多くの事例が浮かび上がったことからであった。

しかし、僕自身ADHDとすぐ決めつけてしまう事に関して危険性を感じている。

まず、「こういった人はADHDだ、発達障害だ」と決めつけることがレッテル貼りに近いと考えている。

「この人はADHDであって、普通の人間では無い。」みたいな。とりあえずADHDと言っておけばいいみたいな印象を感じてしまう。

おそらくこういった人の中には「ADHDなんじゃないの?調べてみたら?」みたいなノリで「徳井はADHDだ。」と考える人もいるだろうが、そうすぐADHDと決めつける事自体普通じゃない人みたいなレッテルを貼る行為に近いと思われる。

ADHDかどうかの診断を出せるのは一般人じゃなくて医師だけで(まあその医師もちゃんとした診断を出すか出さないかみたいなところもあるが)

一般人が過去の事例だけを見てADHDと決めつけてしまうのは自分とは違う人というレッテルを貼りたいだけにすぎないような気がする。

そして、もう一つ。「ADHDや発達障害というのが正しく理解がなされない」という危険性を感じている。

それこそ、「物忘れが多いからこいつはADHDだ。」なんて理由で人を障害者呼ばわりしたりみたいな。

少し前はアスペも蔑称のように使われていたし、ADHDも少なからず蔑称として使われているようなケースがあるような気もしなくはない。

それこそ、漫画やアニメのキャラクターが知的障害呼ばわりされたりアスペだのADHDだのってレッテルを貼られたりなんかして、障害の名称自体が蔑称として使われることもあり、

果たしてそれで障害というもののイメージが良い方向へ進むかと言われたら悪い方向にしかいかないと思う。

今回の件然り、今NHKが行っている発達障害特集然り発達障害が注目を集めるのは良い事だとは思うが、それで理解が深まるのか。

逆に発達障害という言葉が独り歩きし、良からぬ方向へ行ってしまわないか。

理解の薄い人が分かったつもりでいることにはかなり不安を感じるのであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?